【HOME】 【net-novel TOP】一覧 内容 新着順
NOVEL AIR【net-novel-1】


パネル   投稿        ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9

リレー小説『ラスト・フォーティーン』のページです。
本作は2001年11月3日〜2002年7月8日に渡って、週刊連載されたものです。
本作品に対する、ご意見、ご感想等は、「BBS2」に書き込みしてください。
執筆陣⇒諌山裕/水上悠/森村ゆうり/大神陣矢/皆瀬仁太
【設定・紹介ページ 】【各話人気投票】【キャラ人気投票】


第三二節「時のユグドラシル」(前半)返信  

【Writer:諌山 裕】


“もろもろの聖なる族(やから)、ヘイムダルの貴賎の子らよ。私の言葉に耳をかたむけるがいい。死せる戦士の父なる神よ、ここに、御心に従い、記憶のはての古き世のさまを、語り説きたてまつる。
 遠い世の巨人の族の誕生も、私は忘れない。その上(かみ)に私を育てあげたものこそ、この族。九つの世界、九つの根。また、大地にふかく根をめぐらした大宇宙樹(ユグドラシル)をも私は知っている。
 ユミルの生きていたはるかな昔には、砂も、海原も、つめたい浪もなかった。大地も、上なる天もなく、ふかい淵が口をひらくだけで、草というものも見えなかった。
 やがて、ブルの子らが大地をもたげ、うるわしき中央世界(ミドガルド)を築いた。日輪は南から岩を照らし、大地はみどりの草におおわれた。
 月の友なる日輪は、その右手を南から、天の縁(へり)にかけた。日輪はいまだその家を知らず、星々もいまだその座を知らず、月もその持てる力を知らなかった。
 世を治めるすべての者、聖にして聖なる神々は、裁きの座におもむいて議し、時をはかるため、夜と新月に名を与え、朝と真昼に、午後と夕べに名を与えた。
 イダヴェルにエーシル神はつどい、祭壇と神殿とを高々と築き、鍛冶の炉をおき、金(かね)をきたえ、火ばさみなどもろもろの道具を作りあげた。
 館(やかた)なる神は、たのしげに将棋に興じ、持てるものはすべて黄金でできていたが、それも、巨人族の全能なる三人の娘が、巨人の国からあらわれた時までのこと。
 強くやさしきエーシルの神々三柱は、そのむかし海辺へと足を運び、力もなく運命(さだめ)ももたぬアスクとエンブラを、そこから陸(おか)に見出した。
 それらには息もなく、魂もなく、血の気、身振り、人らしき形もなかったが、オーディンが息を、ヘーニルが心を、ロードゥルが血の気と人らしき形をさずけた。
 とねりこユグドラシルがそびえるのが、私には見える。かがやく霧につつまれ、天をつく樹が。谷間に降る霧はここに生まれ、常緑の樹はウルドの泉のほとりに立つ。
 とねりこの根かたに湧くこの泉から、全知の乙女三人があらわれ出る。一人はウルド、一人はヴェルダンディ、板に文字を彫るのが役目。スクルドをまじえたこの三人は、人の子らに人生を選びわけ、人の世の運命をば定めた。”――――『エッダ〜巫女の予言〜』(松谷健二・訳)より。「中世文学集」(筑摩書房・刊)に収録。

 ベッドに腰かけたキャサリンは、北欧神話を読んできかせた。三つ並べられたベッドの、残り二つには理奈とジャネットが半身を大きめのクッションに預けている。妊娠五ヶ月〜六ヶ月に入った彼女たちは、見た目にも腹部が膨らみ、学校は休学していた。彼女たちの休学の理由は公表されてはいないものの、妊娠したからだということは知れわたっていた。郷田邸の三階の来客用寝室は、彼女たちのための産院となっていた。
 郷田を始めとして立原と菅原も、事情を内密にしようとしていたが、当の彼女たちが喜びのあまり級友たちに公言してしまったのだ。彼女たちには隠すべき問題ではなかったからだ。厳格なカトリックの学園で、彼女たちのことは大きな問題になった。ましてミス・マリアに選ばれた注目の生徒でもあったため、波紋は広がった。教師や父母の懸念とは裏腹に、生徒たちは彼女たちを祝福した。
 聖母マリアも未婚の母ではないか――というのが、子供たちの主張だった。もとよりカトリックは中絶には反対する立場であり、命を尊ぶ教えを説いている。ミス・マリアの妊娠は、聖母マリアと重ね合わせて見られるようになった。
 そもそも秘密にするのは困難だった。彼女たちを部屋に閉じこめて隔離するわけにもいかず、外を散歩したりといった運動も必要だったからだ。休学はしているものの、時間があれば彼女たちは学友たちと過ごすことを望んでいた。
 キャサリンの朗読をきいて、理奈は質問する。
「板に文字を彫るのが役目ってなんのこと?」
「直接的な解釈は、ルーン文字で呪文を刻むことよ。でも解釈のしかたによっては、運命という歴史を刻むことにもつながるわね」キャサリンは解説した。
「つまり、三人の乙女は、歴史を左右する存在だといいたいのね」とジャネット。
 キャサリンはうなずいた。
「そう。神話はまったくの架空の物語ではなくて、ある部分では事実に基づいているものよ。聖書も同様にね。もしかしたら、エッダの物語も実在した人物に由来するのかもしれないわ。三人の乙女はジャンパーだったのかも」
「ふうん。で、その神話にヒントがあるというわけ?」理奈は懐疑的だ。
「三人の乙女は、それぞれに時間をつかさどっているの。ヴェルダンディは現在、ウルドは過去、スクルドは未来よ」
「なんか、できすぎた話ね」と理奈。
 キャサリンは解説を続ける。
「世界を象徴する樹のユグドラシルは、宇宙そのものを意味しているわ。乙女はその樹の根元にある知恵の泉に住んでいるの。そして、樹には一匹の巨大な蛇が絡みついていて、樹をかじっている。蛇がやがて樹を倒してしまうと、世界は崩壊する。こういう終末論は、聖書の中にも見られるわ」
「蛇がミッシング・トリガー、というわけね。象徴的であることは認めるわ」理奈は肩をすくめた。
「でも――」と理奈は続ける。
「当面の問題は、あたしたちが子供をちゃんと産めるかどうかよ。それと、のぞみのこと。頼りない男たちはなにしてるのよ」
 ジャネットは苦笑した。
「ほんと、この子たちの父親は、まだ自覚がたりないわね」
 バタバタと階段を登ってくる音がした。
「噂をすればだわ」ジャネットは部屋の入口を指さした。
 慌ただしくドアが開けられ、アンドルーを先頭に光輝とゲーリーが入ってくる。
「気になる情報を――」アンドルーは口ごもった。
 少女たちがクスクスと笑っていたからだ。笑いが笑いを誘って、彼女たちの笑いはしばらく続いた。
「なにがそんなに可笑しいんだ?」アンドルーは怪訝な顔をした。
「なんでもないわ。ただ、可笑しいのよ」理奈は顔をほころばせながらいった。
 アンドルーはため息をついた。
「楽しそうだな。体調はいいのか?」
「ご心配なく。特に問題はないわ」と理奈。
「気になる情報って?」ジャネットは光輝に向かっていった。
 光輝はジャネットのベッドに歩みよって、縁に腰かけた。
「のぞみの行き先がわかったんだ。彼女は……」
「のぞみがどうかしたの?」理奈は真剣な表情になった。
 アンドルーが答える。
「例のJ3Kの中心人物である、高原の邸宅に行ったあと、ぱったりと消息が途絶えているんだ。中に入ったことまでは確認したが、出てきた痕跡がない。ずっと中に囚われているかと思ったんだが、そうでもないらしい。彼女は消えたんだよ」
「消えたって……。どこに?」
「転移したのかもしれない。あるいは転移させられたか。確証を得るために、問題の屋敷に潜入を試みるつもりだ」とアンドルー。
「武器がほしいところだが、日本では難しいな。SIGザウェルP229なんかがいいんだが」ゲーリーは右手を拳銃形にしてみせた。
「物騒なこといわないでよ。銃撃戦なんかあるわけないじゃない」ジャネットは眉をひそめた。
「わからないぜ。相手は正体不明の組織だ。裏でなにやってるか。丸腰で乗りこむのはリスクが大きいぜ。さすがの郷田さんでも、武器の調達は無理だろうなー」
「せいぜいスタンガン程度だね。それなら入手できるよ」光輝はゲーリーの案に乗じた。
「バカなことはしないで!」ジャネットは光輝をたしなめる。
「わかってるよ」光輝はジャネットの手を握った。
 理奈は掛けていた毛布を払いのける。
「理奈?」アンドルーは小首を傾げた。
「あたしも行くわ」
「それはダメだ。君は大事な体じゃないか。行くのはオレたちだけだ」
「あたしは病人じゃないの。バックアップくらいできるわ」
 アンドルーは理奈の肩に手を置く。
「だとしても、君たちは残っていてくれ。人数は少ない方がいいし、余計な心配はしたくない」
「女は邪魔だというの?」
「そうはいってない。君たちは君たちの果たすべきことをやってほしいだけだ。流産なんてしてほしくないんだよ」
 理奈はキャサリンとジャネットを見る。キャサリンはうなずき、ジャネットは同意の印に肩をすくめた。
「無茶はしないで。ちゃんと帰ってきてよ」
「もちろんだ」
 アンドルーは理奈にキスをした。キスを終えると、理奈は隣のキャサリンに人差し指を振った。アンドルーは体の向きを変えるとキャサリンにもキスをした。光輝はジャネットとキスを交わしていた。
「ちぇっ、オレだけお邪魔虫って感じだぜ」ゲーリーはぼやく。
 キャサリンは立ち上がり、ゲーリーに向かって微笑むと両手を差しだした。ゲーリーは彼女に歩みより、抱擁とキスを受ける。
「あなたも気をつけてね、ゲーリー」
「サンキュー」ゲーリーは微笑んだ。
「ドジ踏まないでよ」理奈は釘を刺した。
「ああ」アンドルーは答えた。
 少年たちは意気揚々と少女たちに見送られて部屋を出ていった。


 畏怖と困惑が沈黙の空気にさらに重くのしかかっていた。
 茫然自失の高原は、空を見つめたまま全身の力が抜けている。達矢は食いしばった歯を覗かせていた。御子芝と高千穂も驚きを隠せなかったが、のぞみは口をポカンと開けて、床に座りこんでいた。
 御子芝が高原の様子を見て、沈黙を破る。
「どうやら、ほんとうに知らなかったようだな」
 達矢は舌鼓を打った。
「いつからなんだ? と、きいても無駄か。奴らは人類に気がつかれることなく、入りこんでたんだろうな」
 高千穂が達矢のあとを受けて口を開く。
「寄生する奴は、宿主に気づかれないように同化してしまうものだ。意識転送と同じ理屈さ。
 人の脳の中に寄生するトキソプラズマは、一見なにもしないで無害なように振る舞う。だが、ときに人格を変えてしまうほどの影響を及ぼすんだ。男の場合には犯罪に走る傾向になり、女の場合には他人に対して従順になってしまう。道徳観念や危機意識が欠如してしまうんだ。トキソプラズマにとっては、人間は仮の宿主であり、寄生した個体を無防備にすることで、新しい宿主に乗り移ることを狙っているんだ。かつて精神障害のために凶悪犯となった者の中には、トキソプラズマに感染している者もいた。寄生虫が人格を支配するなどということが、まともに研究されるようになる以前のことだけどな。二一世紀の時点では、まだ認知度の低い事例だ」
 達矢は唇を噛んだ。
「いつからなのかはともかく、奴らは月の量子コンピュータに感染した。それは間違いない。いってみれば、奴らは電磁界寄生体だ」
「そして、奴らが狙っているのは人間への寄生というわけだな。電磁界メモリの中に保存されている、個々の人格意識はほぼ奴らの影響下にあると思った方がよさそうだ。魂の寄生虫ということもできる。気持ちの悪い話だ」御子芝は顔をしかめた。
「これは異星人の、あるいは未知の生命体の侵略なのだろうか?」達矢は問うた。
「それはたいした問題ではないと思うね。トキソプラズマが侵略の意図を持って寄生しているわけではないのと同じだ。ただの生存本能かもしれない」高千穂が答えた。
「だけど……」達矢は首をひねった。
「なぜ、奴らは植民計画として、人間への寄生のプロセスを記録として残しているんだ? 見てくださいといわんばかりじゃないか」
 御子芝はうなずいた。
「ふむ、たしかに腑に落ちない点ではあるな。むしろ、この情報もトラップのひとつなのかもしれない。われわれを欺く意図があるのかもな」
「私は……なにものなの……」
 弱々しい声で高原がいった。
「彼女も感染者なのか?」達矢は高原を指さした。
「そう考えた方がいいだろうな。だが、彼女の精神的ショックを考えると、意識のすべてを支配されているわけではなさそうだ」と御子芝。
 高千穂はうなずく。
「宿主を殺してしまっては寄生体も生きていけないからな。彼女自身の自我に同化しているんだろう。あるいは感染した状態で長く生きているうちに、変容してしまったとも考えられる」
 達矢はパンッと手を叩いた。
「やるべきことははっきりしたな。奴らの植民計画を阻止する。これこそがミッシング・トリガーだという気がするぜ」
「同感だ」と高千穂。
 達矢は続ける。
「奴らが排除しようとしている、ミレニアムイヴは侵略の障害になっているに違いない。もし、のぞみがイヴのひとりで、二一世紀に戻ることができたなら、この事実を知ったわけだから、奴らのことを警告するはずだ」
「ということは、私たちがここに連れてこられたのもうなずける。奴らは排除するつもりだったのが、じつのところイヴの条件を満たす状況を作ってしまったんだ。墓穴を掘ったわけだ」御子芝はいった。
「因果律の難しさだな。ニワトリを殺したら卵は産まれない、卵を潰したらニワトリは育たない。どっちが問題の解決になるかは、不確定なんだ」と高千穂。
「さてと、どうする? エデンを潰すか?」達矢は仲間を見まわした。
「電磁界メモリの感染を除去するか、もしくは破壊だな。場合によっては、数百億の魂を失うことになるが。これは大量殺戮になるのか?」
 高千穂の言葉に、達矢は苦悩を浮かべた。
「あまり考えたくないことだが、彼らは一度は死んだ人々だ。永遠の命を求めてのことだろうけど、魂の定義は難しいな」
「けどよ、もう一度肉体での生を得るために、他人の肉体を利用するなんてのは間違ってる」
「彼らを救う方法も考慮しながら、最悪の場合には……覚悟しよう」
 達矢は大きなため息をついた。
「最善を尽くすしかないだろう」
「現実的な問題として」と御子芝。
「武器がいるな。じつは目星をつけてあるのだ。ここから近い歴史資料館に、過去の武器を展示しているんだ。使えそうなものもある」御子芝は微笑んだ。
「わたしも……」しゃがみこんでいたのぞみが立ち上がった。
「……一緒に戦うわ」
 達矢はのぞみに歩みより、彼女を抱きしめた。
「ああ、のぞみ、君も一緒だ」
 のぞみも彼に背中に腕を回して、ひしと抱きしめる。
「うれしいよ、のぞみ。君が悪夢から目覚めてくれて」
「うん……達矢……。ほんと、わたしったら、悪い夢を見てたみたい」
「君のせいじゃないよ。誰だって自分が世界を滅ぼす原因になったなんていわれたら、まいっちまうよ」
「わたしは……わたしの子供は、忌むべき子供じゃないわよね?」
「そうに決まっている。君はきっといい母親になるよ」
「あなたは父親でしょ?」
 達矢は顔を赤らめた。
「それはこれからのことだよ。まだなにも始まってはいない。春奈の父親が誰であっても、君の子供ならやさしい子になると思うよ」
 のぞみは微笑んで達矢を見つめていた。
「おいおい、ラブシーンは早すぎるぜ。仕事を片づけてからだ」高千穂は冷やかす。
 達矢は抱擁を解いた。
「そうだな。奴らもすでに動き出していると考えた方がいい。先手を打たれる前に行動しよう」
 部屋を出ていこうとする四人は、高原に呼びとめられる。
「待って! 私も手伝うわ」
 達矢は怪訝な顔をした。
「あんたが? なぜ? 信用できないね」
「もっともだわ。でも……私は……自分が自分であることを確認したいの。自分ではないなにものかに操られているのではないことを。信用してくれなんていえないけど、私は利用できるわよ。人質にしてもいいし」
 達矢は高原の目をまっすぐに見つめる。澄んだ瞳には真摯な思いがあるように見てとれた。もし、のぞみがミレニアムイヴになるのなら、高原はそのきっかけを与えたことになる。意図したこととは異なっているが、彼女が関わっていることは確かなのだ。
 ふと達矢の頭の中を、ブリトニーの歌の一節がよぎった。

“自分が誰だか確かめるために間違いだって犯すの
 だからそんなに守られていたくないの
 他の道があるはずよ
 何だって確かめてみるべきだって信じているから
 でも私は誰なのか
 何をしたらいいのか
 神さま答えて教えて”

「あんたはエデンを裏切るというのか?」達矢はきいた。
「結果的にそうかもしれないけど、私はエデンを救いたいのよ。ここは人間が求め続けてきた楽園なのだから」
 彼女は「人間」という言葉を強調した。
「あんたが感染していたとしても、その人間性は信じたいと思うよ」
「ありがとう。エデンを支配しているのは、枢機評議会よ。彼らを潰さなくては、エデンもあなたたちも救えないわ」
「ところで、時空確率転送機はあるのか? おれがいってるのは、肉体も転送できるタイプのことだ」
「ええ、それも歴史資料館にあるわ。使われなくなって久しいけど、稼動できる状態に保存されているから、パワーさえ確保できれば使えるはずよ」
「よし、それが頼みの綱だな」
 達矢は御子芝と高千穂に、意見を求める目を向けた。ふたりはうなずいた。
「いいだろう。一緒に来いよ。怪しい動きをしたら、容赦はしないぜ」
「ええ、承知しているわ」
 彼らはエデンの見せかけの楽園を打ち砕くべく、行動を開始した。

〈つづく〉

諌山 裕 mail url 2002/06/10月04:59 [36]


第三一節「エデン」(後半)返信  

【Writer:諌山 裕】


♪♪
“時間がほしい、愛も、喜びも
 空間がほしい、愛も
 ほしいの……私が
 アクション

 私っていう女の子にセイ・ハロー
 私の視界を覗いてみて
 自分が誰だか確かめるために間違いだって犯すの
 だからそんなに守られていたくないの
 他の道があるはずよ
 何だって確かめてみるべきだって信じているから
 でも私は誰なのか
 何をしたらいいのか
 神さま答えて教えて

 どんな風に生きていったらいいの?
 (今にわかるときが来るから心配しなくていいの)
 何が正しいかなんてどう判断したらいいの?
 (自分を信じて進むの)
 気持ちを抑えられないの
 でも今までの私は過保護にされ続けてきたの

 好きなこと、やりたいこと、やりたくないこと皆にいっても
 どんな時でも、諭され続けて
 教えられたこと、耳にする世界のことなんて信じられない
 過保護にされ続けてきたって気づいたの
 他の道があるはずよ
 何だって確かめてみるべきだって信じているから
 でも私は誰なのか
 何をしたらいいのか
 神さま答えて教えて……

 時間がほしい……愛も……空間がほしい
 誰にも決められたくない
 私の運命を
 ノー、ノー……誰にも決められたくない 自分で……
 自分じゃない誰かになれって言われるのはもうたくさん……”
〈overprotected/BRITNEY SPEARS〉

 のぞみは歌った。
 彼女はエデンを見おろす小高い丘に立っている。夜の時間帯になっているため辺りは暗く、街明かりが星の海のように広がっていた。昼間は憩いの場となっている丘には、パルテノン宮殿を模したミニチュア版のテラスが造られていた。
 パチパチパチ――
 拍手する音。
 のぞみは振り返った。壁の明かりの下に、達矢がいた。
「うまいもんだ。ブリトニーの曲だね」
「達矢……」
「ぶらっと散歩していたら、歌がきこえたもんだから」
 のぞみは肩をすくめて微笑んだ。
「聖歌を歌うようになって、歌うことが好きになったの。気持ちが安らぐわ」
「聖歌は苦手だけど、おれもブリトニーは好きだな。いい曲だ。彼女は可愛いしね。日本公演には行きたかったな」
「ラブソングが好きなんて、初耳よ。野球とロックばかりかと思ってた」
「好きなことは……いろいろあるさ」
(君のことも)達矢は思った。
 ふたりは向きあい、見つめあった。互いの思いが視線と仕草で交錯する。達矢の熱い視線に、のぞみはうつむいてしまった。
「えっと……、ここの生活には慣れた?」
「ああ、まあまあだな。あまりにもできすぎている世界に、戸惑ってもいるけど。なんていうか、ここの空気はおれには合わないみたいだ」
「そっか。野球もロックもないもんね」
「ブリトニーもいない」
「そうね」
 ふたりはぎこちなく微笑んだ。
「のぞみ……」達矢は口ごもった。
「なに?」彼女は小首を傾げた。
「あの……、ええと、これからどうするつもりなんだ?」
「どうって?」
「おれは帰りたいと思っているんだ。二一世紀に」
 のぞみは口を開きかけたが、すぐに閉じた。
「君はどうする?」
「わたしは……、ここに残るわ。いまさら理奈たちのところには戻れない……。高原さんは科学院にわたしを迎えてくれるといってくれてるの。ジャンパーとしての経験を活かして、まだ救出していないジャンパーのサルベージを手伝うの」
 達矢の顔は曇った。
「彼らの片棒を担ぐというのか? 理奈や光輝もここに連れてくると?」
 彼の言葉には非難がこめられていた。
 のぞみは大きく頭を振った。
「そういう言い方はいないで! これは歴史の浄化なの。自分が犯してしまった罪深きことを、償うためには必要なことよ!」
「どこが浄化なんだよ! それは彼らの勝手な言い分じゃないか!」
 達矢は思わず怒鳴ってしまった。
「違う! 違うわ! ミレニアムイヴは世界を破滅へと導いてしまった。わたしはその償いをしなくてはいけない!」
「それがどうして、のぞみの罪なんだ!?」
「わたしが、ミレニアムイヴになったからよ!!」
 彼女は叫んだ。そして大粒の涙を流した。
「な……なんだって!?」達矢は驚いた。
 のぞみはその場にしゃがみこんで泣いた。達矢は彼女の肩に手を置いた。
「誰が、そんなことを? なにを根拠に?」
 達矢はのぞみの隣に腰を下ろすと、嗚咽をもらす彼女の背中をさすった。
「泣くなよ、のぞみ」
 彼は彼女が落ちつくまで待った。
「見せてもらったの。失われていたミッシング・トリガーの情報を。わたしは一年後に子供を生むことになっていたの。父親は……あなただったわ。その子がやがては――」
「ちょ、ちょっと待てよ! 君とおれの子供だって!? どういう……」
 達矢ははたと気がついた。
「じゃなにか、君がおれを殺そうとしたのは、父親になるからだったのか?」
「それは……わからない……。自分を含めて、周りの人たちを傷つけたかっただけなのかもしれない……」のぞみは両手で顔を覆った。
 達矢は苦笑した。
「なにがおかしいの? わたしはあなたを傷つけたのよ」
「なぜって、おれはまだ君にプロポーズもしていないのに」
 彼は声に出して笑った。
「あなたは死にかけてたのよ! それがそんなにおかしい?」のぞみは悲痛にいった。
「笑っちゃうぜ、まったく。君がミレニアムイヴだって? おれと君の子供? 話としては面白いが、いかにもご都合主義的だと思わないのか? 高原の魂胆が見え見えだぜ。君を誘いこむには格好の口実だな」
「嘘だというの?」
 達矢は首を振った。
「真実かどうかはともかく、ミッシング・トリガーを特定できるとは思えないな。時間論の基本じゃないか。ミッシング・トリガー前と後では因果関係は変容しているんだ。もし君がミレニアムイヴだったとしても、おれたちには確認しようがないんだよ」
「じゃあ、わたしたちが探していたイヴは、どうやって確認するというの?」
「確認はできない。可能性を探るだけだ。その可能性におれたちが介入して、望ましい方向性を与える。
 ミッシング・トリガーの可能性として高いと思われていたことには、第三次世界大戦の遠因となった過激な環境保護テロとか、中東で始まる宗教戦争、ヨーロッパを襲うことになる小惑星墜落がある。ほかにもいろいろと起こるけど、いずれも世界的に大きな影響を及ぼす事件だ。
 おれたちの着いた時代から、もっとも近い未来の悲劇は、環境保護テロと中東の戦争だ。それに関わるであろうキーマンを探して、なんらかの対処をする。
 君だってわかっていることだろう?」
 のぞみはため息をついた。
「環境保護テロの中心的な役割を担った人は、誰だったか覚えてる?」
「ああ、たしかドイツ人だったな。人間こそが諸悪の根元って主張した奴だ。地球の人口が多すぎるといって、テロを正当化した」
「その人物と行動をともにした女性が、わたしたちの子供なのよ」
「なに? ちょっと待てよ、奴の周りには女が何人かいたけど、日本人がいたという記録はなかったと思うが……」
「愛人だったのよ。表には出なかったけど、彼女は來視能力者として彼の行動に関与した」
 達矢は唸った。
「高原はそのことをどうやって知ったんだ?」
「この時代からは、ソウル・ジャンパーが情報収集に過去へと飛んでいるのよ」
「意識だけのジャンプか?」
 のぞみはうなずいた。
「月人は肉体的にジャンプできないから、意識だけのジャンプを開発したのよ」
 達矢は立ち上がった。
「高原に直接問いただしてみるべきだな。君とおれの子供がそんな道を辿るなんて、信じられない」
 のぞみも立ち上がった。
「わたしも一緒に行くわ。あなたにも真実を見てほしいから」
 ふたりは連れだって丘を下っていく。
 達矢は複雑な心境だった。自分とのぞみが結ばれるという未来は歓迎すべきものだったが、その結果が世界を破滅に導くなどということは納得がいかなかった。もし、それが真実であるならば、なぜおれは死なずに生きているのか? 生かしたのは高原ではないか。死なせてしまえば、予想される未来は変わっているはずなのだ。


 広々としたオフィスには、緊迫した空気が漂っていた。部屋は白を基調とした清潔感のあるもので、壁や家具には曲線が多用され生物的なフォルムが活かされている。
 高原は招き入れた四人に、順に視線を送った。
「私になにを証明しろというの? のぞみから話はきいたんでしょ?」
「あんたから説明をききたいんだ。裏づけとなる情報も見せてほしいね。それとあんたらの使っている時空確率転送機も見せてほしい」達矢はいった。
「ずいぶんと疑い深いのね。いいわ、隠すことはなにもないのだから。なにが知りたいの?」
「まず、あんたらが突きとめたという、ミッシング・トリガーの証拠だ。おれたちに提供された端末からでは、アクセス制限がかかっていた。そいつに関するデータを見せてくれ。おれたち自身で検証したい」
 高原は小さくため息をついた。
「それを見て、どうしようというの? あなたたちの使命はもはや意味のないことなのよ」
「無意味かどうかは自分で判断する」
 高原は肩をすくめた。
「いいでしょう。お見せするわ。ここの端末を使うことを許可します」
 高原は立ち上がって、自分のデスクを空けた。
「私がオペレーターをやろう」
 御子芝が進み出て、高原のデスクにつくと、コマンド命令をいう。
「接続(ジャンクション)」
 彼女の座った椅子の背もたれから、触手のようなケーブルが伸びてきて、左右のこめかみと額の中央に吸着した。ケーブルの先端からは、ナノサイズのニードルが脳の神経系とリンクを確立する。
「展開(アンフォルド)」
 御子芝は一瞬顔を歪めた。量子コンピュータとの接触で、目眩と鈍痛を感じるからだ。
 デスクの上にはホログラムの映像が浮かびあがっていた。彼女が見ているものを、投影しているのだ。
「検索(サーチ)、ミッシング・トリガー」
 彼女は無数に並ぶ扉の中を、高速で移動する。扉はデータノードを意味するアイコンだ。やがて赤い扉の前で止まった。扉には“TOP SECRET”の文字が書かれ鍵がかかっていた。
「高原殿、開錠を」御子芝はいった。
 高原はサブコンソールに手を置いた。センサーが彼女のDNAをスキャンした。
《汝の道を示せ》
 コンピュータは問うた。
「マタイの福音書第七章一三節の言葉よ」高原はいった。
「それなら知っている」御子芝はうなずいた。
「狭い門から入れ。亡びに至る門は大きく、その道はひろく、これに入るものは多い。生命に至る門は狭く、その道は狭く、これを見出すものはまれである」
 扉は開いた。
 中に入ると、オベリスクが針の山のように林立していた。彼女はオベリスクに刻まれたインデックスを素速く読みとって、必要な情報を振り分けていく。ホログラムのオベリスクは、部屋全体に広がっていた。
 達矢と高千穂は、御子芝が絞り込んだ情報を展開して、中身を見ていく。
 作業に没頭する彼らを、高原は腕組みをして見守っていた。


 可愛らしい思春期の少女の3D写真が、彼の目の前でゆっくりと回転していた。少女はのぞみに似ているが、微笑んでいる口元は達矢に似ていた。
「この子が、おれとのぞみの子供か……」
 少女の一瞬の笑顔が、ホログラムの中に永久に封じこめられている。
「名前は、春奈よ。二〇〇四年三月三日生まれ」のぞみがいった。
「おれとのぞみは春奈が二歳のときに行方不明。でも死亡したという記録はないのか……。転移してしまったのかもな」
 彼らの作業を黙って見ていた高原が口を開いた。
「納得したかしら?」
「いや。これらは状況証拠ばかりだ。決定的なものじゃない。仮にこれがミッシング・トリガー前の記録だとしても、どうやって証明するんだ? あんたらのねつ造でないとどうしていえる?」
 高原は小さく両手を広げた。
「もっともな疑問ね。私たちはのぞみを三〇世紀にサルベージしたことで、引き金は引かれなかったと仮定していた。
 でも、歴史は別の筋書きで穴埋めしたの。のぞみの代わりに、理奈とキャサリンとジャネットの子供が、春奈の代役をすることになるだろうと、コンピュータはシミュレートしているわ。つまり、あなたたちすべてがミレニアムイヴの候補だということよ。それですべてのジャンパーをサルベージしようとしているの」
「それなら、どうしてさっさと理奈たちを呼びよせないんだ?」
「簡単ではないからよ。ある時間に同期している状態では、こちらから干渉して時空確率を変更できないのよ。同期が不安定になったタイミングで捕捉しないと、手の出しようがないわ。理奈とアンドルーが転移したときにも、干渉を試みたけど失敗した。成功率は二割程度よ」
「ずいぶんと頼りない方法だな」
「時空確率の技術は、二六世紀からそれほど進歩しているわけではないのよ。もともと不確定なものだから」
「でも、意識だけのジャンプを可能にしたんだろう?」
 高原はうなずいた。
「ええ。肉体ごと転送するよりも、意識という非物質を転送する方が容易いからよ。それに月人の肉体は、地球の重力では生きられないわ」
 高千穂が口をはさむ。
「意識だけのジャンプということは、肉体は過去の人間のものを借りるわけだな。肉体を乗っ取られた人間はどうなる?」
「強引に乗っ取るわけではないわ。同化するのよ。誰でもいいわけではなくて、意識パターンがシンクロしやすいことが条件なの。そのために、過去にいる私とこの私が見た目にも似ているのよ。偶然ではなくて、必然なの。未来からの意識を受けいれた人は、ある日未来の記憶に目覚めるわけだけど、自分が乗っ取られているとは感じないわ。それが自分だと認識するだけよ」
 高千穂は鼻で笑った。
「ふん、詭弁だな。当人の意志を無視していることにかわりはない」
「それは意識の定義の問題よ。そもそも意識は、脳の配線から発生する電磁界効果と量子的なゆらぎの中で発生する。その意識は不安定なもので、脳内化学物質の分泌や強い磁場の影響で、変容するのよ。どこまでが自分の意識で、どこからが外部に由来する意識かの区別はつけられないわ。境界線は曖昧なの。意識はたしかに存在するけど、存在を物理的に特定することは不可能だわ」
「だとしても、未来から干渉することを正当化できるとは思えないね」高千穂は憮然としていった。
 機密ファイルを扱っていた御子芝が、にやりとほくそ笑んだ。
「面白いものを見つけた。隠したつもりだったのだろうが、ミスったようだな」
 高原の顔がピクリと引きつった。
「サーチ! 植民計画」御子芝は命じた。
「だめよ! それは――」高原は制止しようとした。
 御子芝はデータノードの森を駈けぬけ、漆黒の空間へと侵入した。ほかからは隔絶された領域には、大きな門がそびえていた。
「なるほど、天国への門というわけか。開け方は?」
「知らないわ。そこには私ですら入れないのだから」高原はいった。
 御子芝はしばらく思案すると口を開いた。
「自分の子がパンを求めているのに、石を与え、魚を求めているのに、蛇を与える親がいるだろうか。天の父である神が、求めている者にどうしてよいものを与えないであろうか」
 彼女の言葉に、門は反応しなかった。
「違ったか。では、こっちか?
 もし一粒の麦が地に落ちて、死なないならば、ただ一つのまま残るであろう。しかし、死ねば多くの実を結ぶ。自分の生命を愛するものはこれを失い、この世でその生命を憎むものは、これを永遠の生命のために保つであろう」
《汝は第三のイヴか?》
 問いが返ってきた。
 最初のイヴは、エデンで禁断の果実を口にして堕落し、楽園を追放された。第二のイヴは、聖母マリアであり救い主によってあがなわれた人類の母である。
 第三のイヴとは――。
「あなたは神なのか?」彼女は問うた。
《質問に答えよ。汝は第三のイヴか?》
 御子芝はなんと答えるべきか迷った。イエスかノーか? ふたつにひとつ。彼女はエデンがミレニアムイヴを排除しようとしていることから、答はノーだと推測する。
「第三のイヴは忌むべき存在。第三のイヴは消滅した」
《汝に幸いあれ》
 門はゆっくりと開いた。
「そんな、まさか!」高原は門が開いたことに驚いていた。
「ちょろいもんだな。エデンではセキュリティが弱いらしい」高千穂はほくそ笑んだ。
「というよりも、そもそもおれたちみたいな侵入者を想定してないんだろう。楽園には犯罪者はいないらしいからね」と達矢。
「犯罪者はひどいな。好奇心が旺盛なだけだ」御子芝は苦笑した。
 門が開いて、封印された情報を目にした彼らは、さらに驚いた。驚くべき事実があったからだ。それは高原ですら、初めて目にする情報だった。
 高原は自分の知らなかったことに、呆然とした。彼女は自分がいった言葉を思い知らされた。
『どこまでが自分の意識で、どこからが外部に由来する意識かの区別はつけられないわ』
 彼女は自分がなにものなのかということに、確信が持てなくなっていた。

諌山 裕 mail url 2002/06/07金17:13 [35]


第三一節「エデン」(前半)返信  

【Writer:諌山 裕】


 まっ白な空間。
 すべてが光に包まれ、ふわふわと漂っているような浮遊感。彼は自分の体が、妙に軽くなっていることに気がつく。軽くなっているのは体だけではなかった。意識もふわふわと脈絡なく彷徨い、体から分離しているようだった。
 彼は白いベッドに横たわる、自分を見ていた。目を閉じ、口を半開きにした彼の体は、やつれて血色が悪かった。頭や胸元には細いケーブルが差しこまれ、ベッドの脇の電子機器へとつながっていた。
 ピ、ピ、ピと規則的な電子音が、彼の鼓動に連動している。ディスプレイのひとつには、立体的な山脈の地形図が表示され、時々刻々と変化していた。
――脳波計だ。
 彼は思った。彼の思考に呼応して、山脈は高く立ち上がり、脈動した。
「意識が戻ったみたいだわ。といっても、夢を見ている状態に近いけど」
 どこかできいたことのある女性の声がした。
「大丈夫なんですね?」
 別の女性の声。彼はその声にひときわ親近感を感じた。
「あら、あなたの声に反応しているわ。きこえているのね」
 声の主は、クスクスは笑った。
「身体的な問題はないわ。出血は多かったけど、損傷はナノプローブが修復したから。数日後には起きられるはずよ」
 彼は会話をしているふたりを見ようとした。しかし、朦朧とした意識は、対象物を捉えることを拒絶していた。ぼんやりとしか見えないふたりは、光を背にしたシルエットとなっていた。
――誰だ?
 彼は言葉を発したつもりだったが、口は動かなかった。自分の体をコントロールすることができないのだ。
「達矢……」
 彼は自分を呼ぶ声に答えようとするが、水の中を泳いでいるかのように、手がかりもなくのろのろとしていた。
 彼女の手が、彼の頬に触れた。その温かい感触に、彼は安堵する。
 彼の意識は再び深い眠りに誘われる。
 閉じゆく意識の中で、彼は彼女が誰であるかを察した。
――のぞみ……
 ほどなく、脳波はなだらかな丘陵となり、思考を休止した。


 植物の見本市を思わせる様々な草木が、広い公園を埋めている。一見、無秩序なようだが、それぞれの植物のニッチや性質を計算して、不都合が発生しないようになっていた。自然の状態ではけっしてありえないような取りあわせだが、個々の美しさと人工的な秩序が絶妙な関係を生みだしている。
 達矢はぼんやりとベンチに腰かけて、不思議な公園を眺めていた。
「ここが……エデンか……」
 病室で目覚めたとき、彼は自分が生きているのか死んでいるのかわからなかった。激痛とともに大量の血を流したという記憶は鮮明にあり、死を覚悟したからだ。朦朧とした意識の中で、のぞみがそばにいたイメージは、死に際のフラッシュバックかと思っていた。
 目を開けて、のぞみの顔が飛びこんできたときも、生きている実感がなかった。理由は自分の身体がやけに軽く感じたからだった。
「おれ……、死んじまったのに……なぜ、のぞみがそこにいるんだ?」
 彼はろれつの回らない口調でいった。
「達矢、あなたは生きているのよ。もちろん、わたしも。ここは天国じゃないわ。エデンよ」
 のぞみは笑顔に涙を浮かべていった。
「エデン? それって、なんかの冗談か?」
 のぞみは首を振った。
「気がついたようね。ようこそ、エデンへ」
 のぞみの隣に、見覚えのある顔が並んだ。だが、見覚えのある顔に似ているものの、なにかが違うように思った。
「あんた……どっかで会ったように思うけど……違ったかな?」
「高原涼子、そういえばいいかしら? あっちの世界の私は、分身みたいなものよ。似ているけど、肉体的には別人ってとこね」
「高原?」
 達矢は思いだしていた。しかし、彼が見ている高原の髪はシルバー、瞳はグレー、手足がほっそりとしていて背が高い。彼よりも高く、一八〇センチはあるようだった。それでも顔つきや印象はたしかに高原に似ていた。
「いろいろと説明しなくてはいけないことがあるわ」高原はいった。
「ここは……エデンって?」
「エデンは月にある私たちの都市のことよ。そう、ここは私たちの楽園なのよ」
「月?」
 達矢は首を傾げながらも、身体が軽く感じることの理由だと思いいたった。
「なんで、おれとのぞみが月にいるんだ?」
「わたしたちだけじゃないわ。御子芝さんと高千穂さんもいるわ。それとロストしたと思われていたも過去のジャンパーも」のぞみが答えた。
「なんだって? どういうことなんだ?」
「ここはエデンだけど、時代は三〇世紀なのよ」
「三〇……だって?」
 達矢は眉間に皺をよせた。
「そういうこと。私たちはジャンパー達を救助しているのよ」高原はいった。
「救助? おれの聞き間違いか? 拉致しているんじゃないのか?」
 高原は苦笑した。
「そう思われても仕方ないけど、複雑な事情があるのよ、神崎くん」
「たしかに複雑そうだな。説明してほしいものだ。もっとも、そっちの言い分を鵜呑みにするつもりはないけどね」
「まずはゆっくり休むことよ。時間はたっぷりあるから、誤解も解けると思うわ」
「どうだか……」達矢は肩をすくめた。
 公園の木々の間を、色鮮やかな小鳥の群れが鳴きながら飛んだ。
 達矢は我に返る。
 月の楽園――エデン――
 作り物の楽園。青い空には雲が流れている。ホログラムの空だ。作為的な自然環境と、虚像の空。絵に描いたような楽園の風景だが、低重力が月であることを物語っている。
 彼は心が和むのを感じていた。エデンは人間が求め続けた、楽園の実現なのかもしれなかった。しかし、安心感を覚える一方で、どこか胡散臭いものにも思えた。
 もし、これが高原のいうように楽園であるならば、なぜ彼らは過去に干渉しているのか? なぜ彼らはこの世界に満足していないのか?
 達矢は、なにもかも見かけ通りには信用できないと思っていた。
「達矢!」
 彼は声に振り返った。のぞみが手を挙げて駆けよって来る。
 喜びに満ちた顔で、彼女は達矢の隣に座った。
「具合はどう?」
「まあまあ。痛みは引いたよ」
「よかった。一時はどうなるかと心配したの。でも、ここの医療は進んでるから」
「そうだね。二一世紀だったら助からなかっただろうな」
「あの……、ごめんなさい……。わたしのせいだから……」のぞみはうつむいた。
「気にするなって。君は正気じゃなかった」
 今は正気なのか?――彼は言葉には出せない疑問を抱いていた。
「エデンは素敵なところね。ここに来てよかったわ」
「本気でそう思っているのか?」
 のぞみはきょとんとした顔を向けた。
「だって、わたしたちが望んでいた楽園がここなのよ」
「ここは地球ではない。月に造られた、偽物の楽園だ」
「そんなことないわ。ここでは人々は平和に暮らしているし、人工的に管理しているといっても、理想的な環境じゃない」
 達矢はため息をついた。
「おれはそうは思わないな。草木や小鳥が本物でも、ここには存在しないはずの世界だ。こんな世界がおれたちの求めていたものだとは思えない。これではコロニーと変わらないよ。壁の向こうにあるのは、真空の宇宙じゃないか」
「全てを手に入れないにしても、十分なものがここにはあるわ。なにもかも人間が独占しようとした結果が、二六世紀の地球だったのよ」
 のぞみは淡々といった。それは誰かに吹きこまれたセリフを復唱しているような口調だった。
「たしかにそうかもしれない。じゃあ、エデンはそうではないとどうしていえるんだ? ここだって人間の都合に合わせた、積み木細工じゃないのか?」
「そんなことない! 月は不毛な世界よ。つまり、白紙のキャンパスだったの。わたしたちはこのキャンパスに、理想の世界を描いているのよ!」
 のぞみは語気強くいった。彼女らしくなかった。
「オーケー。君の言い分はわかった。では、なぜおれたちジャンパーを彼らは拉致しているんだ?」
「ジャンパーを救出しているの! 不幸な使命をおびて、駆り出された彼らを呼び戻しているだけよ! ジャンパーは過去に飛ぶべきではなかった。長い時間がかかってしまったけれども、人間はエデンを手に入れることになったのよ」
「呼び戻す? それは違うだろう? 三〇世紀に連れてくる必要がどこにあるんだ? 彼らの目的は、おれたちの任務の妨害だ。彼らにはおれたちの存在が障害なんだよ。だから排除している」
 達矢はのぞみと言い争いをしたくなかった。彼女が冷静になって、自分たちの置かれた状況を見てほしかった。
「違う! 違うのよ! 達矢……」
 のぞみは泣き顔になった。
「どういえば……わかってもらえるのかしら……。高原さん達は……わたしたちの間違いを正しているの。そのために……ジャンパーを連れ戻しているのよ」
「のぞみ、おれは高原を信用できない。第一に、なぜおれたちには自由がないんだ? 御子芝さんとも会わせてもらえないじゃないか。これでは篭の鳥と同じだ」
「それは……、この世界に適応してもらうためで、いろいろと学んでほしいからよ。閉じこめているんじゃないわ」
「学んではいるさ。だが、束縛されるのはごめんだ。まず、自由だ。制限なし、監視なしの自由が先だ。信用してほしいならね」
 のぞみはこくりとうなずいた。
「高原さんにお願いしてみるわ」
 彼女はゆっくりと立ち上がり、達矢に背を向けて去っていった。


 のぞみと達矢の様子をモニターで見ていた高原は、小さく首を振った。
「彼は問題ね。のぞみがいれば説得できるかと思ったけど、見こみ違いかもね。できれば自分から変わってほしかったわ」
「では、強制手段で?」高原の弟の涼樹(すずき)がいった。
「それは最後の手段よ。どのみち、ここにいればなにができるわけでもないわ。しばらくは好きにさせておくことよ」
「姉さんは優しいね。ぼくならさっさと問題を片づけるよ。問題といえば、御子芝と高千穂もだろう? どうするつもり?」
「彼らを会わせてあげましょう。自分たちになにもできないことがわかれば、少しは現実を受けいれる気にもなるだろうから」
「おやおや、ずいぶんと寛大なことで」
「ここはエデンよ。強制収容所じゃないの」
 高原涼子は天使の微笑みを浮かべていた。


 エデンは月の“静かの海”にある。地上に露出している部分もあるが、大部分は地下の都市となっていた。太陽から飛来する放射線を防ぐために、都市をすっぽりと覆うフォースフィールドが張られているが、地下の方がより安全性は高いからだ。
 人工都市としては巨大なもので、“静かの海”とほぼ同等の面積が都市化されていた。都市はさらに隣の“晴れの海”や“豊かの海”にも地下チューブでつながっている。“晴れの海”にはエリシュデン、“豊かの海”にはアヴァロンがある。いずれも楽園を意味する都市名だ。ひとつの都市に、一〇〇〇万人ほどが生活していた。
 地球はどうなっているかといえば、動物と植物の楽園となっていた。人間もわずかだが住んでいたが、文明レベルは後退し、機械文明以前の状態である。それは地球に残ることを望んだ人々の選んだ生き方でもあったのだ。
 月の人間は、月の環境――低重力に適応していた。筋肉をあまり必要としないために、ほっそりとした体形で、身長も高くなっていた。人工照明の下での生活のため、肌は色白で髪も脱色したようになっている。
 月人となった彼らは、もはや生身のまま地球に戻ることはできない。地球に降りる必要が生じたときには、ひ弱な肉体をサポートする動力付きのスーツを装着しなくてはならなかった。
 地球の価値は生物的資源としてのものであり、依然として不可欠な存在ではあるものの重要度は低かった。
 達矢は全天が見えるドーム展望室で、青い地球を見あげていた。
「あれが、地球か……。元に戻ったんだな。おれたちの任務は役に立ったんだろうか?」
「それはどう評価するかによるな」
 達矢の隣で腕組みをした御子芝がいった。
「長い年月をかければ、地球が自己修復能力で再生することは予想されていた。千年という時間がかかったわけだ。だが、その間に犠牲になったものは多い。この時代の楽園は、多くの犠牲の上に成り立っている。それを是とするかどうかだ」
「同感だな」
 高千穂は御子芝の腰に手をそえていった。
「月の人口は全都市をあわせて、三億くらいということだ。地球にいる人間は数千万らしい。かつてピーク時には一五〇億人がいたわけだから、五〇分の一になったわけだ。この楽園は数百億人の屍の上に建てられているということだ。とんだ楽園だな」
「のぞみがいうのも一理ある気がしてきたよ」達矢はため息をついた。
「おいおい、おまえまでそんな弱気でどうする?」御子芝はたしなめる。
「この世界がもっとも望ましい未来とは限らないぞ。私は気に入らないな」
「滅亡するよりはマシだけどよ。俺はそういう未来も見てきたんだ」と高千穂。
 御子芝は目を閉じ、思案してから口を開く。
「なにごとにも代償はつきまとうものだ。未来を救うといっても、なにをどう救うかによって、払う代償は違ってくる。千年待てばエデンのような世界が実現するからといって、では二一世紀の世界でなにもしないでいることが望ましいとは限らない。その時代を生きている人々にとっては、切実な問題だからだ。すべてを救うことは不可能だが、最善の努力をすべきではないだろうか?
 エデンの人々にとっては、二一世紀のことなど遠い過去の世界だ。とっくに死んでしまった人々のことを、誰も問題にはしない。彼らはわれわれが過去に干渉することで、楽園への筋書きが変わってしまうことを恐れているのだろう。それもわからないではない。“今”を生きるものには、今こそが現実だからだ」
 達矢はうなずきながらも、顔をしかめていた。
「そこなんだよ。彼らはなにを恐れているんだ? すでにおれたちは過去の人間じゃないか。だったら、この世界に通じる歴史の中に組みこまれているんじゃないのか? おれたちがなにをしたにしても、いまさら排除して、どうするつもりなんだろう?」
「なるほど……」御子芝は右手を頬にあてた。
「なにか、別の思惑があるのかもしれないな」
 高千穂は不敵な笑みを浮かべる。
「高原を直接攻めてみるのがいいな。本音を探るために」
 三人は顔を向かいあわせてうなずいた。
 達矢にはひとつだけ確かな決意があった。
 二一世紀に戻りたい――。
 彼は学園のある時代を、愛おしく思っていた。


 暗くかすかな冷気が漂う部屋に、高原は入った。部屋全体を照らす明かりはなく、床面に直径一メートルほどの光を発している場所がある。彼女は光る円形の中に立った。暗闇の中に、彼女の姿が浮かびあがった。
「高原涼子、出頭しました」
 声は反響して、エコーがかかる。
「枢機評議会は計画の遅延を懸念しているぞ、高原科学院主幹」
 威圧的な声――声には女性的なものと男性的なものが混在している――が、暗闇から響いた。高原は背筋に冷たいものが走っていた。
「はい、申し訳ございません。すでに報告の通り、イレギュラーが発生しまして……」
「言い訳はやめよ。植民計画は早期に実現されねばならぬ。われわれに残された選択肢は少ないのだ。時間はたっぷり与えたはずだぞ。おまえは何年生きておる?」
「は……、七〇年になります」
「ふむ、もうそんなになるか。人の三倍は生きておる。いくつ肉体を与えれば、目的を達成できるのだ? 肉体を持てぬものは大勢いるのだぞ」
 高原は深々と頭を下げた。
「肉体の保持者としての栄誉を汚さぬように、努力します」
「特権を与えられていることに感謝せよ。数百億の魂が電磁界メモリの中で、肉体を得る日を待ちわびているのだ。おまえのようなひ弱な肉体ではなく、ひとつの肉体で百年生きられる肉体をな。肉体の供給源は、人類にもっとも活気のあった時代、二二世紀から二三世紀が最適なのだ。われわれが過去に植民するためには、二一世紀の障害を取り除かなくてはならない。ミレニアムイヴを」
「十分に承知しています。いましばらく猶予をください」
「よかろう。しばらくはおまえが肉体に留まることを許そう」
「はい、光栄に存じます」
 声の気配は闇の中に消え、高原は安堵した。

〈つづく〉
諌山 裕 mail url 2002/06/04火12:35 [34]


第三十節「夢の子供」返信  

【Writer:森村ゆうり】


 二月に入ると冬の寒さは、一段とその猛威をふるい始める。暦の上では、春らしい言葉が登場する頃だが、実際には一年で一番寒い時期だ。
 校庭のポプラの樹も唯ひたすら寒さに耐えているかのように、細い枝を空へ延ばしてすっくと立ち並んでいる。落葉したその姿はとても寂しげで、観る者も切ない気分になる。晴れ渡った空は、そんな気持ちに拍車をかけた。
 学園の裏門から続くポプラ並木も例外ではない。北風が吹き抜け枝を揺らす様は、寒々しい。太陽の光も夏のそれとは違う色をしているようだ。
 そんな寒い日にもかかわらず、一人の少女がベンチに腰掛けてポプラ並木をぼんやりと見詰めていた。ダッフルコートとマフラーをしているが、その防寒は充分と言いがたい感じで少し寒そうにしている。
「探したわよ。リーガンさん」
 声に弾かれたように少女は顔を上げた。
「立原先生……」
 声の主、立原美咲は小さめのブランケットを抱えてて、ジャネットの目の前に立っている。立原の口元からは白い息が断続的に吐きだされ、少しだけ呼吸が荒くなっているのが見て取れた。ジャネットを探して走り回っていたのかもしれない。
「こんな寒い所でボーッとしてたら、身体によくないわ」
 立原はそう言うとジャネットの肩からブランケットを巻き付け、すっぽりとその身体を包むと、自分もそのままベンチに腰掛けた。
「ありがとう…」
「リーガンさんはよくここに座ってるわね」
 立原の言葉にジャネットは、驚きを隠せない面持ちで彼女を見た。
 このベンチは学園の外れで、通る人はほとんどいない。実際、彼女がここに座っている時には、二六世紀から来たメンバー以外の人影を見た試しがなかった。
「驚いてるわね。気が付いたのはここ最近だから、そう威張れた話じゃないけどね。郷田会長の御自宅へ伺う機会がこの頃増えたから」
 この厄介な生徒たちへの協力を要請されてから、立原の日常生活は大きな変化を遂げていた。
 話を聞かされた当初は、信じがたい気持ちが大半で真面目に話している郷田や菅原の頭がどうかしているのではないかと疑いもした。それでも、協力することにした理由はやはり教え子の真摯な態度だった。今どきの中学生…いや、立原自身の中学生時代でさえここまでひたむきに何かに取り組んでいた者はいなかったように思う。
「立原先生……」
 いつも勝ち気で小生意気な感じのするジャネットには珍しく、その声は心細げに震えている。
「どうしたの?」
「あたし達、本当に子供が産めると思う?」
 つわり以外は、妊娠した事実を楽しんでいるともとれる発言を繰り返していたジャネットの口から、そんな言葉が飛び出すとは思いも寄らなかった立原は答えに躊躇した。
 ジャネットがそんな不安を抱えて、ひとり、ベンチに腰掛けていたかと思うと、立原は胸は痛む。
 立原にしてみれば、たとえ彼らの言うように未来の世界では充分な大人として扱われる年齢であっても、十四年しか生きていない存在はやはりまだ子供だ。知識の豊富さだけが大人としての条件ではない。
 今は、二一世紀なのだ。十四歳は、十四歳らしく子供でいても許されるはずなのだ。
「マタニティ・ブルーって言葉を知ってるかな。妊娠中は誰でも不安に思ったり、普通ならなんでもないことまで哀しく思えたり、落ち込んだりすることがあるらしいの。二一世紀に生まれてた私たちでさえ、そんな気持ちになるんだから、あなたたちがそんなふうに思っても仕方ないわね」
「でも、あたし達の問題はもっと深刻だわ」
 彼女達の深刻な問題。
 立原もそれは理解していた。彼女たちを取り巻く状況もそうだが、出産にかかわる問題も持ち上がっている。
「お医者様がおっしゃったことを気にしているの?」
 先日、彼女たちは本格的な検診を受けた。胎児の成長には今のところ問題はなかったが、医者は彼女たちには自然分娩は無理だろうという診断を下した。それまでの喜びに満ちた彼女たちの様子が、一気に暗く変わったのはこの診断のためだ。
 彼女たちの身体は、かなり骨盤が小さい。まだはっきりとした答えは出ていないが、この骨盤の狭さでは物理的に胎児が出てこられる状態ではないというのだ。もちろん、妊娠中期にさしかかったばかりの彼女たちにはレントゲンによる詳しい検査はまだ行えないが、かなり高い確率で自然分娩は難しいという。
「もしかしたら、他にも問題が出てくるかもしれないわ。あたしと光輝の赤ちゃん……ちゃんと産んであげられなかったら……どうしよう。夢みたいに消えてなくなったら…」
 ジャネットの瞳からぽろぽろと大粒の涙が流れ落ちた。
 一つの問題に直面したことで、何もかもを懐疑的に考えてしまう状態に陥っているのだろう。これはジャネットに限ったことではない。検診を受けた他の二人も同様に、この頃妙に明るく振る舞ったかと思うと、急にふさぎ込んだりしている。
「リーガンさん……」
 立原は、静かに涙を流す彼女をそっと抱きしめ、優しく背中をさすり続けながら、文化祭の時に観た二年三組の劇を思いだしていた。あの脚本を書いたのは、桜井のぞみ。芝居の基本設定は、彼女たちの身の上そのものだったのだ。実際には、現代を旅した訳ではなく、この学園の中でいろいろな経験を積み、未来を救う方法を模索していたのだが、彼らにしてみれば終わりの見えない旅のようなものだ。
 立原の胸に、あの時感じた苦しいほどの切なさが蘇ってくる。
 この子たちを守ってあげなければ……。
 立原は自分に誓う。何があろうとも彼女たちを守ろう。それが、未来を救おうと救わざろうと、目の前にいる自分の教え子を守り抜くことこそが、自分に与えられた役割なのだと、立原は思う。
 ジャネットは、しばらくすると根気強く慰めてくれる立原の態度に、少し冷静さを取り戻して顔を上げた。
「もう、大丈夫かしら?」
 立原はジャネットの瞳をしっかり見詰めながら問う。
「すみません。取り乱して……」
「大丈夫よ。さっきもいったけど、誰にでもそんな気分の時はあるわ」
「ええ。……ここ、光輝とよく一緒に座って話をした場所なの。赤ちゃんが生まれたら、この景色を見せてあげたいと思って……でも、もしかしたら見せられないかもって。だから、今、ここに座ってあたしの目を通して赤ちゃんにも見せておこうと思ったの。冬のポプラ並木って、葉もなくてこんなに寂しくて……」
「そうなの。でも、春は来るのよ。だから、また美しいポプラ並木が見られるわ」
「はい」
 ジャネットは堰を切ったように自分が、この寒空の下、なぜこんなところに座っていたのかを話した。
 話してしまうとさらに落ち着いた様子になったジャネットに立原は、そろそろ部屋に戻ることを提案して、二人は郷田邸へ向かって歩き出した。現在、妊娠中の彼女たちは大事をとって、郷田邸に間借りして不測の事態に備えているのだ。
「リーガンさんは、一九八六年の四月二六日に起こったチェルノブイリの原発事故を知っているかしら?」
 立原が歩きながら、唐突に話し始めた。
「こちらへジャンプする前に、学んだ知識の中にあった気がします。でも、そんなに詳しくは……」
「あの事故ではかなり広い地域が放射能に汚染されて、そこに暮す多くの人々が被害を受けたの。汚染された地域に暮す子供たちを短い期間だけど、汚染されていない所にホームステイで受け入れる活動があってね。ほんの短い時間でも、汚染されていない所で生活すると子供たちの病状がかなり改善されるそうなの。もちろん、病気が治ったりはしないのだけど……。環境が人体に与える影響は計り知れないわ」
「あたしたちがこうして妊娠まで出来たのも、二一世紀のこの環境が影響したのね」
「たぶん、そういうことだと思うわ。だったら、この時代に適応しつつあるあなたたちが、出産できないなんてことは絶対にないのよ。トラブルもあるかもしれないけど、それはあなたたちに限った話しではないの」
 立原はジャネットを元気づけるために話し続ける。
「医療の最先端では、胎児に対して治療のための手術をしてまた子宮に戻したりもできるのよ。新生児医療の専門のお医者様に胎児診断もしっかりしてもらって、万全を尽くしましょう。郷田会長が探してくれてるから」
 これでジャネットの不安が全て消えてしまうわけではない。不安やトラブルは後から後から湧いてくるかもしれないのだ。それでも、彼女たちは子供を産む。それだけは変わらない意志だ。
「リーガンさん、これは他の二人には言わないで欲しいんだけど、今、妊娠している三人の中で、一番健康な赤ちゃんを産む可能性が高いのはあなたなのよ。理由は解るわね」
 立原は郷田邸に入る少し手前で立ち止まって、ジャネットにそう告げた。道すがら話してくれた内容から考えれば、簡単に予想できることだ。
「ええ。あたしはこの時代で受胎して、その後もジャンプしていない」
 ジャネットは重々しく口を開いた。
「そうの通りよ。綾瀬さんもシンクレアさんも未来で受胎して、この時代に戻ってきたらしいから。二人も気が付いているかもしれないけど……」
 二人はそのまま黙って郷田邸の玄関をくぐり、暖かい部屋の中へと入った。
 キャサリンと理奈は、リビングのソファに座って二人の帰りを待っていた。邸内にジャネットの姿が見当たらないから、一緒に探して欲しいと言って来たのはこの二人だったのだ。寒い屋外へまで探しに行くと言ってきかない二人をなんとかなだめて、立原は一人でジャネットを探しに出たのだ。
 二人はジャネットの姿をみると、すぐさま駆けよって心配したとか一人で出歩かないでと声をかけあっている。そこには日本とかアメリカとかいう括りは存在しない。
「そうだ。今日はあなたたちに良いもの持ってきたの」
 立原はリビングの隅に置いていた自分の荷物の中から三冊のお手製らしい冊子と、数冊のカタログをとりだして、彼女たちの前に広げて見せる。
「これは、母子健康手帳よ。ホンモノじゃないけど、中は同じよ。ちゃんと、ホンモノをみながら作ったから。そして、これはマタニティグッズとか赤ちゃん用品の通販カタログよ。さすがにあなた達がお店で直接そんなもの選んでたら問題有りだから」
 母子健康手帳はともかく、カタログの方は可愛らしい赤ちゃんの服や食器、ベビーベッドが紙面を飾り、華やかで幸せな香りに満ちていた。
「わーっ、立原先生、ありがとう」
 三人は楽しそうにページをめくり始める。
 不安ばかりではない。新しい生命を迎える準備は、幸せで楽しいものなのだ。
 立原はそれを彼女たちにも味わって欲しかった。
 この先、どんな運命が待っているのかわからないこの子らとその子供たちへの、立原なりのささやかな贈り物だ。
 彼女たちに時を同じくして生命が宿ったのは、偶然ではないだろう。彼女たちが宿したのは、夢の子供だ。本来の時間の中では生まれるはずのない子供。
 立原は、その子供たちが幸福な人生をまっとう出来ることを願った。叶いそうもない願いだと知りつつも、願わずにはいられないのは、彼女もまたいずれ母になるかもしれない女と言う性のせいかもしれない。
 絶対に守ってみせる。
 もう一度、心に誓う立原だった。
森村ゆうり 2002/05/27月02:04 [33]


第二九節「ラスト・デタミネーション」返信  

【Writer:皆瀬仁太】


 二〇〇三年一月。
 年が改まり、三週間ほどが過ぎていた。
 年末年始の感慨、などを感じている余裕もなく、『J3K』への調査を進めてきたが……。
「達矢は転移、のぞみは敵の手の内。どうすんだよ!」
 ゲーリーはてのひらを拳でばちんと叩いて、怒りをあらわにしていた。
「乗り込んで、組織をぶっ壊すしかない!」
「ちょっと待てよ、ゲーリー」
 アンドルーが落ち着いた口調で、ゲーリーを制止する。理知的な調子は光輝と通ずるものがあるが、アンドルーの声にはハリがあり、力強い。決して大声を出しているわけではないのだが、ずしんと響く貫祿のようなものがあった。
「もっと重要なことがあるんだ。光輝は気がついてるだろう?」
「郷田さんに医者を手配してもらったよ」
 光輝はアンドルーの問いに頷き、手をうったことを告げた。冷たいといわれることもある彼の瞳が、不安げな色を浮かべて、濡れているように見える。
「理奈とキャサリンは、安定期に入っているらしい。でも、ジャネットはつわりがきついようだ」
「おい、それって? なんだよ、なんの話しだよ?」
 ゲーリーがどもりそうになりながら、質問した。それは質問というより、確認であったろう。
「彼女たちは妊娠している」
 光輝が答えた。
「妊娠……」
「やはりそうか。まさかとは思っていたが」
 アンドルーは手であごをおおうようにして、思案げな顔をした。
「どうすべきか、話し合う必要があるか」
「あとひと月もしないうちに、おなかのふくらみが目立ってくるそうだ」
「そうか」
「おいおい、待てよ。妊娠って。……おまえたちの子なのか? そうなのか?」
 二人が無言で頷き、ゲーリーはため息をついた。
「こっちの世界で驚くことは多かったけど。まさかそんなことがあるなんて」
「いずれにしても、彼女たちに無理をさせるわけにはいかない。アンドルー、どう思う?」
「そうだな。可能性として」
 アンドルーはいったん言葉を切って、腕を組んで、目を閉じた。
「可能性として、中絶を視野にいれなければならないだろうな」
 重い沈黙が夕闇と混ざり合う。本来妊娠できないはずの彼女たちが妊娠した。それだけではない。彼らにしても、本来、妊娠させることができないはずなのだ。普通に出産できるとは考えにくい。
「でも、どうだろうな? 彼女たちはなんていうか?」
 ゲーリーは軽く首をふった。承知するわけがないのだ。もし、迷いがあったなら、とうに彼らに話しをしているはずなのである。
「もう覚悟を決めているんだと思うな」
 そのとおりなのだ。かといって、単純に、分かりました、というわけにもいかない。徹底的に検査をして、その結果が悪いときには、彼女たちを説得しなければならないのだ。
 彼女たちへの提案をまとめるため、光輝が男性陣に集合をかけたのだ。
「まだ、ぼくたちが気づいたとこを彼女たちは知らないはずだ。郷田さんには、立原先生も医者の相談をしたようだから」
「だけど、もし、妊娠が順調で、無事に生まれたとして。……どうすればいいんだか、正直、分からないな」
「うん」
「どっちにしても、アンドルー、光輝」
 黙ってしまった二人にゲーリーは肩をすくめてみせた。
「おまえたちは父親だよ」
「父親……」
 一体、それがどういうことなのか、三人とも想像すらできなかった。

 翌日の放課後、六人は郷田の部屋に集合した。彼らだけで話し合うよりも、第三者がいたほうがいいと判断したためだ。
 女性たちはソファにくつろいだ様子で腰をおろしている。すでに、今回のようなシチュエーションへの対応を彼女たちは相談しあっていた。シミュレート済みなのだ。
 郷田が口を開いた。
「まずは、なんというか、おめでとう」
「……」
 郷田の言葉に、いきなり男性陣は虚をつかれ沈黙した。
「少しは嬉しそうな顔でもしたらどうなの?」
 理奈がからかうような口調で言う。アンドルーは少し顔を赤らめて、それでも口を開いた。
「正直にいって、びっくりした。それに心配している。身体は大丈夫なのかい?」
「おかげさまで順調よ。食欲があって困るくらい」
 キャサリンが答える。華奢な身体が、心持ちふっくらとして見えるのは、あながち錯覚というわけではなかった。
「あたしは少しつわりがきついわ」
 ジャネットが光輝の目をまっすぐに見つめて、胸のあたりをさすってみせた。
「でも、もうすぐおさまると思う。自分の中でこどもが育っているなんて、とってもエキサイティングよ」
「そうだろうね。でも、いくつか考えなきゃならないことがある。君たちの身体のこと、こどもの健康のこと、もし、そのどちらかが損なわれる場合のこと――」
「ちょっと待って」
 理奈が光輝の言葉を遮った。
「ドラマのセリフであったけど『ほんと、男ってこういうときにだらしないわね』って感じね、光輝」
「……なにが?」
「たしかに身体のことを気づかってもらってるのは嬉しいわ。でも、動揺しちゃって肝心なことを忘れてない? この妊娠にどういう意味があるのか、ってこと」
「意味……」
「そうよ。まるで考えられなかったことが三人同時に進行してる。これって偶然?」
「……いや」
「でしょう? こっちに来てからさんざん経験してきたことじゃない。偶然なんかないわ。私たちが求めるかぎり、すべてはイヴにつながっていく。そうでしょう?」
 理奈は、光輝に、ゲーリーに、そしてアンドルーに、自分の言葉が浸透してゆくのを待った。
 出会い、そして、別れ、人は自分を他人の中に残してゆく。自分の中に、他人が残されてゆく。そうして波のように、互いに干渉しあいながら、ひとつの大きなうねりとなってゆくのである。その最大のうねりがミレニアム・イヴなのだ。
「ミレニアム・イヴの排除が任務としてはおかしいことに、わたしたちは気がついた。排除じゃない。わたしたちはミレニアム・イヴを正しく育てなければならないんだわ。わたしたちひとりひとりの存在が少しずつ影響しあいながら世界をつくってゆく。その世界が正しくあるために、わたしたちは未来でわたしたちが失ってしまった、もっとも大切なことをしていかなくちゃいけないのよ」
「分かった」
 光輝は頷いた。
「ただ、検査だけは定期的に受けてくれ。これは正直な気持ちだ」
「わかってるわ、光輝」
 ジャネットが光輝に手にそっと自分の手を重ねた。
「約束する」
「わたしも約束するわ、アンドルー」
 理奈とキャサリンが微笑んだ。
「おいおい、なんだかオレだけ寂しくないか?」
 おどけたゲーリーの口調に、にぎやかな笑いが起こる。久しぶりの雰囲気だった。

 彼らは選択したのだ。それがどのような未来に通じているのか、本当のところは誰にも分からない。しかし、気持ちの向うまま真っ直ぐに、彼らは進もうとしている。
 彼らがつくろうとしているのは「歴史」なのだ。その意識がひとつの方向に結集してゆく瞬間が、まさにいまだったのかもしれない。
 郷田は自分がその場を共有できたことに、身震いするような興奮を感じていた。
 五百年先の未来を変えることが大切なのではない。彼らが、自分たちの青春というべき時間をせいいっぱい生きることができる、それこそが「任務」の最大の目的なのではないか。そんな彼らの姿は、彼らに関わってゆくこの時代の人間たちを確実に変えてゆくのだ。

 だからあなたはかれらに協力を惜しまないで

 彼らだけでは、乗り越えることのできない多くのことがあるのだから

「イヴ……」

 もうすぐだ、と郷田は直感していた。もうすぐそこに……。

 二〇〇三年。冬。うねりはたしかにその高さを増しつつあるのだった。


皆瀬仁太 2002/05/20月09:20 [32]

<- 前ページ    2/9    次ページ ->
上へ






RAIBPLh114-wakatiai.com
Notregisted
2024/05/02木14:26