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リレー小説『ラスト・フォーティーン』のページです。
本作は2001年11月3日〜2002年7月8日に渡って、週刊連載されたものです。
本作品に対する、ご意見、ご感想等は、「BBS2」に書き込みしてください。
執筆陣⇒諌山裕/水上悠/森村ゆうり/大神陣矢/皆瀬仁太
【設定・紹介ページ 】【各話人気投票】【キャラ人気投票】


第六節「オースティン3章16節に曰く」 返信  

【Writer:水上 悠】


 キン!
 耳障りな金属音が二人の気まずい沈黙の中に不協和音となって飛び込んできた。
「あれがベースボールってヤツか?」
 アンドルー・ラザフォードが興味なさそうにいった。
「違うね。ベースボールじゃない。この地域のこの時代の言葉でいえばヤキュウってヤツだろ。でも、厳密にいえばそのヤキュウでもないんだけど」
 ゲーリー・ブッシュが手にしたデータスレートを見ながら答える。
「でも、あいつが振り回してるのはどうみたってバットってヤツだろ?」
「そうみたいだね。本当ならピッチャーってのがボールを所定の位置からキャッチャーってのに向かって投げるのを、バッターっていう対戦チームの代表がバットで打つってルールらしいけど」
 ゲーリーのデータスレートに詰まった情報に頼るまでもなく、アンドルーは、グランドのはるか遠くまで飛んだボールを追って慌てて走っているのがピッチャーであるはずはないと思った。バッターは、ボールを打ったら敵のファーストというポジションめがけて走るルールなのに、バットを振り回して、ボールを追っているピッチャーに向かってヤジを飛ばしている。
「はやく取ってこいよぉ!」
「データにないベースボールとヤキュウに似たゲームかもしれないね」
 ゲーリーが平然といった。
 アンドルーが「そんなわけねぇだろ」と肩をすくめる。
「まったく、ベースボールでもヤキュウでもなんでもいいから本物を見せろっていうんだよ。わざわざこんな所まできて、データにも残ってないゲームの調査ってわけじゃねぇんだからさ」
「おいアンディ、これってすごい発見かもしれないよ」
「オレたちから見れば、ここにある全部がすごい発見」
 綿密な過去のデータから構築された二一世紀初頭の世界のシミュレーションを通して、二人は完全に二一世紀を理解したつもりでいたが、いざ飛ばされてみると、シミュレーションと現実とではまったく違った物だということを否応なしに知らされた。
 与えられた使命をまっとうするためには、十分な順応期間をおくべきだったが、人為的なミスで当初の予定より四ヶ月も遅い時期に飛ばされてしまっていた。
 この遅れをどう取り戻すべきか。
 チームのリーダーであるアンドルーにとっては、リーダーとして課された初めての試練となっていたが、チームの他の三人ときたら遅れを取り戻すどころか、個人的興味を満たすために組まれた当初のプログラムを優先させることを主張し、ばらばらの行動を取っていた。
 今日も、他の二人は個人的興味のために別行動を取っており、アンドルーは嫌がるゲーリーを無理矢理このジュニアハイスクールへとひっぱってきていた。
「ジャネットとキャサリンは何処に行ったんだ?」
「キャサリンがノイマン型のコンピュータが見たいっていうんで、二人でアキハバラに行ってるよ。この時代じゃノイマン型のコンピュータなんて、アキハバラじゃなくてもそこらじゅうに転がってるっていうのに」
 そういうゲーリーが、実は二人のアキハバラ行きに同行しようとしていたのをアンドルーは知っていた。ゲーリーがこのチームに加わった本当の理由は、二〇世紀末、この日本という地域から世界に広がっていった「オタク」という文化に感心があったからだった。
 ようやくピッチャーが、ボールを拾い上げた。
「よ〜し、そこから投げてみろ! イチロー!」
 打っても走らないバッターが訳のわからないことを叫んでいる。
「あと一年早ければ、イチローの大活躍が見れたんだよな」と、ゲーリーがいった。
「なんだよ、そのイチローって? カート・アングルより強いのか?」
「はあ?」
「いや、いい。それよりおまえ、よく知ってるな?」
 得意げにゲーリーはデータスレートをアンドルーに見せた。
「必要なことかと思ってさ。この時代の連中と話す時に、話題に困ったらイヤだろ」
「ゲーリー、お前目的ってもんを忘れたのか?」
「忘れちゃいないさ。その目的を果たすためにはやっぱりこの時代に馴染まないと。それに、アンディだってなんか他に理由があったんだろ、このチームに参加したのにはさ」
 ゲーリーの最後の言葉にアンドルーは口ごもった。
「そのアンディって呼び方やめてくれ」
「別にいいだろ」
「いや、その呼び方するのママだけなんだ……」
「あれ、もしかしてマザーコンプレックスってヤツ?」
「違う!」
 キン!
 白いボールが空の青に吸い込まれていく。
「わかった。あれ、地獄の千本ノックってヤツだ」
 ゲーリーが指を鳴らして大きくうなずく。
「なんだよ、そのジゴクノセンボンノックってのは?」
 またゲーリーはスレートを見せた。そこには稚拙な線で描かれたイラストが映し出されていた。
「なんていうのかな、この地域に根付いてる古い考え方なんだけど、スポーツでもなんでもコンジョーがあれば出来るってヤツの延長にあるトレーニング方法」
「でも、あのピッチャーが投げたボールを打ったんだろ?」
「え、そうなの?」
「スレートばっか見てねぇで、ちゃんと見てろよ」
 アンドルーはパンとゲーリーの後頭部を軽く叩いた。
 バッターがピッチャーにまた何か叫んでいる。
「それよりさ、アンディ……じゃなかったアンドルーの目的はなんなの?」
「目的? そりゃ目的は目的さ。他にあるか?」
「個人的な目的ってヤツだよ」
「そ、そんなもんあるかよ。オレは崇高たる目的のためにこの二一世紀に赴いたまでのこと」
「なんかあやしいなぁ……」
 したり顔でゲーリーはアンドルーを見た。
 もう一度叩いてやろうかとアンドルーは思ったが、どうにか思いとどまった。
「ちょっとタイム!」
 ピッチャーがボールを追うのをやめて、グランドに倒れ込んだ。
「何をいうか! そんな様じゃ巨人の星はつかめんぞ飛馬!」
 バッターが叫ぶ。
「だから何度もいってるだろ、野球は二人でやるものじゃないって!」
「しょうがねぇだろ二人しかいないんだから」
「じゃあ、プロレスだな。どうせ、バット使うんだから同じだし」
 バッターはおもむろにバットを両手で頭上に振り上げ、ピッチャーめがけて走り出した。
「だから、それも違うっていってるじゃないか!」
 よろよろとピッチャーが立ち上がるのを見てアンドルーはぽつりといった。
「オレならイスを使うな」
「はぁ?」
 ゲーリーは口をぽかんと開けアンドルーを見る。
「やっぱしプロレスにはイスだよ。イス! わかるかゲーリー? あの金属のパイプをねじ曲げてつくった折り畳みが出来る機能的なデザインのイスをこうパ〜ンって畳んで振りかざす時のあの興奮……」
 アンドルーの手には見えないイスがつかまれているのか、まさにこれからゲーリーに向かって手にしたイス振り下ろそうとでもいうようなジェスチャーをする。
「もしかして、それがアンドルーの目的?」
 ゲーリーの言葉に、アンドルーは観念し、目には見えないイスをゲーリーの頭に叩きつけるようにしていった。
「……ああそうだよ。ちゃんと予定通りにこっちの時間の三月の頭に到着してれば、レッスルマニアが見られたんだ。誰だよアメリカと日本じゃ学校の新学期が違うってのを調べなかったのは! 勝手にアメリカの時間で考えやがって! 生じゃなくても良かったんだ。一月遅れでも、日本ならテレビってヤツで見れたんだ。まったく、なんだってこの年のカナダのスカイドームの大会だけアーカイブから抜けてんだよ!」
 怒鳴り散らすアンドルーを横目に、ゲーリーはスレートで検索していた。
 たしかにプロレスの一大イベント、レッスルマニアの18回大会だけがアーカイブから抜けていた。
 グランドではバッターが白の上着を脱ぎ捨てていた。
 その黒のTシャツに書かれたメッセージを見て、アンドルーは目を丸くした。
「なんでアイツがオースティンのTシャツ着てるんだよ!」
 Tシャツには白の文字で「Austin 3:16」とあった。
 すかさずゲーリーはその単語の意味を調べる。
「あれなら、簡単に手に入るよ」
 ゲーリーがいった。
「簡単にって……。おい、あれはアメリカのニューヨークに行かないと買えないんだ。通信販売とかいう手もあるらしいが船で送られるから、到着するのがスゴク遅かったってどっかのアーカイヴにあったの読んだことがある」
「大丈夫だよ。ここでも手に入るって。最初からいってくれてりゃ良かったのに」
「なんで!」
「オカチマチにあるでっかいショッピングモールに売ってる店あるんだぜ」
「そのオカチマチってのは、近いのか?」
「アキハバラの近くだよ」
 ゲーリーはアンドルーにスレートに映った地図を見せ、Tシャツが売られているであろうショップの位置まで示してみせた。
 アンドルーの身体がその場に崩れ落ちた。
 そんなに近くにあったとは……。
 やはり今日はチームでアキハバラに行くべきだったのか?
 自問自答が続いた後、アンドルーはオースティンのTシャツめがけて突進した。
 ゲーリーは、アンドルーが次に起こす行動を予想してみた。
 あまり想像はしたくなかったが、スレートでオースティンの必殺技を検索しはじめた。
「あんたたち何やってんの! もう授業始まるわよ!」
 ビルの上の方から女性の叫び声が聞こえてきた。
 バッターとピッチャーがぴくりとその声に反応し、互いの顔を見合わせる。
 バッターにまさに飛びかかろうとしていたアンドルーも、その声の主のほうを見あげていた。
「始業のチャイム鳴ってるでしょ!」
「すいませ〜ん!」
 バッターとピッチャーが建物の方に走り出す。
 そのとき、アンドルーとゲーリーの方を興味なさそうな視線を二人に向けてきたが、アンドルーもゲーリーもそれに気付くことはなかった。
 カランコロンと電子音が鳴り響く。
 アンドルーは太陽に向かって身体をのけぞらせ、両手を挙げて己の力を誇示するポーズを取っていた。ゲーリーのデータスレートには、それと似たようなポーズでリングという格闘場で、たくさんのフラッシュライトを浴びるはげ上がった頭のレスラーの姿が映し出されていた。
 ほどなくしてアンドルーが戻ってきてゲーリーの肩を叩いた。
 ゲーリーは慌ててスレートをポケットに押し込む。
「行くぞ」
「どこへ?」ゲーリーは訊いた。
「決まってるだろ。チームはチームとして行動しなきゃならないからな」
水上 悠 2001/12/10月13:23 [6]


第五節「過ぎし日々の想い」返信  

【Writer:諌山 裕】


 乾燥し荒れ果てた大地――。
 砂塵をかぶって埋もれたアスファルトが、干上がった湖底のようにひび割れてささくれ立っている。かろうじて道路の名残とわかる道筋を、体全体をすっぽりと防護するスーツを着て、ひとりの人間が歩いていた。周囲には地を這うわずかばかりの緑と、人影のように起立したサボテンがあるばかり。
 徳川正樹は朽ちようとしている肉体に鞭打って、歩を進めていた。
 彼はもう二三歳だ。肉体は周りの大地と同じように痩せ、皺だらけになっていた。彼は、自分に残された時間が少ないことを自覚していたが、運命を恨めしくも思っていた。同世代の仲間の多くが、すでにこの世を去っていた。彼はプロジェクトメンバーの中では、数少ない古参となっていた。
 徳川は探しものをしていた。それは重要なものだった。
 彼は手に持った信号探知器で、かすかな信号を拾おうとする。
「このへんだと思うんだが……」
 軌道上からの探査で、可能性のある信号を拾ったのは二週間前だった。大規模な捜索が行われたが、探しものは発見できなかった。結果、バックグランドノイズとして処理され、捜索は打ち切られた。
 だが、徳川はあきらめていなかった。自分の直感を信じていたのだ。
「老いぼれていても、私の勘は鈍ってはいないぞ。安直に結論に飛びつくのは間違いだ」
 彼は自分をはげますようにいった。
 彼ら――綾瀬、神崎、桜井、津川――が過去に旅立って、三年の月日が流れた。時空確率転送機(ディメンジョン・プロパビリティ・テレプレゼンス)の研究者でありエンジニアでもある彼は、これまでにも多くの少年少女を行き先の保証のない片道旅行へと送り出してきた。罪の意識がないといえば嘘になる。自分が若い彼らを無意味に死に追いやっているのかもしれないと、常に自問自答していた。
 だからこそ、彼らの無事を確認することは、必要不可欠な罪滅ぼしだと考えていた。
 探しているものは、彼らからの――過去からのメッセージである。
 未来から過去にメッセージを送ること自体は比較的容易だ。ただし、狙った時間と場所に送ることが難しいのである。人を送るのと同様に、誤差が大きすぎた。誤差一年以内でなくては、受取人がいない可能性が高くなる。
 メッセージを、過去の無関係な人間が開く可能性は低い。開くための鍵として、受取人のDNAがコードとして使われているからだ。まったく同一のDNAの出現確率は、一〇〇〇万分の一から七〇〇〇万分の一とされている。二六世紀の人間のDNAは変異・改変されているため、過去の人間でDNAコードが有効な人間はもっと少ないのだ。誤ってコードが解除され、未来の情報を過去の人間が見ることはないと想定されていた。
 しかし、誤動作がないとは限らない。その安全策として、カプセルに内蔵するメッセージや収容物には厳しい規制が設けられていた。
 過去から未来にメッセージを送るには、極めて単純明快な方法しかなかった。メッセージを入れたカプセルを、地中に埋めるなりして未来で発掘するというものだ。単純だが不確実な方法でもある。五百〜六百年もの間、無関係な人間に掘り出されず、劣化せず、なおかつ未来から持ちこんだタイマーが正常に作動して信号を出すのは、幸運の上にも幸運が必要なのだ。
 じつのところ、過去からのメッセージを回収した例はまだ少なかった。五百年の幸運に守られて残るメッセージは限られていた。
 過去にいる工作員からメッセージを受けとることが必要なのは、彼らの安全を確認することだけではなかった。もっと重要なことは、歴史の中に埋没してしまった、ターニングポイントを特定することであった。
 歴史は人間が作るものだ。そして人間の考えや行動が歴史を左右する。ある人物の生死のタイミングが、のちの歴史を変えてしまうのである。
 人類のルーツをたどっていけば、五〇〇万年前の古代のアフリカの大地に立ちあがった、原人のイブに遡ることができる。そのイブが子供を産む前に死んでしまっていたなら、歴史は大きく変わっていたかもしれない。
 同様に二六世紀の破局的な世界に至るきっかけとなったイブが、いつかの時代のどこかにいるはずである。彼らはそう考えている。
 二一世紀のイブ――。
 未来からの工作員に課せられた任務は、彼女――ミレニアム・イブを探し出すことでもあるのだ。
 徳川は防護スーツのヘルメット越しに、太陽を見あげる。有害な紫外線を浴びないための装備だが、窮屈で息苦しかった。
 彼はヘルメットを外す。
「いまさら、紫外線を浴びたからといって、たいした問題ではないな」
 外気に肌をさらすと、乾いた熱気が舐めるように当たってきたが、開放感も感じた。
 彼は深呼吸した。埃っぽい空気が肺を満たす。かすかに植物の青臭い匂いも混じっていた。
 ゆるやかな坂道を上ると、褐色に老朽化した数棟の建物が目にはいる。その手前に墓標のように立つ、背丈ほどの柱があった。表面に文字が彫られていた。
――私立 聖天原学園中学校
 彼は文字に触れ、なぞっていく。
「中学校か……。彼らが身を置くには、丁度いい場所じゃないか」
 信号探知器は、ノイズの中にわずかなピークを感知していた。この程度では自然界の放射線と区別するのは難しく、地磁気の乱れや鉱脈があれば同様の反応をするレベルだった。だが、彼はそれがノイズではないと確信していた。確信というよりは願望に近いものではあったが。
 徳川はかつての中学校の校庭へと、足を踏み入れた。


 開けられた窓から、いくぶん冷たい夜気が庭の緑の息吹を運んでくる。
 八月最後の週。来週は新学期となり、学園にも子供たちの喧噪が戻ってくる。夏の間、落葉樹が太陽の光をたくさん浴びて活気づくように、子供たちも十分に羽を伸ばしたことだろう。
 郷田は窓際に立ち、タバコの煙をくゆらせていた。
「彼らには、わしとは違う時間が流れているからな。同じ一ヶ月、一年でもまったく意味も価値も違う。わしには去年も今年も大差はないのだが……」
 彼は苦笑した。
 学園の敷地の一角に、彼の邸宅はある。三階建ての邸宅は、ややクラシックな趣の学園の建物と調和するようにデザインされていた。
 学園との境界には生け垣がある。赤い葉が際だつベニカナメモチ、ドウダンツツジは春に咲く釣り鐘状の白い花が可憐だ。高価な櫛の材料にもなるツゲ、常緑小高木のマサキ、こんもりとした入道雲のようなカイズカイブキ。それらが抽象的なアートのように配置されていた。
 だが、明確な境界ではなく、緑の多い学園の延長ともなっていた。彼の庭園は生徒にも開放されていて、昼休みや放課後にはくつろぎの場所でもあった。
 彼は窓際を離れると、ゆったりとした椅子に座る。そして、タバコを一本吸い終わるまで、思案げに空を見つめる。
 タバコを灰皿でもみ消すと、やおら立ちあがり、壁に掛けられた絵画の前に立つ。彼は額縁の端に手をかけて引く。扉のように開いた絵画の裏には、壁に埋めこまれた金庫があった。
 彼は首にぶら下げたペンダントを、金庫の前にかざす。ICチップを内蔵した電子キーが、金庫の液晶画面を点灯させた。彼が暗証番号を打ちこむと、金庫は開錠された。
 郷田は中から銀色のカプセルを取りだす。それは手のひらに乗る程度の大きさで、小型のボンベのような形状をしている。
 カプセルを持って椅子に戻ると、机の上にそれを置く。なんの変哲もない金属のカプセルのように見えるが、彼がそれを発見してから四〇年が経ったいまでも、錆びることも輝きが鈍ることもなく新品同様だった。
 彼の人生は、このカプセルとの出会いで決定的に変わった。
「あれは、わしが一四歳の夏だったな……」
 郷田は苦笑いとともに思いだしていた。
 現在学園のあるこの場所は、昔は雑木林の小高い丘だった。少年の郷田は、毎日のように林の中で過ごしていた。カブトムシを取ったり、ワラビやアケビや山芋といった山菜を取りに来ていたのだ。
 その日、彼は山芋を掘っていた。自生の山芋は細く、地中深くまで根を張っているため、慎重に穴を掘る必要がある。およそ一メートルほど掘ったところで、小さなスコップがガチンと金属にぶつかった。
 彼の頭をよぎったのは、不発弾ではないかということだった。第二次大戦中に米軍が落とした爆弾には不発弾も多く、二〇年、三〇年経ってから発見されることも珍しくなかった。彼の通う増築中の学校でも不発弾が発見され、大騒ぎになったのはつい先日のことだったのだ。
 彼は逃げようとした。しかし、土の中から少しだけ見えている銀色の輝きが、彼の行動を止めた。彼は恐る恐る銀色の物体を掘り出した。
 それが郷田の机の上に置かれたカプセルだった。
 彼は再びカプセルを手に取ると、両端をつかんでねじった。切れ目の見えないままカプセルは、中央から左右に回る。すると、冷たかった表面がわずかに熱を帯びてくる。やがてカチャリとカプセルがスライドして分離し、中身が現れた。中には光を発する球体が収まっている。
 光は一定の方向へと扇形に広がり、陽炎のように揺らぐ。彼はカプセルを机の上に戻した。
 陽炎は徐々に変化して、人の姿を形取っていく。ホログラムの映像だ。光の人物は痩せてひどく年老いていた。しかし、年老いているわりには顔つきが不自然に子供ぽかった。
 人物は郷田がなん度もきいたメッセージを繰りかえし始める。
『このメッセージは、君たち、綾瀬、神崎、桜井、津川の元に届くことを期待して送っている。
 私は徳川だ。あれから……もう三年経っているんだ。ずいぶん老けこんでしまったからな。
 君たちのメッセージは受け取ったよ。幸運だった。まず、君たちが無事目的地に着いたことで、私はホッとしている。着陸ポイントの場所と時間の報告は貴重なデータになった。今後の時空確率転送機の座標設定に役立つだろう』
 光の人物の隣に、そのデータが表示された。転送された人名、出現した地名、時間表示に続けて、意味不明の記号と数字が並んでいた。郷田はそれを見て、彼らの出現場所と時間を知ったのだ。
『この変数を手がかりに、君たちがいる学園に向けて通信カプセルを転送する。おそらくこの通信カプセルも、誤差数ヶ月でそちらに届くのではないかと思っているが……、確証はない』
 メッセージはさらに続いていたが、郷田はカプセルを閉じて終了させた。
 彼はカプセルから多くのことを学んだ。わからないことも多かったが、それが未来からのメッセージであることは確実だった。
 そして、未来から多くの少年少女たちが過去への片道旅行に向かったことを知った。自分が、聖天原学園中学校を設立するという未来も知った。彼はこれを自分に課せられた使命だと感じた。
 それ以降、彼は来たるべき彼らを受けいれるために、生涯を捧げてきたのだ。未来を知っていることは利点でもあったが、苦痛でもあった。新しく来た四人以前の挑戦者たちが、目的を果たせないことも知っていたからだ。
 受けいれた未来人に対して、彼は必要最小限の助力をするに留めた。安易に未来教えることは、けっしてプラスにはならないと判断したのだ。
 彼ら――綾瀬、神崎、桜井、津川――の未来については、郷田も知らない。彼はそれを可能性があることかもしれないと考えていた。これまでとは違うのだと。
 彼は窓辺へと歩みよる。
 生け垣の向こうには、学生寮から校舎へと続くポプラ並木がある。木々の間に並ぶアンティックな街灯の灯りの中を、四人の人影が小走りでよぎっているのが見えた。
 一目で彼らであることがわかった。外出禁止の時間帯になっていたが、彼らがなにをしに出歩いているのかは察しがついた。
 彼らが、未来へのメッセージを封入したカプセルを埋めたのは、今日なのだ。
「君たちのメッセージは、ちゃんと未来に届くさ」
 郷田は小声でいって、微笑んだ。
 彼と天空の月が、彼らをそっと見守っていた。
諌山 裕 mail 2001/12/03月06:20 [5]


第四節「職員室」返信  

【Writer:森村ゆうり】

 
 午前中とはいえ八月の太陽は、じりじりと全てのものを焦がす勢いで照りつけている。
校庭のポプラの木もいくぶんうんざりしたように見えるのは気のせいだろうか。
「暑いわ。エアコン、入ってるはずなのに暑いわ」
 立原美咲は職員室の自分の席で、次の授業の教材を準備しながら呟いた。
 世間的には夏休みな今日この頃であるが、聖天原学園中学校では昨今の進学熱のご多分にもれず、八月九日木曜日まで高校受験のための進学補習授業が行われている。理科教師である立原美咲もその例外ではなく、あと三十分もすれば二年生のSクラスの理科一分野の授業を始めなければならない立場だ。
「だから職員室ってやなんだよね」
 立原美咲は一人ごちる。
 普段は理科室の横にある理科教官室にばかり入り浸っている彼女は、暑さが苦手なたちで、備品の保全を理由にしてかなり低い温度設定の空調で理科教官室を自分仕様な環境に整えていた。生徒たちには、地球の温暖化について警鐘を鳴らし、熱く語ったりもしている彼女だが、夏だけは進んで地球の敵になったりしている。
「立原先生、機嫌悪そうですね」
 そんな彼女にのんびりとした口調で声をかけてくる輩がいた。立原の右斜め前の席で、のんきに香り高いコーヒーを飲んでいる男が声の主だ。
「菅原先生、何しに来たんですか? 日直は一昨日のはずでしたよね」
「今日は部活指導」
「部活指導って、部活は午後からでしょう。まだ十時過ぎですよ」
 同じ二学年を受け持っているせいで、立原と菅原の席は近い。職員室の席は、学年ごとに島が作られる形になっているためだ。聖天原学園中学校では、ほとんど担当学年を持ち上がっていくため、実のところ去年も立原と菅原の席は隣接していた。
「食材を頼んだ業者さんが、十時半に配達に来るというので。品質チェックをしないとヘンなモノつかまされると困りますから」
「はぁ。今日は料理研究会の方の指導なんですね」
「その通りです。試食されますか? 立原先生」
 菅原拓郎は技術・家庭科を教えている。男性の家庭科教諭も最近では増えつつあるが菅原拓郎もその一人だ。もちろん専門は家庭科で、聖天原学園中学には技術を教える専任の教師がいないため、一人で全ての授業を受け持っている。
「はあ……」
 菅原の指導で作られた生徒たちの料理は、なかなかの味で魅力的な誘いだったが、立原はいまひとつこの得体のしれない男が苦手で、できれば距離を保ちつつ、それなりの付き合いで終わらせたいと常々思っているため、返事はいつものとおり曖昧だ。
「ちなみに今日のメニューは、若鳥のオーブン焼きに夏野菜のオリーブオイル焼き、レンズ豆入りのミネストローネです。おまけとして僕の焼いたパンが付きます」
 菅原が自信あり気にメニューを告げた。
「試食させて下さい!!」
 そして、いつもの通り力いっぱい気合いの入った返事を立原はしてしまう。毎度のことだが、メニューを聞かされるとどうしても誘惑に勝てない彼女だった。
「ところで立原先生とこの転校生が、この前面白いことしてたって話ですけど」
 唐突に別な話をふってきた菅原の顔には笑みが浮かんでいる。
「あー、神崎と津川ですね」
「そうそう、たしか神崎が立原先生んとこの生徒でしたよね」
「私のとこの生徒って、副担任してるだけですよ。それにうちのクラスなのは津川だけで、神崎は三組だったはずですよ」
 一学期の終わりに転入してきた四人の生徒の内、津川光輝と綾瀬理奈は立原が副担任をしている二年一組に席を置いていた。
「女の子を争って、野球で果たし合いしたって聞いたんですけど、本当のところはどうなんですか?」
「本人たちは否定していますけど、女子たちの間では、うちのクラスの小野が津川に告白するために手紙を書いて、それを知った神崎が二人の邪魔をしたから、小野を争って野球勝負をしたってことになってますね。女の子たちの言うことは、いつでも大げさですから、どこまで信憑性があるか疑問ですけどね」
「昔、流行ったアイドルの歌みたいな話ですね。さすが帰国子女だな。僕も負けられないな」
 何が負けられないのかちっとも解らないが、菅原は拳を握りしめて力説している。
「とにかく、許可なく学校の備品を使用した揚げ句、ボールを一個紛失させているんですから。しかも軟球ボールならいざ知らず、硬球ですよ。あれ、高いんですよ。だいたいうちの学校、野球部ないのになんで軟球と硬球が両方そろってたり、りっぱな野球用ヘルメットがあったりするんですか」
「理事長の趣味ですよ。ホントは野球部を作りたかったという話ですから。それに備品のボールも理事長が個人的に弁償したって話じゃないですか」
「ええ、理事長が彼らの保証人ですし、親御さんはまだ海外だそうですから」
「それにしても、面白い子たちが入ってきたじゃないですか」
 うらやましそうに菅原が言う。
「確かに、興味深い生徒です。なんだか、目が離せない感じで、退屈しなくていいですよ。菅原先生も授業持ってるでしょ」
「ええ、しかも料理研究会には、転校生二人、入部です。桜井と神崎なんですけどね」
「なんだ、それなら神崎とは菅原先生の方が親しいんじゃないですか」
 他人事のように面白がっている菅原に、立原が少しばかり抗議の声を上げた。
「いやぁ、奴は試食係というか……。作っている間は感心したり応援したりするだけですから」
「あー、うちの部活規定、文化部と体育部なら二重に入部してもОKだから」
「です、です。そのうち、料理研究会には顔みせなくなるんじゃないかな。僕としては少ない男子部員として大歓迎なんだけど」
 菅原はコーヒーを一口飲んで大げさにため息をついてみせる。
「四人とも転入時の実力テストではかなりの高得点だったから、ある意味心配していたんですけどね」
「確かに、今どき珍しい感じの生徒たちですよね。倒れるまで対決するなんて、テレビの中くらいでしかお目にかかれないですから」
 二人は声をあげて笑いあった。
 あまりお近づきになりたくないと思いながらも、結局、立原は菅原とよく話し込んでしまう現実がある。今もこうして興味深い転校生について、ついつい話が弾んでしまっている。
 噂話的な情報交換の時間は思いの外、早く進むもので、菅原はちらりと壁に掛かっている丸い掛け時計で時間を確認する。
「おっ、そろそろ業者さんが来るころだ。それじゃ、立原先生お先に失礼します」
 菅原がコーヒーカップを片手に職員室を出ていくと、立原はまた授業の準備を再開した。
 夏休みは普段のクラス編成とは違って、習熟度別のクラスに別れ授業が行われる。
 中でもSクラスは特に習熟度が高く、内容も深くなっている。教えるほうとしても油断ならない。ある意味戦場のような緊迫感を持って望む授業なのだ。手を抜いたが最後、ここぞとばかり生徒たちは牙をむいて襲いかかってくる。教材研究は念入りにしておかなければならないが、教師冥利に尽きる時間になる。
「それにしても、いきなり妙な時期に転校してきて、すぐにSクラスで補習授業。実力テストもほぼ完ぺき」
 立原はぶつぶつと独り言を呟く。
 しかもこの転入生の厄介さは、今どき珍しい熱い行動だけではない。
 Sクラスで補習を受けている生徒はみんなそれなりに勉強のできる生徒なのだが、彼ら四人がときどきしてくる質問は、立原がついつい熱く語りたくなる様な内容のものが多い。立原が受け持っている理科一分野は、二分野より生徒理解度がどうしても低くなりがちなのだが、彼らは教科書の内容を越えた範囲までも理解しているふしがあった。
 おかげで進学補習なはずの授業がやや脱線ぎみなこの頃だ。
 帰国子女で理事長の知り合いの子供という触れ込みで、実際転校の際の書類にも保証人の欄には理事長の名前が書かれていた。それも四人とも。
 古参の教師たちが言うには理事長の郷田義明は、隣人愛に溢れた慈善家でいろいろな事情で満足に学校にも通えない子供の世話をしていて、こうして唐突に転入してくる生徒は彼らが始めてではないという。
 しかし、その説明だけでは納得のいかない点が多くある。
 あまり詮索するのも生徒たちに失礼だとは思う立原だったが、あれだけ頭の良い生徒が、一度に四人も偶然に路頭に迷うような自体が起こりえるのか、はなはだ疑問なのだった。
「この学校って変よね。しばらく退屈しなくて済みそうだけど」
 立原はぽつりと呟いて、教師モード用の眼鏡をきちんと付け直し、資料やプリントを抱えて席を立つ。
 授業開始まで、数分。
 二年Sクラスまでの距離を考えると丁度よいころ合いだ。
 本日、最後の一コマ、六十分間。正規の授業時間よりも少し長い補習用の時間だ。
 他の教師たちもぞろぞろと自分の受け持ちクラスへと移動を始める。
 今日こそは予定通りに授業を進める決意を固めて、授業に向かう立原美咲であった。
森村ゆうり 2001/11/27火00:14 [4]


第三節「決闘者たち」返信  
 

【Writer:大神 陣矢】


「まさか、お前とこういうことになるとは、な」
 少年は唇をゆがめ、手にした得物に力をこめた。
「……それは……こっちの台詞さ」
 相対するもう一人の少年は目を細め、身をかがめた。
「でも……もう、後戻りはできない」
「ああ……そうだな」
 双方のあいだに走るのは不可視の電光、膠着し飛散するのは激情の粒子!
 互いの距離をはかっていた両者だが、どちらからともなく、……動いた。
「……てっ!」
 叫んだのはいずれか、それすらも判別できぬ一瞬の交錯!
 そののち。
 夕映えの落とした影のなかに、ゆっくりと崩れていったのは……!

 ……と、その行方を見届ける前に、我々はことの発端を知る必要があろう。


「きみは、ひとを好きになったことがあるかい?」
 津川光輝は眉をひそめた。
 というのは、答えを求めた相手が返事をするどころか、飛びすさって部屋の壁を背につけたためである。
「あいかわらず……失礼な奴だな、きみは。何をしているんだ」 
「何もへったくれもあるかっ」神崎達矢は声を荒げる。
「いきなり耳元でそんなセリフささやかれたら思わず逃げ出したくもなるっ!!」
 点呼も終わり、後は寝るばかりという寮の一室。そこでだしぬけにルームメイトに先のことばをささやかれれば、なるほどこの反応も無理からぬところか。
「フフッ……つれないね。ぼくらは一心同体の……同志じゃないか。いまさら他人行儀な」
「そういう問題じゃないっ」
「ま……そんなことはどうでもいいんだ。まだ、ぼくの質問に答えてもらっていないが?」
「あ? ああ、好きがうんぬんって話か? ……そりゃ、まあ……」
 ことさら強調されずとも、ひとを好きになることなど珍しくもない。『家族』のこともけっして嫌いではなかったし、理奈やのぞみ、光輝のことも好ましく思っている……
 そう告げると、光輝はそうじゃないとばかりに手を振った。
「そういう『好き』じゃあないんだ。……わからないかい」
「! それは……まさか!」
「そうだ……ぼくは……」
 豁然、まなじりを決する光輝。
「『恋』に興味がある!」
「…………っ!」
 瞬間、達矢は全身に衝撃が走るのを感じた!
「それは……だがっ!」
「ああ……覚悟の上さ……」
 恋!
 それは二六世紀人にとって、あまりにも剣呑な輝きを放つ概念であった!
 もはや自然生殖を不要とした人類にとって色恋沙汰は余技にすぎず、言うならば『手習い』の一環としてしかとらえられていない。
 かつて戦場でつちかわれた実戦的な武術が洗練され武道と呼ばれるようになっていたのと同様、実用性のない恋愛は形骸化していったのだ……
「しかし、この時代はそうじゃない……『恋』は、生きている!」
 たださえ熱っぽかった光輝の言に、さらなる熱気がこもる。
「ニ一世紀人にとっての『恋』はすぐれて実戦的だ。彼らは自分たちの『恋』に花を咲かせ、実をつけるためならば、いかなる手段もいとわない」
「まあ、それはわからないでもないが……」
 じっさい、達矢がこの時代に来てもっとも驚いたのは、人々の精神性の『荒々しさ』だ。
 老いも若きも、男も女も、みな躍動し、強烈な感情を撒き散らしながら生きている。
 それらは、洗練され尽くした二六世紀には見られぬものであり、達矢にとっても好もしいものだったが、ときには辟易させられることもすくなくなかった。
 とりわけ、『男と女』のあいだのことでは、それを強く感じる。
 誰それがあの子のことを好きらしい、いやあの子はなにがしとつきあっている、いやいやあいつは二股かけられている、本命はじつはこの俺なんだ……うんぬん。
 お前らの頭にはそれしかないのか? と問い詰めたくなったものだが、理奈らに聞いたところでは女子のそれは男子の比ではないという。まったく、世界は謎だらけというわけだ。
 それはともかく、彼らにとって色恋沙汰は『ご法度』のはずだった。
 この任務に就くさい、念入りに釘をさされていたのだ……

「諸君は『選ばれた』存在であり、いまさらとやかく言う気はない……が、これだけは強調しておきたい」
 ビジョンに浮かんだ人影が、整列した一同へ向けて言葉を続ける。
「ニ一Cの人間に、心を奪われてはならない。より厳密にいえば……恋愛感情などに身をゆだねてはならぬ」
「と、いうと?」
「数多の文献にあるように、人の感情……なかでも色恋沙汰はしばしば人を狂わせてきた。ときにはそれがもとで人死にや戦争すら起こったほどだ。君たちには、その轍を踏んでほしくないのでね」
「お言葉ですけど、あたしたち、十分に『訓練』は受けてます! 自分を見失ったりすることはありません!」
 理奈が形のよい眉を吊り上げたのを見て、ビジョン上の影が微笑を浮かべた……ようにも感じた。
「ああ、それは心得ている……が、しょせん練習は練習にすぎない。そのうえ、相手は洗練こそされていないとはいえ、『現代人』とは比較にならぬほど強力な感情の持ち主ばかりだ。甘く見ると……足元をすくわれることになろう」
「『恋』……か」
「以上だ……諸君の健闘を祈る!」

 達矢たちに与えられた期間は長くない。
 そのあいだに使命を果たさねばならないのに、恋愛などにふけっていてはいくら時間があっても足りるものではない。
 それは、光輝とて承知の上だと、達矢は思っていたのだが……
「ああ……もちろんそうだ。これは使命と無関係じゃない」
「え?」
「ぼくは二六Cの『現状』は、人という種がなにか大事なものを喪失したせいだと推測している」
 つと伸ばした手を達矢の肩に置き、ささやく光輝。
「それは何も、目に見えるものだけとはかぎらない……そうは思わないか?」
「それは……まあ」
「だろう? ぼくは、それを知りたいと思う……強くね」
 達矢の肩に、ギリギリと痛みが走る。
「だから、ぼくは『恋』をする! みずから体験することで……知るのだ!」
「わ。わかったわかった、わかったから離せ!」
「ああ……すまない」
 あっさり手をどけた光輝はふかぶかとベッドに腰をおろす。
「ったく……で? 具体的には、どうするんだよ」
「もちろん、恋をするのさ」
「といってもな……いったい誰に『恋する』んだ? 相手がいなきゃ、どうしようもないだろ」
「クククッ……なに、抜かりはない……」
 不敵な笑みとともに、光輝が一通の手紙を取り出してみせた。
 そこには『津川光輝様』とある……
「そ、それは、もしや!」
「そうだ……ぼくの『恋』を成すための使者が、これだ!」

 手紙の差出人は、彼らのクラスメイトの少女だった。達矢はさほど親しくもなかったが、悪い印象はない。
 だが思い出してみれば、しばしば光輝にむかって視線をむけていたような気がしないでもなかった。
「大事な話があるから、明日の午後5時に校舎裏まで来てほしいそうだ。……どう思うね?」
「どうって……まあ、普通に考えれば……いわゆる、告白ってやつか」
「たぶんね……さて、せっかくの機会を逃すのもばかげた話だ。ぼくはこの話に乗らせてもらう」
「けど、それは……恋ってのとは違うんじゃないか?」
「何故?」
「いやあ……おれのイメージだと、恋ってのはもっとこう……神秘的というか……」
 きみは思いのほかロマンチシストだな、と光輝はニ一世紀ふうに感想を述べた。
「だが、ぼくたちには、時間がない。……そのなかで最大限の成果をあげるには……回り道はしていられない……」
 達矢は無言で、光輝から目をそらした。


「……どういうことだ?」
 手紙に指定されていた場所に、光輝が時刻通りに着いたとき、そこに差出人の姿はなかった。
 代わりにいたのは……
「やっぱり、お前のやりかたは気に食わないってことさ」
 光輝は無言で達矢を睨み返した。
「……彼女は?」
「帰した。お前が急用で来れなくなった……ってことにしてな」
「おやおや」
 肩をすくめる光輝。
「いったい、何が気に食わないんだい、達矢くんは?」
「たしかに、おれたちには使命がある……が……それにしたって、やっていいことと悪いことがあるだろうよ」
「何が……いいたい?」
「お前は……彼女の気持ちを利用しようとした。あの子の純粋な慕情を! そいつが……おれには我慢ならないんだよっ」
 ふふん、と薄く笑う光輝。
「きみのことは理解しているつもりだったけど、どうやらそうでもなかったらしい。きみはぼくが思っていた以上に……いや……」
「とにかくだ! あの子との件はあきらめろ!」
「嫌だと言ったら?」
「こいつで……蹴りをつけるっ」
 と、隠し持っていた木製バットを取り出した達矢に、光輝は苦笑いで応じる。
「おいおい、まさかそれで殴り合おうというんじゃあるまいね?」
「そんなことはしない……この時代に即した勝負で白黒をはっきりさせようと言うのさ」
「というと?」
 達矢がさらに持ち出した三つの野球ボールを見て、光輝はさらに疑念の度を強める。
「……『野球』で勝負だ!」
「な……にっ!?」
 光輝は、絶句した。

 野球文化は二三世紀ごろにはほぼ消滅し、その後二四世紀初頭の『スポーツ復興』運動によっていったん復活したものの、往時の威勢を取り戻すことはついにかなわず、やがて歴史の波にさらわれていった。
 その原因のひとつは、野球が『格闘技である』という誤った解釈をされたせいでもある(その背景に、プロレスの乱闘などにおける凶器としてのバットなどの使用があることは否めないといえよう)。
 つまり、『野球とはピッチャーとバッターの一騎討ちである』と誤解され、ルールも『三球でバッターをダウンさせればピッチャーの勝ち、その前にピッチャーを倒せばバッターの勝ち』というアナ―キーなものとされたのである。
 そしていま、彼らは過去の決闘をそのさらに過去にて行おうとしていた!
「これでぼくが勝てば……文句はいいっこなしだな?」
 ボールをもてあそびながら、光輝。
「ああ。好きにしな」
 バットを握り直しつつ、達矢。
「なら……」
「……行くぞ!」

 先に仕掛けたのは、光輝。
「やっ……」
 気合一閃、ふりかぶって初球を放った。
(速い!)
 身をひねってかわす、達矢……
「ぐっ!?」
 突然、背中に激痛をおぼえ、達矢は身体を折り曲げる。
 避けたはずの球が、なぜか彼に直撃していたのだ。
「ふふっ……どうした?」
 微笑を浮かべながら間合いをとる光輝。
(変化球だと……?!)
 まさか、そんな高等技術を光輝が習得していようとは?
「きみだけが野球ファンではないということさ……」
 考える間もなく、第二球!
 達矢、なすすべもなく、立ち尽くし……
「う!?」
 だが一瞬ののち、悲鳴をあげたのは光輝!
 打ち返された球が、右足に命中していたのだ。
「ぐっ……まさかっ?」
「甘いな。握り方さえ見れば……球種は読める!」
 バットを杖がわりに立ちあがり、吼える達矢。
「ふっ……ふふっ、さすがに……年季の入ったファンは違うというところか! だが……それなら……真っ向勝負あるのみ!」
「おお……来いっ!」
 ぐん、と足をかかげる光輝。
 バットをかかげ、待ち受ける達矢。
「……てぇっ!!」
 解き放たれた白球が、風を裂いて飛び――
「…………!!」

 先に身を起こしたのは、達矢だった。
 額に手をやると、案の定、ぷっくりと腫れている。
 ――やはり、ヘルメットは必須らしいな。
 痛みをこらえながらそう述懐していると、光輝のほうも起き上がってきた。
「くっ……」
 どてっ腹に、達矢の投げたバットがめり込んだのだ。苦しげなのも道理ではあった。
「大丈夫か?」
「そんなわけが……ないだろ」
「それもそうだ」
「まったく……」
 ふう、と光輝は息をついた。
「しかし……引き分けか? これは」
 だろうな、と達矢はうなずき、また寝転ぶ。
「ダブルノックダウンってとこだろ」
「ああ……」
 光輝もそれにならい、寝転んだ。
「ぼくは……」
「ああ?」
「ぼくは。焦っていたか?」
「かもな」
「……使命を果たすためなら……歴史を動かすためなら……何をしても許される、と思っていた……」
「ようは、ひとりでなんでも背負い込もうとするなってことさ……」
「え……」
「他人を傷つけたり……苦しめても……やらなきゃいけないことは、あるだろう。だからって、それをお前ひとりが引き受けることはないさ」
「…………」
「おれたちは……チームだろ? 個人戦じゃない。チームで……『勝利』を、つかみに来たんだろうが」
「そうだ……な」
 それを告げるために、わざわざこんな馬鹿げたやりかたをする。
 神崎達矢は、そういう人物。
「きみはつくづく……ぼくが思っていた以上に……」
「何だよ?」
「いや……」
 どこまでも広がる、朱に染まりゆく空から、光輝は自分の目を隠した。
「……バカな、男……だ」
大神 陣矢 2001/11/19月06:07 [3]


第二節「二〇〇二年、夏」返信  

【Writer:諌山 裕】


 蝉が鳴いている。
 真夏日が続いて、夜になっても湿気を含んだ空気が漂い、暑く寝苦しかった。異常気象が騒がれはじめて久しいが、毎年のように猛暑だ冷夏だと一時的な感心は引くものの、問題にされるのはビールとクーラーの売り上げばかりだ。
 パジャマ姿の理奈は、学園に隣接する学生寮の二階の窓から木立の並ぶ新鮮な風景を見ながらため息をついた。
 温暖化のことが心配され警告されているものの、この時代の人々には馬耳東風だった。排気ガスを吐いて走る車は気分が悪くなるほどに走っているし、オゾンホールが開いているとわかっていても海岸には水着姿の人々がひしめいていた。肌を黒く焼くことがファッションとして流行っていることも、理解に苦しむことだった。やがてはこの夏が夏ではなくなり、蝉の鳴き声も聞こえなくなるというのに……。
「あの鳴き声の蝉って、なんだっけ?」
 誰にたずねるわけでもなく、彼女はいった。
「たしか、アブラゼミよ。この時期におもに鳴いてるのは。初夏の頃はニイニイゼミ、秋口になるとツクツクホウシだったと思う」
 ベッドの縁に腰かけたのぞみが答えた。彼女は起きたばかりで、目頭を手でこすっている。
「起こしちゃった?」
「ううん。目は覚めてたの。というか、あまり眠れなかった」
 綾瀬理奈と桜井のぞみは、私立“聖天原学園中学校”の学生寮で、相部屋だった。男子寮には神崎達矢と津川光輝が、やはり相部屋となっていた。
「あいつら、起きたかな?」
 理奈は窓から顔を出して男子寮を見る。
「どうかしら? ふたりとも時間にはルーズだから、まだイビキかいて寝てると思うけど」
 のぞみはクスクスと笑い、あくびをしながらきく。
「いまなん時?」
「まだ六時よ。朝食まで時間があるわ。ね、外、歩かない?」
 ふたりは着替えを始める。
 彼らが二〇〇二年に無事着陸してから、三週間が経っていた。決死の覚悟のタイムトラベルだったが、その過程はあっけないものだった。
 時空確率転送機(ディメンジョン・プロパビリティ・テレプレゼンス)=通称DPTの球殻の中にはいり、小刻みに体を揺さぶられると同時に気を失った。気を失っている間に、彼らの肉体は量子レベルで分解され、存在の確率を変えられて、時間と空間を超えたのだ。厳密には超えたというのも正しくない。
 ただ、存在するべき時間と空間の座標が変更されたのだ。……二〇〇二年の時代と東京という場所に。
 失敗していれば、彼らは再び意識を取り戻すどころか、存在自体が消えていただろう。あるいは、予定された時代と場所ではなく、まったく未知の世界に飛ばされていたかもしれない。
 四人が目を開けたとき、そこには排気ガスと騒音が充満していた。倒れていた彼らは、人々に踏まれ、つまづかれた痛みで意識を取り戻した。
 出現したのは渋谷駅前の交差点のど真ん中だった。道路を横断する群衆から罵声を浴び、人の流れが過ぎ去ると、車のクラクションの洗礼を受けた。
 戸惑いながらも彼らは立ちあがり、安全だと思われる方向へと移動した。彼らには奇異の目が向けられていたが、彼ら自身が周囲の世界に驚きの目を向けていた。
 まず彼らが確認しようとしたのは、いまがいつかということだった。おどおどきょろきょろしながら、正確な年代を特定する表示を探す。
「誰かにきけばいいじゃん」達矢はそっけなくいった。
 彼は近くの売店――それは宝くじ売り場だった――に歩みよった。
「すみません。今日の日付を教えてください」
「え? 一五日だよ。ほら、サマージャンボ発売中よ。どう?」売店の中年女性が答えた。
「なん年のなん月?」達矢はさらにきく。
「おかしな子だね。今年は平成一四年、今月は七月だよ」
 女性は怪訝な顔をした。彼の発音に英語なまりがあったことで、日本人ではないと思ったのだ。
「平成一四年! ということは、二〇〇二年だ! やった! おれたちは成功したんだ!」
 歓喜する達矢は仲間のところへ戻ると情報を伝え、それをきいた彼らは飛びあがって喜んだ。周囲の人々は四人の騒ぎぶりにあきれた視線を向けながらも、関わりになることを避けるように無視した。
 そこへひとりの初老の男が近づく。恰幅のよい男の目は、達観したように鋭いものを秘めていた。
「君たち、なにか困ったことはないかね?」
 突然の接触に、四人は警戒心を露わにした。
「別になにも……。すみません、騒いじゃって……」達矢は言葉に詰まった。
 男は不自然な笑みを浮かべていた。
「立ち話もなんだから、わしの車まで来てくれないか?」
 達矢は身構えた。
「あんた、おれたちをどうするつもりだ?」
「心配することはない。わしは君たちのことを知っている。二五九九年のことも、ディメンジョン・プロパビリティ・テレプレゼンスのことも。わしが君たちをサポートしよう」
 四人は驚きとともに逃げる態勢にはいった。
「まてまて、信用しろといってもすぐには無理だろうが、君たちは孤立無援だ。ここから逃げてどこへ行くというのだね? わしの話だけでもきいてみてはどうだ?」
 理奈が一歩前へ出る。
「そんなことできると思う? あたしたちには、あなたがなに者かのヒントもないのよ。そっちがあたしたちのことを知ってること自体、信用できないわ」
「もっともだな。やはり、選抜されただけあってただの子供ではないようだ」
 男は四人それぞれに視線を向けた。
「わしは、郷田義章。私立聖天原学園中学校の会長だ。君たちの受けいれ準備は整っている。この時代では、君たちは中学生だからな。学校も行かず、ぶらぶらしているわけにもいかないだろう?」
 彼らにとっては異世界の人間である周囲の人々の中で、郷田の存在は特別の意味を放っていた。四人は猜疑心を抱きつつも、郷田の申し入れを受けいれたのだった。
「あれから三週間か……。学校はなれた?」理奈はのぞみにきいた。
 制服に着替えたふたりは、学校の敷地内にある寮と校舎を結ぶ小道を歩いていた。石畳の道の両脇にはポプラの木が並び、手入れの行き届いた芝生の中には花壇が点在している。
 郊外にある聖天原学園中学校は、緑に囲まれていた。
 心地よい植物の香りを含んだ空気を、のぞみは胸いっぱいに吸いこんだ。
「ふぅ〜、いい空気よね。地球の危機がウソみたい。学校はまぁまぁね。レベルが低いのがつまんないけど。あんなの十歳までにすることだもの」
 理奈は同意の印に肩をすくめた。
「まぁね、彼らの人生は長いんだから。ゆっくりやってるのよ」
「でも、学園生活は楽しいわ。こんなに遊んでていいのかって思っちゃう」
「そうね。達矢と光輝のはしゃぎぶりにはあきれるわ。あたしたちの使命を忘れてるみたい」
「それについては、ふたりだけを責められないわ。わたしも毎日が楽しいから」
「特にランチタイムは楽しいわね。食べものも美味しいし」理奈は微笑んだ。
「そうそう、バイオプラントの食べものとは比較にならないわね。わたし、ちょっと太ったみたい」のぞみはお腹をつまんだ。
「のぞみも? あたしもよ。クラスメートの子たちがダイエットの話をしているのが、実感としてわかるわ。美味しいものが多すぎるのよね」
 ふたりは互いの顔を見て笑った。
 あどけない笑顔には、彼らの背負っている宿命の陰はなかった。同じ一四歳であっても、現代の一四歳とは意味も重さも違っている。しかし、ふたりはそのことを考えないようにしていた。いまのという時間を楽しむこと、そして周囲の環境に馴染むことが第一だったのだ。
 二六世紀末とはあまりに違う生活環境や風習、さらには言葉の使い方まで、実地に学ばなければならないことはたくさんあった。彼らが事前に学習した過去の歴史では曖昧な部分も多々あり、記録にも残っていなかった時代独特の空気があったのだ。
 彼らは帰国子女扱いで学校に編入された。それは不自然な行動や言葉のイントネーションの違いを説明するには、格好の理由だった。
 郷田の勧めではいった学校だったが、彼は謎の多い人物だった。なぜ彼らのことを知っていたのか、なぜ彼らの出現する場所と時間を知っていたのか、郷田は多くを語ろうとはしなかった。そのことは不信感にもなったが、利用できると四人は判断した。
 ひとつだけ郷田が明言したことは、彼ら四人が最初ではないということだった。以前に来た未来人がどうなったかについては、言葉を濁した。だが、想像はついた。十年前に来たのであれば、生きている可能性は低いからだ。
「面白い授業とかある?」理奈は話題を変えた。
「家庭科かな。先生が面白いし、けっこう好きだな。ときどきハチャメチャだけど」
「ふ〜ん。料理とかってすることなかったもんね。あたしは理科の立原先生が気になってる。だって、あの歳であんなに若々しくてセクシーなんだもの。信じられない。昔はあんなふうに歳を取ってたんだなって」
「ほんと。ちょっとうらやましいね」のぞみはうなずいた。
 理奈とのぞみは、十年後の自分がどうなっているかは想像したくなかった。
 朝のすがすがしい空気は、日射を強めた太陽によって徐々にはぎ取られていく。蝉の鳴き声が一段と大きくなり、抜けるような青空にはまばらに白い雲が浮かんでいた。
 理奈は目を細めて天空を見あげる。
 青く塗られた空の向こうに、彼らの生まれ育ったコロニーはまだ存在しない。それでも郷愁を感じずにはいられなかった。決して楽園ではなかったが、彼女の故郷には違いないのだ。
「ここは楽園ね」
 理奈はひとりごちた。
 その楽園が、束の間の世界であることを彼女は知っていた。見えていても、辿りつくこともつかむこともできない、虹のようなものだと。
 理奈はいまこうして生きていることの実感のなさに、我ながら驚いた。かといって、未来の世界でどれほどの実感があったのかも自信がなかった。
 たしかなことは、ここが二〇〇二年の夏であるということだった。空は澄み、空気は新鮮で、緑も多い。五感で感じる世界が現実なのだと、自分にいいきかせる。
 湿気を含んだ風が、理奈の長い髪をなびかせた。
「今日も暑くなりそうね」
 ふたりは歩いてきた道を寮へと戻っていく。
 昨日と同じように始まる一日でも、昨日とは違う今日。その積み重ねで日々が月日となり、年月となっていく。些細な変化が未来を変えるのだ。
 彼女たちはそのことを誰よりも知っていた。
諌山 裕 mail 2001/11/13火06:04 [2]

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