【HOME】 【net-novel TOP】一覧 内容 新着順
NOVEL AIR【net-novel-1】


パネル   投稿        ページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9

リレー小説『ラスト・フォーティーン』のページです。
本作は2001年11月3日〜2002年7月8日に渡って、週刊連載されたものです。
本作品に対する、ご意見、ご感想等は、「BBS2」に書き込みしてください。
執筆陣⇒諌山裕/水上悠/森村ゆうり/大神陣矢/皆瀬仁太
【設定・紹介ページ 】【各話人気投票】【キャラ人気投票】


第二五節「秘密」返信  

【Writer:森村ゆうり】


 カリカリという小さな音がはてしなく続く、緊迫した空気に占領された教室で、生徒たちは本分である学習の成果を示す試験に取り組んでいた。
 天原祭が終わるとすぐに学園は中間考査のテスト期間に突入する。生徒にも教師にものんびりする暇は与えられない。天原祭で浮かれきった気分を引きずったまま、試験に突入してしまう生徒も少なくなかった。
 そんな生徒たちの尻をたたき、勉強へと向かわせながら教科ごとの試験範囲の取り決めを行ったり、手分けして試験問題を作成したりと教師たちも連日遅くまで職員室に残り仕事をこなす日々が続くのだ。
 そんな日々も、あと数十分で終わりを告げる。
 青く澄んだ空が美しい。
 菅原は教室の窓から見えるどこまでも続く青空に深まる秋を感じていた。
 普段は特別教室で授業をしている菅原は、滅多に足を踏み入れることのない二年一組の教室で試験監督を任されていた。
 この時間が終われば、中間考査の全ての日程が終わる。三日にわたって行われる試験の最終日、最後の科目は理科だ。
 開始から十分程しか経っていないこの時間は、まだ生徒達は問題に集中しているため、菅原はなるべく音を立てないように注意しながら机間巡視をする。
 試験監督は、暇との戦いだ。
 菅原は、3ヶ月ぶりに入った二年一組の教室の様子を眺めたり、窓の外に視線をやったりしながら時間を過ごす。
 天原学園の試験監督中の決まりごとでは、監督中に他の仕事などをすることは禁止されている。試験中の不正行為の取り締まりや不測の事態の収拾に努めるのが、監督を任された教師の役目だ。
 とは言え、不正行為も不測の事態もそうそう起こることではなく、せいぜい生徒が落とした消しゴムを拾ってやったりするくらいしか監督の仕事はないのだ。
 それでも菅原は家庭科教師で、一般教室に入る機会が少ないぶん、教室の後ろに掲示してある生徒の書道作品や忘れ物記録グラフを見て、時間を潰せるぶんましと言えるだろう。
 天原祭が終わったばかりのこの時期には、どの教室にも写真が掲示されていて、焼き増しして欲しい写真の下に生徒の名前が書かれていたりする。二年一組も例外ではなく、やはり写真が張り出してあった。
 菅原の目に留まったのは、立原のセブン・オブ・ナイン姿の写真だった。
 なんで、ここにはこんな写真があるんだ。 彼は、叫びだしたい気持ちをぐっと押さえる。菅原がどんなに頼んでも立原はそのコスプレ姿を写真に撮らせてくれなかったのに、この教室には少し照れ臭そうにした立原が二年一組の生徒とおぼしき数名と写真に収まっているのだ。
 やっぱり、よく似合っているよな。
 あまり長い時間一ヶ所でじっとしていては、生徒に不審がられるため、菅原は、急いで胸ポケットに差してあるボールペンをとりだすと、その写真の下に自分の名前を書き込んだ。そして、何食わぬ顔で机間巡視を再開する。
 待望の写真を手に入れられる喜びが、菅原の表情を緩ませた。
 理科や社会の試験は、問題を解き終わる時間に生徒によってかなりの差があり、そろそろ全てを解き終わった生徒がではじめたころ、教室の扉が静かに開いた。
 教科担当の教師は、試験中に各教室をまわり生徒の質問に答えたり、内容がわかりにくい問題に関しての注釈をしたりするのだ。二年一組には副担任でもある立原が現れた。
「ご苦労様です」
 二人は小声で挨拶を交わした。
「えー、問五の括弧二の問題ですが、一部印刷が薄くなっていて読みづらいという指摘がありました。その部分は記号で答えないさいとなっていますので、答えは記号で書いて下さい。他に質問があるものは挙手してください」
 立原は手を上げた数名の生徒のもとへ行き、なにやら生徒の質問に答えている。挙手している生徒がいなくなると、しばらく机間巡視をしてから「それじゃ、最後まで頑張って取り組んで下さい」生徒達に言葉を残し、菅原には「よろしくお願いします」と声をかけて教室を後にした。
 担当教師の巡回が終わると、それまで漂っていた緊迫した空気が少しだけ薄れる。特に理科や社会といった教科は、知っているもしくは覚えている部分を答えてしまえば、後は手の打ちようがなく、時間だけを持て余すものだ。立原が訪れる前から、すでに問題を解き終えたらしい生徒達が手持ちぶさたに、答案用紙の裏に落書きをしたり、机に俯せていたりする姿があった。
 さらに時間が経過した今、大半の生徒が問題を解き終えたのであろう彼らの頭の中は、すでにテスト終了後の予定でいっぱいなのが、簡単に見て取れる。
 そんな中、菅原に注がれている三つの視線があった。やはり早くから問題を終わらせた様子の津川光輝と綾瀬理奈、加えてジャネット・リーガンの三人だ。
 試験監督中、暇を持て余した生徒の視線が痛いのはいつものことだが、今、この三人が菅原におくっている視線は、慣れ親しんだ感覚とは違うもっと真剣なものだった。全てを見通そうとでもしているようなその眼差しに、さすがの菅原も戸惑いを覚える。
 食材の品定めをするのは好きだが、自分がここまで品定めされるのは、どうもいたたまれない。
 教壇に戻りながら菅原は思う。
 言いたいことがあるのならば、はっきり言って欲しいものだ。
 試験の最中でなければ、菅原は三人に問いただしていただろう。それくらい三人の視線は菅原に絡んでくるのだ。
 教壇の左側の壁に掛けられている時計の針が、ぴくりと一目盛動く。この時限も残り僅かだ。カタカタと小さな音を立てて、鉛筆や消しゴムを片づけ始める生徒もいた。
 かちっ。スピーカーがオンになる僅かな音が聞こえたすぐ後に、終了を告げるチャイムが鳴り響く。
 生徒たちの大きなため息が聞こえた。
「はい、じゃあ鉛筆を置いて、クラス、出席番号、名前、きちんと記入してあるか確認したら、答案用紙のみ速やかに後ろから回収して提出」
 菅原は、お決まりの台詞で生徒に指示を出す。長く退屈な試験監督の任からようやく開放される安堵感で、生徒同様彼自身もホッとしていた。
 集められた答案用紙の番号と名前を簡単に確認する。
「それでは、終わります」
 菅原の合図に、クラス委員の号令で挨拶を済ませると、生徒達は今終わったばかりの試験の内容について話ながら、席を移動し、帰り支度に入っていく。
 菅原は、出席簿と答案用紙を抱えてて二年一組の教室を出た。
 もしかしたら、放課後3人からなにかとんでもない話を持ちかけられるかもしれないという予感を抱きながら、菅原は職員室に向かったのだった。

「はい、立原先生」
 職員室に着いた菅原は答案用紙をすぐさま立原に手渡した。
「ありがとうございます。特に何もなかったですか?」
「ええ、いつも通りですね。何かあったほうが、こちらとしては面白いんですけどね」
 冗談めかして言う菅原を立原が少し睨んだ。
「忙しいんですから、冗談は程々にして下さいよ。菅原先生。それから、一組の天原祭の写真ですけど、教師は焼き増したのめませんから」
「ええっ! そんな……」
 しっかりチェック済みな所業に釘を刺されて、菅原は大げさにがっくりと肩を落として見せる。もちろん教師は焼き増しを頼めないという決まりはない。
 ふざけてばかりいる菅原をいさめる方便だが、菅原の方もそれを承知の上で大仰に振る舞っている。
「お茶を入れてきますから、そんなこと言わないで下さいよ。立原先生」
「お茶菓子付きなら考えてもいいですよ」
「分かりました。手を打ちましょう。昨夜、作ったフィナンシェを持ってきています。特別にお分けしましょう」
 菅原はごそごそと机の下から、ピクニックにでも行けそうな大きさのバスケットをとりだして笑った。
 実を言えば、定期考査の最終日に菅原が手作りおやつを持参して、お茶と共に職員に振る舞うのはここ数年の恒例行事なのだ。中間考査の時は、特に手の込んだお菓子を用意してくる。
 中間考査には家庭科は含まれない上、部活動もない菅原は、普段よりも早く仕事が終わるような状況なのだ。そんな理由で、菅原はバスケットを開いて立原にフィナンシェを二つ手渡した。
「今、お茶を入れてきますから」
 菅原はそう言うと嬉々として給湯室に消えていった。
「不思議な人だ」
 呟きに顔を向けると、いつの間に現れたのか、立原の目の前には津川光輝が立っていた。
「津川くん……、どうしたの?」
「いえ、たいした用事ではないのですが…、菅原先生に…」
「菅原先生?」
「はい。……お忙しそうなので出直してきます」
「すぐに戻ってくると思うけど…」
「やはり、出直します」
 津川光輝は、引き止めようとする立原の言葉には耳をかさず、さっさと職員室から出て行ってしまう。
 光輝が出ていって、いくらも経たないうちに菅原はトレイにたくさんの湯飲みやマグカップを乗せて戻ってきた。立原だけでなく他の職員の分のお茶も入れてきたようだ。
「どうかしましたか、立原先生」
 立原愛用の大きなマグカップを手渡しながら、菅原は立原に訊ねる。
「津川が……」
「津川が来ましたか?」
「ええ、先生と入れ違いで」
「何か言ってましたか?」
 試験監督中の津川たちの様子からすれば、あり得る話だ。
「また出直して来ると、言ってましたけど」
「そうですか」
「なんだか、いつもの津川らしくなかったけど、菅原先生は何か御存知なんですか?様子が変でしたけど」
 副担任らしく、普段と違う生徒の様子に敏感に気が付いた立原が訊く。
「まあ、あの転校生たちはいつでも変ではあるでしよう」
「そうですけど」
「試験中、やけに僕のことを見てるなあとは思ってましたが、特に心当たりはないですね」
 全く心当たりがないと言えば嘘になるかもしれないと、菅原は思った。
 たぶん、郷田会長がわざわざ菅原と立原を呼びつけて話した特別事情というものに関係しているのではないかと思われたが、郷田からはあれっきり何の話もない。天原祭での音響トラブルの件もうやむやのままだ。これらに関係した相談なのではないかと予想している。
「とにかく、津川から何か相談された時はよろしくお願いします」
「分かりました。放課後にでも僕から話しかけてみます」
 菅原の言葉を区切りにして、せっかく用意してきたお茶が冷めないうちに、職員室は全体的に休憩時間へと移行していったのだった。

 定期試験が終わった日の放課後は、久々に賑やかな生徒の声が溢れて活き活きとした雰囲気が校内に満ちる。運動部も文化部も今日から部活が再開される。
 菅原が顧問をしている手芸部と料理研究会の正式な活動開始日は明日からだったが、彼は家庭科教官室の鍵を持って職員室を出た。明日からの活動準備を名目にして、中間考査期間中はあまり利用できない菅原のお気に入り空間でのんびりしようという魂胆である。
 調理実習室の奥にある家庭科教官室には、入り口が二つ有り、生徒たちは調理実習室の中にある入り口から出入りし、菅原はそれとは別の反対側の廊下に面した入り口を利用する。
 菅原はいつものように廊下側の入り口の鍵を開けて中に入った。
 調理実習室から数名の人の気配を感じた。
「ホントに大丈夫だと言いきれるの?」
「大丈夫だと思う」
 何やら話をしている声が、家庭科教官室まで届いていた。向こうの方は、話に夢中になっているのか隣の部屋に入ってきた菅原には気付いていないようだった。
「協力者は多いほうが、情報も得やすいと思う」
「多すぎても、歴史に干渉しすぎることになるわ」
「歴史への干渉を問題にするなら、このプロジェクトは最初から行われなかったってことだろ。郷田さんにも相談してみたけど、菅原先生なら大丈夫だろうと言っていた」
 菅原は突然自分の名前が出され驚きながらも、調理実習室にいる生徒の目星がつきはじめる。
「それなら立原先生にも話してもいいんじゃないの? 郷田さんは、あの二人をかなり評価しているわ」
「立原先生の前に菅原先生に話したほうがいいと思うんだ。彼女は二一世紀現在の理論に縛られている所がある。ぼくたちが秘密をうちあけたとき、その理論が邪魔をする可能性が高い」
「菅原先生にはそれがないというの?」
「ないとは言いきれないけど、少なくとも興味は持ってくれるだろう」
「興味? そんなもの持ってもらっても仕方がないんじゃない」
 聞けば聞くほど理解に苦しむ会話だったが、彼らの話し合いは真剣そのものだということは菅原にも感じ取れた。
「仕方ないことよ。バカにされず、興味を持ってもらえるだけでも、わたしたちにとっては有益なことじゃないかしら、二六世紀から来たなんて言っても信じて貰えないのが普通というものでしょ」
 二六世紀……?
 そのあまりに現実離れした会話に、菅原は自分の耳を疑った。
 彼らは何の話をしているんだ。
 菅原は、気配を殺して調理実習室の会話に聞き耳を立てていたのも忘れて、胸ポケットからたばこを一本取りだし、百円ライターで火を付けた。
 ライターの音は存外に大きく室内に響く。
 調理実習室の会話が止まった。
「そこにいるのは誰だ!」
 どうやら見つかってしまったらしい。
 菅原は、たばこを深く吸い込んで一気に吐きだし、調理実習室に続く扉の鍵を開けた。扉を開いて彼らの前に姿を見せる。
 驚きと戸惑いをにじませた八つの瞳が、菅原を見詰めていた。
「す、菅原先生……」
「詳しい話を聞かせてもらおうかな」
 菅原はそれだけ口にすると、再びたばこを吸い込んで、煙を吐きながら教壇の椅子に腰掛けて、四人の生徒が口を開く瞬間をただ辛抱強く待ち続けたのだった。
森村ゆうり 2002/04/22月02:51 [26]


第二四節「ある夜のイヴたちへ」返信  

【Writer:皆瀬仁太】


 晩秋。
 風に揺れる紅葉が、濃く、鮮やかだ。
 もみじ葉は、美しく色づいて来た季節と冬とを隔てる、境界線といえるのかもしれない。やがて本格的に葉は降りはじめ、生じた隙間から少しずつ冷たい風が吹き込んで来るのである。

 また、冬が来る――。
 そんなつぶやきが聞こえたような気がした。
 
 また、ふたたび、繰り返し……いつまでも巡る季節。
 それが幻想であることは、誰でも知っている。知ってはいるが、「形あるものはいつか……」という程度の、実感を伴わない、漠然とした意味でのことだった。
 この歴史の延長上、たかだか四〜五百年先に幻想の終焉が訪れることなど、フィクション以外にはありえないの世界観なのである。
(警鐘を鳴らしたらどうだろう?)
 怪しげな宗教活動と思われてしまうだろうか?
 もしかしたら、いまの人々にとっては四百年先も、たとえば地球や太陽が星としての寿命を終えるぞ、というくらいに実感のない話なのかもしれない。
 だからこそ、二十六世紀は死にかけているのだろう。

 警鐘は鳴らしているの。不安を感じている人も増えている――。

 午前二時二十五分。目を覚まして、かたわらの少女と話している。
 そんな夢を見ていた。
 夢であることを自覚しながら。
 夢でないこともまた、自覚しながら。

 季節の永遠(とわ)の循環。
 幻想。
 もし、それが人々の願いになったとしたら、歴史は変わるのではないだろうか?

 祈り。祈りにならないと。祈りにしないと。
 祈りになれば、歴史は変わるの?
 ううん。分岐点が見えるの。
 分岐点?
 そう。どっちにいくかの分岐点。
 どっちにいくか? そこを間違えなければ破滅は避けられるのね?
 違うよ。
 違う?
 うん。どこを選んでも破滅だもの。

    * * *

 なぜ地球にこだわるのか?
 コロニーに生まれ、コロニーに育った人々には、ときとしてそれは滑稽なことであった。 より安全な環境をつくることにこそ、予算と時間と人材を割くべきではないか?
 たしかに平均寿命を最盛時と比較すれば、四分の一程度にすぎない。しかし、その分、生きている密度の濃さが違うのだ。長寿だが無気力だった時代の、何倍ものアカデミックな、あるいは芸術的な成果が残されている。
 なにより、もともと二十数年の平均寿命として生まれて来た彼らには、現在の状況が普通であり、大昔の長命族のように生きようとは思わないのである。
 こんな思想が少しずつ芽を出しはじめていた。
 この思想を支えるのは、「人類の寿命は、これ以上短くならない」という、ある学派の出した結論であり、その結論の信憑性は、彼らがバイオハザード以前のヒト遺伝子の大量入手に成功したために百パーセントである、といわれている。
 ただし、このことは噂の域を出ていない。いや、むしろ噂にとどめようとしている節があった。理由は単純に国益がらみといわれている。
 彼らは、自分たちの優位をリセットされることを当然好まず、イヴ・プロジェクトに対して警戒心を持っていた。警戒心が、敵対に変わるのは、プロジェクトの影響が人類の歴史全般におよぶ可能性が極めて高いという計算結果のためであった。

    * * *

 個人の利益のためにプロジェクトを妨害するなんて許されるはずがないわ。
 でも、それが現実なの。それより、人は滅亡しないかもしれないの。このままなにもしなければ。
 ……。
 人にとってはどっちがいいのかな? 正義が滅ぼすのと、悪が救うのと。
 違うわ。違う。間違ってるわ。
 なにが?
 人の根源に手を加えること、それが間違いだったから、滅亡しかけていたのよ。また同じことを繰り返すだけじゃない。
 そう思う?
 ええ。わたしたちのやってることがマイナスだったなんて思いたくないけど、もし、未来が救えるなら、任務を放棄したっていい。でも、その方法は間違ってる。また同じように人は手を加えられてゆくわ。今度はうまくいくはずだ、ってね。
 うまくいって繁栄するかもしれないのに?
 うまくいかないわ。
 わかるの?
 わかる。
 そうね、正解。
 え?
 だって、そんな美しい未来、だれも視ていないもの。

    * * *

 歴史が書き換えられるということは、人々の喜怒哀楽のすべてが無に帰することでもある。それまで存在していた彼らを消してしまっていいのか? そんな権利は我々にあるのか?
 人権派と称する連中のこの運動は、意外と反響を呼んだ。賛否両論の反響である。
 歴史を変えるなどということをせずに救われる道がないか、もっと考えるべきだ、という主張は、正論だった。しかし、では代案があるかといえば、そこは空洞だったのである。
 その空洞部分にはめ込まれたのが、ヒト遺伝子の先祖返り計画だった。
 過去へ送る連中に、その時代の遺伝子のできるだけ多く未来へ残す作業をメインにするよう計画を切り換えるべきだ、と主張しはじためのであった。この主張は、しだいに賛同者を増やしつつあった。

    * * *

 あなたが失敗できない理由。新しいチームは遺伝子確保の方向で動くの。もう、あなたたちの仲間は来ない。それに危険。
 どういうこと?
 イヴ・プロジェクト自体をつぶすことを目的にしたチームもあるの。あなたたちが危険なの。
 そんな……。
 でも、あなたたちだって、イヴの抹殺だって考えていたでしょ? 同じこと。
 違うわ!
 違わない。
 違う。いまはイヴをどうこうしようなんて思ってない。それは情報不足だったから考えたひとつの可能性だわ。でも、間違ってた。イヴをどうにかするんじゃない。イヴといっしょにやらなきゃいけないんだわ。
 なんでそう思うの?
 わからない。でも、あの声がイヴだったとしたら。
 だったとしたら?
 イヴはあたたかかった。
 イヴはあたたかいの。でも、プロジェクトはあたたかくない。
 どういう意味?
 イヴ・プロジェクトはね――

    * * *

 歴史が書き替えられる可能性がかなり高い確率で存在することが示唆されていた。それは避けなくてはならない。いらない人間は滅べばいいのであって、すべてをリセットする必要はないのだ。
 イヴの芽はつまなくてはならない、評議会はそう結論した。
 ミレニアム・イヴ抹殺計画、これが本来のイヴ・プロジェクトなのだ。ゆえに、過去に送り出されるチームには、深層意識下に命令が刷り込まれている。
 ――まことしやかにそんな噂が流れた。
 真偽のほどは、恐ろしいことに、定かではなかったのである。

    * * *

 ……そんなバカなこと。
 どうかな? ほんとかな? うそかな?
 嘘に決まってるでしょ。
 嘘じゃないところもあるの。
 ……
 いるのよ、意識の下にイヴに敵対する刻印をされているひとたち。あなたのまわりにも。
 嘘よ!
 どうかな?
 信じない。
 それもいいかもね。
 ……
 ……
 ……
 ……
 ……ねえ。
 なあに?
 あなた誰なの? イヴじゃないの?
 イヴじゃない。だって――
 だって?
 イヴはあなたの中にいるんだもの。

    * * *

 午前六時。
 のそみは目を覚ました。

 理奈は目を覚ました。

 キャサリンは目を覚ました。

 ジャネットは目を覚ました。

 そして次々と……。
皆瀬仁太 2002/04/15月06:05 [25]


第二三節「未明の綾瀬」返信  
 

【Writer:大神 陣矢】



 綾瀬理奈はつと躊躇った。
 手をいちど引っ込め、……しかしややあって再び手をドアへ差しのべる。
 その部屋つまり十四号室は、彼女たちが暮らす聖天原学園女子寮A棟の真ん中に位置しながら、長らく空き部屋であった。
 というのも、二十年ほど前のこと、この部屋にいた学生が不慮の事故により命を失うという事件があり、以来新たな住人が入るたびに、不幸な出来事に遭う……という噂が絶えなかったせいだ。
 ある者は原因不明の病を得て入院し、またある者は階段を踏み外して大怪我を負い、かつまたある者は実家が破産し、一家離散の憂き目をみた……という。
 それらはけっして信憑性ある話ではなかったけれど、じっさい学生たちはこの部屋を用いることをいとい、また学園側も無理に生徒を割り振ることはなかった。
 十四号室は、いわば女子寮の『聖域』として、長いあいだ放置されてきたのである。
 ところが現在の入居者は、くだんの噂をはばかるどころか、
 ――ひとり部屋のほうが気楽ゆえ。
 という、ただそれだけの理由で、この部屋をねぐらにすることを決めた。
 ――『たたり』が怖くはないの?
 と驚きまた感心する他の生徒らに、彼女はさして誇るふうでもなくいった。
 ――そもそも、たたりとか呪いといったものに『感応』し、その影響を受ける人々は、おしなべて感受性がつよいものだ。かれらは提供された『反射物』としてのたたりとか呪いに自分自身の感性を投影し、みずからの手でそれを実効たらしめてしまう。そこへゆくと、私のようにどうにも不粋な人間は、そうした反射物に対してきわめて鈍感だ。それだけのことであり、さほど誇ることではないよ。
 十四歳の少女としてはいささか大人びた、というよりは老成した見解であったが、ひとは彼女が外国育ちという触れ込みであることから、なんとなく納得することにした。
 それが実際は、見かけからは想像もつかぬ数奇な体験によってつちかわれた他に例をみない独特の性質のあらわれである、と知っている者はごくわずかにすぎぬ。
 その数少ないひとりである理奈は、この個性の持ち主に敬意と好感をいだいてはいたが、また同時にすくなからぬ負の感情を抱いてもいた。それは無自覚的なものであり、それゆえにいっそう深刻なものでもあったのだけれど。
 そしていま理奈は、ひとつの決意を秘め、彼女を訪ねようとしている。
 なおしばらく躊躇ったすえ、彼女はノックとともに住人の名を呼んだ。
「……御子芝さん、起きてる? 綾瀬だけど」
「ああ。何だ?」
「ちょっと、話があるんだけど……いい? 大事な、話なんだけど」
 かまわんよ、との返事に、理奈はドアを開き……
「!」
 そのまま、絶句した。
 床いちめんに広げられた布の上に、数知れない金属製の物体が並べられている。
 それは瞬時に、刃物、飛び道具のたぐいだと見て取れた。
 日本刀、脇差、手裏剣、暗殺用器具……銃器などは見当たらないが、それでもこの時代の『護身用武器』の域を超えた品々であることは一見して明らかだった。
 物心ついたころから武器の取り扱いにかんしてはさまざまな訓練を受けてきている理奈だが、二一世紀に来てからこれほどの武装を見たことはない。
 あっけにとられている理奈とは対照的に、部屋の主は涼しい顔で太刀を分解し、手入れをほどこしている最中だった。その手を休めることなく、
「すまんが、閉めてくれるか? さすがに、他の生徒に見られるのは不都合なのでな」
 言われて、あわてて後ろ手に扉を閉める。と同時に、言葉が口をついて出た。
「こっ、これ、何?!」
 理奈にしてみれば当然の疑問だったが、御子芝は彼女が指差す武器の数々を一瞥し、不審げに問い返した。
「見てのとおり、得物だが」
「それっ……それはわかるけどっ。いや、そのええと」
 理奈は頭をかかえ、うずくまった。これも一種のジェネレーション・ギャップということになるのだろうか、などとムダなことは考えず、混乱した思考をまとめることに専念する。
「うん。えーっと、いくつか聞きたいことはあるけどとにかく順を追うことにするわ」
「そうしてくれると」太刀を組み立て直しながら、御子芝。「ありがたいな」
「じゃあ……まず質問その一。これって……本物?」
「いかさま」
「……質問その二。どこから、どうやって、調達してきたの?」
「話せば長くなるが、かまわぬかね?」
「……どれくらい?」
「さわりだけでも小一時間、というところか」
「……じゃいいわ。そして質問その三.……これ、どうするの?」
 ぱちり、と鞘に太刀をおさめ、御子芝樹は静かにいった。
「持って行くのさ。置いていくわけにもいくまい?」


「やあ、アンディ」
 その声は、すぐ背後からだった。
 アンドルー・ラザフォードは、びくりと身を震わせ、周囲をうかがった。
 ふいに思い立った夜歩きのさなか、学園の裏手の林のなかをうろついていたおりである。
 だが、たとえば宿直の教師であるにしては、声がいささか若いようだった。
 しかし彼は相応に注意をはらって歩いていたのであり、にもかかわらず背後をとられ、かつ、かなりの接近を許していたことに、驚いていた。
「――誰だ?」
 声を、荒げていた。それは相手に対してというより、自身のうかつさに対する憤りが大きい。
「――そう、大声を出さなくてもいい」
 含み笑いととも、月明かりのなかに人影が浮かぶ。黒髪の少年。
 見たところアンドルーと同程度の年代と思われた。見かけ華奢なつくりだが、そのまなざしには印象的な力がある。
 面識はなかったが、彼はこの人物を知っている。――
「……高千穂、涼か」
 少年はククッ、と喉の奥から搾り出したような声で笑った。それにともなって浮かんだ笑みは、不敵とも邪悪ともつかぬ妖しいもの。その視線は少年にしては深い……それも棲んだ湖などではなく、濁りよどんだ沼のような、深さ。
(……厭な、男だ)
 直感的に、アンドルーはそう思った。
 高千穂の『経歴』は心得ている。その数奇きわまる体験ゆえに、常人とは隔離した性質の持ち主であるジャンパーだと。
 常人ばなれ、ということであれば、アンドルーも、また彼の仲間たちもおさおさ劣るものではない(なにしろ、二六世紀人だ)が、おなじジャンパーでも、この男は決定的に異質だ、と。
(――御子芝樹とは大違いだな)
 やはり面識こそないが、同じ境遇の御子芝に対してはアンドルーはけして悪感情を抱いてはいない。それはフェミニズムとはおよそ無縁なことであって――もっと本質的な、人間性の問題だ。
(彼女は信用できる)
(だが、この男は……)
 つかみどころがない。得体が知れない、といってもいい。
 彼は相棒のゲーリーや、綾瀬チームでいえば神崎のような、わかりやすい人間を好むところがあった。
 それはけっきょく、一種の近親憎悪でもあったが――ともあれ、彼は不快感を隠しもせず、いった。
「なにが、おかしい?」
「いや、別に。……声をかけただけでそう怖がることもなかろうと思ってねぇ」
 思い出し笑いをこらえるふうな高千穂に、アンドルーは怒気をぶつけた。
「なんだと。……オレが怖がっていたというのかッ?」
「ああ……そういう表現がお嫌いなら、怖じていた、とでも言い換えようか」
「貴様ッ」
 拳を握り締めた彼に、高千穂はおやおやと言いたそうに肩をすくめる。
「ムキになるなよ、アンディ。リーダーには冷静さが不可欠だぜ?」
「余計な……っ」
 お世話だ、と言いかけて、アンドルーは口をつぐんだ。
 ――というのも、彼が寮を抜け出し、こうして出歩いていたのは、べつだん月夜のそぞろ歩きに興をぼおえたからではない。
 チームのリーダーとしての責務。……それを、最近の彼はとみに痛感するようになっている。
 やるべきことは多数ある。しかし、そのために残された時間はわずかだ。彼らは、進むべき道、とるべき行動を選択せねばならない。……そして、『もう一度』はない。
 決断。それはもちろん、チームの面々それぞれが考え、またともに検討すべきことではあるけれど、最終的な決断は――リーダーに託されるだろう。
 重い、決断。
 その重さ、心にのしかかるプレッシャーからをほんの少しでも逃れたくて、彼は夜歩きをしていたのだった。
 それを察知されたのかと思い……アンドルーは思わず、高千穂の顔を睨みつけた。
 彼の眼光につらぬかれてもいっこう悠揚せまらず、少年はフフ、とほほ笑んで
「ま、……気持ちはわかる。きみのように頭の切れる、しかし図太さに欠けた人間が指導者を努めようとすれば、否応なく、窮する。まして若ければなおのこと」
 利いた風な口を、と思いつつも、アンドルーは内心なかばは同意している自分に気付いていた。
「若さは無条件の活力と希望を保証する……が、それらは要求しなければ手に入らぬし、手に入れなくとものちのち請求だけはしっかりされる。面倒なものだねぇ」
 アンドルーは首を振った。これ以上、この男の話を聞いていると、いらぬ影響を受けそうだった。
「……言いたいことはそれだけか? あいにく、オレも暇じゃない」
 言って、きびすを返した彼の背に、高千穂の声が聞こえた。
「――綾瀬理奈は」
「……なに?」
 足を止めた。続く、高千穂の声。
「彼女の、リーダーとしての資質は……どうだろうな」
 アンドルーに聞かせるようでも、独り言でもあるような口調。
「それは今夜、明らかになるだろうね――」


「……ここを、出る!?」
 綾瀬理奈は、今夜何度めかの絶句をした。
 ああ、と御子芝は淡々と答えた。受け答えのあいだも、装備を次々リュックに放りこんでいる。
「郷田氏には、話をつけてある。しばらく休学、という形になるだろう」
「で、でも、どうして!?」
「ああ、出る、という言い方は妥当ではなかったかもしれんな。むしろ、潜る、というべきかもしれない」
「……潜る?」
 そうだ、と御子芝。「私は地下に潜む。お前たちの使命を、陰ながらサポートすることになるだろう」
「どうしてそんな、……あ」
 言いさして、理奈は思い当たるところがあった。以前御子芝に聴いた『M.E.G』なる結社。その調査だと言うのか。
「そうだな……だが……」
 御子芝は言葉をにごす。「たしかに『M.E.G』は気になっている。しかし……」
「しかし?」
 いや、と御子芝は明言をさけた。「まだ確証はない。いわば、予感にすぎない……が、あいにく私の悪い予感はよく当たるのだこれが」
「そんな、けど……」
「ああ、心配はいらん。潜伏場所もちゃんと調達してある」
「いや、そうじゃなくて……」
「連絡方法については、いずれ――」
「……ねえッ!!」
 突然怒気混じりの声を浴びせられ、さすがに御子芝も手を止めた。
 審げな目で見つめられた理奈は、ふいに冷静さを取り戻し、……うつむいた。
「ご、ごめんなさい。……大声、出して」
「らしくもないな」
 御子芝は立ち上がり、理奈の肩をに手を置いた。その細い肩は小刻みに震え、いかにも頼りなげだ。
 右手どうしが重なる。理奈の手。それもまた、弱々しく力なく。
「事前に相談しなかったのは、悪かったと思っている。しかし――」
 そうじゃない、とか細い声。「そんなことは……いいんだけど。でも……あたしは……」
「ああ、話があると言っていたな。……何だ?」
 理奈は答えず、右手に力をこめた。うかがえるのは、……迷い。
「綾瀬、悩みごとなら……」
 理奈は手をひいた。そして顔をあげると、
「……ううん、いいや。やっぱりっ」
 言って、ほほ笑んだ。


「――のぞみたちには?」
 学園裏手の林。そこに理奈と旅支度の御子芝はいた。
「永久の別れというわけではない。かまうまいよ」
「そうね……」
 笑顔をつくりつつも理奈は、もう二度と会えないかもしれない、という予感をいだいていた。
「ああそうだ。……忘れるところだった」
 御子芝はポケットから文庫本を取り出すと、理奈に手渡した。「桜井に借りていたものだ。悪いが、返しておいてくれ」
「いいけど……何の本?」
 御子芝は仏頂面で答えた。「……料理の本だが、私には高度すぎて役にたたなかった」
 理奈はすこし笑った。
「そうそう……神崎には、日ごろの修練を怠るなと伝えてくれ」
「わかった。……達矢には?」
「……なにごともほどほどにしておけ、というところだな」
 わかり辛い言い方だが、言わんとするところはわかった。
「さて……では、そろそろ行くとしよう」
 理奈はうなずくのを見て、御子芝は振り返った。
「なぁ、綾瀬――」
「え?」
 背を向けたまま、御子芝は続けた。「リーダーというのは、責ばかり大きく、いいことのないものだ。だが……なくてはならぬものでもある」
「…………っ」
「私は、かつて一度もそうした責を負ったことがない。私には……未来が視えぬからな」
「未来……?」
「そうだ。異なる人々をまとめ、導き、その力を出しきらせる者は、未来を視ねばならぬ。未だ視えぬ明日をあるべき姿へたどりつかせるためには、それは欠かせぬこと……」
「そんな……そんなこと、あたしにだって――」
 できるさ、と御子芝はいった。ひどく、おだやかな口調で。
「お前はけっして強くはない。そして、図太くもない。むしろ繊細で、傷つきやすいほうだろう。だが……なればこそ、リーダーの資質があるともいえる」
 人の痛みを想像できぬ者、感性のにぶい者は向いていないのさ、と付け加える。
「すくなくとも私は……お前を、リーダーと仰いでいるよ」
 理奈は、息をのんだ。
「だから、もしお前が、やはり行くな、ここに残れと言うのなら……従おう」
「え……っ」
「どうする?」
 理奈は月明かりの下、立ち尽くしていた。それは、酷な、選択。
 ぎゅっと閉じられた目蓋が、かすかに揺れた。……
「御子芝さん……」
「うむ?」
「また、会えるときまで」
 ふ、と御子芝はほほ笑んだ。――顔は見えなかったが、理奈はそう、信じた。
「そうだな。また会えるときまで。……しばしの別れだ」
 御子芝は歩き出した。「いざさらば! お前たちの行く手に、胡蝶が幸を運ぶように――」
 遠ざかる別れの声を、綾瀬理奈は目を閉じたまま聞いていた。
 もう少しだけ――闇の中で。


「資質、か。耳の痛いことよ」
 高千穂の苦笑いを横目に、アンドルーは理奈の姿を見やった。
 その立ち姿はとても可憐で……しかし、ある種の威厳をも、感じさせた。
 ――未来を視る、か。
 アンドルーは心中でその言葉を繰り返した。未来。創るべき未来。
 ――オレにも、視えるのか。
 いや、視なくてはならぬ。リーダーとして起つならば。そこから、逃げないのなら。
(最後に選ばれるのは、どちらの視る未来かな)
 理奈から目をそらしたアンドルーは、高千穂が寮とは逆の方向へ歩き出したのに気付いた。
「……どこへ?」
 見れば、いつの間にかリュックを担いでおり、すっかり旅支度だ。
「あんたも……?」
「ま、そんなふうなところだ」
 高千穂はククッと笑い声をあげると、歩みを止めることなく、闇に消えた。
(奴は……オレを導いたというのか?)
 釈然としないまま、いちど首を振ったアンドルーは寮に向け歩き出した。
 そのときふいに、林の奥から声が届いた。
「まァがんばることだな、アンディ。きみたちにもまだ勝算は残っている」
(やはり厭な奴だ)
 アンドルーは、苦りきった。


 足を止めた。
 眼前の暗がり。気配が、あった。
「あなたがたは」澄んだ声。
「『警告者』さなくば『助力者』であるべきなのです。この時代のことは、この時代の人間にまかせなくては、いけないのです。未来は、与えられるものではないのですから」
「たとえそれが――」腰のものに手を伸ばしつつ、御子芝。「破滅へいたる道だとしても?」
「それがひとびとの選んだ道ならば――それがさだめ」
「悪いが」御子芝はほほ笑みつつ、鯉口を切った。「その『さだめ』というやつが、私は大の苦手でな」
「聞き分けのないこと――」
 跳んだ。
(さあ――)
 抜刀していた。
(――未来を、視にいこうか)
 銀光に映えた月影が、一閃した。
大神陣矢 2002/04/08月03:09 [24]


第二二節「Angelic Conversation」返信  

【Writer:水上 悠】



 あの日以来、「イヴ」のイメージは薄くなる一方だった。
 何処からか一方的にやってくるだけのイメージを、無理に捕まえることなど考えたこともなかったが、「イヴ」のイメージだけは、なんとしても捕まえておきたかった。
 黒井は、真っ黒なモニターを見つめながら、もう半日近くやってくるはずのないイメージを待っていた。
 メールの返事も来ない。
 ただのいたずらだったのか?
 それとも、返事が来ないことに意味があるのか?
 キーを叩く。
 息を吹き返したコンピュータが、勝手にメールチェックを始める。
 受信中のメール……三通。
 受信が終わると、件名だけを見て黒井は二通削除してしまった。
 残りの一通も削除しようとマウスをクリックしようとしたが、一瞬ためらった。
「no subject」
 差出人の枠も空欄。
「お会いしたい」
 たった一行だけ、そう書かれていた。
 手の込んだいたずらと見過ごしても良いのか? 黒井は一瞬ためらった。
 怪訝な顔でモニターを見つめる黒井の脳裏に、三人の男のイメージが浮かんだ。
 三人?
 フードの中の顔は苦痛に歪んでいるが、不思議と絶望は感じない。
 誰?
 黒井は額に手を当てると、目を細め、次に来るモノを待った。
 メニューバーの時計がむなしく時を刻むが、何も来る気配がない。
 これだけ?
 いささか拍子抜けをしながら、黒井はタブレットのペンを取ると、通り過ぎたばかりのイメージのスケッチを始めた。
 苦痛に満ちた、希望を見据える双眸。
 いったい、これをどう描けばいいのか?

 来客を告げるベル。
 どれくらい時間が経ったのだろう?
 黒井は、ペンを置き、玄関へと立った。
 部屋の壁にかかった時計は、午前二時を回っている。
 こんな時間に誰が、という疑問は不思議と浮かんでこなかった。
 カギを開け、ドアを開く。
 黒のコートを着た青年がそこに立っていた。ボサボサの黒髪、黒い瞳……。黒井は彼の中に絶望の塊を見たような錯覚にとらわれ、めまいを覚えた。しかし、具体的なイメージは浮かんでこない。それだけが救いだった。
「驚かないんですね?」
 青年はいった。
「メールをくれたのは、君か?」
 黒いは、答えるかわりに、逆に尋ねた。
 青年は微笑を浮かべただけだった。
「あなたですら止められない何かが動いてます。ボクにはもう時間がないから……」
 自分が、何かを止める?
 そんなふうに考えたことなど一度もなかった。
 見たモノを伝えるだけ。
 それが自分の使命だと考えていただけだ。
「彼等には、あなたがどう考えていようと関係ないんです。あなたは、見ることが出来る、それだけであなたの存在は、彼等にとって意味のあるものになってる。でも、あなたは自分自身の存在理由を知らない」
「知る必要があるのか?」
「もし、何も知る必要がないというなら、ボクはあなたの目の前に、こうして立っていることはないでしょうね」
「君はいったい……なんだ?」
「探したって、答えなんて存在しない。答えは探し出しても存在しないんです。だって、まだ存在していないんだから。答えは作られる時を待って、あたかも苦労して探し出されたかのように目の前に現れるだけ。そう、あなたの目の前にいるボクという存在と同じ」
「じゃあ、君が答えなのか?」
「答えへと至る、過程だと思ってください。本当の答えはもっと先に存在し、あなたの目の前に現れる時を待ってます」
「いったい、何をさせようっていうんだ?」
 黒井が語気を荒げると、青年は肩をすくめた。
「その答えはあなたが自身で見つけるべきですよ」

 答えは出ないまま、朝になっていた。
 モニターには書き上げたばかりの双眸が映っており、黒井をにらみつけている。
 絶望の塊を宿した青年の瞳。
 違う。
 黒井はファイルを消去しようとキーボードに手を伸ばした。
 そして、またベル。
 ドアの向こうには、三人の男たちが立っていた。
 全身黒ずくめ。いったい、なんの嫌がらせなのだろう。
「黒井正直さんですね?」
 真ん中の男がいった。
「メールは、あなたたちですね……?」
 男たちは何も答えなかった。
「この子たちをご存じですか?」
 右隣の男が、黒井に八枚の写真を渡した。
 少年と少女がそれぞれ四人ずつ。
 どれも黒井には見覚えのない顔だった。
 普段あまり外に出ることもないし、近所の子たちだったにしても、ほとんど気にかけることもないので、仮に何度か顔を合わせたことがあっても記憶に残っていないだけかもしれない。
「我々の未来を握る子が、この中に一人存在します」
「未来?」
「我々は、あなたがその子の覚醒のカギを握っているということも存じています」
「いったい、何が言いたいんです?」
 男たちは黒井の問いには答えず、その場を立ち去った。
 黒井は写真に写る四人の少女たちを見つめながら、イヴの姿をそこに重ねようとしていた。

水上 悠 2002/04/01月02:40 [23]


第二一節「ミス・マリア」<後半>返信  

【Writer:諌山 裕】


 第一体育館の舞台裏。
 ミス・マリア・コンテストのスタッフは、準備万端で候補者が現れるのを待つ。部屋にいるのは女生徒ばかりだ。着替えをしたりするために、男子の入室は厳禁なのだ。
 最初にやってきたのは、一年生のふたりだった。ふたりは走ってきたのか、息を切らせている。スタッフは笑顔で迎えるが、上級生が多いために、緊張感は隠せない。たかだか一年違い、生まれ月によっては数ヶ月だけ年上なのだが、この年頃の一年の差は大きい。上級生と下級生の関係は、ときに主従関係が厳しいものであり、あるときには庇護関係にある。
 進行係の三年生が、励ますようにふたりの一年生候補者に声をかける。
「そんなに緊張しないで。今日はあなたたちが主役なんだから。さぁ、そこに座って、軽くメイクをしてもらって」
 続いてキャサリンとジャネットが連れだって現れた。
「こちらでいいのですか?」キャサリンはきいた。
「シンクレアさんとリーガンさんね。どうぞ、中に入って」
 御子芝はぶらぶらと無関心を装って姿を見せた。彼女のうしろにはのぞみがいる。
「御子芝だが……。名を呼ばれたので参上した。よろしいかな?」
 一年生スタッフから「きゃぁ!」と、嬌声が上がった。その声にたじろぐ御子芝は、下級生に手を引かれて中へと入った。
 のぞみはおずおずと控え室に入る。彼女の周りを三年生が取り囲んだ。
「桜井さんの世話はわたしたちが! 可愛いのよね」
「はい……、お願いします」
 のぞみはどぎまぎしながら頭を下げた。
 あわただしく入ったきたのは、三年の渡夏海である。
「これって、なんの冗談?」開口一番、渡はいった。
「先輩!」
 のぞみは手を振った。彼女は先輩が一緒であることに心強さを感じた。
「御子芝さんと桜井さんはわかるけど、なんでわたしもなのよ? おまけにうちのクラブから三人も引き抜かれたら、お店がてんてこまいだわ」
「夏海、その心配は無用よ。どうせコンテストが始まれば、みんな体育館に来るんだから。知ってた? あなたは下級生に人気があるって」
 渡と同級生のスタッフが答えた。
「ふ〜ん。去年だったら喜んだかもしれないけど、今回はね……。ライバルが強すぎ」
「候補に挙がっただけましよ。ほんとはうれしいくせに」
 渡のあとから西山香織が顔を見せ、控え室に入った。西山は昨年、準マリアに選ばれた経験者であり、落ちついた振る舞いをしていた。しかし表情は硬かった。下級生の候補者を見て、今年は無理かもしれないと思ったからだ。
 最後に綾瀬と立原が入室し、候補者はそろった。理奈は不機嫌そうに眉をひそめ、立原は困惑して難しい顔をしていた。
 演劇でも控え室として使われていた細長い部屋は、スタッフと候補者でひしめいていた。
 少女たちの熱気に、立原はたじろいでいた。一回り以上離れた彼女たちとのギャップに、いやおうなく自分の年齢を意識した。
「先生、この制服着てください。サイズが合うといいけど」進行係のスタッフが、学園の制服を差しだした。
「私が制服を?」
「はい。知っての通り、最初は制服で登場するんです。条件は同じでないと」
 立原はため息をついた。
「わかったわ」
 学園の制服は、すでに冬服に衣替えしていた。上着は紫がかった紺色のブレザーで、スカートは同色のプリーツ入りのミニスカート。スカートの下には白色でプリーツの入ったアンダースカートを履く。アンダースカートは重ねた紺色のスカートよりも少しだけ長めで、フリルのように端が覗く。そして脚にはスカートと同色の膝上丈ソックス。
 立原は可愛い制服だと思っていた。まさか自分が着ることになるとは考えてもいなかった。
 彼女はセブンのコスチュームを脱いで、スカートを履く。太股の大部分が露出する、その短さに気恥ずかしさを覚えた。膝上二〇センチほどの、短いスカートだからだ。プリーツが入っているために、ふわふわと広がるスカートは、少女にははつらつとして似合うものだ。彼女も短めのスカートを好んで着るが、ここまで短いものは着ることがなかった。
 続いてブレザーに袖を通した立原は、胸回りが少々きつかった。
「やっぱり、170Aじゃきついですか?」スタッフはいった。
「ちょっとね」
「そこの一年生! 170Bのブレザー調達してきて!」スタッフは大声で指示を飛ばした。
 一年生のスタッフが「はーい」と返事をして、控え室から出ていった。
「ねぇ、ちょっとききたいんだけど……」
「なんですか? 先生」
「いつもだと水着審査もやってるけど、今年もやるのかしら?」
「もちろんです! ハイライトですから」
「ああ、そう……」立原は肩を落とした。
「ご心配なく。水着はいろいろ用意してますから」
「はぁ……」立原はため息をついた。
 立原が心配していたのは、水着の種類ではなかった。
(こんなことになるなら、もう少し体を絞っておくんだったわ。最近太り気味なのよね……)
 しばらくして、替えのブレザーを手にしたスタッフが戻ってきた。立原がブレザーを着ると、胸に9番の番号札をつけた。
「あと、十分!」
 進行係が時計を見ていった。
 立原は鏡に映る女生徒の自分を見て、苦笑いを浮かべる。気分だけは、かつて中学生だった頃に戻ったような気がしていた。

 第一体育館には、ほぼ全校生徒が集まっていた。両サイドの二階席には一般客や父兄が陣取り、こちらも満席である。
 ステージには、放送部のヒカルとあゆみがマイクを片手に立っている。
「さぁさぁ、いよいよあと五分でミス・マリア・コンテストが始まるよ! あゆみちゃん」
「楽しみですねー、ヒカルちゃん。さっき、控え室を覗いてきたけど、だれがマリアになってもおかしくない候補者揃いでしたよ」
「そして、わたしたちのうしろにいるのが――」
 ライトが点灯して、彼女たちのうしろを照らす。そこには女生徒五人による、バンドがいた。
「未来の音楽界を沸かせるかもしれない、ウイッチーズで〜す!」
「彼女たちはコンテストの合間を、生演奏で楽しませてくれます」
「では、一曲お願いします。曲は『エンジェル・オブ・メタル!』ギンギンに乗ってよ〜!」
 バスドラムが激しく打ち鳴らされ、ギターが高音から低音へと雄叫びのように弦を響かせる。ベースギターは重低音で空気を圧搾する。
 ステージに近い観客は、立ち上がって手拍子を打ち、リズムに合わせて体を揺らし始めた。
 やがてハスキーなボーカルが、叫ぶように歌い始める。
 舞台裏では準備の整った候補者たちが、出番前の緊張感にひたっていた。
 三番目に並んでいる理奈は、大きく深呼吸する。
「まったく! こういうのに引っぱりだされるなんて……。予定外もいいところ」
「喜ぶべきじゃない? 選ばれたんだから。あたしは楽しんでるわ」理奈のうしろに並んだジャネットはいった。
「よりによって、どうして、あたしたちなのよ? あなたとのぞみとキャサリン、そして御子芝さんまで。これが偶然なの?」
 御子芝が答える。
「偶然ではないだろうな。われらが普通の者とは違うことを、本能的に感じとったのだろう。驚くにはあたらない」
「そう? ミス・マリアだなんて、笑っちゃうわ!」理奈は憮然としていた。
「そうともいえないかも……」キャサリンは遠慮がちにいった。
「どういう意味?」
 理奈の元に、五人は集まって輪を作った。
 キャサリンは声を小さくして続ける。
「このミス・マリアは、ある種の願望や理想の対象だと思うわ。つまり、聖母マリアにすがったり希望を抱いたりするのと同じで、多くの人が希望を託しているんじゃないかしら? わたしたちがイヴを捜しているのと本質的には同じだわ」
 のぞみはうなずいた。
「わたしもそう思う。彼らにとって、わたしたちはイヴなのよ。比喩的にね。世界を変えるとか、そういう大きなことではなくても、象徴としてのマリアは、彼らの学園生活に変化をもたらすんだわ」
「うむ……」御子芝はうなった。
「のぞみの意見には一理ある。じつは、高千穂から妙な誘いを受けているのだ。ミレニアム・イヴ・ガーディアンなる組織が、似たようなことをやっているらしい。かの組織も、希望を託す少女を捜しているのだ」
「それに出る気?」理奈はきいた。
「返事はしてない。怪しげな組織だからな。調査中だ」
「じゃ、このミス・マリアは予行演習みたいなものね。あたしもその話、考えてみよう」ジャネットは快活にいった。
「お気楽だこと」理奈は肩をすくめた。
「でも、イヴがいるとしたら、やっぱり多くの人の注目を集めるのではないかしら? もしかしたら、イヴは集団の願望と希望が生み出すのかもしれないわ」とキャサリン。
「それこそ、あたしたちの勝手な願望じゃない? ことはそう簡単だとは思えないわ」理奈は首を振った。
 進行係が手を挙げた。
「出番です。みなさん、いいですか?」
 理奈は唾を呑みこんだ。心臓はドキドキと高鳴っていた。
 ステージには再びヒカルとあゆみが登場する。
「さぁさぁ、いよいよミス・マリアの最終候補者の入場です!」
 一年生から順番に名前が呼ばれ、ひとりずつステージへと歩いていく。
 スポットライトが候補者を追って照らす。そして一列に並んでいく。
 立原はいつになく緊張していた。
「エントリーナンバー9番、立原美咲!」
 名前を呼ばれて、彼女はステージの袖からライトの下へと踏み出した。
 ひときわ大きな歓声と拍手が彼女に浴びせられた。
「おおっと、制服姿の立原先生は新鮮ですね〜」
「うんうん、もともとセクシーなだけに、キュートな制服とあいまって、なかなかの魅力。ひと味違いますねー」
「さて、候補者は出そろいました。それぞれに自己紹介してもらいましょう」
「スクリーンにも注目してください。はい、出ましたね。このアドレスにアクセスして、投票してください。投票は候補者の番号ですよ。三回の投票チャンスがありますが、それぞれアドレスが違うから間違えないように。いま出ているのは、制服での審査で〜す」
「では、1番の宮下さんから自己紹介してもらいま〜す。持ち時間は二分。二分過ぎると途中でもカットですよ」
 天原祭のラストイベントである、ミス・マリア・コンテストは幕をあけた。

 第一幕の制服審査が終わると、候補者たちは控え室に戻り、第二幕のための着替えに取りかかった。幕間には、バンドの演奏が行われている。くぐもった音で響く音楽をききながら、立原はシスターの修道服を身にまとう。
 修道服は純白で、足首まである長いローブに、頭をすっぽりと覆うフードが二の腕まで垂れている。そして胸元には十字架。
 ミス・マリアのコンテストであるための衣装だが、クリスチャンではない彼女でも神妙な気分になっていた。
 それは他の者も同様だった。
 コンテストについてぼやいていた理奈でさえ、修道服に身を包むと心が安まる気がしていた。
 キャサリンとジャネットはクリスチャンであることから、もっと表情は真剣で輝いていた。
 第二幕では、候補者は一斉にステージへと出た。背後のスクリーンには投票用アドレスが表示され、刻々とカウントされる得票数が、候補者別に表示されている。
 修道服を来た彼女たちは、聖歌「いざ皆きたりて」を合唱した。ミサでも度々歌っているため、だれもが知っている歌である。
「第二審査に入っても、いまだ接戦ですねー。」
「一年の南沢さん、二年のシンクレアさんと桜井さんが、トップ争いですか。といっても、票差は最大でも二〇票くらい。まだまだわかりませんよ、あゆみちゃん」
「最後の水着審査で、大きく票が動きそうな気配だね。ヒカルちゃん」
「むふふふ、男子は立原先生の水着に期待しているのでは?」
 歓声が上がった。
「やっぱしね。男子の魂胆は見え見え。でも、半数は女生徒票ですからね。男子の思惑通りにはいかないでしょう」
「さぁ、候補者のみなさんに着替えをしてもらっている間に、ウイッチーズのライブの続きを!」
 修道服姿の候補者たちは、あわただしく控え室に戻り、水着に着替えていく。
「時間が押してるので、急いでください!」進行係が指示を飛ばす。
 理奈をはじめとした候補者たちは、大胆に着ているものを脱いでバスタオルを体に巻いていた。体育の授業での更衣室と同じことだからだ。
「あたしは白よ。ぜったい白」
 理奈はまっ先に水着を選んだ。
「ねぇ、アンダーショーツはどこ?」
「私はシックなものがよい。黒か茶系だ」
 御子芝は興味なさそうな顔をしつつも、しっかりと主張した。
「そうかなー? 御子芝さんは身長高いから、豹柄とか似合うと思うけど」
 理奈は豹柄を取ると御子芝に渡す。
「さようか? むむ……、それも一考だな」
 のぞみはレモン色でフリルのついたものを取った。
「わたしはこれ」
「うんうん、あなたらしくて可愛いわね」
 理奈はだれがなにを着るのか気になるために、意見をいわずにはいられなかった。
「じゃあ、わたしはこれにしようかな」
 キャサリンが選んだのは、真っ赤な水着でメッシュの模様が入っていた。
「おお、あなたって意外と大胆!」と理奈。
 ジャネットはひとつひとつの水着を体に当てては、じっくりと選んでいる。
「あたしはっと……。やっぱり、セクシーな黒かな〜」
 立原は生徒たちが水着選びではしゃいでいるのを、数歩引いて見ている。彼女はためらっていた。
 バスタオル姿で水着を選んでいたジャネットは、立原に声をかけた。
「先生? 早くしないと水着が残りものになっちゃいますよ」
「そうね……。私は残りものでいいわ。あなたたちのためのコンテストですもの。どうかしていたわ、出る気になるなんて……。最初に断るべきだった」
「これはお祭りだわ。楽しめばいいんじゃないの? 男子は先生の水着を楽しみにしているみたいだし」
「若いって、うらやましいわ」
「あたしは先生がうらやましい。だって、あたしは先生のようにはなれないから……」
「なにいってるの。あなたは私なんかよりも、もっと魅力的な女性になるわよ」
「そうなれたらいいと思うけど、現実はそうじゃないの」
 ジャネットの表情は暗くなった。
「そんな顔しないでよ。ええ、わかったわ。着替えましょ」
 立原はジャネットがいったことの意味を理解していなかった。彼女は別の意味に受け取ったのだ。
(十四歳の少女になぐさめられるなんて、情けないわ)
 立原は自分に合う水着を探す。水着はすべてがワンピースタイプだ。しかし、好みの色は大部分が8号か9号だ。生徒を前提としているのだから無理もない。彼女の身長と胸囲では、11号か13号でないと着られなかった。ひとつだけあった11号の水着は、派手なピンク色だった。
「しかたないわね」
 立原は水着に着替えながら、最後に水着を着たのはいつだったろうかと、思い起こしていた。
(少なくとも、五年は経ってるわ)彼女は苦笑した。

 ミス・マリア・コンテストはクライマックスを迎えていた。
 ステージの両袖から交互に候補者が水着姿で登場すると、体育館に大きな拍手と歓声が沸いた。いくつかのグルーブができあがり、推薦する候補者の名前が連呼される。
 立原がステージに登場すると、彼女の名前が大合唱される。
「み〜さ〜き! み〜さ〜き!」
 彼女は顔が火照っていた。緊張のあまり、つまずきそうになると、さらに応援の声が大きくなった。
 立原は自分を呼ぶ一団の方に目を向ける。先頭に立って叫んでいるのは菅原だった。彼の姿を見て、ますます心拍数が上がった。
「さぁ〜て、全員出そろいました。投票もうなぎのぼりですねー」
「さすがというか、予想通りというか、立原先生が伸びてますなー」
「サーバーがパンクしちゃいそう」
「では、候補者のみなさんには、ステージを降りて、観客席の間を歩いてもらいます。スタッフが先導しますから、ついていってください。ぐるりと一周して、ステージに戻ってきたら、投票の締めきりとなりまーす」
 ミス・マリアの候補者は、観客席の間の通路を蛇行しながら行進していく。緊張していた彼女たちも、間近に声援を受けて、顔をほころばせていく。
 最後尾を歩く立原は、場違いな気後れを感じていたが、徐々に笑みを向けるようになっていった。
 ほどなく、立原は菅原の前を通る。
「立原先生! とても、とても綺麗ですよー!」彼の声はうわずっていた。
「ありがとう! 菅原先生」
 立原は歓声に負けじと大声でいった。彼女は自分でも驚くほどにうれしかった。
 水着姿の彼女たちが通る周辺では、ひときわ大きな興奮が渦巻いていた。観客席の中ほどに座っていた達矢と光輝も例外ではなかった。
 ふたりのそばに理奈とのぞみが近づいてくると、達矢は立ち上がって叫ぶ。
「理奈〜! のぞみ〜! 惚れなおしたぜ!!」
 理奈はカッと顔が熱くなった。
「あの、バカ!」
「のぞみちゃ〜ん!!」
 のぞみは声援を受けると、恥ずかしさでうつむいたまま、ペコペコと頭を下げていた。
 達矢の隣では、光輝が手を叩きながら同じように叫んでいた。
「ジャネット! 君が一番だよ!」
「サンキュー! 光輝! 愛してるわよ〜!」ジャネットは光輝に投げキスを送った。
 光輝のクラスメートが、笑いながら彼を袋叩きにする。もちろん冷やかし半分の戯れだ。
「達矢のバカが光輝にもうつったみたいね」と理奈。
「男子って、単純じゃない」うしろのジャネットは理奈に耳打ちした。
「ほんとに」理奈は肩をすくめる。
 やがて行列はアンドルーとゲーリーの前へと差しかかった。理奈はアンドルーと目を合わせると、ゆるんでいた緊張感が再び引き締まった。
 アンドルーは腕組みしたまま、笑みを浮かべてうなずいた。
 理奈も笑みを返す。ふたりの間に張られた、目に見えない琴線は震えていた。
「キャサリン! キャサリン!」
 キャサリンのクラスは、ほぼ全員が彼女の応援団と化していた。彼女は可憐な微笑みを向けて、応援に手を振って応えた。
「樹〜! 次は全国大会だ!」
 叫んだのは高千穂だった。
「たわけたことを! 私は承知したつもりはないぞ、高千穂!」御子芝は一喝した。
「けっこう様になってるじゃないか! おまえの妖艶な水着姿なんぞ、初めて見たぞ! まんざらでもないのだろうが!?」
「貴様に見せるために着ているのではない!」
「しっかり見させてもらった! 生涯忘れるまい!」
「それ以上口をきくなら、叩き斬るぞ!」
 御子芝は顔を紅潮させていた。それは怒りのためだけではなく、羞恥心と図星をつかれたためだった。
 彼女たちはゆっくりとしたスピードで練り歩き、観客の中に嵐を起こしていった。やがて台風の目は、観客席を通り抜け、ステージへと戻った。
 場内の興奮はいくぶん静まっていた。
「はーい、お披露目は終わりですよ。あと、三〇秒で投票を締めきります」
 場内はシーンとなる。スクリーンに映しだされた、投票カウントに注目が集まる。トップ争いをしているのは、キャサリン・シンクレアと桜井のぞみ、ふたりを追って立原と御子芝が続いていた。
「ここまで!」
 カウントが止まった。
 拍手と歓声。
「結果が出ました! 見てのとおり!」
「しか〜し! これはこれは! 意外な展開!」
「シンクレアさんと桜井さんがまったく同数です! 僅差で立原先生と御子芝さん。さらに僅差で綾瀬さんとリーガンさん」
「これは難しい判定になりそうです」
「ただいま選考委員が協議をしています」
「わたしはみんなにミス・マリアを贈呈してもいいと思うわ」
「そうですね。ここまで伯仲していると、同時アクセスでカウントできなかった票もあるでしょうからね」
 立原は結果に興味はなかった。ただホッとしていた。心地よい緊張感と、多くの人に注目される快感を味わい、楽しかったことに満足していた。それは、忘れていたなにかを思い出した時間だった。
「結論が出ましたか?」司会は選考委員にきいた。
 委員長がうなずいて、マイクの前へと進みでた。
「ええ、コンテストの結果を発表します。今回は異例ですが、ミス・マリアにはシンクレアさんと桜井さんのふたりに。準マリアは、立原先生、御子芝さん、綾瀬さん、リーガンさんの四名とします。おめでとうございます」
 だれもが納得する結果に、場内は沸いた。
 コンテストは賞の贈呈式へと移り、昨年のミス・マリアだった高原涼子がステージに登場する。彼女を知る三年生と二年生から、歓声が上がった。
 高原はマイクを受け取って挨拶する。
「お久しぶり。来賓として呼ばれたんだけど、来て良かったわ。こんなに素敵なミス・マリアがたくさんいるなんて、みなさんは幸せものよ」
 彼女は受賞者それぞれに祝福の言葉をかけながら、花の冠を頭に載せ、十字架を首にかけていく。
「みなさんに、主のお導きとおぼし召しがありますように」
 理奈は高原を見て、驚いていた。それは、のぞみ、キャサリン、ジャネット、御子芝も同様だった。なぜなら、彼女は黒井の描いたイヴにそっくりだったからだ。
(まさか……?)
 理奈は彼女がイヴなのかもしれないと思った。だが、すぐにそれを否定した。黒井が天原祭に来ていたことは十分に考えられるし、絵のモデルとして高原を意識的にしろ無意識的にしろ選んだ可能性はあるからだ。
 また、イヴにしろマリアにしろ、集団の願望と希望が託される少女なら、共通したイメージとして似ていることは不思議ではないのだ。
 観客席でステージを見ていた、光輝と達矢も同じことを考えていた。光輝がジャネットにイヴの面影を見たように、選ばれる少女にはイヴの可能性があるということを――。
 しかし、彼らがそのことについて、冷静に考えられるような状況ではなかったことも事実であった。

 ゴシック様式の礼拝堂は、古風なヨーロッパの雰囲気をかもしだしていた。大きな窓にはステンドグラスがはめこまれ、色彩のシャワーを聖堂内に注ぐ。高い天井はアーチを描き、天上にはイエス・キリストと父なる神の物語が神秘的に展開されている。厳粛な空気が漂う場所では、だれもが静かで謙虚な気持ちになるものだ。
 天原学園内にある礼拝堂は、広々とした校庭の中心部に位置している。周辺は芝生が敷き詰められた憩いの場となっていた。曲がりくねった細い遊歩道が芝生の中を通り、道に沿って低木のツツジ、サツキ、ハギ、サザンカが植えられていた。学校には必須といってもいいサクラの樹も、芝生の中に点在している。
 春にはまずサクラの花が彩り、続いてツツジとサツキが春から初夏の季節を告げる。夏には芝生が青々とした緑の海を演出し、秋にはハギが淡紫と白い花を咲かせ、十月に入って冬の気配が感じられる頃にはサザンカが赤色で遊歩道を飾る。四季折々の色彩と香りが、学校と礼拝堂を包んでいた。
 礼拝堂では毎朝三回と夕方一回のミサか行われる。ミッションスクールでもある天原学園では、多くの生徒がミサに参加する。参加は義務ではないのだが、この学校に入学して洗礼を受けた生徒も少なくない。ミサは一般の人々にも開放され、生徒だけではなく地域の住民も参加していた。
 礼拝堂に荘厳なパイプオルガンの旋律が響く。音を反響して増幅する構造となっている聖堂内では、オルガンや人の声にも天使の響きが加わる。
 土日の二日間に渡って催された、天原祭の最後を締めくくるのは、礼拝堂でのミサである。式次第にそって、祈りや聖歌隊による聖歌の合唱が行われる。
 ミス・マリアに選ばれた六人は、本来の服装に着替えて最前列に座っていた。
 パイプオルガンによる前奏が終わると、聖歌隊の合唱を中心にして、列席者全員で賛美歌を歌う。


輝く日を仰ぐとき 月星 眺むるとき
雷(いかずち)なり渡るとき まことの御神(みかみ)を思う
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を

森にて鳥の音(ね)を聞き そびゆる山に登り
谷間の流れの声に まことの御神を思う
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を

御神は世人を愛し ひとりの御子を降(くだ)し
世人の救いのために 十字架にかからせたり
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を

天地(あめつち)造りし神は 人をも造り変えて
正しくきよき魂 持つ身とならしめ給う
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を

間もなく主イエスは来たり われらを迎えたまわん
いかなる喜びの日ぞ いかなる栄えの日ぞ
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
  わが魂 いざたたえよ 大いなる御神を
 ――――♪〜「輝く日を仰ぐとき」より〜

 理奈は歌いながら、歌詞の意味に思いを巡らせていた。
 イエスと神を讃え、救いと栄えある未来を希求する内容だ。聖書にしても聖歌にしても、イエスの死後に書かれて編纂されたものである。多少の真実が含まれているにしても、のちの時代の人々の願望と希望が形となったものだ。
 しかし、現在でも救いを求めて続けているということは、理想の世界は実現していないのだ。
(かなえられることのない希望にすがってきた人々……。ときに神さまは天罰を下し、ときに願いを無視してきたのに……。それでもなお、讃えて救いを求めるのはどうしてなのかしら?
 あたしたちがやっていることも、同じようなことかもしれない。未来を変えられると信じて、なん人ものジャンパーが時間の流れに身を投じてきた。あたしたちがそうであるように、彼らも自分たちが使命を達成できると思っていたはず……。
 祈ることで望みがかなうなら、あたしは洗礼を受けたっていいわ)
 彼女は胸に両手を重ねて当てた。
 賛美歌に続いて、主の祈り、交読文と続き、第一日曜日である今日は信仰告白が行われる。いわゆる入信するための洗礼式だ。
 五名の生徒が神父の前に進みでるとひざまずき、信仰告白をし、神父から聖水をかけられて洗礼を受けた。
 淡々とした儀式はおごそかに進み、先ほどまでのお祭り騒ぎが嘘のように静かな時間が流れていく。
 のぞみは知識としてカトリックのことは知っていたが、信仰しようというほどの興味は持っていなかった。しかし、人智を超えた神を信じ救いを求める気持ちには共感できた。自分たちが成し遂げようとしていることにも、幸運以上の導きが必要なのではないかとも思った。
 隣のキャサリンが手を合わせて、真摯な顔でマリア像を見あげている姿は、心を打つものがあった。確たる信じるものがあるということは、不安や迷いを軽減してくれるのかもしれない。
(彼女にとって、ミレニアム・イヴと聖母マリアは同義語なんだわ。わたしにとって、信じるもの、心の中心にあるものはなんなのかしら?)
 自問自答しても、答は出てこなかった。
 神父が聖書を引用して、説教を始めた。
“ 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕(しもべ)がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」 ”――――ルカ・17:5〜10
「イエスはこう語って、赦し、信仰、奉仕が希望をもたらすといわれた。この言葉に希望を託して、どれほど多くの人々が平和を祈ってきたことでしょう。しかし、祈りとは裏腹に、二千年を経た現在でも世界に平和は実現していません。
 それはなぜでしょう?
 だれもが身勝手で、赦しも信仰も奉仕の精神も忘れているからです。他人を責める前に、まず自分自身を見つめ直して、自らが人々に尽くすことが必要なのです」
 神父の言葉をききながら、のぞみは自分たちの置かれている立場を再認識していた。
 彼女は両手を合わせて組んだ。そして、マリア像を見つめる。彼女はマリアにイヴのイメージを重ねていた。
(彼女が世界を救うのか、滅ぼすのかはわからないわ。でも、彼女は世界を変えることができるのよ。わたしたちは彼女を見つけだす! そして、世界を変えてみせるわ! その代償がどんなに高いものであっても……)
 のぞみは決意をあらたにしていた。
諌山 裕 mail url 2002/03/25月02:52 [22]

<- 前ページ    4/9    次ページ ->
上へ






RAIBPLh114-wakatiai.com
Notregisted
2024/05/02木10:16