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NOVEL AIR【net-novel-1】


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リレー小説『ラスト・フォーティーン』のページです。
本作は2001年11月3日〜2002年7月8日に渡って、週刊連載されたものです。
本作品に対する、ご意見、ご感想等は、「BBS2」に書き込みしてください。
執筆陣⇒諌山裕/水上悠/森村ゆうり/大神陣矢/皆瀬仁太
【設定・紹介ページ 】【各話人気投票】【キャラ人気投票】


第二一節「ミス・マリア」<前半>返信  

【Writer:諌山 裕】


 銀河の星々を映しだす天体測定ラボ――。
 理科室はスタートレック・ボイジャーの天体測定ラボへと様変わりしている。ベニヤ板とダンボールと発泡スチロールを使い、天文部員の作った粗末なセットではあるが、雰囲気は出ていた。
 窓には黒いカーテンが引かれ、照明は部分的に照らすひとつだけで室内は薄暗い。ホワイトボードはスクリーンの代用となり、スライドが宇宙の映像を投影していた。
 立原美咲が扮するセブンは集まった人々の前に立って、澄ました顔を向ける。えんじ色のタイトなボディスーツにハイヒールを履き、髪をブロンドに染めた立原はセブンになりきっていた。普段はかけているメガネを、今日はコンタクトにしている。
「このように、我々の世界はいまや深刻な危機を迎えている。もはや手遅れという説もあるが、かといってなにもしないで未来を受けいれるというのは非論理的だ。なにごとにも解決策はあるはずだからだ。
 ひとつだけ、個人的に強調しておきたいことがある。温暖化を阻止することは、地球のためではない。われわれ自身のためなのだ。地球は数万年、数百万年の単位でその生涯をたどっている。人間がいくら環境を汚染しようが、温暖化しようが、地球は痛くも痒くもない。なぜなら、原初の地球においては、生物など住めない汚染された星だったからだ。地球環境が破壊されて困るのは、地球ではなく人間なのだ。いわばわれわれは自殺しようとしているようなものである。環境保護という抽象的なことは理解できなくても、自殺をやめることは容易だろう」
 立原はセブンのそっけない講義口調で、地球温暖化のプロセスを説明していた。話をきいていた生徒から「おー」と、感心する声がもれてきた。
 セブンになりきることはそれほど難しいことではなかった。もとより、彼女の地に近かったからだ。いつもと大きく違うことといえば、ボディラインを強調する、衣装だけだった。ボディスーツを着たときには、恥ずかしさを覚えたものの、周囲の人々から好奇の目が注がれているうちに快感すら感じるようになっていた。
 天原祭は土曜日の初日に続いて、日曜日の二日目に突入していた。お祭り騒ぎも二日続けば少々疲れるものだが、疲労感よりも高揚感の方が勝っていた。振り替え休日となる月曜日には、ドッと疲れが出て生徒も教員も怠惰な一日を過ごすことになるだろう。しかし祭りの最中は、脳内にアドレナリンとセロトニンが大量に分泌され、気分はハイになっている。
 立原は一日目に行われた二年三組の演劇に触発される形で、セブンを演じる自分に酔いしれていた。演じるという行為は、内なる自分の解放でもあるからだ。彼女も天原祭を楽しんでいた。
 天文部の部員は、艦隊士官のユニフォームを着て、それぞれに割り振られたキャラクターに扮している。その中に菅原もいた。菅原は目尻を下げて、立原=セブンを見つめていた。
 だが、部員よりも観客の方が圧倒的に多かった。満員電車並の密度で人の頭が並び、立原に視線が集中している。
 パンフレットには「セブン・オブ・ナインによる特別講義」と書かれていた。その講義を聴くために集まっているのだ。
 立原は盛況ぶりに満足しながらも、普段の授業でもこれだけ熱心であればいいのにと思っていた。
「なにか質問は?」彼女は聴衆に向かって首を傾げた。
 ザワザワと笑い声が沸いた。仕草と口調がセブンそっくりだからだ。
「先生! スリーサイズは?」
 男子が質問した。同意を示す拍手と口笛が飛ぶ。
「その質問に答えるつもりはない。無意味だ」
 再び笑いの渦。
「スタートレックの世界は実現するんでしょうか?」
 別の男子生徒が質問を発した。
「不可能ではないだろう。理論的な思考実験では空間を光よりも速く移動する方法も提唱されている。技術的に可能になるには、大きな壁があるが、それはいまから五〇〇年前の人間に、現代のような世界が実現可能とは思えなかったであろうことと似ている。不可能を可能にするのが、人間ではないだろうか?」
「時間旅行についてはどう思う?」
 質問をしたのは、最前列で椅子に腰かけているアンドルーだった。彼の隣には理奈がいた。
 立原はしばしの間、アンドルーと理奈を交互に見た。
(今日のお相手は津川くんではないのね。うらやましいこと……)彼女は小さくため息をついた。
「いい質問だ。物理学者が提唱するワープ理論には、時間の要素もふくまれている。また、相対性理論では光速を越えることを容認していないが、超光速が可能であると示唆する研究もある。まったく不可能であるとする根拠は絶対的なものではない」
 理奈は手を挙げて発言する。
「タイムパラドックスの問題は?」
「たしかに時間を移動する場合には、それは重要な問題だ。原因と結果は因果関係にあり、時間を移動するということは、因果律を崩してしまうことになる。ホーキング博士は時間順序保護仮説を唱えて、因果関係は保存されるといっている。現実的に考えれば、タイムトラベルは非常に困難であり、不可能に近いといえる」
「でも、人間は不可能を可能にするんでしょ?」理奈はさらに問いかける。
「そのとおりだ。私もまったく否定するつもりはない。だが、現時点ではタイムトラベルが実現可能であるとする理論はないといっているのだ」
「ボーグテクノロジーなら可能だね」菅原が口をはさんだ。
「その方面は彼の方が詳しい」
 立原は自分の隣に右手を振って、菅原を招いた。菅原はいそいそと進みでて彼女の隣に並ぶ。彼は黒地に肩の赤いユニフォームを着て、額にはマジックで刺青を書いていた。副長を演じているのだ。
 ふたりが並ぶと、生徒から冷やかしの野次が飛んだ。立原は憮然として平静を装っていたが、菅原は照れ笑いを浮かべていた。
 菅原は咳払いをして口を開く。
「今回の天文部のテーマは、五百年後の地球ということだが、ボイジャーの世界は二四世紀の物語だ。二四世紀の時点でもタイムトラベルの技術は確立されていない。だが、二六世紀には可能となっているんだ。
 時間とはなにか?……ということについては諸説あり、正確なことは未知の領域だ。なぜ時間の矢は、過去から未来に向かって飛んでいるのか? その逆はありえないのか? そもそも時間の道筋は一本なのか? 未来から過去に飛べたとして、パラドックスは生じないのか?
 だれもその答を知らないのが現実だ。
 そもそも我々にとって、時間とはなんだろう? そこには物理学的な問題と同時に、哲学的な問題も含まれている。過去があって現在があり、現在があって未来がある。それは因果律と呼ばれるものだ。一般的な解釈では、過去が原因であり未来が結果だ。だが、本当にそうだろうか?
 結果が原因に影響を及ぼすことはあるのだろうか?
 そう考える説もあるんだ」
 菅原は聴衆の反応をうかがうように、左右を見渡した。
「たとえば、勉強すれば試験の結果がよくなる。この場合、勉強が原因で試験が結果だ。君たちは試験の結果を良くするために勉強をする。すると、未来の結果を予想して、勉強することになる。結果が原因に影響を及ぼしているわけだ。
 別の例を挙げよう」
 彼は両手を動かして、宙に厚みのある仮想の板状物体を描いた。
「これはガラスだ。ここに斜めに光が射しこむとする。どうなるかな? 君」
 菅原は理奈を指さした。
「光はガラスで屈折します」
「そのとおりだ。では、なぜ屈折したのかな?」
「ガラスは光を屈折させる性質を持っているからです」
「なるほど、模範解答だね。だが、こういう考えかたもできる。
 光は光速を維持したまま、短い距離で進もうとする性質がある。光がガラスの中を入った角度のまま直進すれば、スピードが遅くなりガラスという空間の中で長い距離を進むことになる。これでは光の性質に反することだ。したがって、光はなるべく速く短い距離を選んで直進しようとした。その結果が屈折とも考えられる。
 このように原因と結果を捉えることを“目的因”というんだ。つまり、光はどういう方向に進めば最適であるかを知っているということだ」
 立原はすかさず割ってはいる。
「菅原先生! そういう怪しげな説明をしないでください。生徒が混乱するでしょ」
「怪しげでもなんでもないよ。これはちゃんとした理論なんだ」
「それはわかりますが、中学生のレベルでは……」
「セブン、らしくない発言だぞ」
 生徒の間に笑い声が上がった。
「ちょっとした実験をしてみよう。綾瀬くんとラザフォードくん、前に出てきてくれるかね?」
 理奈とアンドルーは立ち上がって、菅原のそばまで歩みよった。
「セブンもこちらに。僕の右にセブン、左にラザフォードくん、セブンの隣に綾瀬くん。手をつないで輪になってくれ」
 四人はそれぞれに手をつないで、輪を形成する。
「もっと広がって、腕を伸ばして」
 四人の輪は大きくなり、腕はほぼ水平になった。
「これは時間のあるモデルを意味している。従来からの考えかたでは、時間は永遠の過去から永遠の未来に続く直線だとされている。だが、時間が輪になっているというのがこのモデルだ。
 僕を基準にすると、ラザフォードくんは過去の僕で、セブンは未来の僕だ。綾瀬くんから見ると、セブンが過去でラザフォードくんが未来だ。まぁ、向きはどちらでもいいんだけどね。
 つまり、時間が輪になっている場合には、未来に向かっているつもりでも、ぐるりと回って過去に辿りつくんだ。このモデルの場合、過去と未来はごく近い範囲でしか意味がないことになる。遠い未来は遠い過去とつながっているんだ。
 どこが現在であるかは、それぞれの四人の立場で違ってくる。僕にとっては僕が現在であり、綾瀬くんにとっては綾瀬くんが現在だからだ。そして、それぞれの関係はつながっているから、僕がこうして……」
 菅原は右手を引いた。立原は引かれて彼の方へと体を傾ける。さらに立原に引っぱられて綾瀬とアンドルーも体を動かした。
「というふうに、未来と過去に同時に影響を及ぼすんだ。未来が過去に干渉することは可能だということだ。
 この時間の輪を発展させたのが、ゲーデルの宇宙で――」
「ストップ! 話が飛躍し過ぎよ、菅原先生」
「おっと、失礼。調子に乗りすぎましたか?」
 理奈とアンドルーは、感心して菅原を見つめていた。時間移動の基本をついた理論を展開していたからだ。
(驚いた。菅原先生なら、あたしたちのことを知っても大丈夫かも)理奈は思った。
 アンドルーが口を開く。
「なかなかいい線いってるよ、先生。では、五〇〇年後の未来が、破局的な状態になっているとして、過去に戻って歴史を修正することは可能だろうか?」
「むむ……、それはなんともいえないな。どれだけの修正を加えるかにもよると思うよ。時間旅行が可能であれば、すでに過去に干渉していることになるが、大海に一滴の水を落としても、その影響は呑みこまれてしまって変化は微々たるものになってしまうからね」
「効果的な修正ができるとしたら?」
「そうだなー、歴史には大きな分岐点がある。その分岐点に対して修正を加えれば、大海全体にも変化をもたらすだろうと思う」
「もう、手を離してもいいかしら?」立原がいった。
「ああ……、いいよ」菅原は残念そうに答えた。
 立原と菅原は握っていた手を離したが、理奈とアンドルーは手をつないだままだった。
「さて、予定時間をオーバーしてしまった。私の講義はこれまでだ」立原はセブンの口調に戻っていった。
 生徒たちからは「えー」と、不満の声が上がった。
 そこへ、軽快な音楽とともに、スピーカーから校内放送が流れる。
「毎度お騒がせ! 放送部制作の天原祭特別番組で〜す」
「はいはい、天原ステーション特別編・第三部は、三年生コンビ――」
「ヒカル」
「あゆみ、がお届けします!」
「うちらにとっては、最後の天原祭。トリをビシッと決めまっせ!」
「なんで、関西弁やねん?」
「そういうおはんこそ、いかがわしい関西弁やで」
「無茶苦茶やな。鹿児島弁も混じっとるやんか。あんた、地がでとんで〜」
「ゴホンッ。え〜、気を取り直して、皆さんが注目しているであろう……」
「そうそう、例のアレね」
「アレ、アレ」
「最終候補、決まりはったんか?」
「そやねん。しかし、今回は激戦が予想されますね。昨年まで三年間に渡って、マリアの座を守ってきた高原涼子先輩が卒業してしまったために、新人が多く名前を連ねているとのことです」
「じらさんと、はよ発表せーや」
「まだや。美味しいところは最後に残すもんやさかい。まずは初めての方のために、お約束の説明を。あゆみちゃん」
「おまかせ。天原祭では、二日目の最後のイベントとして、ミス・マリア・コンテストが行われます。これは天原祭の二日間に投票を実施し、得票数の多い女生徒を、ミス・マリア候補としてリストアップします。そして、これから始まる最終選考で、ミス・マリアが決定されます。トップの栄冠に輝いた人には、マリア賞。二位と三位には準マリア賞が贈られます。そして、マリアに選ばれた生徒には、今後一年間、さまざまな学校イベントやミサにおいて、重要な役割を担ってもらいます。つまり、天原学園の顔になるわけです」
「う〜ん、名誉なことですね」
「そうそう。だれもがなれるものではないからね。美しくて、清純で、聡明な女性に与えられるものよ」
「がははは。うちらみたいな下品な人間には、縁遠い世界だわ」
「心配せんでもええがな。わたしもあんたも予選で砕け散ったわ」
「というと、いちおう票ははいってたん?」
「それはきくな! 情けなくなる」
「新しいマリアは、だれでしょうね〜。ヒカルちゃん、はよ〜知りたいわ」
「えへへへ。ここに封をした封筒があります。この中に、名前が書かれているのだ!」
「生唾、ゴックン……」
 しばしの沈黙。カサカサと紙を開く音。
「おおおお――とっ!」
「どうしたん? ヒカルちゃん」
「これはこれは……。予想屋も裏切る、驚きの候補者リストだねー」
「ちょっと見せてみー」
 再び沈黙。
「あちゃー! これは意外というか、こんなことは初めてかも」
「だろうだろう?」
 放送を聴いている生徒から野次が飛ぶ。
「さっさと、発表しろ〜!」
「おっとと、部長から早くやれという指示が飛んできました。では、最終選考に残った人を発表します! あゆみちゃんから」
「まずは、一年生から。一年一組の宮下琴美さん。一年二組の南沢果穂さん」
「続いて、二年生。二年一組の綾瀬理奈さんとジャネット・リーガンさん。二年二組の御子芝樹さん。二年三組の桜井のぞみさん、二年四組のキャサリン・シンクレアさん」
「三年生は、三年二組の渡夏海さん、三年三組の西山香織さん。西山さんは昨年の準マリアですから、連続ノミネートとなります」
「そしてそして、なんと立原美咲先生もリストアップされています! これはありなんですか?」
「いちおうミスですから、立原先生は独身ですし、いいんじゃないでしょうか?」
「なるほど、とにかく激戦ですね。最終候補でこれだけ残るとは!」
「しかも新入生と転校生が大半というのも、意外でしたね」
「新しい物好きというか、印象が新鮮なんですかね?」
「さてさて、候補は以上ですが、決選投票は、午後二時三〇分から第一体育館で公開投票されます。候補として名前を呼ばれた人は、二時までに体育館控え室に集合してください。あと……十五分後ですね。」
「手の空いてる生徒も、全員第一体育館に集合よ! 投票には携帯電話を使うからね。忘れないように!」
「いざ、マリアのもとへ!」
 放送が終わると、拍手が沸き上がった。
 ミス・マリア候補の理奈と立原がいたからだ。
「綾瀬さんに一票!」
「立原先生に入れるぞ!」
「おまえ年上好みか?」
「やっぱ、初々しい一年の南沢だぜ」
 生徒たちは口々に候補者の名前をいいながら、ぞろぞろと理科室を出ていく。
「どうしよう……」
 立原は戸惑っていた。生徒だけが対象と思っていたミス・マリアに、自分が入ることなど想像もしていなかったのだ。
 菅原はうれしそうにしていた。
「僕は立原先生に投票しますよ!」
「あ……、ありがとう……」
 反射的に答えた彼女だったが、ありがとうといった自分にも驚いていた。
「行きましょう! 先生」菅原は立原の背中を軽く叩いた。
「行くって……、この格好のまま?」
「別にいいじゃないですか? 魅力的ですよ。十五分じゃ着替えてる暇もないし」
 躊躇している立原は、浮かれている菅原に押されるようにして理科室を出ていくのだった。
諌山 裕 mail url 2002/03/25月01:57 [21]


第二十節「波紋」返信  

【Writer:森村ゆうり】


 本来なら昼の光が差し込んでくるはずの窓という窓には暗幕が張られ、第一体育館はただ一ヶ所を除いては暗く静かだった。人々が息を殺して見詰める先には、明るく照らし出された舞台があった。
 引き込まれる。
 これが中学生が演じている芝居なのだろうか。
 立原美咲は、自分が副担任をしている二年一組の合唱が終わった後、続けて発表される二年三組の演劇を鑑賞していた。
 芝居が始まって十分もしないうちに、会場の雰囲気がガラリと変わるのを彼女は肌で感じた。
 もちろん、二年一組の合唱にも場内は惜しみない拍手と賛嘆の視線をくれた。美しいハーモニーはどこかの少年少女合唱団と言っても過言ではないできだったと、生徒たちを讃めたい気持ちでいっぱいにもなった。でも、今、目の前で演じられている芝居には、それとはまた別の次元で観客をその世界へと誘っていく力があった。
 演技自体は、中学生の域を越えたものではない。芝居などほとんどやったことのない生徒たちが必死で演じている姿があるだけなのだが、立原を含めた観客全員が息を殺し、展開を見守っている。
 脚本と演出は桜井のぞみという話だ。
 暗転されたステージにピンスポットが一つ、また一つとあたり、そこに立つ四人の主人公たちを照らし出す。荒涼とした未来の世界を彼らは語る。
『砂塵で霞む高層ビルの残骸、紫外線をものともせず成長し続ける大きな蔦の葉』
『人は植物の様に簡単にこの世界に順応することは出来ない』
 絶望的な未来の描写の語りで幕を開けた「イヴのおとしもの」という芝居は、未来からタイムスリップしてきた主人公達が崩壊への危機に瀕した地球を救うため、キーパーソンであるイブを探して現代を旅する物語だった。
『行こう! おれたちの過去へ』
『もちろん!』
『はい!』
『うん!』
 彼らの旅立ちの台詞が終わると再びステージは暗転して、ステージの上の世界は現在へと変わる。
 未来世界の環境汚染やタイムスリップと言った話は、ありがちで使い古されたもので、中学生が選ぶ題材としても珍しいものではない。
 天原祭のプログラムに印刷された劇の紹介文を読んだとき立原はそんな感想をもった。成績優秀な転校生・桜井のぞみが脚本を書き下ろしたという話を聞いていなければ、こうしてクラス発表が終わった後、居残ってまで観劇する気になったかどうか定かではない。
 むしろ、敬遠していたかもしれないくらいだ。中学生の知りえる情報で作られたそうした未来世界が、立原の持つ理科教師としての知識を刺激して、劇自体を楽しむことより浅い知識の部分を補う説明を生徒達にしたくなるのが目に見えたからだ。
 立原は、桜井のぞみの書いた脚本がどうしても気になった。郷田会長が自分と菅原をわざわざ呼びだしてまで、力になってやるように言った彼ら……
 見るべきだと思った。
 そして、今、舞台で演じられている世界は客席までを呑み込むような存在感をもって立原を引き込む。
 場面は進み、明るいステージの上で彼らが探しているものは、希望。
 旅は、多くの人に出会いながら進んでいく。
 彼らは連呼する。
 この世界の美しさを。
 それを破壊しはじめている原因の一つ一つを巡りながら。
 立原は、ふいに胸が苦しくなるほどの切なさを覚える。重い責任を担いながら懸命に進む彼らの姿は、日頃、同じ年代の生徒に接している彼女にはあまりにも健気に映った。そこで演じられているものがあたかも現実の出来事であるかのような錯覚が襲う。
 芝居はなおも進んでいく。
 探せば探すほどに、遠ざかっている気さえする当てどない旅に焦る少年たち。そこへ現れたもう一人の幼い少年は、未来からやって来たと語る。
 その少年が銀色の小さな箱を取り出して言うのだ。
『これはイヴのおとしものだよ。僕がみつけた大切な宝物。でも僕ではこの箱は開かないんだ』
『私たちの誰かなら開けられるかもしれないのよ。どうか、それを私たちに……』
 どうしてもイヴ探しの手がかりが欲しい少年たちは、その箱を彼から譲ってもらうために、少年が口にする滑稽な要求の全てを受け入れていく。
 鬼ごっこに始まり、最後にはダンスを披露する少年たち。
 箱の中には希望が詰まっていると信じて。
 そんな彼らの姿を見ながら、箱を持った幼い少年は笑っている。本当にただ楽しそうに笑っているのだ。
『そろそろ時間だから、これはここに置いていくよ』
 笑っていた少年が唐突に言った。
 大事そうに抱えてていた箱がステージの上にぽつんと置かれた所で、全ての照明が消されて暗転する。
 そして再びピンスポットがステージの中央を照らした。小さな銀色の箱が、何の変哲もないテーブルの上に乗せられている。舞台の上に人の気配はない。
 立原の心臓がドクンドクンとスピードを上げながら動いている。
 何かが違っていた。
 スピーカーを使って最後の言葉が語られる。
『さあ、開こう。箱の中にある未来を……』
『君が……』
 最後の台詞はそこで唐突に途切れた。
 キィーンというハウリングの音が体育館に響く。耳障りなその音はどんどん大きくなっていくばかりで、収まる気配をみせない。
 立原は、椅子から立ち上がる。簡単な放送機材のトラブルなら自分でもなんとか処置できるかもしれないと考えてのことだ。普通なら誰かが、音量の調節やマイクの位置を直し事態を収拾するはずである。
 その試行錯誤の間、音は一定の周波数で鳴り続けることはなく大きくなったり、小さくなったりするのだが、その変化も聞き取れない。
 音は鳴り続けるだけだ。
 まだ、観客たちはじっと座って、音が収まるのを待っている。あまり時間が経てば、パニック状態に陥る可能性も考えられる。暗く閉ざされた空間に多くの人間がひしめき合っているのだ。均衡は簡単に崩れる。
 立原の座っていた教職員席は、体育館の右端に細長く二列で設えられていて、舞台裏へ入る扉もステージの右端にあって、何かの時にはすぐに教職員が手助けできる形に設営されていた。
 慌てたそぶりを見せることなく、自然な動作で立原はステージの方へと歩き出した。
「立原先生」
 扉の前で声をかけられた。観客を刺激しないために小さく押し殺された声ではあったが、その主はすぐに知れた。
「菅原先生」
「これはおかしいですよね。立原先生。まだ、続いてる」
 菅原が言葉を続ける。
「普通ではないと思います。中に担任が居るはずなんですけど……」
 立原は言葉を最後まで紡ぐことができなかった。
 キィーン……
 音は耳障りを通り越したレベルまで跳ね上がる。
 ぴりり、ぴりりっ。
 窓ガラスが震える音。
 ぱりんっ。
 ぱりんっ。
 ぱりんっ。
 立て続けにガラスの割れる音が響いた。
 ここへ来て、静かに事態を見守っていた観客達にも動揺が走る。ざわざわとした言葉の波が館内に広がっていく。
 急がなければ……。
 立原は薄暗い館内を見渡した。
 どうやら菅原以外の教職員たちも動きはじめたらしく、さりげなく動き回る人影が幾つか確認できた。これで観客の誘導の心配はない。
 菅原が先に舞台裏へ続く扉へ消えて行った。
 立原もそれに続こうとした時、今度はハウリングの音でもガラスの割れる音でもない全く別の音が聞こえた。
 それは正確に言えば音ではなく、声だ。
『ボク……帰…るよ』
『よ……たね』
『あり…と…』
『い……よ。じゃ…』
『……』
 誰かが会話をしている。
『ありがとう。イブ』
 立原は思わず立ち止まって、館内を振り返り確認する。暗幕で作られた闇にも慣れてきた目で客の様子を見た。
 今の声は、自分の錯覚なのか。それともマイクの調子が直って再開された芝居の台詞の一部なのか。
 客の様子はまちまちだった。立原と同じように呆然と立ち尽くし不思議そうにしている者、先ほどと変わらず隣の席の人と何かしら会話している者。
「なんか、聞こえなかった?」
 ステージ近くの席に座っていた生徒の声が聞こえた。
「えーっ、キィーンって音とガラス割れる音のこと?」
「違うよぅ。人の声、でも、さっきのお芝居に出てた人の声じゃないと思う……」
「なに、それ。ちょー、やばくない?」
 立原にも声が聞こえた。
 聞き覚えがあるような気もする声。
「でも、劇に出ていた子の声じゃない気がするけど……」
 そして、唐突に事態は終息する。
 耳が痛くなるほどだったハウリングの音は消え、それと同時に振動も収まった。
「なんだったのよ……」
 立原が呟いた所へ館内にアナウンスが流れる。
『お静かに願います。お静かに願います』
 菅原の声だった。
『原因等は不明ですが、放送機材のトラブルで窓ガラスが破損している模様です。幸い、ガラスは飛び散ってはいませんので、観客の皆さんは、一旦、席につき職員の誘導に従って、静かに退場して下さい』
『なお、この後に予定されておりましたステージ発表のプログラムは、まことに申し訳ございませんが中止とさせていただきます』
 菅原のアナウンスに従って観客は着席し、放送に耳を傾けている。
 残りのステージ発表は職員有志によるバンド演奏とブラスバンド部の演奏だけである。中止になったとしてもまた発表の機会は作ることができるだろう。
『天原祭自体は引き続き執り行いますので、引き続きお楽しみ下さい』
 放送が終わると、職員達は四つある出入り口全てを開放し、近い席の人たちから外へ出るように誘導を始めた。
 立原は舞台裏へ入っていく。
 生徒や客を避難させて別な場所に待機させる必要はないのだろうか。
 そんな疑問を持ちながら奥へ入っていくと、そこには菅原と郷田の二人と数名の生徒だけが残っていた。
「郷田会長……。今のは会長の指示ですか?」
 立原が聞く。
「そうです。事件性はありませんから、立原先生も御心配なさらずに」
 郷田は笑顔で立原に言った。
「干渉要因が集まり過ぎた結果かな……」
 立原の背後で、一人の生徒が呟いたのが聞こえた。
「津川くん…?」
 二年一組の生徒である津川光輝だった。彼を囲むようにして、数名の生徒がぼそぼそと話をしているようだ。
「立原先生、聞いてますか?」
 菅原が言う。
「えっ、あ、いえ。もう一度お願いします」
「僕がここに入ってきた時には、もうこの状態だったので、正確なところは分からないんですが、放送機材の簡単な点検をして、他の職員には窓ガラスの破損状態の確認をしてもうということになりました」
「責任はワシが持つ。大事には至らないはずだ。そうだね。君たち」
 郷田が立原の後ろにいる生徒に問いただす。
「はい。これ以上のことが今日起こる可能性は低いはずです」
 またしても津川光輝だった。
「納得いきません!」
 立原は郷田に食ってかかった。
「もっともな意見だ。立原先生」
「僕も納得はしていませんよ。ただ、納得していなくても、点検の類は早いほうがいい。今、すぐやるべきことをやりましょう」
 菅原が立原をなだめるように言った。
「分かりました。でも、郷田会長、いずれきっちり説明していただきますよ。君たちもそのつもりで」
 立原は後ろに集まっている生徒たちにもそう言って、機材の点検のためさらに奥の部屋へ歩き始める。
「やはりここで間違いなかったと言うことだろ」
 また、津川光輝の声が立原の耳に届いた。彼女は振り返り、もう一度そこにいる生徒の顔を確認する。転校生の集団がそこにはあった。
 立原の脳裏に、今、観たばかりの二年三組の劇の一場面が蘇る。過去へと旅立つ少年たちの凛とした姿。
 まさかね。そんな非科学的なこと……。
 彼女は自分の馬鹿げた考えを振り払うために、職員として今やるべきことに取り掛かったのだった。
森村ゆうり 2002/03/18月02:04 [20]


第十九節「夢見るものの夢」返信  

【Writer:皆瀬仁太】


「ふふん、見たところ体力だけが自慢のようだな。この勝負もらった」
 達矢はにやりと笑ってみせた。彼の計算では凄味が出ているはずなのだが、ゲーリーは達矢と同じように「ふふん」と鼻を鳴らしてみせた。
「女のなりしてなにを凄んでるんだ? お嬢ちゃん」
 御子芝にやられたのを利用して喫茶店を抜け出して来たので、達矢は女装のままだったのである。それにことを片づけたらさっさと戻らないとならないので、一々着替えてはいられなかったのだ。でないと、またきつい一撃を食らうことに。
「少しは根性のあるやつだと思っていたが、そんな格好でちゃらちゃらしてるとは、見損なったぞ」
「このやろう!」
 怒りのため達矢の顔が真っ赤になる。が、白粉に隠されて、実際に見えているのはほんのりと朱色に染まった、湯あがりのような肌だった。
「かっかっかっ。なんとも色っぽいな」
「うるせえ。てめえだってだらしない格好でのびてただろ」
「なんだと!」
 二人はさきほど自分たちのクラスが運営する喫茶店で暴れ、御子芝の手でダブルノックダウンを食らわされるという、不名誉な結果を招いてしまったのだ。そのせいで、余計に熱くなっていた。
 達矢もゲーリーも同じ熱血タイプだ。相手に自分と同じ血の温度を感じれば、ぞくぞくしながら向かっていってしまうのである。
「能書きはもういい。勝負だ、ゲーリー」
 三つ建ち並ぶ校舎棟の裏側にある、第二体育館に二人はいる。ここで勝敗を決するつもりなのだ。

「のぞむところだ」
「どっちにいく? 右か?左か?」
「ふふん、オレはレディファーストの国に生まれたからな、選んでくれ」
「いまは言わせておいてやるよ。負けたら腕立て伏せ二百回だぞ。いいな?」
「相手を乗っけてな。いいとも」
 マンガなら、びしっと視線がぶつかりあって火花の散るところであろう。
「おれは右へゆく」
「わかった。オレは左だ」
「ゴールでまってるぜ」
「ふふん。そう願いたいものだ」
 もう一度火花を散らし、二人は左右の薄暗い通路へ消えていった。迷惑そうに後ろに並んでいた生徒達が、やれやれという顔で、左右を選んで進んでゆく。
 天原祭名物「魔空大迷路」。人気のアトラクションであった。

(思ったよりも複雑だな)
 人二人がすれ違うことのできる程度の通路が、かなり細かく左右に枝分かれしている。第二体育館の広さを考えると、けっこう複雑な迷路が描けそうだ。子供だましと思っていたが、なかなか攻略のしがいがありそうだ。
 行き止まりの通路を戻りながら、ゲーリーの勝負とは関係なく燃えるものを達矢は感じていた。
「魔空大迷路」は第二体育館の一階を丸々利用して作られていて、実際、かなりの難関である。途中いくつかのチェックポイントがあり、そこに係員が配置されているのだが、もしそれがなければ、薄暗さも手伝って、入ったまま出て来れなくなる可能性まで囁かれるほどだったのである。
 十年前に事故があって、それ以来、中止になっていたといういわくつきのものであった。
(とりあえず、行き止まりはつぶしていかないとな)
 達矢は勢いで迷路を走り回ったりせず、歩数を数えながら歩いていた。頭の中に歩いた部分の迷路を描いてゆくためだ。迷路の入り口は体育館の左端だった。体育館は東西に長い長方形で、スタートで達矢の選んだ右側が、長方形の長い辺に、ゲーリーの左側が短い辺に沿っての通路となっている。
 ゴールは体育館の右端となる。迷路に入らず、入り口から廊下をまっすぐゆけば、ゴールだ。トンチ勝負ならそれで勝ちかもしれないが。
 達矢は脳裏にマッピングしながら薄暗い迷路を進んでいった。

(けっこうやっかいだな)
 ゲーリーは軽く舌打ちをして、迷路を進んでいった。五分もあればゴールすると思っていたのだが、すでに十五分を経過していて、全体の八分の一ほどの範囲をチェックし終えた、というところだった。
 感触からすると達矢の選んだ右も、自分の選んだ左もゴールにつながっているはずだ、とゲーリーは踏んでいた。迷路を作った人間のパターンは把握した。このパターンから予想される経路を辿って一刻も早くゴールにつかなくてはならない。
(タツヤも同じことを考えているはず)
 ゲーリーは達矢を過小評価はしていなかった。自分と同レベルの能力を備えていると直感的に判断していたのだ。でなければ、チームの一員として選ばれるはずがない。
 一見、達矢は行動力のみのタフガイで、論理的な思考は苦手なように思える。しかし、それはあくまでチーム内にあってのことだ、とゲーリーは思っている。それが一番チームをスムーズに機能させることができるから、他のメンバーに任せているのである。
(それにしても)
 一筋縄ではいかない迷路だ。大体、チェックポイントがそろそろあってもおかしくないのだが。
 それに……。
 やけに周りが静かではないか?


「泣いてるのね」
「……」
「なんで泣いてるの?」
「……疲れちゃった」
「そう。ゆっくりおやすみなさい」
「でも……」
「なに?」
「花火が」
「そう。でも、それはいいのよ」


(チェックポイントがないな。それに)
 達矢は少しの間立ち止まって、周囲の気配を探ってみた。やはり、人の気配がしない。入り口では列を成していた学生たちがまるでいなくなってしまった。ウエイトレス姿を見られずにすむので、好都合ではあるのだが。
(圏外か……)
 ケータイを確認して、なにかが起きていることを達矢は確信した。ここで圏外になるはずがないのだ。少考ののち、マッピングにしたがって入り口に戻ってみる。が、予感していたとおり、スタート地点に戻ることはできなかった。マッピングは正確だったが、迷路のほうが元の場所にいなかったのである。
(おれが跳んだか、迷路が変質したか、それとも)
 達矢はいきなり、通路の隔壁を正拳で突いた。ずぼっと音がして、穴が開く。
(ダンポールはダンボールか)
 迷路自体を破壊してしまってもいいのだが、それでは解決にはならないだろう。がらんとした体育館内があらわれるだけのことだ。疲れるだけ無駄である。
(まずいな)
 達矢は眉をひそめた。
(ウエイトレスをさぽっていると思われちゃうわ)
 さしておもしろいギャグだとは自分でも思わなかった。

「まったくまじで気を失ってるわね。御子芝さん、手加減なし?」
「あ、いや。少々の加減はいたしたが」
「達矢にはそろそろ働いてもらわないとね。御子芝さん、喝いれてあげてね」
「うむ。心得た」
「あと、よろしく」

(めんどくさい。やっぱりぶっ壊そう)
(やはりおかしい)
 スタート時点に戻ろうとして成しえなかったゲーリーは、現状の把握をいかにすべきかを考えていた。
 相変わらず通路は薄暗く、静かだ。
(どうやら搖らいだな)
 外的要因か、ゲーリー自身に因を発するのかは定かではないが、この迷路は現実の迷路から切り離されてしまった、と彼は判断した。
 御子芝や高千穂の存在といい、二対が顕在化したタイムカプセルの件といい、この時代はかなり搖らいでいる。何かが起ころうとしているのは確実なのではないか、とゲーリーは強く感じていた。
 いずれにしても戻らなくてはならないが、どうしたらいいのか?
(考えてどうなるものでもないな。まずは問題を単純にしよう。余計なものは)
 ゲーリーは、ふんと鼻を鳴らし、迷路の壁を思い切り蹴飛ばした。
(壊してしまおう)


「もうすぐ来るからね」
「くるって?」
「君をここからだしてくれるひと」
「ボク、ここからでていいの?」
「いいの。ここにいちゃいけないの」
「ボクは利用されたのかな」
「そうかもね。でも、いまは違うわ」


(気持ち良く壊れるなあ)
 達矢は迷路をがんがん破壊していった。ゴジラの気持ちが分かるなあ、などと思っている。壊すものがあるから怪獣は暴れるのだ。破壊のための破壊。それは歴史もいっしょなのか?
(あいつ、もうゴールしてるかな)
 ケイタイの時計表示によれば、すでに一時間が経過している。もし、ゲーリーが先にゴールしていたら、いくらなんでも達矢が遅いことを不信に思うはずだ。
 もっとも、こっちでは一時間だが、あっちでは一分もたっていないかもしれない。
(とにかく、この迷路を取っ払えばなにかが見えるはずだ)
 根拠のない確信だったが、こういうときには下手な根拠よりも直感のほうがよほど真実に近いものだ。
(さあ、がんがんいこうぜ)
 達矢は迷路の破壊を続ける。
 やがてぼんやりと光りが見えてきた。

(ちょっとしたヒーローだな)
 ゲーリーは汗に濡れたブラウンの前髪を払って、一息ついた。すでに一時間ほどが過ぎている。迷路は気持ちいいくらい簡単に壊れていった。現実離れした感触だ。もっとも、ここはすでに現実ではないのかもしれないが。
(あいつはもうゴールしてるだろうな)
 ゲーリーの口元に微笑みが浮かぶ。不思議と悔しさがなかった。それはそれでいいだろうと思っていたのである。
(なんにせよ)
 この迷路を壊すのが当面の仕事だ、とゲーリーは考えていた。そこで必ず動きがある。
(おっ)
 ぼんやりとだが、明かりが見えてきた。いい感じだ。あの明かりまで進むんだ。あそこにいる。
(いる?)
 いるって誰が?
 誰がいるっていうんだ?

「この感じ。ジャンプのときの……。そろそろ起こしたほうがよさ(待って。もう少し)そ……なに?」
(いま起こしてはあぶない)
「そなたは?」

((なんだ?))
 光に向かってまっすぐに迷路を壊しながら来て、ようやくたどり着いた。いや、たどり着いたというより、薄暗い空間に遮るものがなにもなくなったのだ。空気の抜けてきた風船のように、光はふわふわと漂っていた。
(なんだあれは、まるで)
(人魂じゃないか)
「ボク、帰りたいんだ」
((しゃべった!!))
「でも、ひとりじゃここをでられない」
(成仏したいってことか)
(どうやれば)
(経でもあげるか)
(祈りをささげるか)
(というよりも、この場所そのものを叩き壊すってことだな)
(つまりこれは)
(トラップだ)
 ごう――
 激しい風が吹きつけた。それは憎悪、嫉妬、不満、など激しい負の感情だった。
「たすけて」
 人魂は怯えている。これに捕らえられているのだろう。マイナスのベクトルを持った残留思念、いわば悪霊みたいなものだ。
(うーん。悪霊退散って、どうするんだ?)
(相手の弱点をののしったらどうだろう?)
(そんな映画があったな。どこが弱点だ?)
(オレにきくな)
(無責任なやつだな)
(意識の世界だからな)
(おれたちも意識体か)
(霊魂みたいなもんだ)
(ならば)
((消えろ!!))
 悲鳴のように風が鳴った。
(効いてるな)
(あっちはしょせん残留思念だからな)
(おれらは生霊ってわけか?)
(よし、あれためしてみよう)
(おお、あれか)
(いくぞ)
((究極天技!))
((イカロスダイナマイト!!))


「つまり、ジャンプに失敗した連中の想念がトラップをつくっていた、ということになるのか?」
 達矢の質問に、光輝はうなずいた。
「もちろん仮説にすぎないけど、ありえることだろう。そのトラップに、今井俊司の、まあ、ソウル、と表現しておこうか。それが閉じ込められていたというわけだ」
「そうか」
 今井俊司。十年前、「魔空大迷路」で死体となって見つかった生徒だ。迷路が崩れたための事故、として処理されていたが、真相ははっきりしないのだという。
「人間の感情って、こわいもんだな」
「そうだな。消えていった者の無念がつくったものなのだろう」
「今井というやつのことを調べたら、もしかしたらなにか分かるかもしれないな」
「うん、そうだな。それにしても」
「なんだ?」
「なかなか色っぽいな。君は」
「……てめえ、光輝」

「つまり、選択的に君と神崎達矢が選ばれたということか」
 アンドルーは組んだ腕をほどいて、笑った。
「ひとつの思念体だったことに最後まで気がつかないというのは君たちらしいな」
 御子芝に気を失わされ、その時点からあの場所に誘われていったわけだが、ずっと二人で別々に行動していたと思い込んでいたところが笑えた。
 それだけ、思考パターンが似通っているわけだ。
「君たちはシンクロしていたわけだ。もう一つ君を驚かせるなら、今井俊司、彼も君たちとともにいたはずだ」
「え?」
「というより、そもそも、今回のことはなんだったと思う?」
「なんだった、というと?」

「つまり、もともとなにもなかったんだ。魔空大迷路は十年前の事故で中止になってから今年も復活していない。今井俊司という存在はたしかにその昔はいたが、いまはいない」
「じゃあ、光輝。あれは誰だったんだ」
「誰でもない。達矢、君たちがつくった一種の幻影だよ」
「……なにがどうなってるんだ?」
「あったのは、ジャンプに失敗した連中の集合思念、ひとつの場だな。その場に反応してあんな幻影をつくりだしてしまったんだ」
「そういうものなのか」
「「そう、すべてはいわば気のせいなんだ」」
「なるほど」
「「あまり気にしな 喝!

「な、なんだ」
 達矢は目をばちぱちしながら、周りを見回した。
 きりりとした、男装の御子芝と目が合い、ようやく自分のいる場所が、保健室であることも理解できた。
「御子芝さん。……どうなってるんだ」
「罠であったな」
「罠?」
「うむ。おぬし、取り込まれるところだったぞ」
「え? おれが? なんだよ、それ」
「誰でもよかったのか、それともおぬしを狙ったのかは分からぬが。救われたな」
「……よく分からないけど、御子芝さんが助けてくれたわけか」
「いや、もっと大きな力だ。あれは……」
「大きな力?」
「いや。ただ、おぬしらは目的に届くかもしれぬな。そうとなれば、もっと鍛えなくてはならぬ。天原祭が終わったら、さっそく剣術を教えよう」
「げっ」

 結局、達矢は今井俊司の魂を救い、トラップをぶっ壊した。それが正しい顛末らしい。
 ゲーリーは達矢と御子芝にノックダウンさせられたが、ふらふらしながらどこかへ去っていったという。ただ、ゲーリーとなにがしかの形で体験をともにしたのは間違いない、と達矢は確信していた。
 とりあえず、いまは天原祭を楽しむことにしよう。達矢が気を失っていた時間は十分ほど。まだまだ祭はこれからなのだ。
(ゲーリーと魔空大迷路で勝負してもいいな)
 ただし、このウエイトレスを終えてからだ。

「ボク、やっと帰れるよ」
「よかったね」
「ありがとう」
「いいのよ。じゃあ」
「じゃあ」

「ありがとう。イブ」
皆瀬仁太 2002/03/11月21:33 [19]


第十八節「天原ステーション特別編・第ニ部」返信  

【Writer:大神 陣矢】


「はーいみなさんこんにちはッ放送部によるおなじみお昼のプログラム天原ステ〜ィション特別拡張版がいままさに再・スッタァ〜〜トッ一年生による第一部に続いてこれからはワタシたちニ年生コンビがみなさんのごっ機嫌をうかがっちゃおうかなーーっていう寸法だったりなーんかしますんでしたりするんですよろしくはげしく美しくぅ〜〜〜、ふぃッ!」
「みなさん天原祭を楽しんでいただけていますでしょうか? 生徒たちがいっしょうけんめい準備した成果のほどをじっくりとご覧くださいね」
「てアンタは素かプレーンか無着色かっかっかかー!なによそのテンソンの低さ弱さはかなさったらればばられろればらりら。そんな按配じゃアちゃっちょこぴーのぴこりーぴんてチャンネオ変えられちゃうってばくさったらればさもお」
「あなたがハシャギすぎなんです。校内放送にチャンネルも何もないでしょう」
「オーゥソウリィそうだったネワタシニホンにキてマモないからチョトカンチガイしたのコトネ許してごめんね三拝九拝三跪九叩」
「どこからの帰国子女なんでしょうね。ムダ口叩いてないでちゃんと放送しますよ。まずは最初のナンバー、PKDの『もう人間じゃない』からいってみましょう」
「チェちぇーっ軽々と飄々と人の魂ケズリマッケンローのシャベクリを流してくりちゃってってってぇ〜〜っ」

♪人間やめた 人間やめた 人間やめちゃった
 やっと やっと 人間やめられたよ

「あらためましてこんにちは、文化祭特別プログラム『天原ステーション特別編』第ニ部のパーソナリティを担当します放送部ニ年のマッキ―こと真城島です。これからニ時間、みなさんに憩いと安らぎのひとときを提供したいと思います。よろしくお願いしますね」
「ってはーーいはいはいワタシワタシワタシもワタシも放送部ニ年せぇーいのチャァキチャキ天原っ子タッチ―こと樋渡達でぇーーすぅみなさんよろしくよろピクよろしかよろしけれェ〜〜ン。なんつって」
「何がどうなんつってなんだかわかりませんがまあいいです。第一部同様、私たちのトークと音楽を交えつつ天原祭の模様をお伝えしたいと思います。聴いてくださいね」
「とゆーか聴け聴け聴いてお願い聴いてください頼みますこのとおーり地べた地べたべたべた」
「あなたは態度がでかいのかひかえめなのか分かり辛いですね。まいいや。えーまずは、今後行われる発表物にかんするPRのコーナーです。最初のお客様は、ニ年三組の代表、桜井さんです。はじめまして、真城島です」
「あ、はい、はじめまして、桜井のぞみです。よろしくお願いします」
「あはぃはいはぃ樋渡達ですひ・と・た・ちっ!ひわたりたちとか読まないでくださいよ読まないでよ読んじゃいやいやンでもでもむしろ読んでほしいののののんのん」
「はぁ……」
「えと、この子はあんまり相手しないでいいです。さて桜井さんは三組の発表物についてPRしにきてくださったんですよね?」
「あっ、はい。今日の午後二時から、第一体育館でお芝居を上演します。ぜひ、観に来てください」
「おっと演劇ですか。どんなお話なんでしょう?」
「はい、タイトルは『イヴのおとしもの』といいます。四人の少年少女が、滅びかけた世界を救うために、過去にタイムスリップして活躍する、というお話なんです」
「ナントカントサイレントナイト、それはってばいわゆるサァイエンス・フゥィ〜〜クショォ〜〜ンな味加減のストーリーってな按配なのかのですかしら?」
「そう……ですね。当初は歴史ものにしようと思ってたんですけど、いざ書いてみたらぜんぜん別物になっちゃってました」
「おっと、そういえば桜井さんはこのお芝居の脚本・演出も担当されたとか。凄いですね〜」
「いやいやいやいや正味の話お若いのに大した才媛スこーんなにプリティなのに文才もアリアリだなんて天はニ物を与え放題っすねブツブツブツねったましぃほどにうらやましかッスよほとほととほほと」
「若いったって、同い年でしょうが。でも、ホントに凄いですね」
「いえそんな……でも、クラスのみんなががんばってくれたおかげで、とても見ごたえのある舞台になっていると思います。ぜひ、大勢の方に観ていただきたいなぁって、思います」
「なるほどなるほどなるにつれ興味シンシン胸ジンジン期待ぶくれの幻想広がりワタシもメチャ観に行きたいっスわその『ナイーブな天使たちの堕落』ッ」
「て全然タイトル違うし。第一、あなたはこの放送があるでしょうが。おやっ!? 手元の資料によると、桜井さんは帰国子女だそうですねぇ。それにしては日本語がご堪能でいらっしゃる」
「いえ、そんなこと」
「っつぅ〜かアナタキコシクジョならもっとこれこのこう特有の喋り方をしなきゃソンですわよ丸損損ッそれをもってキシクジョコ的なぁアイデンティティを確立してほどよくじんわり周囲から浮いてみせてくれるソレがコシキジョクらしい立ち居振舞い一挙手一投足とゆーものではなかろーかと思われるわけなんですがッ」
「なんですが、とか言われてもね。えーそんなわけで、桜井さんありがとうございました。演劇、がんばってくださいね」
「あ、はい。がんばります。ありがとうございました。樋渡達さん、がんばってね」
「うん。演劇のほうよろしくね。ワタシは手伝えないから」
「てあんたらクラスメイトかい!……それでは最後に次のナンバーを紹介していただいて、お別れです。ニ年三組桜井のぞみさんでした。ありがとうございました」
「はい、それでは聴いてください、KW・Jで『シスター・アダー』」

♪はさみがあれば 裁縫だって 解剖だってできちゃうの
 わたしのはさみ はさみを還して お兄ちゃん

「さて続いては名物コーナー、学園じゅうを飛びまわってなんでもかんでも実況してしまう『吶喊天原放送部ゲリラニュースニ十四時』の特別版です。えーただいま、タッチーに学生食堂へ行ってもらってます。どんな具合ですか、タ〜〜ッチ〜〜ッ?」
「はぁいぁいぁいあいあいあいこちらァ学食ですッんがッお昼どきということデまさしく戦場と見まがわーんわんわんばかりのソリッドな混み具合ィィヒィィててて押さないで押さないあぁぁぁぁぁんあんあんこここことほどかように人人人人人まみれなありさまですよぅ人人人人人おぅおぅおぅ」
「いやあ、かなり繁盛しているようですね。とここで、学食で喫茶店を催している料理研究会の部長である三年の渡さんと電話がつながってます。渡さんはじめまして。お忙しいところもうしわけありません」
「いえいえ。部員のみんなが頑張ってくれていますから大丈夫です。わざわざ取材していただいて有難うございます」
「丁寧なお言葉いたみいります。ところで例年、学食では料理研究会が喫茶店をやっているわけですが、今年はこれまで以上に客足が伸びているようですね?」
「ええ、これも部員たちのおかげです。中でも、……ってあーちょっとちょっと、そこの女子! 学食内での写真撮影は厳禁よ!! ってそこっ!! 『ウエイトレス』を質問責めにしてひとりじめしなーい!!」
「あの、渡さん、渡さん? …………えー、だいぶエキサイトしている模様ですね。素晴らしいリーダーシップです。ところでタッチー、もう復活した?」
「ウィエアッス!死んでも殺されない無敗のオンナ樋渡達タッチーいまここに帰還せりァあぃあぃあぃとはイエさっすがに今回ばかりは遭難するかと!放送事故かと!悠久の時の彼方にフェイダアウェイして学園七不思議プラスワンとして名鑑入りかと!」
「ごくろうさま。えーと、部長さんがどっか行っちゃったから、そのへんの人にちょっとインタビューとかしてみてほしいのね」
「了解でしたが!さあどこのどいつのこの野郎にクエスチョンという名の諸刃のツルギを突きつけてあげようかと!思案しておりますがさてしかし!このシャイなワタシをして呼びかけずにはいられな〜イ御仁はなかなかいないってっばっあっ……れっ、はっ、てちょっとちょっとそこを道行くお兄さん!?いやむしろお姉さん!?」
「……後にしてくれ。私は見かけどおり忙しいのでな」
「いやしかし追求せずにはいられないその状態!両手に手にした食器の山は重ね重ねて合計二十はいっていようかという!しかも女子でありながらもウエイタールックというもうツッコミどころ満載のあなたはただのウエイターではないと見たが如何かものかどうなのか!」
「案ずるな。まことただのウエイターゆえ。では急ぐ身ゆえ失敬」
「っとあーっとワタシの抜き身の突撃クエスチョンもするりとかわした男装ウエイターの彼女が足取りも軽快に厨房へと颯爽たる帰還ッまさしく蝶が刺し蜂が舞うがごとくゥ〜〜!おもわずお客さんたちも箸やスプーンやハンマーを止めて拍手喝采おひねり乱舞感謝御礼ポケット満載〜〜!」
「あなたがもらってどうするのよ。ちゃんとインタビューして頂戴」
「くはらわっアンタマジクールやねワタシの苦労も知ることもなさらないでぃいいぃけどねぇぇぇさぁてでは気をとりなおしてッちょーーっとそこを闊歩する体格のイイウエイトレスさぁーーーんメイアイヘルプユゥアッ」
「え? おれ? ……あっ!?」
「そうそれそお……ってアナタはッどこかで見覚えがあると思いきやワタシのクラスメイトであるところの神崎クンだったりなんかしませんかいダンナええ?」
「ウッ……い、いや、人違いじゃないかしら?」
「この期におよンでその白々しいにもほどがアリアリなそのリァクッションはある種見事ッしかしそうはいってもまあ。バレるよソレ」
「……やっぱりか……」
「いやいゃいやややしかしワタシアナタはバリバッソーの体育会系スクワット一日三千回プロテイン三リッター野郎だとば〜かし思ってやがりましたがドレソレこーしたことなのョそのゴッスロ〜リな、すなわちゴシック・ロッリ〜〜タ調のコス・チューム・はッ!!幻滅だよ!!幻が滅びたよいまここに音を立ててザザーンとよ!ゴスーンとよ!!」
「こっ、これにはいやしかし、深い意味と経緯と設定がっ……」
「言い訳なんかノーリスペクト!聞きたくないッシング!!このトシで女装趣味だなんてもぉ将来が愉しみで仕方ないのトリコロール!!」
「フッ……ぶざまな格好だな」
「ウッ!? 貴様はっ……」
「あーーっとここで突然乱入者が登場ッ誰かと見ればやはりワタシのクラスメイッである交換留学生ゲーリー・ブッシュ君だァそして神崎クンとのあいだには見えざる火花が鍔迫り合って飛散漏電注意一生火事の元〜〜ッ」
「話に聞いたときはまさかと思ったが……ホントにそんな格好で働いてるとはな。いったい、何の罰ゲームだい?」
「関係ないだろ……仕事の邪魔だ、注文しないのなら、帰れよ」
「……ヘッドドレスなんぞ着けて睨んでも説得力ないぞ」
「ほっとけッ……」
「うぅおぅっとコレはまさに両者を結ぶのは因縁という名の血塗られた赤い糸なのかっ早くも抗争の導火線に点火されてしまうというのかしらしららしら〜っ!?」
「ええ、これはもう、拳で決着(きめ)るしかないわね」
「っぉうっとそうおっしゃるのはいつのまにか戻っておいでの渡さんッッやおらオラオラと物騒な発言を発されてますがその真意たるや!?」
「渡さん、止めたほうがいいんじゃないですか?」
「ええ、止められるものなら止めたいところね。でも、これはいわば必然、男ふたりがにらみ合えば、どちらかがどちらかをしのぐために行動しなければいけない。それは言うなら本能の領域、もう誰も彼らを止めることはできやしないわ」
「よくわかりまセンが無責任だってコトはよくわかるコメントサンクスですおぉうあっと、言ってるそばから神崎×ブッシュの番外戦が始まってしまったーーッ両者ものすごい形相で激しい取っ組み合い〜ッこれはお客さんには大迷惑だッと思いきやそろいもそろって思わぬボーナストラックに拍手喝采天原コールだッノリが良すぎるぞ今日のお客〜〜ウ!!」
「ああ、椅子も使うのね」
「ああーっ椅子!椅子ゥ椅子を持ち出したのはブーッシュ!しかし負けじと神崎も手近なテーブル!テーブルに手をかけたーーッここに予期せぬ天原凶器王決定戦のゴングが叩き鳴らされようとしているというのでしょうかしらあ〜〜〜ンッ」
「御子芝さん、そろそろね」
「あーーーっとここで厨房から電光石火の勢いで誰かが走ってきた!手にはオーダーされたイチゴケーキセットッそして神崎に駆け寄るやテーブルを踏み台にして顔面に痛烈飛び膝蹴り〜ィッッああッしかもその反動を利用してブッシュの側頭部にも膝蹴りゥイ〜〜〜ッ!両者のけぞってダ〜ブルノ〜〜〜ックダゥ〜〜ンッそしてそのまま17番テーブルにケーキセットをお待ちど〜〜うっ!!ふたたび観客からは大・天原コールとおひねりの乱れ咲き〜〜ッ!!」
「やるわね、御子芝さん」

「なかなかにぎやかな様子でしたね。皆さんも学食に行くさいはおひねりをお忘れなく。それでは、ここで次のナンバーです。聖天原学園中学校校歌『まだ視(み)ぬきみへ』ユーロビートバージョン。聞いてくださいね。……」
大神 陣矢 2002/03/02土23:44 [18]


第十七節「花火」返信  

【Writer:水上 悠】


 ごくありきたりの学校。
 私学ってこと以外、とりたてて何かが違うわけじゃない。
 違うところがあるとすれば、代々学校に伝わる怪談の類が、ウソじゃないってことくらいだろうか?
 自分でいうのもなんだけど、ボクのことを知らない生徒はいない。
 学園の一大行事の前の晩、誰かが花火をあげる。
 パン、パン!
 ボクがあげる花火を誰かが見てしまったら……?
 べつにボクは何もしない。
 ボクを見ることが出来たとしても、それはいつものこと。
 ボクはいつもこの学校のどこかにいる。
 過去にも、未来にも。
 幽霊だなんて思わないでほしい。みんなはそう思いたいのかもしれないけれど。
 すべては、彼からの贈り物を受け取った時にはじまったのだから。
 因果関係ははっきりしてる。

 彼からの依頼はしごくシンプルだった。
『仕事はいたって簡単。これをあそこに置いて、ボタンを押して……。簡単だろ?』
 彼──そう、彼は彼。誰だってかまわない。
 ボクが最後に学校の門をくぐったのは、何年前のことだろう?
 誰もボクのことなど覚えてないだろう。先生たちは覚えているかもしれないが、はたして顔と名前をちゃんと覚えていてくれているかどうか……。
 自分でいうものなんだけど、そんなに目立つような生徒じゃなかった。
 誰かの記憶にボクが残っているとするなら……いや、誰もあれがボクのやったことだなんて知らない。文化祭の前の晩に、校庭の真ん中で夜中に花火をあげたことを。
 早春の夜空に咲いた季節はずれの光の花が、夕方から強まっていた北風の叫びにかき消されるようにして、消えていったのを覚えている。
 そして、光の花が完全に消えた時、彼からの最初の贈り物が星空から落ちてきた。
 月の光にそれはキラキラと光り、ボクの足下で、生ある物のように少し動いたようだった。透明の薄いカードサイズのプラスチックのような材質でできたそれを手に取ると、ボクの目の前に見たこともない光景が映し出された。
 広漠たる廃墟。
 生き物の息づかいすら感じ取れない、まったくの廃墟。
 それがどこなのか、ボクにはわからなかった。
 わからなくてもかまわない。
 ボクには関係のないことだから。
 
 天原祭──校舎の屋上から大きな垂れ幕がぶら下がり、風に揺れている。
 お祭りの前の静けさの中、のんきな雀たちの声が響いている。
 東の空に今日最初の太陽の光が顔をのぞかせ、ずっと憂鬱でしかたのなかった文化祭の朝が始まろうとしていた。
 でも、今日は違う。
 退屈なクラスの出し物を手伝う必要もないし、浮かれ騒ぐみんなを眺めるだけの退屈な時間を過ごす必要もない。
『君が主役。わかるだろ?』
 彼はいった。
 そう、今年の天原祭の主役は、このボクだ。
 バックパックに入っているのは、彼からもらった最後の贈り物。
 誰もいない校庭の真ん中で、ボクはそれを取り出し、土の上にタオルを敷いて、その上に置いた。まったく継ぎ目のないチタンに似た金属のような物で出来た箱は、タオルの上で、出番が来たことを知っているかのように、身じろぎをした。
 生きているわけはないのに、ボクにはそう見えた。
『時間は一方にだけ流れてるわけじゃない。君が、今の君じゃないかもしれない時間も存在するかもしれない。もし、君がその可能性を否定しないっていうなら……』
 声はそこでとぎれたまま、数日が過ぎた。
 文化祭の前日の晩に落ちてきたカードは、忘れた頃に、彼の声をとぎれとぎれに伝えてくる。
 ボクは声の指示に従って、あるモノを見つけに行ったり、それをどこかに隠したり、何年もの間、ずっと彼の言うとおりにしてきた。
 でも、たぶん今日のこれが最後だろう。
 彼はいった。
『……すべての可能性を無に帰さないためにも、彼らを止めなければならない』
 彼らって誰のことだろう?
 そんなことはどうだっていい。
 ボクは、ずっと目に見えない彼らと戦っていた。
 勝っていたのか、負けていたのかすらも知らない。
 すべて、この学校に関係していたことだから、ボクは彼の言いなりになってすべてをやり遂げてきた。
 学校に恨みがあるのかって?
 どうだろう。
 恨みらしい恨みがあるとすれば、ここで過ごした時間が、無駄だと思えることぐらいだろうか。
『はじめの花火が上がる。時の流れが少しだけ遅くなる。次の花火が上がる。また、時の流れが遅くなる。次、その次……最後の花火の後、時間は止まる。その箱が刻む二時間の間だけ。すべてを無に帰すイヴを探し、ありのままの世界を取り戻すための二時間。君たちには十分すぎる時間のはずだ』
 イヴ?
 そう、彼女はたしかにそう呼ばれていた。
 誰がイヴなんて言い出したのかは覚えていない。
 斜め前の、窓際の席に座っていた彼女の後ろ姿はすぐに思い出すことが出来るけど、どんな顔だったのかまでは思い出すことができない。
 この二年間、幾度となく繰り返してきた時間旅行のせいで、記憶が曖昧になってしまった。
 ボクがボクであることすら、ときどき忘れていることもある。
「ねぇ、イヴが誰かなんてどうだっていいだろ?」
 ボクは箱に向かって語りかけていた。
「時間なんて、誰がどうやったってすぎていくものなんだし……」
 もし、あの日、最初の贈り物を拾うことがなかったとしたら?
 仮定の話なら、いくらだって出来る。
「たしかに、君のいうとおり簡単なことだったよ。でも、もうどうだっていい。ボクはボクに戻りたいだけ」
 彼の指示通り、箱の表面にあるブルーのボタンを二度押し、次にグリーンのボタンを押し、最後に二つのボタンを同時に押した。
 甲高い金属音があたりに響き渡った。
 驚いた雀たちが飛び去っていく。
 ボクの耳にだけ、花火の音が聞こえた。
 目の前に開いた、時の扉の向こうは、あの日、ボクが上げた打ち上げ花火の真下。
 ボクは扉をくぐり抜け、ボク自身を取り戻す。
 明日は卒業式。
 天原祭?
 今日がどうなろうと知らない。
 その頃にはボクはここを卒業している。
 さぞ、楽しい学園祭になることだろう。
「ごめんね」
 ボクは彼を最後の最後で裏切った。
 でも、気にしない。
 彼はたぶん、ボクじゃない誰かを必要としていたのだろうから。
水上 悠 2002/02/25月01:01 [17]

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