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リレー小説『ラスト・フォーティーン』のページです。
本作は2001年11月3日〜2002年7月8日に渡って、週刊連載されたものです。
本作品に対する、ご意見、ご感想等は、「BBS2」に書き込みしてください。
執筆陣⇒諌山裕/水上悠/森村ゆうり/大神陣矢/皆瀬仁太
【設定・紹介ページ 】【各話人気投票】【キャラ人気投票】


第三四節「始まりのエピローグ」返信  

【Writer:諌山 裕】


 九組のつぶらな瞳が、彼女に注がれていた。遊び盛りの子供たちだったが、彼女が物語を語ってきかせると、騒ぐこともなく夢中になっていた。
「のぞみおばあちゃん、それからどうなったの?」
 子供たちの中で一番の年上である少女、ニコールがきいた。彼女はキャサリンの娘だ。ニコールは母親似で、サラサラの金髪に優しくも気丈な顔立ちはキャサリンにそっくりだ。
 同時期に妊娠していた、理奈、ジャネット、キャサリンの中で、キャサリンが最初に産んだのだ。しかし、キャサリンはもともと虚弱体質であったことも一因となり、出産にともなう衰弱と合併症で一時は危篤状態に陥った。幸いにも一命を取り留めたが、もう妊娠はできない体となった。傷心の彼女をはげまし、心の支えとなったのがゲーリーであり、のちにふたりは結ばれた。
 子供たちは十歳から五歳までの九人がいる。
「子供たち! のぞみおばあちゃんを困らせないのよ!」
 キッチンで料理をしている春奈がいった。キッチンには理奈と菅原もいた。リビングではジャネット、キャサリン、美咲がテーブルの準備をしている。
「だって、おはなしがききたいんだもん」
 春奈の子供である、達巳が口を尖らせた。春奈は未婚の母だった。アメリカに留学したときに出会った、同じく留学生だったドイツ人青年との子供だ。
「いいのよ、春奈。子供たちと話してると、いい物語が書ける気がするの」
 のぞみは三〇代半ばにして孫が生まれ、おばあちゃんと呼ばれようになっていた。始めのうちは抵抗があったものの、家族に囲まれていることに喜びを感じていた。
 今日は年になん度か集まる、ホームパーティーとなっていた。クリスマスやハロウィン、そして日本の行事としての盆と正月。特に重要なのが、八月だった。八月はのぞみと達矢、菅原拓郎と美咲の結婚記念日、郷田義章の命日があるからだ。
 郷田は二年前に、六三歳という若さで他界した。彼はのぞみたちの親同然の存在であり、彼にとっても彼らは子供同然だった。彼の遺志と財産は、彼ら――のぞみ、達矢、理奈、光輝、アンドルー、ジャネット、キャサリン、ゲーリー――に託された。
 八月には彼ら八人とその子供たちに加えて、菅原一家が参加して盛大なパーティーが行われる。今日はその大切な日なのだ。
 旧郷田邸には、萩原達矢、のぞみ、春奈、達巳の一家が住んでいた。パーティーはここで催される。
 広いリビングには、仲間たちとその家族が集っていた。妻たちがパーティーの準備をしている一方で、夫たちはスポーツの話題に談笑し、子供たちはのぞみを取り囲んでいる。それぞれの家族は郷田の所有していた土地に居を構え、普段から家族同然のつきあいをしていた。
 のぞみは大家族の中の中心的な存在となっていた。彼女は家族に囲まれて幸福感を感じていた。萩原恵羽として作家業をする彼女にとって、家族はなによりも大切なものだった。
「おばあちゃんとおじいちゃんの、けっこんのおなはなしがききたいな」達巳がねだった。
「そう? 前にも話したと思うけど?」のぞみはいった。
「うん、でもね、もういっかいききたい。しらないひともいるよ」
「ぼく、しらない」菅原の息子の拓也がいった。
「いいわ。じゃあ、その話をしましょう」
 のぞみは懐かしむように話し始めた。


 高原邸への侵入作戦から一週間後。郷田邸のリビングには一同が集まっていた。郷田、菅原、立原、理奈、キャサリン、ジャネット、アンドルー、ゲーリー、光輝、そして高原涼子の十人である。
 全員が集まったのには訳があった。高原邸で出会った春奈が、引き合わせたい人がいるといったからだった。郷田はディナーをセッティングして、彼らを招待していた。招待は午後七時の予定だった。
「そろそろかしら?」
 理奈は時計を見ていった。七時十五分前である。
「その春奈って子、ここの学園の生徒なのよね。一学年下だけど。いままであまり目立たなかったのが不思議。きけばけっこう可愛くて人気者だっていうじゃない。ミス・マリアの候補になってもおかしくなかったのに」
「候補の一歩手前らしかったわよ。気になって調べてみたら、サーバーにデータを改竄した痕跡があったわ。意図的にはずしたのよ。しかもわざと痕跡を残していた。探られることを予期していたんだわ」とジャネット。
「涼子さんはなにか知ってる?」理奈がきいた。
 涼子は首を振った。
「詳しいことはなにも。ただ、彼女が來視能力者らしいということだけよ。以前の私にコンタクトを取ってきたのは、あの子なのよ」
 立原が口を開く。
「学園の資料によると、彼女の両親は萩原隆一さんと恵羽さん。ふたりとも孤児だったとかで、カトリック教会の神父の養子となってたわ。その神父さんはすでに亡くなっていて、春奈さんが中学生になるのを期に、この町に越してきたとのことよ」
「萩原恵羽? 作家の?」とキャサリン。
「そこまでは記載されてないわ」
「あり得るかもね。珍しい名前だし、作品の内容からして、関連性はありそう」キャサリンは興味津々にいった。
「ところで」と、理奈はいたずらっぽい笑みを立原に向けた。
「先生たちの結婚式はいつなんですか?」
 立原ははにかんだ。彼女を見た菅原が代弁する。
「ええっとだな……、まだプロポーズから日が浅いので、まだ具体的にはなにも決まっていないんだ」彼も照れている。
「八月がいいんじゃない? 夏休みだし、その頃にはあたしたちも出産が終わっているから、出席できるわ」ジャネットがいった。
「賛成」と理奈。
「式は学園の礼拝堂がいいですね。生徒たちも参加できるし」キャサリンは提案した。
「ちょっと、あなたたち! 勝手に話を進めないで」立原は額に手を当てて困惑していた。
 一同の間に笑いが広がった。
 玄関のチャイムが鳴る。笑い声は中断された。
「来たようね」理奈は真顔になった。
「わしが出迎えよう。みんなは待っていてくれ」郷田は席を立ってリビングを出ていく。
 玄関で郷田と来客が、なにごとかを会話している声がきこえる。郷田が「おおっ」と驚きの声をあげていた。郷田はなかなか戻ってこなかった。リビングにいる彼らは聞き耳を立てていたが、内容は聞き取れなかった。
 皆の注目がリビングの入口に集まる。郷田はひとりで部屋に入ってきた。彼は驚きを隠せないといった表情をして、無言のまま自分の席に座った。
「郷田さん? お客さんは?」理奈はしびれを切らしてきいた。
「うむ……、来ているよ。すぐに……」
「は〜い!」と明るい声とともに、少女がリビングに入ってきた。
「春奈です! こんばんは!」
 春奈は学園の制服姿だった。もともと短めのスカートなのだが、彼女はさらにミニスカートにしていた。
「この間はどうも。アンドルー、光輝、ゲーリー」彼女は三人に笑みを送った。
 理奈は唖然としていた。ショートヘアの春奈だが、髪を伸ばせばのぞみに似ていると思ったからだ。
「の、のぞみ?」理奈は思わず口走った。
 春奈は意味深な笑みを理奈に向けた。
「理奈、わたしはのぞみじゃないの。でもね、もうさっきから泣いてるのよ、わたしのママは」
 春奈は跳ねるようにリビングから出ていく。
「ほらほら、みんな待ってるよ」春奈の声だけがきこえた。
「ママって……?」
 理奈は状況が把握できないにもかかわらず、なぜか涙があふれてくるのだった。郷田に目をやると、彼も目が潤んでいた。
 ほどなく春奈はふたりの手を引いて戻ってきた。
「わたしのパパとママです」
 現れた大人の男女を、一同は凝視する。沈黙と思考の時間が数秒流れる。やがて、ふたりが誰であるかに思いいたる。
「んもう、じれったいなー。のぞみと達矢、わたしの両親よ。ちなみに、表向きの名前の恵羽と隆一は偽名よ」春奈は一同の疑問に答えた。
「のぞみ? ほんとに、のぞみなの?」理奈の声は震えていた。
 うつむいていたのぞみは顔を上げた。
「ええ、そうよ、理奈。やっと会えた……」
「久しぶりだ、みんな。ずっと君たちを見守っていた」達矢がいった。彼の声は声変わりして太くなっていた。
 理奈はのぞみに駆けよる。のぞみは両手を広げて彼女を受けとめた。ほかの者もあとに続いた。のぞみと達矢を囲んで、再会の抱擁が繰りかえされた。
「どうして、どうして連絡をくれなかったの?」理奈は泣きながらきいた。
「あなたたちの行動に干渉しないためよ。辛い経験もあったけど、それは必要なことだったの」のぞみは答えた。
「達矢! この野郎! のぞみと結婚したのか?」ゲーリーはうれし泣きしながら、達矢をこづいた。
「すまない、ゲーリー。抜け駆けしちまった。でも、籍は入れてるが、結婚式はしてないんだ。いろいろと事情があってな」と達矢。
「あなたたちが戻っていたなんて。ダメだと思っていたのよ。ほんと、よかったわ」高原はいった。
「高原さんもこっちに来られてよかったよ。でも、御子芝さんと高千穂さんは……ふたりは戻れなかった。ガブリエルに阻止されてしまった」達矢は苦々しくいった。
「そう……、それは残念だわ。責任の一端は私にもあるわね。力不足だった……」高原はうなだれた。
「おいおい」とアンドルーは注意をうながす。
「再会はもちろんうれしいが……。どういうことなんだ? 三〇世紀での顛末は高原からきいたが、のぞみと達矢は何歳になったんだ? 立原先生と同じくらいに見えるが? なぜなんだ?」
「二九歳だ」と達矢。
「つまり……」理奈の目が輝いた。
 のぞみが理奈にうなずく。
「ええ、わたしたちに二六世紀人の老化現象は起こらなかったのよ。始めのうちはそれを心配していたの。一九八八年に戻って、一年ほど様子を見ていたけど、顕著な症状は現れなかったわ。でも、いつまで保つかはわからなかった。それで達矢ともいろいろ相談して、メッセンジャーとして子供を生むことにしたの。一六歳の時よ。あなたたちが学園に来る頃に、春奈も中学生になるという計画だったの」
「はい、そのメッセンジャーがわたし!」春奈は明るくいった。
 再会の喜びにリビングは活気づいた。次々と質問が達矢とのぞみにぶつけられ、ふたりはかいつまんで経緯を説明した。テーブルについてディナーを食べながらも、達矢とのぞみを中心に積もる話は尽きなかった。
 デザートを食べ終え、コーヒーや紅茶をすするころになると、話題は達矢とのぞみの経験談から、現在のそしてこれからのことに変わっていった。
「あたしたちも大人になれると思う?」理奈はきいた。
 のぞみが答える。
「その可能性が高いと思うわ。DNA検査をしてみるといいかも。この時代だとまだおおざっぱなことしかわからないけど、未来で改造されたDNAが残っているかどうかくらい、わかるかもしれない。もし、それが消えているなら、リセットされていると思うの」
「時空転移をすると、DNAが変異するというのも新しい発見だな。誰もそんなことは予測しなかった」とアンドルー。
「これは推測だが」達矢が口をはさむ。
「遺伝子と時間は密接な関係にあるんじゃないかと思う。そもそも遺伝子のシナリオは、未来のシナリオでもあるからな。用途が不明だった反復配列は、未来からの情報をキャッチする役割をしているのかもしれない。人間がそこに無理矢理情報を詰め込んだために、遺伝子は機能を制限されてしまった。その結果が、著しい劣化現象だったとも考えられる」
「筋が通る仮説ね。遺伝子が時間に対してチャンネルを持っているとすれば、時空転移することで影響を受けることは十分考えられるわ。ミッシング・トリガーがなんであるにしても、あたしたちが過去に飛ぶことが必要だったのね。この子を生むために」ジャネットは自分のお腹をさすった。
 光輝はジャネットの肩を抱きよせる。
「そうだね。來視能力のことも、これで説明ができるよ。遺伝子の時間チャンネルが、アクティヴメモリとして働いているんだ」
「しかし」とアンドルーは眉をひそめる。
「ガブリエルをやっつけたわけではない。奴はこれからも過去に干渉してくるはずだ。それとどう対抗するかだな」
 キャサリンが身を乗り出す。
「それなんだけど、神話や伝説に登場する神や悪魔と呼ばれるものは、ガブリエルなのかもしれないわ。認めたくはないけど、聖書に出てくる神も。神はときに人々に福音をもたらすけど、ときに罰として人々を犠牲にしてきた。信じる神の違いが原因で、幾多の戦いが行われて、多くの人々が死んだことも事実よ。電磁界寄生体にとって、人々の魂は資源なのかも」
「魂を食ってるってことか? 救済じゃなくて吸収か? 天国というのは幻想だな」とゲーリー。
 高原が遠慮がちに口を開く。
「誤解してほしくないんだけど……。ガブリエルはすべてが悪ではないと思うの。彼が神の代役をしたとしたら、それで救われたこともあるんじゃないかしら? 月のエデンはある意味では理想の実現だったのよ。彼は人間を利用しているけど、けっして滅ぼそうとしているんじゃないの」
「高原さんがそういいたいのは、わかるよ。でも、問題はガブリエルは神ではないということだ。奴が人間を支配して、歴史に干渉する権利はない。人間の体の中には、いろんな微生物が共存しているし、利用もしている。人間と電磁界寄生体の関係が、共生関係だとしても主導権は人間にある。奴の都合で生き死にを左右されるのは面白くないね」達矢はいった。
「あたしたちにできることは、なにかしら?」理奈はため息交じりいった。
 ため息がいくつもつかれた。
「難しい問題だな。オレたちにできることは限られている。直接的にはガブリエルを叩くことだが、それは実現性が乏しい」アンドルーは首を振った。
「あのね」のぞみは皆の顔を見る。
「わたし、これまで生きてきて、実感したことがあるの。なんていうかな、人間らしく生きるっていうか、精一杯生きてきたの。春奈が生まれてからは、この子のためにも未来をよりいいものにしたいと思うようになったわ。
 でも、誰もがそう願っていても、世界のどこかでは戦争が起こっているし、飢えや貧困が蝕んでるわ。科学が進歩して、世の中が便利にはなったけど、人間が人間であることを忘れているように感じることもある。政治が腐敗して、社会が病んでくると、人々の心も歪んでいく。そういうときに未来から意識転送の植民が行われたら、誰も気がつくことなく乗っ取られてしまうと思うの。
 わたしたちの知っている未来では、アメリカが世界の主導権を握ってしまって、世界秩序を左右する暴君になってしまったわ。そして世界大戦の引き金にもなった。アメリカが衰退すると、今度はアジアが世界の覇権を握ったわ。その繰りかえしで、世界は疲弊していったのよ。そこにガブリエルが介在したとしても、潜在的に人間の心に付け入る隙があったのよ。
 わたしたちは人間として、もっと成長しなくてはいけないわ」
「それって、『未来の遺伝子』にも書いていたことね」理奈はうなずいた。
「ええ。で、現実的にどうするかといえば、子供たちを望ましい方向に導いて育てることだと思うわ。子供は親を、大人を見て育つものよ。大人にモラルや人間性が欠如すれば、子供もそれを真似するわ。社会の歪みはその連鎖で拡大していく。未来を変えられるとしたら、それは子供たちなのよ。大人はそのことを忘れているか、気がついていないと思うの。自覚が足りないのよ」
「天原学園はいい学校だけどね。こういう学校がもっとあるといいな。親としては安心できるんだ。高校も造りませんか? 郷田さん」達矢はいった。
 突然話を振られた郷田は苦笑いする。
「そうだな、前向きに考えよう」
「ところで」理奈は話題を変える。
「達矢とのぞみは、結婚式はしてないっていったよね?」
「ああ、それどころじゃなかったんだ。春奈が生まれたときは、十六歳だったし」達矢は頭を掻いた。
「それならさ、これから結婚式したら? 再会できたわけだし、あたしたちも出席できるじゃない。そうそう、立原先生と菅原先生の結婚式と一緒にしよう!」理奈はパンッと手を叩いた。
「いまさら……」と達矢。
「わたしも賛成! パパとママの結婚式なんて、素敵!」春奈は喜んだ。
「のぞみだって、ウエディングドレス着たいでしょ?」理奈はきいた。
「ええ……まぁ……」
「決まり!」
「おいおい、僕たちはまだ……」菅原は口ごもった。
 理奈は菅原をさえぎってきく。
「立原先生、いいですよね?」
「そうね、それもいいかもね」立原は快諾した。
「え? そうなのか?」菅原は唖然としていた。
「菅原先生、こういうのは女性の方が主導権を握るもんなんですよ」郷田は笑った。
 話題は結婚式のこととなり、女性たちの熱の入った話しが展開される。男性たちは成り行きを見守るだけだった。


 夏――。
 理奈にとっては二一世紀で迎える二度目の夏だ。彼女は無事に出産を終え、新しい命を腕に抱いて庭のベンチにたたずんでいた。
「もう一年経ったのよね。なんか、ずいぶんいろいろなことがあったわ」
 学園も郷田邸の庭園も緑が萌え、せわしない蝉が鳴いている。
「ほんと、たった一年だけど、ずいぶん変わったわね」ジャネットも赤子を抱いていた。
「わたしたちの変化は時間の経過だけではないわ。もっと深い意味があるのよ。行き詰まった未来からこの時代に来て、わたしたちは生きることの意味を知った。未来にいても、それなりに生きがいはあっただろうけど、こことは較べものにならないわ」
 ドレスアップしたキャサリンの腕には赤子はいない。彼女は早産だったために、子供はまだ保育器の中なのだ。
 スーツ姿の少年たちが、庭に入ってくる。
「迎えに来た。いいか?」とアンドルー。
 理奈は立ち上がると、アンドルーにエスコートされていく。光輝はジャネットに、ゲーリーがキャサリンのそばについた。
 彼らは礼拝堂へと向かった。
 ポプラ並木を歩きながら、さまざまな想いが巡る。これまでのこと、これからのこと。彼らは十五歳になったばかりだ。過去に向かって飛び立ったときには、予想だにしなかった経験を経て、新たな人生を歩き始めていた。
 未来人には不可避の運命だった早期の老化は訪れないかもしれないが、彼らが二一世紀の人々と同じように寿命を全うできるとは限らない。彼らはこれからの人生を、神からの贈り物と考えていた。神とは無論ガブリエルのことではない。彼らをここに導いた、運命こそが神なのだ。
「あたしたちも十八歳になったら、ここで結婚式をしようね」理奈はいった。
「みんなで一緒にか?」アンドルーは微笑む。
「もちろん。みんな家族みたいなものでしょ」
「家族か。未来には欠けている連帯感だな。どうしてこれほど大切なことを忘れてしまったのだろう」
「それがそもそもの間違いなのかもね」
 彼らが礼拝堂に着くと、入堂する出席者の列ができていた。スーツやドレスに交じって、学園の制服も多い。
「学校のミサみたいね」ジャネットはいった。
「にぎやかでいいんじゃない? 立原先生も菅原先生も人気者だから」と光輝。
 彼らが礼拝堂に入ると、拍手で迎えられた。出産した彼女たちへの祝福だ。彼らは拍手の中を進み、最前列に腰かける。
 出席者が席につくと、礼拝堂の外側と内側の入口が閉じられた。ざわざわしていた堂内が静かになる。
 張りつめた緊張感に、流れる時間の感覚が速くなる。十五分ほどの待ち時間は、瞬く間に過ぎていく。
 パイプオルガンが旋律を奏で始めた。メンデルスゾーン作曲の“結婚行進曲”である。馴染みのある曲だが、聖堂のパイプオルガンできくと、まったく違ったものにきこえた。
 聖堂の内側の扉が開く。列席者は起立し、視線が開いた入口に集まった。
 まず入ってきたのは、菅原と立原の兄弟と両親だ。続いて証人となる夫妻。そのあとに新郎新婦である、菅原とウエディングトレスの立原が続く。しばらく間をおいて、郷田を先頭に達矢とのぞみが現れた。兄弟も両親もいないふたりのために、郷田が親代わりとなったのだ。最後に式を取り仕切る司祭が続いた。
「のぞみのウエディングドレス、とっても綺麗」理奈は自分のことのようにうれしかった。
 入堂が終わると、司祭が挨拶を始める。
「父と子と聖霊の御名によって」
「アーメン」列席者一同が唱和した。
「主イエス・キリストによって、神である父からの恵みと平和が皆さんとともに」と司祭は続けた。
「また司祭とともに」一同の唱和。
 さらに司祭は続ける。
「皆さん、私たちは喜びのうちに今日の日を迎え、達矢さんとのぞみさん、そして菅原拓郎さん立原美咲さんを囲んで、主の家に集まっています。お二組はいま、新しい共同体をつくることを望んでいます。この厳粛なときに当たり、ともに祈りをささげ、今日、神が語られる言葉をお二組とともにききましょう。そして、父である神がお二組を祝福し、いつまでもひとつにしてくださるよう、教会とともに、私たちの主・キリストを通して願いましょう」
 一同は沈黙して祈願する。
「天地の創造主である神よ、あなたは世の初めに、命あるすべてのものを祝福し、それらの一致を強く望まれました。いま、結婚の誓いをかわす達矢とのぞみ、拓郎と美咲を、豊かな祝福で満たしてください。ふたりが心をひとつにし、互いに受け入れ合い、あなたの愛の証となることができますように。
 聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって」
「アーメン」
 列席者は着席した。
 式次第にそって、儀式はおごそかに進められていく。聖書の一節が朗読され、感謝と祝福が讃えられる。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません」(新約聖書 第一コリント十三章四節〜八節)
 そして聖歌「妹背を契る」を歌う。

“妹背(いもせ)を契(ちぎ)る 家のうち
 わが主も共に いたまいて
 父なる神の 御旨に成れる
 祝いの筵(むしろ) 祝しませ
 
 今し御前に 立ち並び
 結ぶ契りは 変わらじな
 八千代も共に 助け勤(いそ)しみ
 真心尽くし 主に仕えん
 
 愛の礎(いしずえ) 堅く据え
 平和の柱 直(なお)く立て
 神の御恵み 常に覆えば
 幸い家に 絶えざらなん
 
 きよき妹背の 交わりは
 慰め永遠(とわ)に 尽きせじな
 重荷も幸も 共に分かちて
 喜び進め 主の道に”

 さらに司祭の説教が続いて、いよいよ結婚の儀へと入る。
「達矢さんとのぞみさん、拓郎さんと美咲さん、お二組はここに集う私たちの前で、結婚の意志を聖なるしるしによって固めていただくためにおいでになりました。キリストはお二組に豊かな祝福をお与えになり、いつまでも互いに忠実を守り、夫婦としての務めを果たしていくことができるようにしてくださいます。またキリストは、ご自分がすでに洗礼によって聖なる者とされたお二組に、結婚の秘跡によってさらに恵みを与え、強めてくださいます」
 司祭はまず、達矢とのぞみに視線を向けた。
「達矢さん、のぞみさん、おふたりは自らすすんで、この結婚を望んでいますか?」
「はい、望んでいます」ふたりは答えた。
「結婚生活を送るにあたり、互いに愛し合い、尊敬し合う決意をもっていますか?」
「はい、もっています」
「おふたりの家庭に恵まれる子どもを神からの恵みとして心から受け入れ、キリストとその教会の教えに従って育てますか?」
「はい、育てます」
 司祭は小さくうなずき、菅原と立原にも同様の問いかけをし、返答を得る。そして司祭は二組のカップルに、手を取り合うようにうながした。
 達矢とのぞみは向かい合い、手を取りあった。
 司祭が問いかける。
「達矢、あなたはのぞみを妻としますか?」
「はい」達矢は答えた。
 司祭の問いかけは続く。
「順境にあっても逆境にあっても、病気のときも健康のときも、夫として生涯愛と忠実を尽くすことを誓いますか?」
「はい」達矢は力強く返事をした。
 司祭はのぞみに顔を向ける。
「のぞみ、あなたは達矢を夫としますか?」
「はい」のぞみの声は震えていた。
 司祭は続ける。
「順境にあっても逆境にあっても、病気のときも健康のときも、妻として生涯愛と忠実を尽くすことを誓いますか?」
「はい」
 のぞみは潤んだ目で、はっきりといった。
「私は、おふたりの結婚が成立したことをここに宣言いたします。今、私たち一同の中で交わされたおふたりの誓約を、父と子と聖霊の御名において揺るぎないものとし、祝福で満たしてくださいますように」
 司祭は小声で「指輪を」といった。
 達矢はポケットから指をを取りだすと、のぞみの左手薬指にはめる。
「この指輪は、ぼくたちの愛と忠実のしるしです」
 続いてのぞみが、達矢の左手薬指に指輪をはめる。
「この指輪は、わたしたちの愛と忠実のしるしです」
 のぞみは感極まって大粒の涙を流していた。達矢の目にも涙があふれていた。
 司祭はふたりに微笑みかける。
「教会は、キリストの名によって、このふたりの愛のきずなのしるしを祝福します」
 今度は菅原と立原に向かって、司祭は同じ文言を繰りかえす。達矢とのぞみよりも緊張気味に、ふたりは誓いを交わす。
 菅原は立原の指に、指輪をはめた。
「この指輪は、わたしたちの愛と忠実のしるしです」
「はい……」
 立原は震える声で指輪を受ける。
「この……指輪は……、わたしたちの……愛と忠実の……しるしです」彼女の声は涙に濡れていた。
「教会は、キリストの名によって、このふたりの愛のきずなのしるしを祝福します」司祭は締めくくった。
 達矢とのぞみは、拍手した。列席者からも拍手が沸き上がった。
「祝福のキスを!」誰かが叫んだ。
 達矢はのぞみにキスをする。
「先生たちも!」
 菅原は顔を真っ赤にしながらも、立原に顔を寄せる。彼女は恥ずかしさにうつむいていた。彼はそっと指先で彼女の顎に触れ、顔を上に向けさせる。
「いいですか?」彼は小声でいった。
 立原はうなずく。菅原は唇を重ねた。
 歓声と拍手がいっそう大きくなった。
 礼拝堂の鐘が、祝福の場に加わった。
 喜びと感動が時間と空間を――そして、未来を満たしていた。


最終節「未来へのプロローグ」

 イエス・キリストが山上の垂訓として、次の八つの真の幸福――真福八端を語っている。

“第一は、自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものだから。
 第二は、悲しむ人は幸いである。その人は慰められるであろう。
 第三は、柔和な人は幸いである。その人は地を受け継ぐであろう。
 第四は、義に飢えかわく人は幸いである。その人は満たされるであろう。
 第五は、あわれみ深い人は幸いである。その人はあわれみを受けるだろう。
 第六は、心の清い人は幸いである。その人は神を見るだろう。
 第七は、平和をもたらす人は幸いである。その人は神の子と呼ばれるであろう。
 第八は、義のために迫害される人は幸いである。天の国はその人のものだからである。”

 これに第九番目の言葉を加えよう。

“第九は、未来を切り開くものは幸いである。未来はその人によって創られるからだ。”

〓〓〓【ラスト・フォーティーン/完】〓〓〓
諌山 裕 mail url 2002/07/08月19:49 [41]


第三三節「未来の遺伝子」Part-3返信  

【Writer:諌山 裕】


 理想郷“エデン”は無人の都市であるかのように、ひっそりと静まりかえっていた。深夜の時間帯ではあったが、主だった通りでさえ出歩いている者はいなかった。エデンは突如として不気味な沈黙に包まれていた。
 達矢と高千穂は息を切らせて走り続けていた。エレベーターを乗り継ぎ、来た道を戻っていく。
「はぁはぁ、どういうことだ? 誰もいなくなったのか?」達矢は走りながらいった。
「ガブリエルが市民を眠らせたのかもな。俺たちが起こしている騒動を、市民には知られたくないのかもしれない」高千穂は推測した。
「化けの皮を剥がされたくないということか!」
 ふたりはこのまま、のぞみたちのいる場所へと戻れることを期待していた。だが、待ち伏せされているかもしれない可能性は考慮していた。歴史資料館の建物に入るときには、物陰に隠れながら敵の有無を確認しつつ、慎重に進んだ。
「あいつは、おれたちを無傷で行かせるつもりなのか?」達矢は安直すぎる展開に合点がいかなかった。
「どうだかな。高原が善戦していて、こっちまで手が回らないのかも」と高千穂。
「そうだといいけど」
 ふたりは行く手を阻まれることなく、歴史資料館の回廊を走り抜け、ほどなく二六世紀のフロアへと到着した。目的地に達したことで安堵感とともに、警戒感もゆるんでいた。
「のぞみ!」達矢は叫んだ。
 のぞみは振りかえる。
「達矢! よかった、無事だったのね!」のぞみは満面の笑みで迎えた。
「意外と早かったな。もっとかかると思っていた」御子芝はいった。
「高原さんは?」のぞみはきく。
「彼女はひとりで戦っている。おれたちが戻って来れたのは、彼女のお陰だ」と達矢。
「ジャンプの準備はどうだ?」高千穂は御子芝の手を握ってきいた。
「あと、十分かそこらだ」御子芝は答えた。
 そのとき――
 突然、高千穂の体が青白い光に包まれた。
 彼は声にならない悲鳴をあげて、苦痛に顔を歪めた。
「高千穂!?」御子芝は驚きとともに叫んだ。
 高千穂は膝をつき、体を丸めた。御子芝は彼を助け起こそうと近寄る。だが、彼はむっくりと起きあがった。御子芝は彼の異変に気がつく。高千穂は不敵な笑みをうかべて、鋭い眼光を向けていた。
 彼は抜刀した。そして御子芝に斬りかかった。すんでのところで彼女は体を引いたが、切っ先が胸元に走った。
「なっ!」
 斬られた上衣に血がにじみ、赤く染めていく。
「高千穂! どうした!?」叫ぶ御子芝。
「はっはっはっ、簡単に逃げられると思ったか? 愚か者め」
 高千穂の声だが、別人だった。
「まさか!?」達矢は察した。
「私はガブリエルだ。高千穂の肉体は私が支配している。斬れるかな? 愛する者を。はっはっはっ」
 高千穂=ガブリエルは高笑いする。
 御子芝は抜刀したが、歯を食いしばっていた。
 一瞬、高千穂の顔に苦痛がうかんだ。
「樹! 俺を斬れ! こいつを追い出すには斬るしかない! 俺の苦痛はこいつの苦痛でもあるからだ!」
 高千穂の表情はガブリエルに戻る。
「なかなか精神力の強い奴だ。私の支配をわずかとはいえかわすとは」
「高原はどうした!?」達矢は拳銃を向けるが、引き金には手を掛けられなかった。
「あの役立たずは、過去に飛ばしてやった。二度と戻ることはあるまい。短い人生を肉体に束縛されて生きるのが罰だ」
 御子芝は刀を振り下ろして空を切った。
「卑怯者め。他人の体と心をもてあそぶとは。許さん!」
「ほほぅ、高千穂の体を斬るというのか? 面白い、じつに愉快だ。私には高千穂の記憶と技を使うことができるのだぞ。おまえの弱点も承知だ」
「ならば、高千穂と私が互角だということもわかるはずだ。私は涼のためにおまえを斬る!」
「御子芝さん!」のぞみが悲痛に叫んだ。
「のざみ、達矢、ふたりはジャンプしろ。私はこいつと決着をつける」
 次の瞬間、ガブリエルは飛んだ。月の低重力を活かした跳躍で、達矢に斬りかかったのだ。達矢はあっけに取られて避けることができない。まして引き金を引くことはためらわれた。
 キ――ン!
 刀と刀がぶつかり合った。御子芝が達矢の前に立ちはだかって、一撃をかわしたのだ。
「行け! 達矢! のぞみを連れて帰るんだ!」と御子芝。
「できない!」達矢は首を振った。
 御子芝はガブリエルとのせめぎ合いで、足蹴りを繰りだす。ガブリエルはひょいとかわして、距離を空けた。
「くっくっ、足癖の悪さはお見通しだ」
「詰めの甘さは高千穂だな」
 御子芝は背中のベルトに差していた、グロック17を抜くと引き金を引いた。弾は高千穂の右肩に命中した。
「ぐあっ!」ガブリエルはうめいた。
「戦いを刀だけに頼るなと、いつもいっていただろうが。使える手段は最大限に活かすものだ」御子芝は苦笑した。
「これしきの痛手はなんでもないぞ! 傷つくのは高千穂の体だからな」
 ガブリエルは刀を自由の利かなくなった右手から、左手に持ちかえた。
 達矢とのぞみは、ふたりの立ち回りを呆然と見つめていた。
「なにをしている!? さっさとジャンプしろ!」御子芝は命じた。
「でも、最終プロセスが!」とのぞみ。
「スフィアに入って内側からロックしろ! そうすれば奴でも手は出せない! 私がこいつを片づけて、最終プロセスをやる! 達矢、のぞみを引っぱって行け! おまえたちは未来への鍵なんだから!」
 躊躇していた達矢は、意を決してのぞみの手を取った。そして鏡面に輝く非バリオン物質のスフィアへと走った。
 達矢はスフィアの中にのぞみを押しこむ。
「ここで待っているんだ。おれは御子芝さんを加勢する」
「いやよ! わたしだけでは行けない!」
 達矢は苦悩を隠して笑みをうかべた。
「君はイヴなんだ。君だけは生き残らなくちゃいけない」
「違うわ! わたしはイヴなんかじゃない。ただの女の子よ!」
「のぞみ!!」達矢は大声でいった。
「ここにいるんだ。いいね?」
 のぞみは涙をうかべて、小さくうなずいた。
 達矢はコンソールに戻ると、最終プロセスの確認をしていく。
「達矢! おまえは大馬鹿者だ! さっさと行かないか!」御子芝はガブリエルの攻撃をかわしながら叫んだ。
「お互い様だろ!」達矢は叫び返す。
 御子芝とガブリエルの戦いは、一進一退だった。ふたりの体には、刀がかすった切り傷が増えていく。
 ほどなく達矢は最終プロセスを完了した。
「御子芝さん、オートパイロットを起動した! 一分以内にジャンプする!」
「わかった! 先に入れ!」
 達矢はスフィアに走った。
「そうはさせない!」
 ガブリエルは御子芝の隙をついて、コンソールに刀を振り下ろした。刀は機器をショートさせ、火花が飛んだ。ガブリエルは刀を引き抜こうとしたが、なかなか抜けなかった。
「ちっ!」
 御子芝は足蹴りをガブリエルの腹に叩きこんだ。彼は刀から手を離して、前屈みにくずおれた。
 損傷したコンソールを、御子芝はチェックする。
「くそっ! オートパイロットがやられたか!」
「御子芝さん!」
 達矢はスフィアの入口で手招きしていた。
 御子芝はゆっくりと首を振った。
「達矢、オートパイロットが損傷した。手動でやるしかない」
 達矢はコンソールに戻ってこようとする。御子芝は手を挙げて制止した。
「来るな! 私が操作する。おまえたちは行け!」
「でも……」
「のぞみ、達矢をスフィアの中に入れろ。抵抗したら殴ってもいいぞ」彼女は微笑んだ。
 のぞみは達矢を背後から抱きしめて、スフィアの中に引き入れた。ふたりの姿がスフィアの中に消えると、御子芝は入口を閉じる。
「ふたりに未来を託したぞ」
「御子芝さーん!」達矢は悲痛に叫んだ。
 入口が閉じると、外の音はいっさいきこえなくなった。
 御子芝はジャンプの手動スタートキーを押そうと、手を伸ばす。
「まだ決着はついてないぜ」
 ガブリエルは御子芝の背後から、彼女の首を絞める。御子芝はもがき苦しみながらも、スタートキーに手を伸ばした。ガブリエルの手は、万力のように彼女の首を締めあげる。目がかすみ、体から力が抜けていく。
 御子芝は最後の手段に打って出る。刀を逆手に持ちかえると、背後のガブリエルに突き刺したのだ。彼の手がゆるむ。彼女はすかさず束縛から逃れ、スタートキーを叩いた。
 高千穂=ガブリエルは戦意を失って仰向けに倒れる。彼の腹部には血みどろの刀が刺さっていた。
 スフィアは光を発し始め、ジャンプを開始した。
「のぞみ、達矢、頼んだぞ……」
 御子芝は倒れた高千穂を見おろす。彼はゴホゴホと口から血を吐いた。
「樹……、見事な一撃だった。おまえといつか真剣勝負をしたいと思っていたが、こういう形になるとはな……」
「高千穂!」
 御子芝はひざまずいて、彼の半身を抱き起こす。
「奴は消えたのか?」
「ああ……、激痛に堪えかねて出ていったようだ。ちくしょう、けっこう堪えるぜ」
「なにも話すな。出血がひどい」
「いまのうちに話しとかなくちゃ、いいそびれちまうぜ」
「すまなかった、おまえを生かして取り戻したかった……」御子芝は大粒の涙を流す。
「へへっ、うれしいぜ、樹……」
 傷ついたふたりの体が光に包まれ始める。
「ちっ、転移現象の前兆だ! また漂流するのか!? 転送機の稼動で触発されたようだ」
「もし、地球に戻ったら、俺を埋めてくれ。いつの時代でもこの際、贅沢はいわない……ゴホゴホ……」
「もういい、なにもいうな」
「ひとつだけ……可能性があるぜ。俺たちと対になっているかもしれない、もう一方の俺を捜せよ。片割れが消えるわけだから、いつかの時代に取り残されるはずだ」
「ああ、おまえと再会できるなら、生きている限り捜そう」
「くそっ、痛みを感じなくなった……。もうひとり俺がうらやましいぜ……」
 高千穂の目がうつろになる。
「樹……愛して……」
 高千穂の体から力が抜けた。
「私もだ……」
 御子芝は高千穂に口づけをする。ふたりの姿は希薄になり、フッと消えた。初めから存在しなかったかのように。

 無音のスフィアの中で、達矢とのぞみを抱きあっていた。ふたりは泣いていた。
「あたしたちのために……」のぞみは言葉が出てこない。
「ああ……おれたちは、ふたりの分まで生きなくちゃならない。帰ったら……帰れたらなんとしてでも未来を救うんだ。それが、おれたちに課せられた使命だ」
「うん……うん……」
 のぞみは顔を達矢の胸元にうずめてうなずいた。
 スフィアの内壁に虹色の光が渦巻き始める。ジャンプが始まったのだ。
「さぁ、のぞみ。帰ろう……みんなのところへ。おれたちが必要としている時代に」
 のぞみは彼の腕の中で体を震わせていた。想いと言葉が絡みあい、熱い気持ちが全身を満たしていた。
 大切な時間、大切な場所、大切な気持ち――そして、大切な人。人が人としてあるべき不可欠な条件――それは独りではないということだ。思いやり、慈しみ、讃えあい、愛しあう。人は不完全であるがゆえに、助け合い、補いあって望ましいあり方を求め続ける。個人的なことだけでなく、より大きな関係においても同様である。ひとりひとりの想いが、数百人、数万人、数億人の想いへと発展していくからだ。
 彼女はあふれる涙を手の甲でぬぐう。
「うん……。帰りたい……あなたと……一緒に……」
 達矢とのぞみは、そっと唇を重ねた。
 ふたりを取り囲む光は、時の回廊を遡っていく。
 情熱と希望を託して――。


 雪は未明から降り続き、積雪も五センチに達しようとしていた。東京は季節外れの大雪に見舞われ、都市機能が随所で麻痺していた。
 傘を差した初老の神父姿の男性は、なにかに導かれるように夜道を歩いていた。夜には冷え込みがいっそう厳しくなり、雪がやむ気配はない。
 街には立ち往生した車が、あちこちに停車したままとなっていた。道行く人々は、慣れない雪に転びそうになりながら歩いている。神父もなん度か転んで、尻餅をついていた。
 彼は数日前に見た夢に突き動かされていた。天使が雪の降る路上に舞い降りる夢だったのだ。四月に雪が降ることはありえないと、神父は夢のことを気にもしなかった。だが、ありえないことが現実となり、東京は白一色になっていた。
 夢は啓示だったのかもしれない。彼はそう感じた。夢の中で、天使は完成したばかりの東京ドームを背景にしていた。交通機関が麻痺しているため、神父は徒歩で東京ドームに向かっていた。彼の教会からは普通に歩けば、一時間程度の距離だった。しかし、雪のために倍以上の時間がかかっていた。
 午前〇時近くなって、ようやく東京ドームに辿りつく。明日からは東京ドームでの開幕戦が始まり、巨人・ヤクルト戦が行われる。神父は夢の記憶を頼りに、天使が現れるかもしれない場所を探した。
 と、その時――
 一条の光が天から差し、地上に達した。それはほんの一瞬のできごとだった。注意していなければ、カメラのストロボが光ったと思ったかもしれない。しかし、神父は光が天から降りてきたと確信した。
 彼は足を滑らせながらも、光の達した場所へと急いだ。
「たしか、このあたりだと思ったが……」
 彼は目を凝らして周囲を観察する。
 すると路地の一角に、丸く切り取られたように雪が溶けている場所があった。そしてその中心にはふたりの人物が倒れていた。
 駆けよった神父は、ふたりを見て驚く。
「子供? 夢はこれだったのか?」
 少年と少女は気を失っていた。ふたりは見慣れない格好をしており、金属的な光沢のある宇宙服のようなものを着ていた。
 神父は恐る恐るふたりに近づき、少女の頬を軽く叩いた。
「君たち、こんなところで倒れていると凍えますよ」
 少女はうっすらと目を開けた。
「うう……」
 神父は少年の頬も叩く。
「あうっ」
 少年は意識を取り戻し、寒さにぶるっと体を震わせた。そしてガバッと体を起こした。
「のぞみ!」彼は頭を振って彼女を捜した。
「達矢……?」彼女も頭をもたげた。
 のぞみは屈んで覗き込んでいる神父にビックリした。
 達矢が這って神父とのぞみの間に割って入る。
「あんたは誰だ!?」
 神父は怯えた少年と少女に微笑みかける。
「よかった。元気はあるようですね。私は萩原です。こんなところで倒れているから、心配したのですよ。今夜は記録的な大雪ですからね。立てますか?」
 達矢は立ち上がろうとした。しかし、足がいうことをきかなかった。月に滞在していたために、低重力で筋力が落ちてしまったのだ。
「くそっ、体が重い!」
「神父様?」のぞみは男性の服装を見ていった。
「ええ、そうです。じつをいえば、夢であなたたちがここにいることを知ったのです。夢の中では天使でしたが、子供のことだったらしい」神父は微笑んだ。
「ここはどこですか? それと何年ですか?」のぞみはきいた。
「おやおや、おかしなことをききますね。ここは東京、完成したばかりの東京ドームの近くですよ。今年は一九八八年、今日は四月七日というか、もう一二時を回ったから八日ですね」
 達矢とのぞみは絶句した。
「一九八八年……」のぞみはつぶやいた。
「ちっ、ジャンプポイントが一五年もずれちまった!」達矢は路面を拳で叩いた。
 神父は怪訝な顔をした。
「なにか事情があるようですが、ここにいては体が冷えてしまいます。お宅まで送りましょう。住まいはどちら?」
「ええっと……」のぞみはなんといおうかと思案する。
「わたしたちの家はないんです。両親もいません。遠くから……帰ってきたばかりで……」
「家出ですか?」
「いえ……そういうわけでは……」のぞみは言葉を濁した。
 神父はため息をついた。
「では、こうしましょう。今晩は私の教会に泊まって、明日詳しいことをおききしましょう。いいですね?」
 ふたりはうなずいた。
「さてさて、立てないとなると、車が必要ですね。タクシーが捕まるといいが……。ちょっと待っていてください。大通りに出て、タクシーを探してみましょう」
 神父は傘を達矢に渡し、小走りして大通りへと向かった。
「あの神父、來視能力者なのか? それにしても一九八八年か……。とんでもない誤算だったな」達矢はため息交じりにいった。
「でも、近い時代に帰っては来れたわ。それだけでもラッキーだったのよ」
「この時代でなにができる?」
「一四年後には理奈たちが来る。彼女たちが来る前に、できることがあるはずよ」
「そうだな。メッセージを残すとか、おれたちが知ったことを伝えなくてはいけないな」
「そうね。でも、メッセージを伝えるにしても、タイミングが問題だわ。彼女たちが経験することに干渉しないようにしないと」
「ジレンマだな。これから起こることを知っているというのも」
 一台のタクシーがチャラチャラとチェーンの音を響かせて、ふたりの近くにやってくる。止まったタクシーから神父が出てきた。
「運良くタクシーが来てくれました。これも神のお導きでしょう。さ、手を貸しますよ」
 まず、のぞみが神父に抱きかかえられて、車に乗りこみ、次いで達矢も乗りこんだ。
 雪は一晩中、しんしんと降り続いていた。

〈つづく〉

諌山 裕 mail url 2002/07/01月09:35 [40]


第三三節「未来の遺伝子」Part-2返信  

【Writer:諌山 裕】


 最近まで――というのは、二〇〇二年以前でのことだが、遺伝子研究者の間では、ヒトのDNAの九七%は意味のない塩基配列の反復であり、なんの役にも立たないと考えられていた。
 ヒトゲノムの全塩基配列の地図化を完成させた科学者たちは、ゲノムの約九八・五%が反復配列であるとみていた。その反復は一見無意味でがらくたに思えるものの、もはや意味がないと考えるものはいない。自然界には無意味で無用のものは存在しないからだ。生物を含む宇宙は、気まぐれのように振る舞うが、けっして無意味ではないのだ。無意味に見えるのは、人間がそこに意味を発見できないからであり、己が無知であることの証明にほかならない。
 ヒトゲノムは三二億の塩基対で構成されている。個々の塩基対はA、C、T、Gという文字で表される塩基が結合して、“DNAはしご”の横木部分を形成する。この結合にはAとT、GとCの二通りしかない。DNAは遺伝情報であると同時に、情報を具現化するスイッチであり、進化の可能性を秘めた未来のシナリオでもある。
 ある科学者は「DNAの反復配列は、バッファの機能を持っているのかもしれない」といった。DNAはたんなる遺伝情報の記憶媒体ではなく、アクティブなメモリとしても機能するのではないかということなのだ。未解明の反復配列が、実際にどういう役割を担っているかは、二一世紀の初頭においては仮説ばかりで、確たる理論はなかった。
 二一世紀においては、人間の遺伝子操作は神の領域を冒すものであり、人間性を問われるものだった。それはイヴがエデンで禁じられた果実を口にすることと同等だった。だが、結果的にイヴは果実を口にし、新たな人間の歴史が始まったのだ。人間が自らの遺伝子を操ることは、時間の問題であり必然となった。
 人間は禁断の果実を目の前にして、その魅力にあらがうことができないのかもしれない。物質の本質についての知識を得たとき、そこから導き出される核エネルギーが魅力的だったように、遺伝子に秘められたパワーも大きな魅力だったのだ。
 第一の目的は、寿命の克服だった。生物の寿命を決定するのがテロメア遺伝子であることは、早くから知られていた。動物を使ったクローン技術の試行錯誤の過程で、ある条件下ではテロメアがリセットされることがわかっていた。テロメアは生命の回数券とも呼ばれ、加齢とともに短くなり、やがては使い切ってしまう。これをリセットできれば、寿命は飛躍的に延びると思われていた。
 不老長寿。人間の古くからの願望であり、エゴの最たるものともいえる――夢。
 二二世紀に入ると、かつての遺伝子操作アレルギーは消え去り、治療や美容の目的で多くの人々が遺伝子をいじくり始めた。宇宙にも生活圏を求め始めた時代には、低重力や無重力に適応するために、大幅な人間改造が行われた。二三世紀には寿命は一五〇歳近くなり、老いることなく長い人生が送れるようになった。しかし、人間はもっと長寿を求めていた。
 反面、長寿の代償もあった。出生率の著しい低下である。長寿と引き替えに、生まれながらにして不妊症の男女が増えた。ひとつの個体で長寿が可能になれば、遺伝子にとって生殖による種の保存の優先順位は低くなったからだ。使われなくなる機能は、休眠するか退化していく。解決策として人工子宮やクローン技術が使われた。表向きには人類は繁栄の最盛期を謳歌していたが、生命の基盤となる生殖能力という点では、衰退が始まっていたのである。
 遺伝子改造時代に着目されたのは、当初意味不明と思われていた、反復配列だった。DNAの大半を占めるこの部分を利用することで、新たな遺伝的形質を獲得したのであった。既存の役割のわかっている塩基配列をいじるのではなく、普段は使われていない塩基配列に望みの機能を書きこみ、バイパスさせることで新しい人間をデザインしたのである。たとえば、本来のテロメアを不活性化させ、バッファである塩基配列を任意の長さの疑似テロメアとして機能させた。未使用領域は九八%もあり、神の仕事に較べればかなり精度の劣る疑似テロメアでも、十分に代替することが可能だった。
 この方法はDNA資源の有効活用として、瞬く間に広がり、さまざまな機能DNAコードが開発され、実行された。記憶力や理解力といった頭脳的なことに始まり、肉体的能力や肉体的美しさの向上、そして老いることのない肉体。
 こうして人類は、不老長寿に近づいていった。
 二二世紀中盤から二四世紀に渡って、人間は本来のDNA以上のハイスペック生物体となっていた。人類の可能性は無限大だという幻想すらあった。
 しかし、それは幻想に過ぎなかったのだ。
 二一世紀初頭の例でいえば、二〇〇MHzのCPUにアクセラレーターをつけて、1GHzのマシンに仕立てるようなものだった。性能は限界まで引き上げられるが、マシンには大きな負荷がかかることになる。負荷のかかった状態で使い続ければ、ある日突然限界を超えてしまい、致命的な故障に至る。
 人類にその日が訪れるのは、時間の問題だったのだ。
【萩原恵羽(はぎわらえわ):著「未来の遺伝子」より】

 キャサリンが面白い本を見つけたといって持ってきたのは、SF小説のハードカバーだった。「未来の遺伝子」と題された本は、新人賞で賞を取った作品であった。
 アンドルーからの連絡を待っていた少女三人は、スパコンのある地下室から郷田邸の三階に戻っていた。
 アンドルーは「任務はいちおう完了した。いろいろと予想外の展開になったが、オレたちは無事だ。昼までには帰る」といった。詳細はきかなかったものの、少女たちはホッと安心してベッドに入ったのだ。
 夜が明けて、街まで散歩に出かけたキャサリンは、一冊の本を手にして戻ってきた。それが「未来の遺伝子」だった。
 理奈は読み終えた本の表紙を、あらためてまじまじと見る。
「『気鋭の新人が描く、衝撃の未来世界』ですって? この宣伝文句は、なんか笑えないわね」
「どうだった?」とキャサリン。
「どうもこうも、この作家はなにもの? 登場人物はあたしたちじゃない。名前も設定もほとんど事実だわ。來視能力者かしら?」
「そうではないように思うわ。あまりにも細かいところまで、具体的すぎるから。想像力で書いたにしては、合致する部分が多すぎる」
「新人賞を取ったんなら、データベースに残ってるはずよね。二六世紀の記録には、こんなものはなかったはずよ。二一世紀以前の記録に、欠落部分が多いことは事実だけど、これほど明確な著作が残らなかったとは思えないわ」
「問題はそこよ。つまり、この作品はわたしたちの知っていた歴史にはなかったものかもしれない。なにかが変わったのよ」
 ジャネットが首を傾げて口を開く。
「おかしいわ。もし、ミッシング・トリガーが起こったのなら、なぜ、あたしたちは以前の記憶を持っているの?」
「理由はいくらでも考えられるわ」
 理奈はベッドから降りて、室内を歩き始めた。
「記録が欠落していたというのが、もっとも簡単な説明ね。それこそ膨大な記録よ。あたしたちだって、すべてに目を通しているわけではないわ。そもそも過去にジャンプすることの目的の一つが、記録にない過去の調査だったんだから。
 記録はあったけど、重要度が低いとみなされていたというのもあるわね。フィクションとしての小説であれば、うなずけることよ。SF小説には未来をテーマにしたものが多いし、破滅的な未来を描いたものは珍しくもない。萩原恵羽がこの一作だけで姿を消してしまったなら、のちの時代で注目されないことは当然かもしれない。
 うがった見かたをすれば、ジャンププロジェクトのトップはこの事実を知っていたけど、あたしたちには知らせなかったとも考えられる。あたしたちの行動に影響するからよ。できることなら、徳川さんにぜひきいてみたいものだわ。
 そして、ジャネットがいうように、これがトリガーなのかもしれない。萩原恵羽はミレニアムイヴの役割をしているのかも。
 でも、それは希望的観測ね。たかが小説では、事実に限りなく近いとしても、読者には架空の物語に過ぎないわ。ある種の警鐘にはなっても、現実的な影響というか、未来を変えることにはならないと思う」
「もうひとつの可能性は」ジャネットが理奈のあとを受ける。
「あたしたちは、ミッシング・トリガーの影響からはずれているのかも。御子芝さんたちや理奈が突然転移してしまったことから、あたしたちの体は時空連続体の干渉に対して、ある種の抗体を持っているとも考えられるわ。いま現在、この時代に属してはいるけど、完全に同化してはいないのよ。すでに未来が変わりつつあるとしても、あたしたちは時空に交じってはいても溶けてはいないんだわ。独自性を保っているのよ」
「楽観的な見かたね」
 理奈は部屋を中を行き来するのをやめて、再びベッドに寝ころがった。
 ドアがノックされた。
「どうぞ」キャサリンが答えた。
「おはよう」といって入ってきたのは、立原だった。
 彼女のうしろから、菅原も姿を見せた。
「やぁ、元気そうだね」
 ふたりを呼んだのは、少女たちだった。
「先生、来てくれてありがとう」理奈はいった。
「いいのよ。呼ばれなくても、見舞いには来るつもりだったから。で、お話って、なにかしら?」と立原。
「とりあえず、掛けてください」理奈は席を勧めた。
 立原と菅原は、壁際に置かれた椅子を引きよせて腰かけた。
 立原が話を切り出す。
「学校のこと? 三年生になっても当分は休学が続くわね。その点については、郷田会長とも話しあっていたの。出産が無事に済むまでは、この部屋で特別授業をしようって」
 理奈は笑みをうかべた。
「いろいろと気をつかってくれて、うれしいです。学校のことも気になるけど、今日来てもらったのは、もっと大事なことなんです」
 理奈はジャネットとキャサリンに顔を向ける。ふたりはうなずいた。理奈は深呼吸する。
「先生に……、立原先生と菅原先生にお願いがあるんです」
「僕たちに?」菅原は自分を指さした。
「先生たちは、いつ結婚するんですか?」ジャネットが口をはさんだ。
「えっ?」立原は目を丸くした。
「はは……、君たち、からかわないでくれ」菅原は顔を赤らめて、頭を掻いた。
「からかってないですよ。菅原先生は立原先生が好きなんでしょ? 立原先生も菅原先生を見る目が違ってるもの」ジャネットは真顔でいった。
「あのね……」立原は抗弁しようとしたが、口ごもった。
「早く、結婚してほしいんです」理奈はいった。
「お願いって……そういうことなの?」立原は戸惑っていた。
「それはお願いの一部です」とキャサリン。
「一部?」菅原は小首を傾げた。
「先生たちは、子供が好きですか?」理奈はきいた。
「ええ、まぁ。人並み程度には」立原は答えた。
「菅原先生は?」
「ああ、好きだよ。息子とキャッチボールをするのが夢なんだ。女の子だったら、一緒に料理をしたいな」菅原は笑みをうかべていった。
 立原は菅原の顔をまじまじと見つめた。彼の口から、そうした子供の話をきくのは初めてだったからだ。
「よかった。それならぜひお願いしたいんです」
 理奈はうつむいた。
「なにを……?」
 立原は理奈の態度の変化に気がついた。理奈はうつむいたまま、体を震わせていたのだ。キャサリンも同様だった。ジャネットは顔を背けて、目頭を押さえていた。
「どうしたの?」
 顔を上げた理奈は泣いていた。
「あたしたちの……子供を……ふたりに育ててもらいたいんです。出産はできるだろうけど、あたしたちは長生きしないから……。来年には老化の初期段階が始まります。いったん老化が始まると、急激に衰えいくの。あたしたちは子育てどころではなくなってしまうわ……」
 立原は息を呑んだ。菅原は深いため息をついた。
 少女たちが普通の一四歳ではないことを、立原は思い知らされた。見かけは少女でも、彼女たちに残された時間が少ないことを、ついつい忘れてしまう。彼女たちは、生きてきた年月以上の重荷を背負っているのだ。
「お願い……できますか?」理奈は涙声でいった。
 立原は立ち上がって、両腕を広げた。少女たちはベッドから降り、立原のもとに集まった。立原はすすり泣く彼女たちを抱きしめる。立原はもらい泣きをしていた。
「ええ、ええ、わかったわ。そんな心配なんてしなくていいのよ。あなたたちはまだ一四歳なのよ。自分が死んだあとのことなんて、考えてはいけないわ」
 菅原も立ち上がり、抱擁の輪に加わった。
「そうだ。君たちが未来人と同じ運命を辿ると決まったわけじゃない。妊娠できたことが、その証拠じゃないか。寿命の問題だって、克服できるかもしれない」
 すすり泣く少女たちに対して、立原と菅原はただ抱きしめて、辛さを受けとめてあげることしかできなかった。彼女たちを安心させる慰めの言葉は、ありきたりで説得力に欠けた。命は尊いものだと教えるが、ときに尊さには代償がともなうのだ。彼女たちが新しい命を出産すれば、それにともなうリスクも大きくなる。母性に目覚めた彼女たちには、子供の成長を見守れないことが辛いのだ。
 男の菅原にもその辛さが容易に想像できた。もし自分の決心で、彼女たちが安心できるのなら……。彼は咳払いした。
「ええっと、立原先生……もとい、立原美咲さん」
「はい?」
「この子たちのお願いに乗じるわけではないですが……、その……」菅原は言葉に詰まった。
 理奈は肘で菅原をつついた。
「あのう……、僕と…け、け、結婚してください!」彼の声は裏返っていた。
「菅原さん……そんな……いきなり、いわれても……」
 立原は顔を真っ赤にしていた。
 今度はジャネットが立原をつついた。
「あ、あの……」
 立原は菅原の真剣な表情を見つめ返していた。
「は……はい……」立原は小さい声で答えた。
 泣いていた少女たちに微笑みが戻る。慰めあいの抱擁の輪は、喜びの輪へと変わった。
 部屋の空気から悲壮感が薄れ、ほのかな幸福感で満たされていった。


 高原の先導で達矢と高千穂は、都市の最深部にある枢機評議会の謁見の間へと向かっていた。エレベーターで地下に下り、一般市民が立ち入ることのできない区画から、さらに下った。しかし、予想していた警備員との衝突は起こらなかった。彼らは誰にも妨げられることなく、最下層へと辿りつくことができた。
「おかしいな。どういことなんだ? おれたちの行動に、気がついていないわけではないだろうに」達矢は警戒心をゆるめなかった。
「罠の臭いがするぜ」と高千穂。
「私を疑わないでよ。驚いているのは同じなんだから」高原はいった。
 彼らは迷路のような狭い通路を、一列になって小走りしていく。通路の分岐点は奥に進むほど少なくなり、やがては一本道になった。その先には、黄色と黒の斜めのストライプに縁取られた扉があった。
「この向こうが電磁界メモリ貯蔵庫よ」
 高原は壁にある楕円形のくぼみに近づき、顔をうずめた。くぼみは脳波スキャンによって、個人を特定する識別装置である。彼女が顔を離すと、厚い遮蔽ドアがゆっくりと開き始めた。扉の向こうは暗く、冷たい風が流れてくる。
 達矢はすき間が通れるほど開くと、中に入ろうとした。
「待って! センサーが通る者を感知するわ。認証されていないと、攻撃を受けるの」
「突破方法は?」
「私が先に入って、セキュリティを解除するわ」
「ほかに方法は?」
「認証システムを破壊すれば……」
 ダダダダダダ――
 サブマシンガンの銃声が響き、弾きだされた薬莢が低い天井にカンカンと当たって散らばった。達矢が脳波スキャナーを破壊したのだ。
「これでいいのかな?」達矢は笑みをうかべた。
 高原は耳をふさいでいた。
「いきなり無茶しないでよ! これで警報が鳴ってしまったわ!」
「どっちみち知られているはずだ。隠れていられるより、出てきてくれた方がいい」
「敵の注意を、こっちに引きつける意味もあるな」高千穂は面白がっていた。
 達矢はサブマシンガンを腰の高さに構えて、開いたドアをくぐって中に入る。冷たい空気に寒気を感じるものの、攻撃はなかった。
「いいぜ」
 彼らは暗い部屋に入った。暗闇には夜空のような小さな光点が明滅していた。
「足下もおぼつかないな。明かりは点かないのか?」
「いま点けるわ」
 高原は入口の脇で、いくつかのキーを叩いた。照明が彼らに近い方から点り始め、左右と奥に、さらに上下にと広がっていった。
 達矢は目に飛びこんできた光景に、すくみあがった。彼は自分が宙に浮いているような錯覚にとらわれていた。透明な床の上に立っていたからだ。そこは部屋というよりは広大な空間で、遠近法によって遠くがかすむほど広かった。空間は上下にも広がり、彼の足の下にも延々と続いていた。
 幾何学的な蜘蛛の巣を思わせる構造物が幾層にも重なり、彼らの周りを囲んでいた。縦横に交錯する蜘蛛の糸の交点には、球体のオブジェクトが連なり、有機体の分子構造を内側から見ているようだった。
「これが……電磁界メモリなのか?」達矢は圧倒されていた。
「そう。ひとつひとつの球体がひとりの魂よ。それが数百億つながっているの。ある意味ではこれ全体が、ひとつの脳のような構造になっているわ」高原は答えた。
 達矢はあとじさった。透明な床に立っているために、底の見えない奈落に落ちるような恐怖感が湧いたからだ。
「普段は明かりを点けないのよ。いまのあなたのように高所恐怖感を覚えてしまうから」
 達矢は生唾を呑みこんだ。
「枢機評議会というのは、どの部分なんだ?」
 高原は両手をぐるりと回した。
「このすべてよ。枢機評議会は月の中枢であり、数百億の集団意識が統合されたものなの」
「彼らは……生きているのか? というか、意識だけになった彼らに人間性は残っているのか?」
「難しい質問ね。人間性をどう定義するかによるわ」
「君も、かつてはこの一部だったのか?」
 高原はうなずいた。
「ええ。じつをいえば、肉体を持つ以前の記憶は曖昧なのよ。全体の一部だったし、個人という概念はなかったから。あなたの質問は、脳の中のシナプスひとつに人間性があるかといってるのと同じよ」
「とはいうものの、彼らは肉体を持ちたいと考えているわけだな?」高千穂がきいた。
「意識だけの存在になっても、快楽は求めるものなの。快楽の追求が意識の基盤だともいえるわ。肉体を得るということは、私たちには究極の快楽よ」
「不死を得ても満足しなかったわけか」達矢はかぶりを振った。
「人間性のことをいうなら、どん欲な欲求こそが人間性ともいえるわ。終着点はない。目標は常にもっと先にあるのよ」
「議論はそのくらいにして、これをどうする?」高千穂は現実的な問題を指摘した。
「これだけのシステムを維持するには、莫大なエネルギーが必要だ。エネルギー源はなんなんだ?」と達矢。
「真空エネルギーよ。エネルギー源は無尽蔵、都市には自動修復システムがあるから、数百万年でも維持できるわ。これは不死のシステムなのよ」
「破壊できるのか?」達矢は自信なげにいった。
「どうかしら。誰も試したことはないわ。完璧なのだから」
「完璧なシステムなどありえないよ。宇宙そのものが完璧じゃない」
 達矢は考えこんだ。なにか方法があるはずだと。
《無駄なことはやめよ》
 唐突に声が響いた。達矢は銃を構えて、周囲を見まわした。
《なかなか興味深い話だった。生身の人間にしては、たいしたものだ。だが、高原涼子よ、おまえには失望したぞ》
 高原の顔から血の気が引いた。
 達矢はひとつの球体めがけて、引き金を引いた。立て続けに銃弾を受けた球体は、破裂して壊れた。
《無駄だ。ひとつやふたつを壊しても、微々たるものだ。脳細胞が日々死滅してしても、全体に影響がないようにな》
 達矢はさらに引き金を引いた。しかし、弾はすぐになくなった。彼はサブマシンガンを投げ捨てると、拳銃を取りだした。
《愚かだな。弾がいくらあっても足りないぞ》
「おまえを破壊する!」達矢は叫んだ。
 拳銃を突きだした達矢の前に、光る粒子が集まり始め、やがて人の形を現し始めた。光は徐々に姿を整え、明確な人物となった。人物は若い男性で、純白の輝くローブ姿だった。整った顔立ちに知的で柔和な表情をうかべている。それはまるで宗教画に出てくる天使のようだった。
 達矢は弾丸を放った。しかし、弾は人物をすり抜けていった。
《無駄だといっただろう。この姿はホログラムだ。おまえたちと話しやすくするための、仮の姿だ》
「おまえは……」
 敵にしては端麗で好感の持てる人物像に、達矢は戸惑っていた。
《名前が必要か? ならば、ガブリエルと呼ぶがいい。いくつかある名前のひとつだ》
「ガブリエルだと? 天使のつもりか?」
《そうともいえる。私は人智を超えた存在だからだ。私は全知全能なのだ》
「自分を神だと思っているのか!?」達矢は叫んだ。
《そう思いたければ、それもよかろう。かつて、そう呼ばれたこともある》
「かつて?」
《そうだ。私は時間も空間も支配しているからだ》
 達矢はニヤリと笑った。
「自在に、ではないな。おまえは過去に干渉しているようだが、十分に目的は達成していない」
 ガブリエルは小さく肩をすくめた。
《たしかに。時空確率の制御は、パーフェクトではない。だが、それは歴史の中に登場した神々でも同様なのだ。少なくとも私は神に匹敵する能力を持っている》
「なにが望みなんだ?」
《おまえの望みはなんだ?》ガブリエルは問い返した。
「みんなの元へ、二一世紀に帰ることだ! そして、未来を救う!」
 ガブリエルは微笑んだ。
《ならば、その望みをかなえてやろう。私は寛大で慈悲深いのだ》
「ふざけたことを! おまえが過去へ侵略することを阻止しなくては、未来はない!」
《なぜ、そう思う?》
「おまえは電磁界寄生体だからだ。人々の意識を乗っ取っている!」
《そうだとして、どこが不都合なのだ? そもそもおまえのいう、意識とはなんだ? 自分がなにものであるか、明確に定義できるのか? 自分が寄生されていないという確証があるのか?》
 達矢は返答ができなかった。
《脳の中に発生する意識は、どこからやってくるのか。有機分子の結合から、意識はどうやって発生するのか。意識そのものが外部からの寄生だといえないのか。達矢よ、自分がなにものなのか、答えられるか?》
「辻問答はゴメンだ!」
 達矢とガブリエルが問答をしている間に、高原は電磁界メモリシステムにアクセスを試みていた。破壊はできないまでも、機能を制限することはできるかもしれないと思ってのことだった。
 彼女は壁面に出現した鏡に向かって、両手を突きだし、グイと押すようにして中に潜りこむ。鏡面は電磁界フィールドの入口であり、中に入ることによって肉体と意識を分離するのだ。彼女は意識を量子空間にダイブさせようとしていた。
「高原!」高千穂は、鏡の中に消える高原に気がつくと叫んだ。
「ちっ、うかつだった! 彼女はなにをするつもりだ!」
《ふふっ。高原は私の元に戻ることを選んだようだな》
 次の瞬間、ガブリエルの背後に高原の裸身が出現した。彼女の姿は光に縁取られていた。
「いいえ、ガブリエル。私はあなたを阻止します。この身を犠牲にしてでも」
 ガブリエルは振り返り、一瞬顔が引きつった。
《たわけたことを。ひとりで私に対抗するというのか?》
「外部からの攻撃には平気でも、内部からの攻撃ではどうかしら? ちょっとした頭痛程度の効果はあるかもしれない。私にもシステムの一部が使えるのよ。互角とはいかないけど、ささやかな抵抗はできるわ」
 高原は祈るように手を合わせる。すると彼女の裸身が中世の騎士の姿になった。手には細身の長剣を持っている。
「神崎くん、高千穂くん、あなたたちはジャンプしなさい。私が彼を押さえている間に」
「高原さん! しかし――」
「行って! もし、可能ならば、二一世紀で再会しましょう。私の分身が、これ以上間違ったことをしないようにしたいから」
 達矢は二の足を踏んだ。だが、高千穂に腕を引かれてきびすを返した。
 ガブリエルは笑っていた。
《面白い。どれほどのものか、相手をしてやろう》
 ガブリエルも変身し、鎧を身につけ剣を手にした。
 達矢は走り去りながら、戦いを始めたふたりを見る。彼女の姿は、まるで戦う女神のようだった。

〈つづく〉

諌山 裕 mail url 2002/06/28金00:31 [39]


第三三節「未来の遺伝子」Part-1返信  

【Writer:諌山 裕】


 人類の歴史を語る過去の遺物。
 過去を辿ることは、未来を予見することでもある。過去に起こった出来事を、直接垣間見ることはできないが、遺物は記憶の断片なのだ。そして記憶は未来を導く、道しるべとなる。
 月の歴史資料館の長い回廊を走りながら、のぞみは自分が生まれ育ってから以降の未来に想いを馳せる。
(ここには、二六世紀から三〇世紀までの歴史がある。人々にとって、その四〇〇年間はどんな世界だったのかしら……)
 遺伝子が進化の歴史であるように、ここにある遺物は人間世界の遺伝子でもある。戦争、災害、文化、そして科学とテクノロジー。科学は人類の歴史を決定的に変えた。いい意味でも悪い意味でもである。二五世紀以降、人類は長年のツケを払うこととなった。それもまた科学の功罪だといえる。
 二六世紀のフロアに入ると、彼らは歴史の回廊から脇道にそれた。のぞみはもっと先を見たい気もしていたが、歴史ツアーをしているわけではないと自分を戒める。
 ほどなく彼らは、奥まった一角へと入っていく。
「ここよ」高原はいった。
「おおっ、懐かしいマシンだ」達矢はうれしそうにいった。
 時空確率転送機はまるで新品のような光沢を放っていた。コンソールには手垢ひとつなく、歳月の経過を示す曇りや傷もない。
「こりゃすごい。おれたちが使っていたものと同型だ。いつの時代のものだい?」達矢は感心していた。
「二五九八年製よ。アジアセクターからの回収品だわ。物質の転送機としては、最終型だった。時空ジャンプ計画自体が、二七世紀になってから縮小していったの。明確な成果が得られないことから、計画そのものの意義を問われたからよ」高原が答えた。
「そうか。じゃ、これはおれたちが使ったものかもしれないな」
 のぞみはコンソールの椅子に座ると、いくつかのパネルやキーを操作する。彼女はひとつのキーをなん度も叩いて、笑みをうかべた。
「間違いないわ。これはわたしたちが使ったマシンよ。このキーの癖は気になっていたから憶えてる。タッチが甘いってわたしが文句をいったのよ」
「使えそうか?」と達矢。
 のぞみはメインパワーをオンにした。
 パネルとインジケーターにライトが点り、低く唸る駆動音とともにピッピッと確認音が合唱した。各パラメーターのステータスが表示され、グリーンの範囲内であることを示した。
「特に問題はなさそうだわ。あとは座標の設定と、ジャンプコンディションしだいね」とのぞみ。
「よし、ここはのぞみにまかせる。おれは電磁界メモリの問題を片づけよう。御子芝さんと高千穂さんはのぞみをサポートしてくれるかい?」達矢はふたりに顔を向けた。
「よかろう」高千穂はうなずいた。
「おれと高原さんは、敵の中枢に乗りこむ」
「待て」と御子芝。
「ひとりで行くつもりか? そっちの方が大きな問題だ。私も一緒に行く。戦力は必要だ。のぞみのサポートと護衛は、高千穂ひとりで十分だ」
「敵陣に乗りこむ方が面白そうだな。俺もつきあうぜ」高千穂はいった。
「のぞみをひとりにはできない。おまえはここに残れ」御子芝はピシャリといった。
「ちっ。いつも樹は美味しいところを取るんだな」高千穂は不満をもらす。
「涼、おまえなら安心してまかせられるからだ」
「そういうことなら――」
 高千穂は御子芝にスッと体をよせ、片腕を彼女の背中に回すと、唇を合わせた。
「残るのはおまえだ。女を守るのが男というものだ」
「なっ!」
 御子芝は体を引いた。しかし引いたのはわずかで、彼の腕から離れることはなかった。
「納得したか? それとももう一度口づけが必要か?」
 御子芝は高千穂を睨みつけたが、ほどなく顔をほころばせる。
「これは貸しにしておく。無茶はするな」
「ふむ。どうやって返してくれるのか、楽しみだな」高千穂は口の端を持ちあげた。
「達矢も気をつけてね」のぞみは心配そうにいった。
「わかってるよ」達矢は大きくうなずいた。
「一時間で戻る。それまでにジャンプの準備をやってくれ。もし……、おれたちが戻ってこなかったら、君たちだけでも二一世紀に帰るんだ。いいな?」
「それはできないわ! みんな一緒よ!」のぞみは首を振った。
「おれだって帰りたいんだ。絶対に戻ってくるつもりだけど、もしものときは……。御子芝さんはわかってるよね?」
 御子芝は眉をひそめる。
「むむ……承知した。だが、ギリギリまで待つぞ」
「ああ、じゃ、行ってくる」達矢はきびすを返した。
「達矢、大事なことを忘れてないか?」御子芝が呼びとめた。
「なにを?」
 御子芝はのぞみを指さした。のぞみは立ち上がって、心配顔を向けていた。
 達矢は照れ笑いをうかべながら、のぞみに歩みよる。そして彼女の頬を両手で包んだ。
「必ず戻るよ」
「うん」
 のぞみは目を閉じ、達矢はそっと唇を重ねた。


 停電が復旧して、蛍光灯がまたたいて点灯した。
「おっと、意外と早かったな」
 ゲーリーはコーグルをはずした。暗視ゴーグルには不意の強い光に対応する安全装置が組みこまれており、強い光でも目が眩むということはない。下手な映画やドラマでは、閃光に眩むシーンが出てくるが、二〇年前ではありえたものの現在のタイプは安全なのだ。
「さてと、どうする?」光輝もゴーグルをはずした。
 アンドルーは不安げな客たちを見まわす。
「こいつは」といって、気絶している涼樹を指さした。
「縛って口をふさげ。高原には地下を案内してもらおう。ほかのものは納戸に監禁だ」
「よっしゃ」
 ゲーリーはリュックからガムテープを取りだすと、涼樹の腕を背中に回して縛りあげ、足首にもテープを巻いた。最後に口にもテープを貼った。さらにリュックからガチャガチャと手錠を取りだした。
「元ミス・マリアさんよ、手をうしろに。こいつは九千円もしたんだ。S&W社製だぜ」
 高原はいわれるままに手をうしろに回し、ゲーリーが手錠をはめた。
「残りの諸君、自発的に動いてくれるかな? 納戸は二階だ」ゲーリーはエアーガンを振った。
「ま、待ってくれ! 僕は彼らとは無関係なんだ。たまたま招待を受けただけで……」黒井はいった。
 アンドルーは厳しい視線を黒井に向けた。
「だとしても、君が立ち入るようなことではない。これ以上関わらないことだな」
 黒井は自分の半分にも満たない年下の少年の視線にたじろいだ。アンドルーの振る舞いには、少年とは思えないほどの達観した雰囲気があったからだ。
「地下に……地下にあるものがなんなのか、知りたい……」黒井は恐る恐るいった。
「君はもう知りすぎている。來視能力者はやっかいの種だ。危害は加えないから、首を突っこむな」
「ねぇ!」春奈が手を挙げた。
「黒井さんには見せていいかも」
「どうして?」アンドルーは首を傾げた。
「黒井さんの來視は、ずば抜けてるのよ。彼が目をつけられたのはそのためだわ。わたしたちが彼の行動を監視していたのも同じ理由よ」
「わたしたち? 君にも仲間がいるのか?」
「うん……まぁね」春奈は曖昧な返事をした。
 アンドルーはゲーリーと光輝を見る。視線を受けたふたりは肩をすくめた。
「イヴのイメージをくれたのも、黒井さんだし、一理あるかも」と光輝。
 アンドルーはしばし思案する。
「わかったよ。黒井は同行させよう」
「ということだ、では残りのものは二階に」ゲーリーは顎をしゃくった。
 客は渋々ながらも席を立って、指示に従う。ゲーリーは最後尾について、彼らとともに二階へと向かった。
 アンドルーは手錠を掛けられた高原の腕を引いて、地下室への階段に向かう。高原は捕らわれの身であって、毅然として背筋を伸ばし、優雅に歩いていた。
 地下室は雑然と様々な器機が置かれ、ケーブルやパイプが無造作に床を這っていた。新旧のメーカーが違う十台ほどのパソコンが並べられ、システムを構成していることが見てとれた。
「規模は小さいけど、ぼくたちが作ったシステムに類似したもののようだよ。ただ、性能はかなり劣るけど。スパコンというほどのものではないな。ただの並列システムのようだ」光輝はいった。
「こんなちゃちなもので、時空確率を出現できるのか?」アンドルーは高原にきいた。
「答える気はないわ」高原は憮然としていった。
「確かめてみるまでだ」光輝はシステムを起動させる。
 パソコンの電源がオンになると、ファンの音が唸り始める。システムが立ち上がると、光輝は中身を検分する。
「ふんふん、リナックスベースの並列システムか……。面倒なことをしたもんだ。マックOS・Xペースの方が効率がいいのに」光輝は独り言のようにいった。
「しかし……」光輝の目が輝いた。
「このプログラムは面白いよ。ふんふん……そういうことか……」
 彼はプログラムソースを高速でスクロールさせながら、読みとっていく。
「なんかわかったのか?」アンドルーはため息をついた。
 そこへゲーリーが降りてくる。
「お客さんは閉じこめてきたぜ」
 熱中している光輝に、アンドルーはしびれを切らす。
「光輝?」
「ああ、こいつで確率場は出現できない。ただ、ほんのわずかだけど確率の揺らぎを導くようだ。能動的な操作はできないけど、外因によって確率を変動できるんだ。おそらく、数百億から数兆分の一程度の確率で。フルに稼動させていれば、数ヶ月に一度は確率を変動できるかもしれない」
「つまり、どういうことだ?」
「受信機なんだよ。未来からの干渉があれば、このシステムとのリンクが、ごく希に確立される。そのときには未来のシステムから、この時空に確率場を形成できるんじゃないかと思う。たとえるなら、これは時空座標を特定させる、ブイのような役割だね。時空確率そのものは未来のシステムで行うんだ」
「そうなのか?」
 アンドルーは高原の顔を見た。しかし彼女はそっぽを向いた。
「なるほど、図星のようだ。これを使って、のぞみを転移させたのか? いつの時代に?」
 高原は依然として返事をしなかった。
「三〇世紀だ……。彼女は月にいた……」
 黒井がつぶやいた。
「なに?」驚いたのはアンドルーだった。
「來視したことがあるのか?」
 黒井はうなずいた。
「彼女と少年がいた……。戦って……彼女は泣いていた」
「それでどうなった?」アンドルーは詰めよった。
 黒井は頭を振った。
「わからない……、ただ、ふたりは雪の降っているところに行った」
 アンドルーはかぶりを振る。
「まるで占いだな。漠然としすぎている」
「來視って、そういうものよ。印象的なシーンだけがうかぶものだから」と春奈。
「まぁいい。光輝、こいつを動かせるか?」
「動かせるが、どうするつもりだ? こちらからはコントロールできないんだよ」
「もし、のぞみが三〇世紀に送られたのなら、彼女には助けが必要だろう。オレが行く。高原、オレを未来に送れ」
「ははっ」高原は笑った。
「ひとりで行って、なにができるというの? 行った先には私の仲間たちが待ちかまえているのよ。そもそもどうやって戻ってくる気? 正気じゃないわね」
「おまえがどう思おうっと勝手だが、おまえらの懐に飛びこんでやろうというんだ。悪い話ではなかろう?」
 高原は値踏みするようにアンドルーを見つめた。
「いいわ。やってあげましょう。後悔するわよ」
「ちょっと待った! 行くならオレだ」ゲーリーが割ってはいる。
「なんでおまえなんだ?」
「アンドルーはリーダーじゃないか。理奈とキャサリンは身重だし、チームを仕切るにはおまえが必要だよ。ジャネットには光輝が必要だしな。フリーなのはオレだけだ」
 アンドルーはゲーリーの真剣な視線を受けとめる。ゲーリーの目には、強い意志と訴えかけるものがあった。アンドルーは彼が口にはしない意図を察した。
「いいだろう。ゲーリーにまかせよう」
 高原は手錠をはめられた手を振った。
「これ、はずしてくれる? これじゃ、なにもできないわ」
 ゲーリーは鍵を取りだすと、高原の手から手錠をはずした。
 高原は自由になった手首をさすりながら、椅子に座り、プログラムを起動させる操作を始める。
「ゲーリーくん、中央の椅子に座って、頭にあれをかぶってちょうだい」彼女は命令口調でいった。
 ゲーリーは高原を睨みつけてから、椅子に座り、アームからぶら下がっているヘルメット状のものを手に取る。ヘルメットからは束になったケーブルが延びていた。
「こいつは?」
「脳波をキャッチしてシンクロさせるものよ。脳内の電磁界共鳴を誘発するの」
 ゲーリーがヘルメットを頭にかぶる。
「いいぜ。いつでも来い」
「へんな真似はするな」アンドルーはスタンガンを彼女の背中に押し当てた。
「作業の邪魔はしないことよ」彼女はツンとしていった。
 高原の隣で光輝は進行状況をモニターしていた。
「プログラムは立ち上がった。これからどうするんだ?」
「待つのよ。確率の揺らぎは來視同様に、いつ起こるかわからないから。数時間で出現することもあれば、数週間のときもある。ただ、被験者が強く望めば、早く出現する傾向にあるわ」
「よし。それならば」
 ゲーリーは目を閉じて、のぞみのことを思った。
(のぞみ、のぞみ、のぞみ!! いま、助けに行くぞ! 開け、開け、開け――!!)
 ゲーリーは眉間に皺をよせて、意識を集中させていた。
 緊張した時間が流れる。地下室にいる誰もが、息を殺して次に起こるであろうことに備えていた。
 が――、突然うめいたのは、高原だった。
「アウウウウ――!!」
 彼女は苦痛に顔を歪め、両手で頭を掻きむしった。呼吸が激しくなり、全身が痙攣で小刻みに震えていた。
「どうしたんだ!?」アンドルーは高原の肩をつかんだ。
 制止しようとするアンドルーの手を振りはらって、高原はもんどり打って椅子から転げ落ち、床の上で体をバタバタと激しく痙攣させる。
「ギャアアアア――――!!」
 彼女は長い悲鳴を発して失神した。失神してもなお、体の震えは続いていた。
 アンドルーは高原の首に手を当て、さらに胸に手を当てた。
「呼吸が止まってる! 心拍も弱い」
 彼は口を彼女の口に重ねて、人工呼吸を始める。なん度目かの空気を吹きこんだところで、彼女は咳きこんだ。
「ゴホッゴホッ、苦しい……」
「ゆっくりと呼吸するんだ。君はなにかの発作を起こしたようだ」
「発作……? えっ? あなたは誰? ああ……そうか、思い出した……」
 高原は半身を起こそうとする。アンドルーは彼女を背後から支えた。
「ええっと……ここは二一世紀ね? 間に合ったのかしら? のぞみは? 達矢は?」
 アンドルーは怪訝な顔をした。
「なんのことをいってる? のぞみを三〇世紀に送ったのはあんただろうが。達矢もなのか?」
 春奈が察したように口をはさんだ。
「ははーん、未来の涼子さんが転移したのね。お帰りなさい」
「未来の涼子だって?」
 アンドルーは春奈に疑問の視線を向ける。春奈は口をすぼめて、顔をそむけた。
「春奈、君はこうなることを予想していたようだな」
 春奈は肩をすくめるだけだった。
「ここはいつ?」高原は周囲を見まわした。
「二〇〇三年三月二一日よ。グッドタイミングね」春奈は微笑んだ。
「四人は無事に戻ったの? ジャンプは成功したの?」
「質問ばかりだな。ききたいのはこっちだ。四人とは誰だ?」
「桜井、神崎、御子芝、高千穂の四人よ。彼らは戻って来れたの?」
 アンドルーはため息をついた。
「順を追って説明してくれないか? 君は“誰”なんだ?」
「さっきまでの涼子ではないわ。私は三〇世紀から意識転移してきたばかりなの。彼らも転送したはずなのよ。少なくとも、別れる前はその予定だった」
「未来の高原というのは、そういうことか」
 アンドルーの言葉に、春奈はウンウンとうなずいていた。
「ゲーリー! 計画は中止だ」アンドルーは大声でいった。
 ゲーリーはかぶっていたヘルメットを脱いだ。
「ちぇっ、せっかく気張ってたのに」
 高原はゆっくりと立ち上がって、椅子に腰かける。
「話す前に、お水を一杯もらえる? なんだか喉がカラカラ」
 アンドルーは光輝を指さした。光輝はリュックの中から、ペットボトルを取りだして、高原に差しだした。彼女はミネラルウォーターを三口飲んだ。
「ふぅ〜」
 未来から意識転移してきた高原涼子は、一息つくと経緯を話し始めた。

〈つづく〉

諌山 裕 mail url 2002/06/24月20:55 [38]


第三二節「時のユグドラシル」(後半)返信  

【Writer:諌山 裕】


 三学期の終業式。
 天原学園は緑と春の花に彩られている。校内の桜もつぼみが膨らみ、喜びとほのかな悲しみに淡い色彩の思い出をそえる。思春期の一年は長いようで短く、過ぎた時間は桜の花のようにはかない。そして迎える一年は、期待と試練の未知なる時間だ。
 生徒たちは終業式と礼拝に出席した父母とともに、学園内を散策し、写真を撮ったりくつろぎのひとときを過ごす。
 ひとりの少女が、両手を両親とつないでポプラ並木を歩いている。父親は口髭を生やし、母親は栗色に染めた長い髪をアップにしていた。実年齢よりも老けて見えるようにしているのだ。両親は中学一年の娘の親としては若く、素のままでは少女のクラスの中でも目を引いてしまうだろう。見た目には年の離れた兄弟といっても通用するほどだからだ。
「いよいよ四月からは二年生ね」母親がいった。
「いろいろと大変だったからね。でも、まだしばらく気は抜けないな」と父親。
 少女は屈託のない笑顔を両親に向けた。
「心配しなくていいわ。わたしはちゃんとやれるから。わたしのことよりも、パパとママの方が心配。学校に来るたびに、深刻な顔してるもん」
 父親はため息をついたものの、微笑んでいた。
「あまり目立った行動はするなよ。彼らに勘づかれるには早すぎるんだ。おまえは彼らとは距離をおいて観察するだけでいい」
「いつまでスパイを続けるわけ? そろそろ機は熟していると思うけど?」少女は真剣な顔になった。
「まだだよ。あと一週間前後だ。タイミングが大事なんだ。早すぎると歴史の歯車が狂ってしまう」父親はせっかちな娘をたしなめた。
 娘は肩をすくめた。
「どっちにしても、明日から春休みだし、他の生徒に紛れて接近するのは無理だわ。これまでだって直接顔を合わせることは避けてきたけど、それも難しくなるのよ」
 親子は寮の前に差しかかった。両親は足を止めて、しばらくの間、寮を見つめる。その目は潤んでいた。
 再び歩き始めた親子は、足早に東門に向かって並木道を進んでいく。
「彼らはそろそろ行動を起こすはずだ。私たちは彼らを見守りつつ、最悪のシナリオを阻止しなくてはならない。彼らは重要な鍵だからだ」父親は決然といった。
「わかってるわよ、パパ」
 母親は心配そうに娘を見る。
「あなたはパパに似て無鉄砲なところがあるから、無茶しないでよ」
「はいはい、ママは心配性ね」
「慎重に行動して欲しいのよ、春奈」
「了〜解」
 少女は敬礼の仕草をして微笑んだ。両親も快活な娘に微笑んだ。
 天原庭園の木々は、さわさわと風に微笑んでいるかのようだった。


 郷田邸の三階の窓から、理奈は外を眺めていた。終業式から帰る親子の姿が、並木道を歩いている。談笑する親子に、彼女はうらやましさを覚えて微笑んだ。
「あたしも……あういう風になりたいわ……」
 両親になにごとかをいっている少女の姿が、理奈はのぞみに似ていると思った。
「どうしたの?」ジャネットが理奈の隣に並んだ。
 理奈は涙ぐんでいた目をこすった。
「ちょっと、うらやましいなって」
「先のこといろいろと心配してもしょうがないわよ。今を精一杯生きるだけ」
「終業式には出たかったわね」
「そうね、制服が着られればの話だけど」ジャネットは苦笑した。
 彼女たちは式に出られないわけではなかった。だが、彼女たちは辞退したのだ。ただでさえ関心を集めていただけに、父母の集まる場に出ることで、無用な注目を招きたくないと思ったからだ。
「アンドルーたちは今晩、決行するのね」理奈はひとりごちた。
「心配よね。ミイラ取りがミイラにならなきゃいいけど……」
「縁起でもないこといわないでよ」
「やっぱり、まともな武器を調達するべきだったかも。スタンガンとエアーガンだなんて、ただのオモチャじゃない」
「あなたが反対したんでしょ?」
「そうだけど、敵の出方はわからないのよ。だんだん心配になってきたの」
 理奈とジャネットはため息をついた。
「キャサリンは?」理奈はきいた。
「地下室にこもってるわ。スパコンの再構築をしてるのよ。彼女も心配なのね、いろいろと。特に彼女は虚弱体質だから、母体の負担が大きいのよ。動けなくなる前に、スパコンを元通りにしようと頑張ってるわ。仕事をすることで不安を隠してるみたい」
 理奈はきびすを返した。
「あたしたちも手伝いに行こう。なにかできることをしなくちゃ」
「そうね」
 ふたりは大きくなったお腹でぎこちなく歩いてエレベーターに乗りこみ、地下室へと降りていった。


 人気のない長い回廊は、いくつもの部屋に分岐し、それぞれの部屋が人類の歴史を物語っていた。かすかに低く唸る音の中に、ヒタヒタと忍び足が断続的に響く。
「DPTはどこだ?」達矢はかすれた声でいった。
「もっと奥よ。フロアは時代順に並んでいるの。このへんはまだ江戸時代よ」高原も小声で答えた。
「ちょっと待ってくれ」御子芝は足を止めた。
「なんだよ? 先を急がなくちゃ」達矢は急かす。
「武器だ。このあたりだと思うのだが……」
 御子芝は江戸時代のフロアの中に入り、陳列された過去の遺物を物色する。
「なに探してんだよ? こんなところに武器なんて……」
 次の瞬間――
 ガシャーン――と、大きな音が反響した。
 御子芝が陳列台のケースを叩き割ったのだ。達矢は首をすくめて音に驚いた。
「バ、バカ! なにやってんだよ!」達矢は思わず大声を出した。
 御子芝はケースの中から、長いものを取りだし、ほくそ笑んでいた。
「すまぬ。これが欲しかったのだ」
 御子芝の手には日本刀が握られていた。彼女は鞘から刀を抜いて、銀色の輝きを眼前にかざした。
「新々刀前期といわれる江戸時代の明和から文政時代に作られた、水心子正秀の作による助広の写しだ。保存状態も良好だな。こんな名刀に出会えるとは、私も幸運だ」
 達矢はあきれた。
「そんなもんでどうやって戦うんだよ。白兵戦なんて時代錯誤もいいとこだ」
「そうともいえんぞ。飛び道具が有利なのは、敵との距離があるときだ。狭い室内では刀に勝るものはない」
「そんなもんを使わなくて済むことを願うよ」と達矢。
 御子芝はもう一本の刀を取ると、高千穂に渡した。
「それはそうだが、備えは必要だ」
「急いで! 時間は限られてるのよ!」高原はいった。
 彼らは忍び歩きをやめて、回廊を全力疾走する。枝分かれする部屋を過ぎるほどに、時代は新しくなり、一九世紀を過ぎ、二〇世紀のフロアに入る。
 今度は達矢が立ち止まった。
「待った! おれはここで武器を調達する」
 彼は武器コーナーに行くと、ためらうことなくケースを倒して割った。中からは銃器がバラバラと転げ出てくる。達矢は手当たり次第に拳銃を拾うと、ベルトとポケットに押しこんだ。手にはサブマシンガンのVz61スコーピオンを持った。そしてマガジンを取りだして、弾が入っていることを確認する。全長二七〇ミリと見た目は小さいが、重量が一・三キロ、装弾数二〇発の銃はずっしりと重い。弾は七・六五ミリと小さく威力も小さいが、命中精度が高く扱いやすい銃である。銃はきちんと保守されており、油が差したてのように匂っていた。
「分解掃除する必要はなさそうだ。ちゃんとしてる」達矢は一通りのチェックをしていった。
「当然よ。保守はロボットがやってるの。ここにあるものはすべて、最高の状態で保存するようになってるから。究極のリアリズムよ」高原は自慢げにいった。
「エデンは完璧主義者なんだな」
 達矢は手にした銃に満足していた。
「おやおやレトロな趣味は、私だけではないらしい」御子芝は苦笑した。
「音と破壊力に威嚇効果があるからだよ。ここの警備員の武器は麻痺銃だけど、殺傷力はない。麻痺銃を防御するシールドスーツでは、鉛の弾は防げないからな。こっちの方が有効な武器だ」
「なるほど、ものはいいようだな」
 御子芝は片眉を上げたものの、自分もプラスチックフレームで軽いグロック17を手に取った。
「のぞみもどれか取れよ」達矢はいった。
 のぞみは首を振る。
「戦うのはあなたたちにまかせるわ。どうせ、わたしの射撃の腕は赤点なんだから」
「オッケー、のぞみはおれが守ってやるよ」
「頼りにしてる」
 武装した彼らは、先を急いだ。


 高級住宅が建ちならぶ街並みは、一軒の敷地が広く、車道に対して歩道も広くなっていた。通りには手入れの行き届いた街路樹が茂り、歩道はモザイク画のようなレンガが敷き詰められている。深夜であるため人通りはなく、ときおり高級車が走りすぎていくだけだ。
 黒ずくめの服装にリュックを背負った三人は、街灯の影から影へと足早に移動していく。木々の緑の多い造りは心の和む環境ではあるが、同時にセキュリティの観点からは死角を多く作ることにもなっていた。
 三人はやがて大きな門構えの邸宅に近づき、周囲の様子をうかがう。門の上には監視カメラがあり、レンズを入口に向けていた。
 アンドルーは携帯電話を取りだして、電話する。
「オレだ。現場に着いた。始めてくれ」
《了解。いま電力会社のコンピュータをハッキングしてるわ。キャサリン、あとどのくらい?》電話の相手は理奈だ。
《三〇秒だって。そのへん一帯が停電になるわ。気をつけてね》
「わかった。こちらから連絡するまで、待機してくれ」
 アンドルーは電話を切ると、光輝とゲーリーに命じる。
「暗視ゴーグルを」
 三人はゴーグルをかける。ラグビーのヘッドキャップに似たもので頭に装着するが、重いカメラ部分が眼前にくるため、頭のバランスを取るのがやっかいだ。
 暗視ゴーグルは、人間の眼には暗闇としか感じられないわずかな光を電気的に増幅させる。完全な暗闇では威力は発揮できないが、月や星明かりでも十二分な明るさとして見ることができるのだ。停電になったとしても、今晩は月が出ており、非常灯も点いているため室内でも真っ暗闇というわけではない。
 アンドルーは時計の秒針を見つめる。きっかり三〇秒で、一帯の家々からもれてくる明かりが消えた。
「行くぞ。復旧するのにどれほど余裕があるかわからない。すみやかに侵入する」
 彼らはゴーグルを通したグリーンの視界の中を、問題の邸宅へと接近する。電動の門は閉じたままロックされているため、二メートルほどの塀に飛びついてよじ登り、敷地内へと侵入した。
 三人が敷地内の建物に駆けよっていくと、犬の吠え声が近づいてきた。
「光輝、番犬が来たぞ!」アンドルーは右前方を指さした。
「了解!」光輝は胸ポケットから、小さなスプレー缶を取りだした。
「早くやれよ、すっとんでくるぞ!」ゲーリーは犬の吠え声に顔を歪めた。
「もっと近づかないと効果はないよ」光輝はそういったものの、彼自身が怯えていた。
 三匹のシェパードがあと五メートルに迫ると、光輝はスプレーを左右に振り噴射した。スプレーから広がった霧が、迫ってきた犬に降りかかると、吠え声は悲鳴の鳴き声に変わった。犬はバタバタともがき、キャンキャンと鳴きながら逃げていく。光輝が使ったのは護身用スプレーであり、トウガラシエキスのカプサイシンを含んだものである。人間ですら浴びると、催涙効果と異臭に気分が悪くなる代物だ。
「ふぅ〜、第一関門クリアだね」光輝はホッとしていた。
「中に入るぞ」
 アンドルーはベルトに差していた、警棒形のスタンガンを握った。五〇万ボルトを発する、強力なタイプだ。
 光輝も同様にスタンガンを握った。ゲーリーは上着の下のホルスターから、SIGザウェルP229を取りだす。本物ではなくエアーガンである。エアーガンの弾は六ミリのプラスチックだが、至近距離から肌を直撃すればかなりの激痛である。それが顔面に当たればより強いダメージとなる。射程距離は三〇〜四〇メートルあるが、命中できる有効距離は二〇メートルほどだ。それでも相手をひるませる程度の効果はある。もっとも相手が実銃をもっていないとすればであるが。
 彼らは腰を屈めて小走りし、邸宅の裏手へと回る。カーテンが引かれた窓から、中にいる人物が懐中電灯を照らしながら、歩いているのがうかがえた。
 裏口に着くと、光輝が鍵を開けるためにピッキングの道具を取りだす。彼は細かい作業が得意なのだ。
「練習の成果を試すときだな」ゲーリーは小声でいった。
「予想通り、裏口の鍵はシリンダー錠だ。これなら簡単だよ」光輝は答えた。
 しかし、光輝は作業に取りかかったものの、鍵を開けるのに時間がかかっていた。緊張感と暗視ゴーグル越しの見えにくい視覚のために、戸惑ってしまったのだ。
「一分経過。タイムオーバーだぞ」ゲーリーはイライラしていた。
「黙ってろ。余計に緊張してしまう」アンドルーは注意した。
 光輝は三分かかって、ようやく鍵を開けた。
「ごめん、実践がこんなに難しいなんて……」
「シッ! しゃべるな」アンドルーはかすれ声でいった。
 裏口を開けて、彼らは邸宅に侵入する。停電のために警報装置も止まっている。
 アンドルーはゲーリーを指さすと上の階を指さした。続いて光輝を指さすと地階を指さした。光輝とゲーリーはうなずいた。三人はそれぞれに割り振られた階へと向かった。事前に建物の図面を入手し、部屋の配置は頭に入っているのだ。
 アンドルーは一階の部屋の探索を始める。邸宅は日本のものとは思えないほど広く、多くの部屋があった。彼はかすかな話し声が聞こえる方向へと、忍びよっていった。
「犬が吠えてたけど、どうなったの?」
「発情期かな? キャンキャン鳴いてるみたいだ。呼んでも来ないよ」
「電話も通じないの?」
「沈黙してる」
「困ったものね。ラジオはなんて?」
「変電所のコンピュータが停止したらしいよ」
「まったく、日本の危機管理はどうなってるのよ」
「姉さん、ここで愚痴をいってもどうにもならないよ。所詮、二一世紀の技術なんてこんなもんさ」
「せっかくお客様を招いたのに、会合が台無しだわ」
 アンドルーは中心になってしゃべっているのが、高原涼子であることを確信した。彼はさらに近づいて、開けられたドアからロウソクの灯された部屋を覗く。長いテーブルの席には、五〜六人の来客がいるようだった。
 客のひとりに、アンドルーは見覚えがあった。都庁で理奈たちの写真を撮っていた三〇過ぎの男だ。
(あの野郎も、関わっていたのか?)
「黒井さん、初めて来てもらったのに、申し訳ないわ」
「いえ……別に気にしてないです。そのうち復旧するだろうし。話を続けませんか? ロウソクの明かりでも十分だと思います」
 立っていた高原は、テーブルの上座の椅子を引いて座った。
「そうね。こんな深夜に来てもらったのだから、時間は有効に使いましょう」
「まず、僕から質問させてください」
「どうぞ」高原はうなずいた。
「ここにいる……みなさんは、ビジョンを見る人たちなのですね?」
「ええ、そのとおり。見えるビジョンにそれぞれ傾向があるけど、なにがしかのメッセージを受け取った人たちよ。ただ、黒井さんもそうであるように、ビジョンは断片的なの。たいていは脈絡がなくて、時系列もまちまち。断片をつなぎ合わせると、ある程度意味が読みとれると思うの」
「それで……一度に集まって、一緒にビジョンを呼びこもうということでしたよね?」黒井は確認する。
「そういうこと。ビジョンは多くの場合、突然やってくるのだけど、深夜の方が出現頻度は多い傾向にあるの。瞑想に適しているからかもしれないわ」
「來視能力っていってましたよね。その能力は時空の入口を開くのだと」
「そう考えてるわ。ビジョンは時空のチャンネルを開くのよ。といっても、ひとりの能力者で開けるのは情報のチャンネルだけだと思っていたわ。でも、黒井さんが都庁で体験したことから考えると、複数の能力者が共鳴すると、部分的情報だけではなくて、時空そのものにも窓を開けられるかもしれないの」
 黒井はうつむいて、都庁での一件を思い出していた。
「たしかに、あのときいた少女と僕は共鳴したと思うんです。いつもはぼんやりしていたイメージが、驚くほど鮮明で、強烈でしたから」
「それを今晩、本格的に実験してみようと思うの。よろしいかしら?」高原は来客を見まわした。
「僕はいいですよ。いままでひとりで抱えていた、このビジョンの謎を解明したいですから。そしてイヴはなにもので、僕はなにものなのかを知りたいんです。すべては変わってしまうといわれたけど、なにが変わったのかを知りたいんですよ」
 アンドルーは不吉な予感を感じていた。
(そうか、あのときオレと理奈が転移してしまったのは、奴が時空確率を変動させる、引き金を引いたからなんだ。もし、ここでそれを再びやられたら……。オレはまた転移してしまうかもしれない!)
「ちょっといい?」少女が立ち上がっていった。
「なにかしら? 萩原春奈さん」
 発言した少女を見て、アンドルーは一瞬、のぞみだと思った。しかし、似てはいるがいくぶん幼く、背格好も髪型も違っていた。のぞみよりもボーイッシュな少女だった。
「いきなりそういう実験て、危険じゃないの? もし、ほんとうに時空の窓が開いてしまったら、なにが起こるかわかんないじゃない」
 高原は微笑みをうかべて答える。
「心配はわかるわ。でも、なん度かすでに予備実験はしているの。萩原さんと黒井さんが参加する前にね。來視能力者にこれといって、問題は起きていないわ。お隣の工藤さんや山口くんがそれに参加したの」
「ふう〜ん。そうなんだ。でも、賛成できないな」春奈は首を振った。
「無理にとはいわないわ。参加したい人だけでいいの」高原は渋い顔をした。
 春奈は黒井に顔を向けた。
「黒井さんもやめといた方がいいよ。メール送ったのに、ちゃんと意味を受け取ってもらえなかったのかな?」
「君が? メールを?」
「そっ。『貴方の見たイメージのひとつひとつの意味は、決してないわけじゃありません。わたしが目覚めたことによって生じた変化のうちのひとつだったのだと思います』って。覚えてる?」
 黒井は息を呑んで春奈を見た。
「手を引いて欲しかったのよね。話がややこしくなっちゃうから。ここで時空を開かれると超困るのよ」
 高原の顔が険しいものに変わった。
「あなた! なにもの!? ジャンパーなの!?」
 春奈は首を振った。
「はずれ。でも、涼子さんには未来でお世話になったわよ。わたしが生まれる前だけど」
「なんのことをいってるの!?」
「わたし、いろいろと知ってるんだ。ここに来たのはね、この会合をぶち壊すため」春奈はいたずらっぽく微笑んだ。
 高原の弟の涼樹が、春奈の背後に接近していた。彼女を取り押さえようとしているのだ。
 アンドルーは少女を助けなくてはいけないと思った。涼樹は彼に背を向けている。彼はスタンガンを構えて、室内へと飛びこんだ。そして涼樹の背中に、スタンガンの電極を押しつけた。涼樹は短くうめいて背中をそらせ、倒れこんだ。
「動くな!!」
 一瞬の出来事に、誰もが驚き、凍りついていた。
「全員テーブルの上に両手を出せ!!」アンドルーの命令に、高原以外は従った。
「あなたは……」高原は口ごもった。
「きこえなかったか? 両手を見えるところに出すんだ」
 アンドルーはスタンガンを突きつけた。そしてゴーグルをはずした。
「アンドルー!! よかった、来てくれて。停電したから、来ているはずだと思ったのよ。ドキドキしちゃった」春奈はうれしそうにいった。
「君とは初対面のはずだが?」
「うん、そうなんだけど、ちょっといろいろあってね。わたしはあなたを知ってるの」
「無茶なことをしたもんだ。君も來視能力者なのか?」
 春奈は大きくうなずいた。
「ママにもよくいわれるわ。無鉄砲だって」
 廊下を走ってくる音がして、光輝とゲーリーが現れた。
「どうした!? 大声で!」エアーガンを構えたゲーリーはいった。
「ほかはどうだった?」アンドルーは冷静にきいた。
「二階は収穫なし」とゲーリー。
「地下に面白いものがあったよ。時空確率転送機らしきものが……」光輝は春奈を見て言葉を切った。
 春奈は小さく手を振っていた。
「は〜い、光輝とゲーリー」
「誰だい? 君は?」ゲーリーがきいた。
「萩原春奈、よろしくゲーリー」
「ああ……、よろしく……って? なにがどうなってるんだ?」
 アンドルーは苦笑いしながら、頭をかいた。
「それがオレにもよくわからないんだ」
 苦汁に顔をひそめる高原と、愛らしく微笑む春奈を、彼は交互に見つめる。対称的なふたりの間で、アンドルーはため息をついた。
 潜入作戦は思わぬ登場人物と、予想外の展開になっていた。

諌山 裕 mail url 2002/06/17月16:08 [37]

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2002/07/08月20:30