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NOVEL AIR【net-novel-1】


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リレー小説『ラスト・フォーティーン』のページです。
本作は2001年11月3日〜2002年7月8日に渡って、週刊連載されたものです。
本作品に対する、ご意見、ご感想等は、「BBS2」に書き込みしてください。
執筆陣⇒諌山裕/水上悠/森村ゆうり/大神陣矢/皆瀬仁太
【設定・紹介ページ 】【各話人気投票】【キャラ人気投票】


第十六節「文化祭への道2」返信  

【Writer:森村ゆうり】


「もっと時間が欲しい……」
 呟いたのは、技術家庭科担当教諭、菅原拓郎その人だ。
 今日は、天原祭前日。終日、その準備にあてられている。
 正確に言えば、昨日の午後からずっと天原祭のために生徒も教師も走り回っていた。
 昨日の午後の授業時間は、校内の一斉清掃に始まり、ステージ発表のための舞台設営準備。正規の授業時間が終わってからも課外活動として、クラス単位、部単位で準備は進められた。今日は、舞台発表のリハーサルを兼ねた最終の練習がタイムテーブルに乗っ取って行われている。
 舞台発表のリハーサルは基本的に関係者のみ会場に入って行い、自分たちのリハーサルが終わったら、すぐに撤収することになっていて、他のクラスや部の出し物を見学することは出来ない。舞台発表のないクラスは、その時間を利用して、展示の準備をしたり、各自が所属する部の発表の準備をすることになっていた。
 舞台進行の係は実行委員の生徒と担任を持たない教師、部活動の顧問になっていない教職員で行われる。
 菅原は担任は持っていないが、顧問をしている部が二つもあるため舞台の方には全く関与していなかったが、それでもかなり忙しい……いや、たぶん聖天原学園中学で一番忙しい教師であろう。
 凝り性で探求心旺盛な性格が災いして、お祭りごとになると一人で沢山の役どころをしょい込んでしまう菅原は、今回も自分が顧問をしている料理研究会、手芸部だけでは飽き足らず、文芸部の会誌作りに天文部の展示発表にまで担ぎ出されていた。
 呟いたのは、手芸部が展示と販売を被服教室の片隅。展示品の目玉である部員全員で作った草木染の大きなタペストリーの前だ。
 このチェックが終われば、手芸部の準備は完了する。
「たくろーちゃん、疲れてるね。もう、ここはイイからさ、料理研究会の方に行っておいでよぉ」
 部員の一人が菅原にそう言ってくれる。言葉遣いは大いに問題があるが、優しい言葉に救われる思いがした。
「おー。じゃあ、後は頼んだぞ」
「うん。そのかわり喫茶店のケーキ券よろしくね」
 ちゃっかり見返りを要求してくるのが、現代っ子らしい。
 菅原が笑いながら被服室を出ると、タイミングよく立原が通りかかった。
「あっ、立原先生」
「菅原先生……」
 嬉しげに声をかけた菅原とは対照的に、立原美咲は不機嫌そうな様子で菅原を見ている。
「どうかしましたか? 立原先生」
「私、忙しいと不機嫌になるのよ」
「そうですか。僕は、忙しいと燃える方ですけどね。今から料理研究会の方に行って、その後天文部に顔出しますから、待ってて下さいね」
 時間が欲しいとボヤキながらも、菅原は忙しさを充分楽しんでいるのだ。
「私は、やっと一組のステージリハーサルが終わって、これから天文部よ」
「一組は合唱でしたね」
「そうなの。聖歌隊に入っている生徒が多いから、かなり聴きごたえありましたよ」
「それは、明日が楽しみだ。あっ、セブン・オブ・ナインのコスチュームはもう生徒に渡してありますから、試着してみて下さいね」
「やっぱり、本気なのね…。呆れてものも言えないわ」
 立原自身は理事長の呼び出しでうやむやになったと思い喜んでいたコスプレの件を菅原がしっかり覚えていて、しかもどういう伝手をたどったのかコスチュームまで用意してきたというのだ。
 立原は不機嫌を通り越して、まさに開き直りの極地まで飛ばされた感じで、もうどんな格好でもドンとこいな気分になる。忙しさを楽しめる菅原のバイタリティーに感心しきりだ。
「あとで絶対顔を出しますから、その時はセブンでお願いしますよ」
「あんたに見せるためにコスプレするんじゃないのよ。お願いされたくないわ」
 軽口を叩く菅原にいつも通りの悪態を残して、立原は天文部の展示場所である理科室の方へと消えていった。
「さてと、僕も料理研究会へ急がないとな」
 立原の後ろ姿をしばし見送った菅原も急ぎ足で料理研究会が喫茶店を開く学生食堂へ向かう。
 食堂は委託業者が入っての運営スタイルになっているのだが、天原祭の間は料理研究会が毎年喫茶店として利用する。天原祭で、きちんと座って食事ができるコーナーは料理研究会が開く喫茶店だけで、後は校庭に数軒の模擬店がでるだけだ。料理研究会にとっては、これからの活動資金調達も兼ねた年に一度の晴れ舞台なのである。
 もともとカフェ風の洒落た作りになっている食堂だが、昨日の会場設営でさらに磨きがかかり、普段は大人数が一度に食事が出来るように長方形の大きなテーブルがメインで使われるいるのだが、今は小振の丸テーブルが窓際に配置され、いつものテーブルは数が減らされていた。各テーブルにはメニューや一輪挿しがセットされ、すぐにでも開店できそうな状態だ。
「やってるかぁ」
 調理場をのぞき込んで菅原が声をかけると、部員達が一斉に彼を振り返る。
 明日の本番を前に、彼女達の戦いはすでに始まっているのだ。
「先生も手伝って下さいよ」
 栗林里見が大きな鍋の前で大きな木ベラをぐいぐい動かしながら、情けない声で助けを求めた。
「頑張れよー、栗林」
「はいぃ。頑張ってます」
 菅原は天原祭の料理を手伝ったことは過去一度もない。手伝えないことはないのだが、天原祭は生徒が中心になって運営されるべき行事であるし、日頃の活動で部員達の実力はよく分かっているのだ。立派にやり遂げられる力をみんな持っている。
「のぞみさん、おかえりなさい」
 菅原の後ろからひょっこり現れたのぞみに栗林が声をかけた。
「桜井。リハーサル終わったのかい?」
「はい。どうにか終わりました。今日はもうクラスの用事はないので、後はずっとこっちにいますよ」
「桜井さん、ウエイトレスの衣装合わせの方はもう終わったの?」
 部長の渡が手際よくタマネギを刻みながら聞いてくる。
「はい、昨日終わってます。達矢も御子柴さんもよく似合ってましたよ」
「そう。明日が楽しみね。それじゃ、調理服に着替えて、こっちで一年生と一緒に野菜の下ごしらえしてくれる」
「分かりました」
 のぞみは渡の指示にしたがって、調理場の中へと入っていった。
 菅原は活気に溢れた調理場の様子をにこやかに見守っている。
 喫茶店を開くに当たっての菅原の仕事はもうほとんど終わっているのだ。お役所関係への手続きや衛生管理面でのあれこれ、忙しかった日々も生徒達のこの様子を見ていると報われた気分になる。
「それじゃ、また後で顔出すな。最後に衛生面にだけは細心の注意を頼むよ」
「はーい」
 元気な返事に納得して菅原は食堂を後にした。
 次は天文部だ。
 菅原の足は自然と早くなる。そこには立原がいるはずだった。菅原が立原と同僚として働き初めて五年ほど経つが、気が強くしっかり者の立原のことは赴任当初から気に入っていた。去年からは同じ学年の担当として席も近くなり、話す機会も増えたせいで菅原は立原に更なる好意を持つようになった。
 生徒に対するときの正直な姿勢や、愚痴をこぼしながらも結局は面倒なことも進んで引き受けてしまうような人のいいところが立原にはある。立原本人に人がよいという言葉を投げ掛ければ、すぐさま否定するだろうが端から見ていると口は悪いが人がいいのは明らかだった。
 大体、本来なら畑違いな天文部の顧問をしている所からして、その経緯が窺える。第一分野担当の立原が、第二分野の内容である天文部の顧問をすることになったのは、もともと天文部を指導していた教師が定年退職で学校を去り、後を引き継ぐ人がいなくなったためだ。顧問がいなければ部活動をすることは出来ない。もともと地味な活動しかしていなかった天文部だから、その時点で無くなってしまってもおかしくなかったのだが、数名の部員達が直接立原に顧問を頼みに来たことで、彼女も引き受ける気になったらしい。
 彼女曰く。
「中学生レベルの天文部の活動なら、私にでも指導できるだろうし、どうせ今の部員達が卒業するまでのことだから」
 天文部の部員はもともと数は数が少なかったのだ。それが今では、それなりの人数を抱える文化部では人気の部活になっていた。もちろん、立原に泣きついていった生徒達はすでに卒業してしまっている。
 そんな立原が菅原はとても気に入っているのだ。
 菅原の足取りは軽い。
 もちろんセブン・オブ・ナインな立原がそこにいれば、喜びはひとしおというものだろう。
 しかし、菅原が理科室で見たものは、無残に折れて壊れた菅原コレクションをどうにかしようと、瞬間接着剤と格闘しているジャージ姿の立原と「すみません。踏んじゃって……」という彼女の短い言葉なのだった。

 天原祭当日、学園はいつにない賑わいを見せていた。
 料理研究会の喫茶店は盛況だったし、ステージ発表に集まるお客の数も例年に増して多いようだ。
 そんな喧騒から離れた学園の東の外れ、ポプラ並木の道が終わるところにあるベンチに一人の生徒が座っていた。津川光輝だ。
 二つに分離したカプセルが郷田のもとに出現してからも、光輝は毎日この場所を訪れていた。一人静かにカプセルを埋めたあたりを見つめて、いろいろなことを考える。特に今日のようなお祭り騒ぎの中では、貴重な時間と言えるだろう。
 二十六世紀では体験できない稚拙だが、躍動感に溢れる学校生活は、ともすれば使命を忘れてしまいそうになるほど楽しいものだった。この時代に生まれていたならば、もっと自由に好きなことをしていたのかもしれない。お祭りを楽しんだり、人を好きになったり……。
 そんな考えを持つこと自体、この二十一世紀にどっぷり浸っている証拠なのかもしれない。光輝は自嘲するような笑みをその顔を浮かべた。
「光輝…」
 耳慣れない不思議な発音で呼ばれて、彼は視線を声がしたほうへ向ける。
「ジャネット……」
 アメリカ・セクターが送り込んできたチームの一員の彼女は、時々、この場所に姿を現す。光輝が毎日ここを訪れているのは、日本チームのメンバーもアメリカチームのメンバーも知っているのだから、別段、不思議なことではない。
 日本チームが抜け駆けしないように見張っているのかもしれなかったが、ジャネットとするたわいのない会話はとても楽しかった。
「こんな日も日課はかかさないのね」
 光輝の横に腰かけながらジャネットが言った。
「まあね。と言っても今日は少し息抜きに来たようなものかな。うるさいのは得意じゃないんだ」
「そうなの。あたしはにぎやかなのは歓迎よ。楽しいじゃない」
 屈託なく笑うジャネットの横顔を見ていると、光輝も楽しい気分になってくる。
「うーん、確かににぎやかなのはいいとして、幼なじみの女装姿とか見せられるのはね」
「あははは、神崎くんね。あたしも見たわ。ウエイトレス姿。桜井さんのウエイトレス姿はとってもキュートだったけど、神崎くんのは迫力の美女って感じだったわね」
「うん。人って分からないもんだね」
 一時休戦という形で協力関係を結んだといっても、お互い、相手方を全面的に信用しているわけではない。
 それでも光輝はジャネットと一対一で向き合っているとき、自分が意外と素のままの状態でいる自覚があった。
「ここは楽しいわ」
「そうだね」
 二人はしみじみと呟いた。
 光輝たちがこの学園を初めて訪れた時には青々と茂っていたポプラ並木も、少しだけ秋の色に変わり、団扇の形をした小さな葉が時折舞い落ちる様子がある。時間は確実に過ぎているのだ。
 葉が全部落ちてしまったら寂しい景色になるな。
 光輝はふと思った。
「秋って寂しいものなのね……」
 二人とも秋を体感するのは初めてなのだ。
「黒井さんにメール書いたよ。天原祭に来ませんかって」
 黒井の話をジャネットにしたのはいつごろだったか。感傷に浸るよりは、ましな話をしよう。光輝は自らを現実に引き戻す意味も含めてそんな言葉を発した。
「来るかしら……」
「来ないと思うけど…。出来る手は全て打つ。それだけだよ」
「そうね」
 ジャネットが光輝に向き直って笑顔を見せる。
「光輝、今できることが他にもあるわ」
「なんだい?」
「天原祭を楽しむことよ」
 ジャネットは光輝の手を取って、ベンチから立ち上がった。
 こんな寂しげな光輝をジャネットは見ていたくなかった。いつものように自信満々な態度の光輝がいい。
「ほら、行きましょう。ねっ」
「ジャネット……」
 光輝はジャネットの突然の行動に呆気にとられて、彼女の成すがまま、強引に手を引かれ歩き出した。
 天原祭を楽しむ。
 確かに今するべきことかもしれない。ジャネットと一緒ならさらに楽しめるような気がして、光輝の足取りも少しずつ軽くなっていく。
 達矢と勝負してまでかいま見てみたかった恋とかいうものが、自分の手の中に落ちてきたのかもしれない。まさか相手がアメリカ・セクターの人間になるとは、予想だにしなかった事態だが、そろそろ認めたほうがいい気がするのだ。自分がジャネットを特別に思っていることを。
 黒井から届いたあの絵が光輝の脳裏をかすめた。あの絵の意味……
 考えても出ない答えは、保留しておこう。
 光輝は自分の手を引いていたジャネットを追い越し、今度は彼女を引いて走り出した。
「光輝っ!?」
 驚いたジャネットの声を背に、光輝はさらに走る。
 天原祭を楽しむために。
森村ゆうり 2002/02/18月05:21 [16]


第十五節「時を賭けた少年少女たち」返信  

【Writer:諌山 裕】


“そう、そうなのか、ここへ人々がやってくるのは、生きようがためのことなのか。ぼくはむしろ、ここでは何もかも死んでゆく、と言いたいくらいだ。”
 ―――――ライナ・マリア・リルケ著「マルテの手記」の一節より。

 昼休みの図書室――。
 室内に生徒の姿は少ない。多くの生徒が食堂や屋外でくつろいでいるか、校庭で遊んでいるからだ。
 桜井のぞみは昼食を早々に済ませて、読み終えたばかりの本の冒頭を読み返していた。図書館にあった本の中から、なにげなく手に取った一冊だった。のぞみは作品の主人公が綴った憂鬱、不安、恐怖、そして生と死に対する気持ちが、いまの自分に重なるのを感じていた。
 手記の形で書かれたこの小説は、二〇世紀を迎えたばかりのフランスが舞台だ。パリに出てきた青年の目を通した、見聞録や日記の断片が無秩序に並べられている。脈絡のない断片に思えるものをつなぎ合わせていくと、彼の自己存在確認のための過程なのだとわかってくる。二〇世紀初頭に書かれた小説だが、のぞみの抱いている迷いや悩みを代弁してくれているようでもあった。
「紙の本を読むっていうのも、いいものね。画面をスクロールするのとは、ぜんぜん違うイメージがわくから。それが資源の無駄づかいだとしても」
 のぞみは図書館に並ぶ本を見たとき、空間と資源の無駄だと思った。軌道コロニーで育った彼らには、空間と資源の浪費は第一の悪徳だったのだ。この程度の情報であれば、小さなデータスティックに収まってしまう。二〇〇二年のレベルでも、数ギガのディスク数枚あれば十分だろう。だが、実際に本を手にとって読み始めると、先入観は変わった。
 彼女たちはスクロールする画面から瞬時に情報を読みとるために、速読法を小さい頃から身につけていた。五分もあれば一冊の本を読んでしまえる。棚から取りだして机に積み上げた五〜六冊を読破するのに、昼休みの時間があればよかった。彼女が本をめくっているスピードに、周囲の生徒たちはパラパラと眺めているだけだと勘違いしていた。
 画面で文字を読むときには、文字が流れていくだけだが、ページをめくるという行為は新鮮な感触だった。次のページに書かれていることは、あらかじめ決められていることではあるが、物理的に見えないことでページを開くことにワクワクした。それはあたかも歴史のページをめくっているようなイメージと重なった。
「わたしたちは、可能性のある未来のページを知っている。でも、これからわたしたちが開くページが、必ずしも知っているとおりのページではないのよ」
 もし、未来の世界を書いたのが神ならば、神はまだ執筆中なのかもしれない。永遠に完成することのない物語。進行中の物語に、わたしたちが登場し、筋書きは書き換えられる。自分たちが自らの意志で行動しているつもりでも、じつのところ神の書いたシナリオなのかもしれない……。わたしたちの役割は? わたしたちのすることは正しいことなのか? 悪役でないといえるだろうか?
 のぞみの想いはとめどもなく、空回りするばかりだった。
 ふと、のぞみは視線を感じて、顔をあげた。視線の先には、緑色の瞳と透けるような金髪があった。キャサリン・シンクレアだった。
(綺麗な人……)
 のぞみはフランス人形のような彼女を美しいと思った。
 キャサリンは微笑んだ。のぞみも笑みを返した。
(理奈がいってた、転校生ね。用心しなくちゃ)
 のぞみは笑みを浮かべながらも、警戒心で相手を観察する。キャサリンも値踏みするような眼差しで、のぞみを見ていた。
 ふたりの間に、静かな火花が散った。
 キャサリンはのぞみに歩みよるといった。
「お隣にいいかしら?」
「ええ、どうぞ。ええっと……」
「キャサリン・シンクレアよ」
 キャサリンが手を出し、ふたりは握手した。
「わたしは桜井のぞみ」
 キャサリンはのぞみの持っている本の表紙を見る。
「リルケの『マルテの手記』ね。わたしも読んだわ。いろいろと共感するところがあったわ」
「そう? わたしもなのよ」
「読書家なのね。これ、全部読んだの?」
 キャサリンは机に積み上げられた本を指さした。
「まぁね。演劇のシナリオを書くのに、いろいろと勉強する意味もあって」
「演劇やってるの?」
「ていうか、今度の天原祭で。あなたも本が好きなの? 昼休みにここに来る人は少ないから」
「わたしは紫外線アレルギーなのよ。だから、外に出るのは控えてるの。本も好きなんだけど」
「ふうん、そうなんだ。わたしも強い日差しはちょっと苦手だな」
「よかった、仲間がいて。みんな外に行っちゃうから、なんとなくここに来ちゃった」
 のぞみは落ちついた口調で話すキャサリンに見とれていた。同性から見ても、彼女は魅力的だったのだ。
「わたしの顔になにかついてる?」
 キャサリンは首を傾げた。のぞみはあわてて視線をそらした。
「あ、そういうわけじゃなくて……。綺麗な金髪だなーって」
「ありがとう。ねぇ、それって、例のシナリオ? 見てもいいかしら?」
 キャサリンは本のそばに置かれた、プリントアウトの束に向かった顎をしゃくった。
「うん。見てもいいけど、恥ずかしいな。初めて書いたものだから……。日本語、読めるの?」
 キャサリンはうなずいた。
 のぞみはクリップで束ねたプリントアウトを、キャサリンに手渡した。キャサリンは手早く紙をめくって、パラパラと読んでいった。
「なかなか面白いと思うわ。お世辞じゃなくて」
「あなたも速読できるの?」
「ええ。前の……学校で身につけたの」
「結末はどう思う? じつはまだ迷ってるのよ。どちらとも取れる終わり方にしてるから、ちょっとわかりにくいかなって。いちおう演劇の練習はこのシナリオで進めてるんだけどね」
「そうね……。たしかに曖昧だけど、かといってあまり明確にしても余韻が薄れるんじゃないかしら?」
「ほんと? じゃあ、こっちも見て。別案の結末なの」
 のぞみは書類ケースから、別のプリントアウトを取りだす。キャサリンはそれにも目を通して意見をいった。
 ふたりは互いの素性を知りながらも、いつしか意気投合していた。

 六時限が始まってほどなく、光輝は眠気に襲われてこっくりこっくりと船をこいでいた。理科の授業ということもあって、退屈さが一因になっていた。授業の内容が彼には幼稚すぎたのだ。
 と、その時、ピロロロと電子音が鳴った。携帯電話のコール音だ。
 教師の立原が眉間に皺をよせて、音の発生源に目を向けた。
「誰の携帯? 授業中は電源を切る決まりでしょ!」
 ピロロロ、ピロロロ――
 生徒同士も顔を見あわせる。やがて、視線は一点に集中した。
「津川くん!」
 立原が叱責した。
「ん……え?……はい?」
 睡魔から呼び戻された光輝は、とぼけた声を出した。
 ピロロロ――
 光輝はようやく自分の携帯が鳴っていることに気がつき、あわてて胸ポットから取りだした。そして、コール音を止めた。
「だめじゃない! 没収するわよ」
「す、すみません……」
 光輝は頭をかいて、なん度も頭を下げた。教室の中に失笑が広がった。
 光輝の眠気は吹き飛んでいた。注意されたからではない。携帯のディスプレイに表示された、メッセージに驚いたからだった。彼の持っている携帯電話は、ただの電話ではなかった。見かけこそありふれたものだが、ある特定の周波数を受信するように改造が施されている。特定の周波数とは、タイムカプセルから発せられる識別信号だ。
《TCS Received!》
 と、メッセージは表示されていた。
 タイムカプセルシグナル、受信!――
(ついに来た! 未来からのメッセージだ!)
 光輝はいてもたってもいられなかった。彼は立ちあがった。
「先生! すみません、ちょっと急用が……」
 授業を再開しようとした立原は、大きなため息をついて腕時計を見た。二時五〇分だった。
「まだ、授業は二〇分残ってるのよ。そのくらい待ちなさい」
「待てないんです! その……トイレに!」
 再び失笑が上がった。
 光輝は真剣な眼差しを立原に向けた。その目は、ただならぬ悲壮感さえ感じさせるものだった。理由が嘘であることは見抜けたが、真の意図は計りかねた。
 立原の脳裏には郷田の言葉が浮かんでいた。
――彼らを助けてやってくれ。
「しょうがないわね。今回だけよ」
 立原は人差し指を出口へと振った。
 光輝はあわただしく席を離れる。そして教室をでていくときに振り返り、理奈に視線を送って小さくうなずいた。理奈はハッとして目を丸くした。
「先生!」
 理奈が手を挙げて立ち上がった。
 口を開きかけた立原は、口をつぐんで理奈を睨みつけた。
「なんなの? 綾瀬さん」
「あたしも……おトイレに」
「今日はお腹の下るようなメニューだったのかしらね?」
 立原はゆっくりと首を振った。
「お願いします! 今回だけ」
「行きなさい。あとで職員室に来るように」
 理奈は一礼すると、光輝のあとを追った。
 出ていったふたりを、ジャネットが怪訝な表情で見つめていた。
(なにか、新しい展開があったようだわ……)
 ジャネットは彼らのあとを追いたい衝動に駆られたが、あまりに見え透いていたために思いとどまった。
 彼女は授業が終わるのを、イライラしながら待つのだった。

 教室を出た光輝がまっ先に向かったのは、例のベンチだった。足早に歩きながら、携帯電話に入ってくる信号強度を測る。ときおり立ち止まり、信号が来る方向を探る。
「光輝! 待ってよ!」
 理奈が駆けてきた。
「なんだ、理奈も抜けてきたのかい? 立原先生はなんて?」
「そんなことはどうでもいいわ。で、どうなの? 来たのね、カプセルが」
「うん。たぶん間違いない。近いと思うよ。この携帯で受信できるのは、せいぜい半径五〇〇メートルだからね」
「例のベンチ?」
「だといいけど」
 ふたりはポプラ並木を歩いて、はずれのベンチへと到着した。
「あれ〜、おかしいなー。信号が弱くなった。ここじゃないみたいだ」
「じゃあ、どこよ。校内のどこかなんでしょ?」
 ふたりは来た道を戻りつつ、信号が強くなる方向を探した。並木道をはずれて芝生の中に入り、さらには学生寮の周りを一周した。だが、信号は強くなったり弱くなったりを繰りかえし、特定することは難しかった。
「信号がとても不安定だな。なにかの干渉を受けているのかもしれない」
「なにかって、なによ」
「たとえば、電波を遮蔽するようなものだよ。厚い金属とか、壁とか」
「まさか、壁の中とか、岩盤の中に出現したの?」理奈はきいた。
 光輝は肩をすくめた。
「ありえるよ。座標がほんのわずかでも狂えば、狙ったところには出現しないんだから」
 光輝と理奈が校内を歩きまわっていると、終業のチャイムが鳴った。
「SHR(ショート・ホーム・ルーム)の時間だけど、どうしようか?」光輝は理奈に顔を向けていった。
 理奈は舌鼓を打った。
「いったん戻ろう。立原先生をこれ以上怒らせたくないし」
「そうだね。達矢とのぞみも一緒に探した方が効率がいいよ。三角測量ができる」
 ふたりは駆け足で教室に戻っていった。

 SHRが終わり、光輝と理奈は職員室で立原の小言をきいていた。
「あなたたち、なにをこそこそしていたの? トレイには行かなかったようね。転校生だからって大目に見るにも限度があるわ」
「申し訳ありませんでした」
 理奈はなん度目かの謝罪を繰りかえした。光輝も理奈とあわせて頭を下げる。
「ふぅ〜。説明はしないつもりなのね。あなたたちは成績も優秀だし、素行もいい方だわ。なにか問題を抱えているなら、私にも打ち明けてほしいのよ」
 立原はふたりの反応を注意深く観察する。光輝はなにかいいたげだが、理奈は毅然として口をつぐんだまま、立原の視線を跳ね返していた。
(強い子ね。反抗期ではあるけど、ただ反抗しているだけではない、意志を持った目だわ。最近では珍しいくらい)
 立原は質問の矛先を変える。
「あなたたちは、つきあってるの?」
「え?……はぁ?」光輝は質問の意味がわからないとばかりに、疑問符を返した。
「交際してるのかってこと。一緒に行動していることが多いから」
 理奈はクスッと笑った。
「先生、それは勘ぐりすぎですよ。光輝とは幼なじみだけど、それだけ」
 ほんとにそれだけ?……理奈は自問自答していた。
「そう。だとしても、授業をさぼってこそこそするのは、誤解の元よ。別に男女交際のことをとやかくいうつもりはないけど、節度をわきまえなさい」
「はい」理奈はきっぱりと答えた。
「はい……」光輝は言葉を濁した。
「もういいわ。解放してあげる。天原祭の準備もあるだろうから」
 ふたりが職員室から出ると、達矢とのぞみが廊下で待っていた。
「なにやったんだ? えらくしぼられてたな」達矢は笑いを含ませていった。
「この脳天気! あんたって、ぜんぜん緊張感がないのよね」
 理奈は言葉を切って、達矢とのぞみを順に見る。そして、小声でいった。
「TCが来たのよ」
「なに!? ほんとか!!」達矢は大声を出した。
「バカ!! 声が大きいわよ! あんたって、ほんとバカ!」
 理奈は背を向けて歩きだした。三人は彼女のあとについていく。
「おれ、なんかまずいこといったか?」達矢は光輝にきいた。
「さぁ、理奈はなんかピリピリしてるんだ。立原先生にも強気だったし……」
 のぞみは訳知り顔で、くすくすと笑いをこらえていた。のぞみに笑われて、達矢は顔をしかめた。
「ちっ、おれは道化かよ?」
「う〜うん。達矢は元気の元よ」
 のぞみは小走りして、理奈の隣に並んだ。
「なんだそりゃ?」
 先を行くふたりに追いつこうと、達矢と光輝は歩くペースを上げる。
「で、見つかったのか? カプセルは?」
「まだだよ。場所を特定できないんだ。みんなで探そう」
 彼らはカプセルの発信源へと急いだ。

 理奈とのぞみのふたりは一緒に行動し、達矢と光輝は別々にと、それぞれに受信用携帯電話を持って学園内を歩く。学生寮から郷田邸の前に広がる天原庭園を抜けるポプラ並木を通って、東門までの間を重点的になん度も往復していた。
 しかし、信号はときに強くなり、ここぞと狙いを定めて接近すると弱々しくなることを繰りかえした。
 四人は苛立ちをつのらせて、ポプラ並木と郷田邸に通じる細い道の交差点で集まった。
「なんか、おかしいぞ。信号自体がふらふらしてる。まるで移動しているみたいだ」達矢は肩を落としていった。
 光輝は額に手を当てて考えながらいう。
「量子干渉かもしれないな……。つまり、エネルギーの異なる二つの振動子がある場合、この二つは干渉してビート(うなり)を起こす。このビートはある周波数領域だけではなくて、時間領域でも起こるんだ。
 未来から来たカプセルが、なんらかの原因で別のなにかと量子干渉を起こして、存在が揺らいでいるのかもしれない」
「なにかって、なによ? そんなことが、ここで起こりえるの?」理奈はため息まじりにいった。
「明確な実例があるじゃないか。御子芝さんたちの不確定な時空移動は、その典型なんだ。あのふたりが時間の中を振り子のように飛ばされているのは、対となるもう一方があるからだと思うんだ。それが互いに引きよせあい、反発しあってるんだよ」
 達矢はポンッと手を叩いた。
「じゃ、なにか? 御子芝さんは別の時空だか次元に、もうひとりいるってことか?」
「可能性の話だよ。確かめようはないけど」光輝は肩をすくめた。
 話をきいていたのぞみが、理奈の背中をつついた。
「なに? のぞみ」
「見て。信号がさっきよりも一段と強くなってるわ」
「おお! 近いぞ。散開しろ!」達矢は号令をかけた。
 彼らはそれぞれから十メートルほど離れた。そして、右に左に、前に後にと移動して方向を探る。
「こっちだ!」達矢は腕を差しだして方向を示す。
「あっちね」理奈も腕を伸ばした。
「ぼくの方からはあっちだ」光輝は指さした。
 三人の指した方向の交点にあるのは――。
 郷田邸だった。
 再び集まった彼らは、郷田邸を見つめた。
「郷田さんのところなのか?」達矢は半信半疑にいった。
 理奈が彼の疑問に答える。
「ありえる話ね。あの人のことは、わたしたちが送ったメッセージにも書いていたことだし。そもそも郷田さんが、なぜ未来のことを知っていたのか、まだ真相の全貌はきいていないわ。どういう方法だか、來視だかで情報を得たのはたしかだけど」
「よーし、あのタヌキ親父を問いつめる頃合いだな」達矢は意気込んだ。
「もう、だいぶとっちめてるけどね」理奈は口の端を持ちあげた。
「探しものは見つかったのかな?」
 突然、背後からかけられた声に、彼らは一斉に振り返った。
 金髪のアンドルー・ラザフォードを先頭に、転校生のアメリカ人四人が歩いてくるところだった。
 理奈は警戒心を露わにして身構えた。
「なんの用? 邪魔しないでもらいたいわね」
「そう、喧嘩腰になるなよ。自己紹介もまだだぜ」アンドルーはキザな笑みを浮かべた。
(しゃくにさわる奴だけど、美形だわ)理奈は苦笑しながら思った。
 アンドルーの数歩うしろにいるジャネットが、軽く手を挙げて指先を小さく振る。それに応えて、光輝が下ろしたままの手を小さく振った。
 のぞみはキャサリンに驚きの目を向けながらも、首を傾けて微笑む。キャサリンも笑みを返した。
 達矢は拳を握って、腰の位置まで持ちあげていた。いつでも相手になってやるという覚悟なのだ。
 ゲーリーも達矢と同様に、臨戦態勢で拳を握っては開いていた。
「すでに自己紹介の済んでる相手もいるようだな。オレはアンドルー・ラザフォードだ」
「アメリカ・セクターね」
 理奈は単刀直入にいった。
 アンドルーは両腕を軽く広げた。
「ずばりときたな。オレも回りくどいのは嫌いだ。ああ、そのとおりだよ、綾瀬理奈」
「あたしたちのことは、なにもかも知ってるようね。それで? アメリカ・セクターがここでなにしてるの?」
「目的は同じだろ? 望む結果が違うだけだ」
「その結果が問題なんじゃない! あんたたちの思惑通りにはいかないわよ!」
 アンドルーは笑みをたたえて首を振った。
「理奈。ひとつ、忘れてないか? オレたちはアメリカ・セクターの人間だが、いつの時代から来たのかってことだ。ん?」
 理奈は彼に親しみのこもったいい方で名前を呼ばれて、ズキンと胸が震えた。彼の視線には長いつきあいの相手に向けるような、深みのある波長が感じられたからだ。
「気安く、理奈って呼ばないでよ!」
 彼女は眉間をよせて叫んだ。そして、ハッとした。
「いま、なんて? いつの時代ですって?」
 アンドルーはもったいぶって即答しなかった。
「二六〇九年、君たちよりも十年先だ」
 驚いたのは理奈だけではなかった。光輝もハッと息をのんで、ジャネットを見つめていた。のぞみは両手で口を覆った。達矢は肩の力が抜けて、拳がだらりと垂れた。
「十年……」理奈はつぶやいた。
「そうだ。君たちがジャンプした頃よりも、オレたちの方が情報の蓄積も多い。スタートでは出遅れているが、その分準備時間も長かったということだ。それに、十年後のアメリカとアジアの関係は、少々立場が変わっている。時空確率転送機(DPT)技術は、もはやアジア・セクターの独壇場ではないんだよ」
 のぞみが半歩前へでて口を開いた。
「そうかしら?」
 彼女はアンドルーに懐疑的な視線を送り、隣にいるキャサリンにも目を向けた。キャサリンはうつむいた。
「たしかに十年分の情報と技術革新があったかもしれないけど、いまだにジャンパーを送りだしているということは、決定的な成果は上がっていないということでしょ? あなたたちも手探り状態だと思うわ。違う?」
「そうだそうだ! おむつが取れたばかりのガキが、偉そうにいうな!」達矢は意気を取り戻した。
「達矢、アホなこといわないでよ。話がややこしくなるじゃない」理奈はたしなめる。
 達矢にあおられる形で、ゲーリーも口をはさむ。
「領有権シム戦争では、オレたちが連戦連勝してる。アジア・セクターは苦しい立場なんだぜ。主導権はアメリカ側が握りつつある」
 理奈は目をつり上げて、ゲーリーを睨む。
「セクター間の争いをしに、わざわざこんなところまでやってきたの? あたしたちがやるべきことは、セクターの利益ではなくて世界の未来を救うことなのよ」
 アンドルーは鼻で笑った。
「それはお互い様だろう? 君たちだってアジアのために志願したはずだ。君のいう未来はアジアにとって、いい未来ではないのか?」
「それは……」
 理奈は口ごもった。彼の言い分を完全に否定できる自信がなかったのだ。
 光輝は苦悩の表情を浮かべていた。
「やめようよ、こんな言い争いは。こんなことで、未来を救えるはずがない。どちらにとっての未来であっても」
「光輝の意見に賛成よ。あたしは喧嘩を売りに来たんじゃない」ジャネットは口を尖らせていった。
「おいおい、おまえはどっちの味方なんだ?」ゲーリーは呆れた。
「別にどっちでもないわよ! それとも、なに? ここで乱闘して勝った方が主導権を握るとでもいうの? それこそばかばかしい! やりたいならあんただけでやってよ」
「彼女の意見にあたしも賛成よ。お互いの属するセクターは、ここでは無意味。これまでだって多くのジャンパーが挑戦して、有効な成果をだしてはいないわ。四人でも難しいことが、互いにつぶしあったら、もっと難しくなる」理奈はいった。
 対峙する彼らの間に、秋風が吹き抜ける。ポプラの葉がさらさらと音を立ててそよいだ。学園名物のポプラ並木も黄色く色づき、落ち始めた葉が石畳の上に点在していた。ポプラは明るい場所を好む樹だ。生長が早く、挿し木でも根づきやすい性質がある反面、高木の樹木としては寿命が短く、風で倒れやすく虫もつきやすいことから、適切でこまめな管理が必要である。
 並木道を下校する生徒の一団が通りかかった。沈黙して向かいあっている理奈たちの雰囲気に、ただならぬものを感じたのか、生徒の流れは避けて通っていく。
 キャサリンは顔を上げてポプラを見る。
(まるで、ポプラはわたしたちを象徴しているみたいだわ……)
 同じことをのぞみも感じていた。
「ねぇ、わたしたち、協力するべきじゃないの? 不信感はあるにしても、いがみあっていてもなんにもならないわ。全面的な協調でなくても、休戦した方がいいと思うんだけど……」
「わたしも……、そう思う」キャサリンが同意した。
 アンドルーは顎をついとだして、理奈を見た。彼は理奈に、自分と共通する資質を感じていた。それはリーダーシップであり、強気で負けず嫌いの性格であり、揺るぎない使命感だった。
「どうやら、うちの女の子は君の仲間と仲良くしたいらしい。どうする? オレだって協力することに異論があるわけじゃないんだ」
「ちぇっ、アンドルーまでそんなことを」ゲーリーは愚痴をこぼした。
 理奈は不敵に微笑む。
「ふうん、その美形の裏にどんな魂胆があるのかしら?」
「君こそ、見かけほど穏やかではなさそうだな」
 達矢は目を丸くして、理奈とアンドルーの顔を交互に見た。
「なんだなんだ? なんか変な空気になってないか?」
「達矢、あなたあっちの熱血漢と勝負したいの?」理奈はゲーリーを指さした。
 達矢とゲーリーは視線をぶつけた。達矢は相手を豪速球で三振に倒す場面を想像していた。ゲーリーはというと、ホームランをかっ飛ばす場面を描いていた。
「むむむ」達矢はうなったものの、肩をすくめた。
「いまはやめとく」
「ということだから、とりあえず休戦を提案するわ。まずは、お互いの持ってる情報交換から始めましょ。協力するからには信頼関係がなくてはね。でも、これだけははっきりさせとくわ。どっちが主導権を握るのでもない。立場は対等よ。十歳年下でも赤ん坊扱いはしないから」
「いいだろう。オレも君たちを老人扱いにはしないさ」
 アンドルーは前に進みでると、手を差しだした。理奈は一瞬躊躇したものの、彼の手を握った。
「で、さっそくだが、探しものは見つかったのか?」
 アンドルーは理奈と握手したままきいた。
「ずるいわね。そっちの情報提供が先よ。こっちは十年分のハンデがあるんだから」
 理奈は対決姿勢の緊張感がほぐれて、安堵のため息をついた。しかし別の緊張感が頭をもたげていた。アンドルーの手を握り顔を間近に見て、彼女の顔はほのかに紅潮していた。

 ドアの呼び鈴が来客を告げた。郷田は玄関に据えつけられている監視カメラの映像で、誰が来たのかを確認する。そして、驚きとともにドアを開けた。
 ぞろぞろと入ってきた八人を迎える郷田は、理奈とアンドルーに説明を求める視線を送った。
「郷田さん、詳しい説明は後回しにするわ。調べたいことがあるのよ。しばらくなにもいわないで、あたしたちの好きにさせてくださる?」理奈は有無をいわせない口調でいった。
「うむ、よかろう」
「光輝、お許しがでたわ。探して」
 光輝はうなずくと、受信機を片手に邸宅の中を歩きまわる。彼のそばにはジャネットがつきそっていた。ふたりはときおり小声で会話をしながら、一緒に行動する。
「なにを探しているのかね?」郷田はきいた。
 理奈は人差し指を唇に当てた。郷田はやれやれとため息をつく。
 光輝とジャネットは一階の部屋を出たり入ったりしながら、やがて階段を登って二階へと向かった。ふたりのあとを他の者たちもついていく。
「近くなった」
 光輝は期待に微笑んだ。そして郷田の書斎へと入った。
「このへんね。半径五メートル以内かな」ジャネットも目を輝かせている。
 光輝は書斎の中をうろうろして、最終的に壁の前で立ち止まった。壁には額縁に入った十二号サイズの絵が掛けられている。
「ここがピークだ」
 光輝は壁を叩いた。中身の詰まった鈍い音がした。壁はコンクリートにレンガを埋めこんだものだ。
「壁の中なの?」理奈はきいた。
「かもしれない」
「じゃ、壁をぶっ壊すのか?」達矢はいった。
 業を煮やした郷田はいう。
「うちの壁になにがあるというのかね?」
「タイムカプセルよ。未来からの通信メッセージが入ったものなの」理奈は答えた。
「カプセルだと?……」郷田は息を呑んだ。
 達矢は問題の壁に軽く拳をぶつけた。
「郷田さん、壁を壊してもいいっすか?」
「冗談だろ?」郷田は笑った。
「いいえ、冗談じゃないの。それはとても重要なものなのよ。あたしたちにとって」
「待て待て、あわてるな。カプセルなら、金庫の中にある。わしが持っているものだ」
「金庫? あなたが?」
 理奈は疑問を呈しながらも、その意味することを察した。しかし腑に落ちないことでもあった。
「そういうことだったのね。あれをあなたが開けた。それであたしたちが来ることを知ったのね。でも、あなたに開けられるはずがないのよ。それに信号を受信したのは今日よ。あたしたちが来る前に、届いていたの?
 なにか変だわね。発信器が壊れてしまったのかしら? なぜ最初にそのことを教えてくれなかったの?」
「壊れているのかどうかまではわからないが、メッセージを見ることはできた。カプセルはずっと前からわしが持っていたんだ。黙っていたのは、メッセージの開封指定日があったからだ。それが、じつは今日なんだ。君たちを呼ぼうと思っていたところに、君たちの方からやってきた。驚いたよ。いま、出してあげよう」
 郷田は壁の前に立つと、扉となっている額縁を開けた。そこに金庫の扉が現れた。彼は金庫を開けようと、電子キーを取りだす。
「ちょっと待って!」光輝は大声でいった。
「なによ? ものはここにあることがわかったのよ」理奈は顎をしゃくった。
「おかしいよ。そのカプセルを郷田さんがすでに見つけて開いてしまったのなら、信号を出すはずがないんだ。しかも、過去にそれが到着していたのならなおさら。なぜいまごろ信号をだすんだい? そもそも開封指定日は信号を発信する指定日じゃない。受取人に時間的な準備をさせる、たんなる忠告なんだから」
「そうだわ。つじつまがあわないわね。いつ頃見つけたの?」ジャネットがきいた。
「かれこれ四〇年だな。わしが中学生の頃だから」
「そんなに昔なの? 驚きだわね。だとすれば、光輝のいうことももっともだわ」理奈は腕組みをする。
「別のカプセルの可能性は?」アンドルーがいった。
 理奈は小さく首を振った。
「その方が筋が通るけど、なぜ、出現場所が金庫の中なのかということよ。未来からこの場所が特定できるわけがないわ。たとえ特定できたとしても、ピンポイントでジャンプさせられるはずがない。誤差はつきものよ」
「それじゃあ、オレたちよりも、もっと未来からかも……」
 ゲーリーは頭の横で人差し指を振りながら続ける。
「いやいや、それは怪しいな。たえず揺らいでいる時間線を厳密に特定したり、ピンポイントでジャンプさせることは、もともと不可能なんだぞ。量子問題の基本じゃないか」
「難しいことはわからんが、開けてみればいいのではないか?」郷田は遠慮がちにいった。
 光輝は首を振って否定する。
「カプセルは量子干渉を起こしている可能性があるんだ。つまり、まだ存在が確定していないかもしれない。開けてしまうと、いずれかの選択肢を確定することになるんだ」
「シュレディンガーの猫ね」とジャネット。
「なるほど、その猫の話ならわしも知っている。箱の中に猫と青酸ガスを入れて、生きている状態と死んでいる状態が同時に存在するというやつだな。だが、それは思考実験としての仮定の話だろう?」
 シュレディンガーの思考実験とは、まず、中身の見えない箱の中に、生きた猫と青酸ガスの入ったビンを入れておく。そして放射性原子核を用意し、それが放射性崩壊を起こしたかどうかをガイガー計数管で測定できるようにする。ガイガー計数管が放射性崩壊を感知した場合には、一連の装置が作動して、ハンマーで青酸ガス入りのビンを割るようになっている。それが一定時間ののちに猫はどのような状態になるか、というものだ。放射性原子核が崩壊している状態と崩壊していない状態の確率は不確定でどちらでもありえる。そのとき、猫は死んでいる状態と生きている状態が重なりあうことになる。箱を開けない限り、状態を確認し確定することができないのだ。
 光輝はジャネットに熱い視線を送る。得意分野が同じことで、より親近感を抱いたのだ。
「つまり、原因がなんであれ、金庫の中身はまだ量子状態にあるんだ。開ける前に中身がなんで、どうなっているかを十分に推測して、ぼくたちが望む結果を選択する必要があるよ」
「あの……、みなさん? 議論するなら腰かけませんか? カプセルは逃げたりしないのだし」
 キャサリンが天使の微笑みをうかべていった。
「それもそうね」
 理奈はまっ先にソファへと腰を下ろした。
「同感だな。じっくり考えよう」
 アンドルーは理奈の隣に座った。アンドルーの隣にキャサリン、その隣にのぞみが座る。向かい側のソファには、右から光輝、ジャネット、ゲーリー、達矢が陣取った。郷田は一人掛けのソファに座った。
 郷田は入り乱れて座った彼らを見て、いつのまに仲良くなったのかと思いながらも、ホッと安心していた。
「お茶でも入れさせよう」
 郷田はテーブルの上の電話を取ると、家政婦に指示をだした。

 テーブルにはコーヒーと紅茶がだされ、それぞれが好きなものをカップに注いだ。彼らはくつろいだ雰囲気で議論を続けていた。
 理奈は紅茶をすすった。
「そもそも、なぜ郷田さんがカプセルを開けることができたのかわからないわ。DNAコードの鍵はそうそう簡単には開かないんだから」
「きいたところでは、カプセルが損傷してる様子はないしね。とんでもない確率で、コードが合致したんだと思う」光輝はコーヒーを飲む。
 郷田は両手の指を絡ませて、腹の上に載せている。
「いずれにしても、あのカプセルのおかげで、わしは事業を成功させることができた。情報の中には二〇世紀から二一世紀の些細な歴史が詰まったいたからな。世界情勢に経済情勢、宝くじの当たり番号まで」
 達矢はにんまりと笑った。
「それはおれたちがこっちの時代で、必要な資金を調達するための情報だったんだよ。私立の中学校なのに、大学並に施設が充実している理由がわかったな」
「そうね。郷田さんに拾われてよかったわ。じゃないと、悪用されたらそれこそ大変なことになっていた。方法としてはズルだけどね」理奈は顔を傾けて郷田を見た。
 郷田は肩をすくめる。
「わしだって、ときどき罪悪感を感じていたさ」
「もしかして、郷田さんはあなたたちの先祖なのかも。そう考えれば、DNAコードが極めて類似する可能性が高くなるわ」
 キャサリンは身を乗りだして、アンドルーの隣にいる理奈にいった。
「まさか? 郷田さんは結婚してないんでしょ?」
「ああ……独り身だ」
「じゃ、子供はいないわけだ。血のつながりはないな」と達矢。
 郷田は額に手を当てて考えこんでいた。
「いや、じつは子供はいるんだ」
「ええ――!」理奈は驚いた。
 郷田は刻まれた皺を、さらに深くした。
「昔……、わしがまだ大学生の頃だ。一時期アメリカに留学していたことがある。そこで知りあった女性とつきあっていたんだ」
 子供たちの視線が郷田に集まっていた。
「それで?」理奈は先をうながす。
「彼女とは……しばらく同棲していた。愛しあっていたよ。そして彼女は妊娠した。わしは彼女と結婚するつもりだった。プロポーズもした。わしは彼女と日本に帰るつもりだったんだ。
 だが、彼女の両親は猛反対したよ。結局、彼女はわしと一緒になることよりも、両親の気持ちとアメリカに残ることを選んだ。その後、わしが日本に帰ってから、彼女が出産したことを知らされた。女の子だったそうだ。わしは……子供と母親になった彼女には会っていないんだ」
「ふうん……。愛しあっていても、一緒になれないなんて……。恋愛って難しいのね」
 ジャネットはしみじみといった。
「ジャネット、誰かに恋してるのか?」ゲーリーはからかうようにいった。
「ったく! 大きなお世話よ。鈍感なあんたに女心がわかるわけないわね!」
「その話はおいといて、先祖説は一理あるわけだわ」理奈は本題に戻す。
「すべてに……」のぞみは言葉を切った。
「すべてがひとつにつながっているように思うわ。郷田さんが拾ったことも、御子芝さんたちが来たこと、キャサリンたちが来たことも。あるべき方向に向かっているんじゃないかしら?」
 ジャネットが組んでいた足を解いて、身を乗りだした。
「いえてる。だとすれば、新しいカプセルの出現にも意味があるのよ。偶然のようだけど必然なんだわ」
 黙っていたアンドルーが咳払いした。
「そろそろ、金庫を開けてみないか? 議論と推測は出尽くしたように思う」
「開けよう」理奈は立ち上がった。
 全員が立ち上がり、再び金庫の前を囲んだ。
 郷田は電子キーを取りだし、暗証番号を打ちこんだ。
 カチャ――。ロックがはずれる音。
「わしが開けるかね? それとも誰か?」
「あたしが」理奈が進みでた。
 理奈は金庫のノブに手を触れる。ゾクッとなにかが体の中を走り抜けた。彼女は恐る恐る扉を開ける――。
 中には銀色のカプセルがあった。
 それも……二つ。
 理奈は目を丸くした。
「二つ?」
「二つだと? そんなバカな!」郷田は驚愕した。
 理奈はカプセルを取りだして、両手にひとつずつ持った。
「どっちがどっちなの?」
「それならわかるよ。信号をだしている方が新しい方だ」
 光輝は携帯電話を近づけた。理奈が右手に持った方から信号が発信されていた。
「こんなことは初めてだわ! 量子状態の双方が実体化するなんて!」ジャネットは好奇心をむき出しにしていた。
 光輝がジャネットの言葉を継ぐ。
「うん。これが同じものだとすると、どちらかがオリジナルで片方がコピーだ。でも、どちらもオリジナルであるともいえる」
「開封してみるわ」
 理奈は左手に持った古い方を光輝に渡した。そして新しい方のカプセルの両端をつかんでねじる。鍵が開く。彼女は手のひらにカプセルを載せた。
 ホロ映像が浮かびあがった。
《このメッセージは、君たち、綾瀬、神崎、桜井、津川の元に届くことを期待して送っている。
 私は徳川だ――》
 メッセージが再生される。
「わしが見たものと同じだ」と郷田。
「同じものを二つ送った可能性は?」アンドルーは問いかけた。
「待って。データリソースを見れば、識別できるわ。光輝、古い方もだして」
 理奈と光輝はカプセルを操作して、カプセルの基本情報を引き出す。そして二つを見比べる。
「データはまったく同一だわ。複製されたデータなら、ここに複製情報も記録されるんだから」
 光輝は深々とため息をついた。
「ということは、この二つはもともとひとつだった。それが転送過程で二つの状態に分離したんだ。ひとつは四〇年前に、ひとつが本来予定された今日に出現したことになる」
 ジャネットはうなずいた。
「分離した二つが引き合ったのね。古い方はすでに時間線の上に定着してしまったから、揺らいでいたもうひとつが、元の状態に戻ろうとして金庫の中に出現したんだわ。でも、ひとつの状態には戻れなかった。あたしたちが関与したからよ、きっと」
「うむ……」ゲーリーがうなった。
「これはまったく新しい可能性を示していないか? 異なる状態が、それぞれ顕在化したんだ。オレたちがやろうとしている未来の可能性の選択は、ひとつではなくて、複数の状態を創ることができるのかもしれないぞ」
「ミッシング・トリガーに新しい解釈が必要になるわ!」ジャネットの声は高ぶっていた。
 郷田は彼らの話に理解が追いつかなかった。しかし、ひとつだけ確かなことがあった。
(彼らは、なんという子供たちだろう。これが十四歳なのか? まるでわしの方が子供のような気分だ。
 彼らは自分たちの人生を賭けて、運命に挑戦しているだけではない。捕らえどころのない、茫漠たる“時”を賭けているんだ。わしにはそんな大それた賭けはできないな)
 郷田は驚きと称賛の眼差しで、少年少女たちを見つめていた。
諌山 裕 mail url 2002/02/11月01:38 [15]


第十四節「美しき神々の憂鬱」返信  

【Writer:皆瀬仁太】


 光輝はため息をついて、パソコン画面から視線をはずした。まぶたの上からそっと眼球をマッサージする。ここ最近、目にかなりの負担がかかっていると感じる。この時代のパソコンは電磁波が強くてストレスがたまりやすいのだ。
 が、果たして、それだけだろうか?
 光輝の表情に、十四歳の少年にはそぐわない疲労の影が射した。同年代の若者にはまず見ることのできない、蓄積された疲労の影。短命ゆえに密度の濃い時間を過ごしている二十六世紀の若者には当然の表情でもあった。
 十代半ばからはじまる老化は、二十六世紀では当たり前の現象で、無念だし不快だがことさら驚くことではない。しかし、任務を帯びてこの世界へ来ているという意識が、持ち時間の少なさに対しての焦燥、プレッシャーを光輝たちに押しつけてくるのだった。
 仲間を増やす――
 真剣に考慮すべきときだ、と光輝は判断していた。こちらの世界へ来た当初から、議論を重ねてきたことである。不確定要素をいたずらに増やさない、という原則に則って、接触する人間を学園関係者に限って様子を見てきたが、それももう限界だ、と思うのだ。
 御子芝や高千穂の登場。おそらくは來視能力者(ビジョン・タレント)である黒井の存在。そして今日迎えた、新たな四人の転入生。ぞくり、と。なにかが動きだしている感覚を光輝は膚で感じていた。
「あー疲れた」
 派手なドアの開閉に、光輝の思考は遮られた。ドアは静かに閉めるように――と半分いいかけたのだが、どこかぎくしゃくしたような達矢の動作に、言葉を呑み込む。
「まいったよ」
 達矢はベッドにどさりと寝ころんだ。
「どうした?」
「いやさ、御子芝さんにつき合って剣道やってた。やってた、っていうか、素人相手に本気なんだからなあ。まったく急になんだってんだ」
「そういえば御子芝さん、運動不足がどうのと言っていたな。……だいぶやられたみたいだな」
「やられた。御子芝さん、強いもん。情けないけどかなわないよ。あーいたい」
「……君は元気だな」
「うん? そっちこそどうした?」
 口調に感じるところがあったのだろう。達矢が上半身を起こして、光輝の目を覗き込んだ。
 まっすぐな目だ、と光輝は思う。達矢の目には二十六世紀人特有の老成したような色がなかった。若者たちが瞳を輝かせながら未来について語りあったという時代を想像させる。二〇〇二年においてもそのキャラクターは魅力的で、けっこう女生徒の人気も高いのだと理奈がいっていた。本人はまるで分かってないけどね、と。
 達矢のようなキャラクターが世界の変化に影響を与えたとしたら、歴史はましな方向に書き換えられるのではないか?――ふと、光輝はそんなふうに思った。
 もしかすると、真になすべきことは、MEを探すことではなく、よりよい方向へと歴史を誘うミッシング・トリガー創ることなのではないか? そのためにはもっと積極的に協力者を増やしてゆくべきではないか? たとえば――。
「またひとりで考え込んでるな」
 達矢の笑いを含んだ声で、光輝は我に返った。
「おおかた、あいつらのことを考えてたんだろ?どう思う、今日のあの四人組?」
「……アメリカ人か」
「ああ。四人同時に転入。おれたちも、珍しい、ってさんざん言われたよな。それがまただぜ。おれたちは事情あり、で、今度はほんとにレアケースか? そんな偶然があるか?」
「偶然……とは考えにくいな」
「偶然であるもんか。あれはチームだ。アメリカ・セクターの連中だよ」
「……」
「で、どうする? 協力したほうがいいのか? 様子をみたほうがいいのか?」
「そうだな」
 達矢に言われるまでもなく、彼女たち四人組がアメリカ・セクターである、と光輝もにらんでいた。おそらく、理奈やのぞみも同様だろう。偶然が続くなあ、などと一般生徒のように能天気に考えていられるはずもない。
 ジャネットが自分に近づいてきたのも、なにかの計算があってのことだろう。
 と、ジャネットのことを意識したとき、
「……少し様子を見よう」
 自分の意志とは別のところで光輝は言葉を発していた。
「今日、転入してきたばかりだ。ここで結論を出すのは早計だろう。あとで理奈たちとも相談するが、ぼくはもう少し様子を探ったほうがいいと思う」
「うーん。そうだな。それが無難だな」
 達矢が素直に頷いた。
「なあ、光輝。おれたちがやつらの正体を知ってるってことは――」
「正体? 彼女たちが何者かまだ確定したわけではないぞ!」
 自分の口調の強さに驚き、あわてて光輝は言葉を続けた。
「あ、いや、いろいろと可能性を考えながら慎重に行動したほうがいいと思うんだ」
「光輝らしいな。石橋を叩いて渡る、か。おれは石橋かどうかも考えないで渡っちゃうからなあ」
 達矢が怪訝な顔をするでもなく、いつもの笑顔のままだったことに、少なからず光輝はホッとした。
「のぞみも理奈も夜まで戻らないな。おれはひと眠りするよ。つかれた」
 達矢はごろりと横になった。ほとんど間を置かず、規則正しい寝息が聞こえてきて、光輝は苦笑した。
 ――と。
 パソコンにメール到着の小さなマークが表示されていた。黒井からのメールだった。
『新たな作品が書きあがりましたので送ります』
 本文はそれだけで、画像ファイルが添付されている。
(なに?)
『美しき神々の憂鬱』と題されたそれは、二人の女神が敵対するもの同士のような視線を互いに向けつつ、対峙している作品だった。女神としてデフォルメされてはいたが、二人は、明らかにのぞみとジャネットだったのだ。
(敵なのか……)
 アプローチの仕方からして、単純な仲間でないことは分かっていた。分かってはいたのだが。
 さらに。
 背景の半分、のぞみの側は二十六世紀の新宿、そして残りの半分、ジャネット側はニューヨークシティだったのだが。
(これは!?)
 ニューヨークは新宿以上に崩壊した都市だったはずだ。
 しかし――。
 黒井の描く摩天楼には灯がともっていたのである。
(この未来はいったい?)
 いくつもの波が干渉しあい、大きなうねりになりつつあるのを光輝は感じていた。
 変化は望むべきとこだ。しかし、ぼくはいま、変化を望んでいない。
 ジャネット・リーガン。明日の約束。
 なにをどうすればいいのだ?
 光輝はいままでに経験したことのない自分の感情を持て余して……。
 ぐおっ、とよく分からない音をたてて、達矢が寝返りをうった。
 マンガのように、むにゃむにゃ、といいそうな寝顔を光輝に向けて、幸せそうに眠っている。
(ひとの気持ちも知らないで、この男は)
 なんだか、あれこれ考えていることがばかばかしくなってきた。なるようになるさ、で、ときにはいいのかもしれない。
(郷田さんに話を訊こう)
 光輝は達矢を起こさないように、そっと部屋をでた。たとえなるようになるさ、でも、やるべきことはやらなければならないのだ。

「なんだね、話とは?」
 郷田は会長室のソファにたっぷりと座って、訪問者と向き合っていた。彼は五十五歳の年齢よりも若く見えるが、飾りで学園の会長を務めているわけではない。胆力のすわった人物なのである。
 その郷田が、深々と腰を下ろす、という余裕のあるポーズをつくらねばならないほど、気押されていた。
 十四歳の中学生に。
 もちろん、いまの時代の十四歳とは意味が違うことは分かっている。何倍にも凝縮された人生を過ごし、自ら望んだとはいえ、重い使命を背負っているのだ。いや、自ら望む以外に、彼らの時代の若者たちにとって、生きている実感を得るというのは難しいことなのかもしれない。
 それにしても、この威圧感が少女のものだとは。
「私も忙しいのだ、用件はなんだね、綾瀬君」
「もう、おわかりのはずよ」
 理奈の声は静かで、しかし、凛とした強さを持っていた。
「なんのことだね」
「アメリカ・セクターのことよ」
「……」
「転入が認められたんだから、会長がからんでないはずがないわよね? どういうことなの? きちんと説明をお願いするわ」
「それは……」
「私たちに同類の見分けがつかないとでも思ってたの? 四人一度に転入なんて。真っ先にあたしたちに知らされるはずの情報が会長から入って来ない。じゃあ、こちらからうかがうしかないわよね?」
「まいったな」
 まったくしらを切ることは不可能だ、と郷田は判断した。ならば、肝心なところはぼかして伝えるか。
 郷田はアメリカ・セクターの言い分を全面的に信用したわけではなかったし、心情的には綾瀬たちに加担している。ただ、大前提としては、歴史を救うことを最優先にしなければならないと考えていた。
「わかった。率直に伝えよう。ただ、君だけに話すのでいいのかね? 他の三人を呼ばなくても?」
 考えをまとめるための時間稼ぎにすぎなかったのだが、理奈に一瞬、ひるんだような表情が浮かんだのを郷田は見逃さなかった。
「全員で聞いたほうが良くはないか? 私も質問などは一度ですませたい。これでも忙しい身だからな。まだ、四人の話がまとまっていないのなら、いったん、戻って打ち合わせをしたほうがよくないかね?」
「……そうね」
 理奈のいまいましそうな表情を見て、とりあえずこの場はしのいだ、と郷田は思った。
 郷田には知るよしもないが、理奈がひるんだのは、ここに来た理由が自分自身にとっても不可解だったからだ。
 見たのである。光輝とジャネットが二人きりでいるところを。そして自分でも分析不能な感情のままに、郷田のところへ来てしまったのである。
「わかったわ。また来ます」
「綾瀬君、わしは君たちの味方だ。それだけは信じていて欲しい」
 郷田が立ち去ろうとする理奈に声をかけた。それは郷田の本心に間違いなかった。
「なるほど。信じましょう。それでは、もう少し情報をいただきたいのですが」
「光輝」
「津川君」
 郷田の腹が完全に決まったのは、この瞬間だった。歴史は、確実にある収束点へと向かいはじめたのである。
皆瀬仁太 2002/02/04月04:50 [14]


第十三節「十二人目のイヴ」返信  

【Writer:大神 陣矢】


 目をひらくと、はるか頭上に地面があった。
 それも道理で、彼女はケヤキの枝に両足をひっかけ、ぶら下がっていたのだ。
「ここにいたか、御子芝」頭上に吊られて見える人影がいった。
 考えごとを邪魔された御子芝は不機嫌をかくさず、
「何用だ」
 そうつっかかることはない、と声の主は幹につかまると、そのままするすると登りはじめた。
「できれば、もうすこし奥につめてもらえるとありがたいが」
 二階ほどの高さまで、つまり自分のいる枝まで登ってきた彼に、御子芝はつめたい視線で応じた。
「無茶をいうな」
「なら、このままでもいい」
「何用だと聞いている。こう見えても、私は忙しい身でな」
「なに、時間をとらせる気はない」
 高千穂涼はうすく笑った。皮肉めいてはいるが、汚れた笑いではないな、と御子芝樹は感じた。
 夕刻。沈みかけた陽のもらした輝きが空からぼんやりと降りそそいでいる。
 学生寮の裏手の木立は、物思いにふけるのに最適といえた。
 といっても、ケヤキの枝に逆さづりにならねばならぬほどの悩みというのはなかなか解けるものでもないわけだが。
(どうも、今日はずっと嫌な感じがしていたが……こういうことか)
「瞑想かい」
「……そんなところだ」
「そうか。悩むのはいいことだ。自分自身との対話をおこたる者は、往々にして薄っぺらな人格しか生成できないからな。つねにわれわれは葛藤し、その激情の摩擦から……」
「講釈を垂れに来たのなら、間に合っている。失せろ。さもくば落ちろ」
 それはどちらも勘弁だな、と肩をすくめ、高千穂がつづけた。
「ちと、面白い話を小耳にはさんでね」
「面白い話……?」
 胡散臭そうに目を細めた御子芝に、高千穂は微笑をうかべて、いった。
「『十二人目のイヴ』になる気はあるかい?」
「なに……?」
 御子芝は、身を跳ね起こした。

 M・E・G。
 高千穂がその『組織』のことを知ったのは、ほんの数日前だという。
「やはり『近代』はいいね……きわめて剣呑な情報が、とびきり無防備なままに流れているのだから」
 いわゆるアングラ関連のネットワークに網を張るうち、偶然拾い上げた情報だ、と彼はクックッと喉の奥で笑った。
 隣にぶら下がった彼の携帯端末のディスプレイに目をやりつつ、御子芝は顔をしかめた。
 どのみち、あまり肌に合いそうにない世界だ。
「少女崇拝、というのは珍しくもないが……それが数万人規模の結社を成立させているという例は、この組織くらいだろう」
 その組織は、『世界を正しく導けるのは無垢なる少女である』という思想を掲げ、数年ごとに自分たちが信奉する少女を選抜し、シンボルとして崇めているのだという。
「……などと表現するとずいぶん妖しげだが、結社といってもべつに政治的なものじゃない、むしろ会員同士のコミュニケーションをおもな目的とした相互扶助団体といっていい。フリーメーソンにも似ているが、公になっていないという点で、中国でいう『幇会』のほうがより近いかもしれない。ま、このあたりは知り合った会員からの受け売りだがね」
「……だから、なんだというのだ」
 長広舌にうんざりしたようすで、御子芝。この男とは長いつきあいだが、このあたりはいつまで経ってもいっこうなじめない。
「他人の性癖や嗜好についてどうこういう気はないが、それが……」
「むろん」と高千穂。「無関係ではないのさ。ぼくたちと」
「と、いうと?」
「彼らは選抜した『少女』を……『ME』と呼び、崇拝しているらしいのだ」
 ミー、と口に出して、御子芝はあっ、と悟った。
「……『ミレニアム・イヴ』?」
 さあね、と高千穂は肩をすくめた。
「だが実際問題、偶然としてはうまくはまりすぎだと思うが。……MEGとは、ミレニアム・イヴ・ガーディアン……イヴの守り手、という意味なのではないか?」
 ふむ、と御子芝は腕を組みなおした。
 人類の破局の源となる、『ミレニアム・イヴ』の発見。
 それは、彼女たちニ六世紀からのジャンパーに課せられた最大の使命である。
 当然それは彼らのみが知ることであり、この時代の人間が知るはずはない……しかし。
(未来視の話もあったことだしな)
 綾瀬たちから、黒井正直なる未来視の件は聞いていた。
(彼同様、あるいはべつの方法でイヴの存在を知った者がいるというのか?)
 自分の携帯端末で検索してみたところ、たしかに、MEGという団体は実在している。一説によれば発祥は戦後まもなくの混乱期だとか。
 彼女たちもあのころに『飛ばされた』ことがあるが……あの食うや食わずの時代に、そうしたコミュニティが存在しえたのだろうか?
(いや、あるいは、ああいう時代だったからこそ……)
 人々は『無垢なる導き手』のビジョンに惹かれたのかもしれぬ。
「興味が湧いたようだね……?」
「まあな」つとめてそっけなく、御子芝はいった。
「貴様の仮説がどこまで当たっているかは、さだかでないが」
「もちろん、信じるかどうかは……君しだいだ。『ミレニアム・イヴ』とはまるで無関係なのかもしれないし」
「そもそも」少女はするどい視線を送った。「どういう風の吹き回しだ。貴様らしくもない?」
 以前はどうあれ、『今』の高千穂は、もはや当初の使命など忘れ去り、享楽的かつ野放図に生きたいとだけ願っているのではなかったか。
 それがすすんで情報を提供してくるなど、不審に思うなというほうが無理というものだ。
 高千穂はククッと含み笑いをもらした。
「ま……気まぐれさ。深い意味はないよ。せっかく珍しい知り合いが出来たのでね……ひょっとすると、君たちが興味を示すかもしれない、と思ったわけだ」
 ひょうひょうと語る高千穂を油断なく見やりつつ、御子芝は内心で、
(嘘をついてはいないようだが……すべてを語っているわけでもないとみえる)
 そう、感じていた。
「そういえば、十二人目がどうとかいっていたようだが?」
「ああ……」少年はうなずいた。
「『ME』の候補者は、各地にある計十二の支部から一人ずつが推薦され、選考されるのが決まりらしい」
「それで……?」
「その支部のひとつ、東京ロッジ……そこだけが、いまだに候補者を見つけていないそうだ」
 御子芝は眉をひそめた。高千穂の魂胆にうすうす気がついたからだ。
「貴様……まさか」
「べつに無理じいはしない」と、高千穂はあっさりといった。「だが、その組織について知るなら、内部に入りこむのが最適だと思うのだがね?」
 口をへの字に結んで、御子芝はぶらぶらと身体を揺らした。
(十二人目になれ、とはそういうことか……)
 どうも、ろくでもない予感がしていたが、いまもそれは止まない。それどころか、どんどん強くなってきている気がする。
 ただ情報を提供するだけならまだしも、ここまでくると高千穂がただの気まぐれで動いているとはとうてい思えない。
 この男にはこの男の了見があるにちがいなかった。それが何なのかは、むろんこの時点ではわからないが。
「どうするね……?」
 御子芝はなおしばしためらったが……しぶしぶ、首を縦に振った。
「よかろう、今回は貴様の目論みに嵌ってやろう……だが、せいぜい足元をすくわれぬようにすることだ」
「剣呑剣呑……」凄んでみせる御子芝を、高千穂は軽く薄笑いでいなす。
「それと、この件……綾瀬らには内密にしておけ」
「なぜ?」
「無用な心配はかけたくないのでな。……もともと、我らはイレギュラー。彼らには彼らのなすべきことがあるはずだ。この始末は、我らでつけるとしよう」
「ああ……わかった、そうしよう。それから……ちと、いいにくいことだが」
「なんだ」
「……すこし、太ったんじゃあないか?」
「な……」何を、といいかけて、御子芝は口をつぐんだ。
 何かが裂けるような、不吉な音が耳に入ったからだ。
「あ……」
 高千穂が何かいいだしたせつな……枝が、根元からへし折れていた。
 宙に投げ出された御子芝樹は、
(選考に水着審査はあるのだろうか?)
 などと、場違いなことを思いうかべていた。
大神 陣矢 2002/01/28月04:31 [13]


第十二節「ミッシング・トリガー」返信  

【Writer:諌山 裕】


 私立「聖天原学園中学校」の文化祭――天原祭を二週間後に控えて、校内の雰囲気は徐々にテンションが高くなっていた。
 天原祭は生徒たちが中心となって企画・運営され、各学年、各クラスから選ばれた実行委員によって、天原祭実行委員会が組織される。天原祭実行委員会には、予算の権限もある程度まで与えられていた。それは生徒の自主性と独創性を育成するという、学園の方針でもあった。
 浮かれる生徒にあおられるように、教師たちにも天原祭に向けて熱が入っていた。ことに文化系クラブの顧問は、本来の授業以上の入れこみようであった。
 立原美咲も例外ではなかった。彼女は天文部の顧問をしていたからだ。天文部の今年のテーマは、“五〇〇年後の地球”だった。部員にスタートレックファンが多いということもあって、選ばれたテーマだった。
 各クラブがなにをするかは、パンフレットができあがる直前まで詳細は公開されない。企画が似通っていたり、同系列のクラブ同士が影響されずに独自性を出すためだ。とはいうものの、それは表向きの理由で、実際のところささやかな秘密を共有することで部員を結束させることにもなっていた。加えて、みんなを驚かせたいという意図もあった。全体を把握しているのは、実行委員会だけである。
 にもかかわらず、天文部の企画に菅原が顔を出していた。彼が熱烈なSFファンであり、スタートレックファンであることは周知のことだった。そして部員が展示物の一部として、菅原秘蔵のコレクションを貸して欲しいと申し入れていた。彼は二つ返事で承諾した。マニアとしてのコレクション自慢癖があったことと、放課後、立原と会える口実にもなったからだ。
 菅原は理科室に集まった生徒たちを相手に、スタートレック話に熱弁を振るっていた
「やれやれ……」
 立原は腕組みしてため息をついた。
「これじゃ、どっちが顧問だか、わからないわね」
 企画の中心は、スタートレック・ボイジャーの天体測定ラボをイメージして展開するというものだった。
 部員たちの意見に耳を貸しながら、菅原は顔は輝いていた。立原はそんな彼を微笑ましく思った。同時に、自分の気持ちに驚いて首を振った。
(私ったら、なに考えてるのよ!)
「なるほど、なかなかいいアイデアだね。そうだなー……、ひとつ、提案があるんだが?」
 菅原は立原に顔を向けた。
 立原は首を傾げた。
「立原先生に、セブン・オブ・ナインのコスチュームで登場してもらってはどうだろう?」
「賛成!」
 生徒から拍手と賛同の声が上がった。
「ちょ、ちょっと待ってよ! セブンのコスチュームって……」
 立原もそれがどんなものであるかは知っていた。上映するためにと、菅原が持ちこんだレーザーディスクを延々と見せられていたのだ。
 セブンの着ているコスチュームは、体のラインがくっきりと出る、タイトなボディスーツである。スタイルに自信がなくては着られないものだ。
 立原はセブン姿の自分を想像して、顔が紅潮した。
「だめよ! 却下!」
「賛成の人?」
 菅原はそういって率先して手を挙げた。部員も全員が手を挙げた。
 部長が咳払いして、立ちあがった。
「多数決により、立原先生にセブンをお願いします」
「先生のスタイルならバッチリですよ」
 菅原は大きくうなずいた。彼の顔は、ネジが数本はずれたかのようにゆるんでいた。
 立原はつられて引きつった笑みを浮かべた。彼女は科学的な探求心を持つ、セブンのキャラクターに共感もしていたのだ。悪くないかもしれない――と、彼女は思い始めていた。
 その時、校内放送のチャイムが鳴った。
《立原先生、菅原先生、理事長室まで至急いらしてください》
 名前を呼ばれた立原と菅原は、互いに顔を見あわせて立ちあがると、理科室を出て理事長室へと向かった。

 立原と菅原が理事長室に入ると、二年の各クラス担任と副担任が部屋の片側に集まっていた。向かい側には四人の生徒がかしこまって椅子に座っている。生徒は外国人で、立原と菅原にも見覚えのない子だった。
 全員がそろったところで、郷田会長が口を開いた。
「突然で申し訳ないが、この四人を転入生として迎えることになった。先生方、よろしくお願いする」
「またですか?」
 立原は思わず声に出してしまって、あわてて口に手を当てた。
 郷田は苦笑した。
「いや、立原先生の言い分はもっともだな。変則的で事前の打診もできなかったことは、申し訳ないと思っている。彼らにもいろいろと複雑な事情があるのだよ。このわしが保証人として責任を持つ。天原祭前で大変かとは思うが、彼らがスムーズに学園に馴染めるよう、面倒を見て欲しい。
 君たち、自己紹介を」
 郷田にうながされて、四人は立ちあがった。
「アンドルー・ラザフォードです」
「ジャネット・リーガン」
「キャサリン・シンクレア」
「オレ……じゃないぼくは、ゲーリー・ブッシュ」
 四人はそれぞれに名前をいい、手を差しだして教師たちと握手した。郷田は握手する先生を紹介していった。
 学年長がそれぞれの編入されるクラスを発表する。
「一組に、ジャネット・リーガンさん。三組に、ゲーリー・ブッシュ君。四組にアンドルー・ラザフォード君とキャサリン・シンクレア さんとなります。全員アメリカ人ですが、日本語はかなり流暢です。話し言葉についてはさほど問題はないと思います。親御さんはアメリカ軍関係者で、昨今の世界情勢のために日本には不在です。そのため当校の寄宿舎に入ります」
 一通りの紹介と説明が終わると、四人の転入生は担任に連れられて理事長室を出ていく。
「ああ、立原先生と菅原先生は残ってくれないか」
 郷田はふたりを呼び止めた。
「はい?」
 菅原はきょとんとして立ち止まった。そもそも担任ではない自分が呼ばれたことにも、疑問を持っていたのだ。
「まぁ、座ってくれ」
 郷田は席を勧めた。
「吸ってもいいかね?」
 郷田はタバコの箱を取りだして振った。
 ふたりはうなずいた。
 タバコに火をつけた彼は、深々と煙を吸いこむ。思案げに煙を見つめ、そこから言葉を取りだそうとしているかのようだ。
 立原と菅原は、沈黙したまま郷田を見つめていた。
「彼らは、特別な子供たちだ」
 郷田は唐突にいった。
「はぁ?」
 菅原は首を傾げた。
「あの四人がですか?」
 立原はきいた。
「あの四人もだ。先に転入した、綾瀬、神崎、津川、桜井、御子芝、高千穂も加えた、十人のことだよ」
「たしかに異例ですね。しかも、会長が保証人ですし」
 立原はずっと抱き続けていた疑問を口にした。
「むむ。それがわしの使命だと思っているからだよ。彼らを助けることが」
「それで、私たちふたりを残した理由は?」
「そうそう、立原先生はわかりますが、なぜ技術家庭の僕が?」
 郷田は真剣な眼差しをふたりに向けた。
「君たちなら信頼できるだろうし、理解できると思ったからだ」
「はぁ?」
 菅原はポカンと口をあけた。
 郷田はニヤリと笑った。
「一度にすべてを話すには無理がある。おいおい話していこう。ともかく、彼らを見守ってくれ。そして、助けてやってくれ。彼らは普通の十四歳ではない。いまいえることはそれだけだ」
 立原は好奇心をおおいにくすぐられていた。自分が彼らに感じていた違和感が、たんなる思いこみではないらしいからだ。
「土曜の夜は時間があるかね? うちで夕食でもどうかな?」
 ふたりは郷田の招待を受けることにした。

 津川光輝は学校のはずれ、ポプラ並木が終わるところにあるベンチに、ひとりで座っていた。ベンチのうしろには、彼らが未来に宛てたメッセージカプセルが埋まっている。
 もし、返信が来るとすれば同じ場所に来るだろうと思っていた。見張っているわけではなかったが、未来と自分をつなぐ、唯一の方法だ。彼はここに来ずにはいられなかった。
 しかし、いまだに返信は来なかった。それは予想されたことだった。過去からのメッセージが届く可能性は低かったからだ。
「あまり期待はしないことよ。私たちだけで、なんとかするしかないんだから」
 理奈は足しげく通う彼をたしなめた。
「そうかもしれないけど、未来からの助言があれば、ミッションはより確かなものになるんだよ」
 彼はこの場所に毎日通い、小一時間ほど考えごとをしながら過ごしていた。
「ミレニアム・イヴ……か……」
 光輝はひとりごちた。
 数日前、メールを送っていた黒井正直から返信が届き、彼が描いたという絵が添付されていた。
 その絵は、四人に衝撃を与えた。絵の中の少女は、憂いを浮かべているようでもあり、同時に希望を抱いているようにも見えた。逆光気味に描かれた顔は、どちらとも取れる表情だったのだ。光輝は少女の面もちが、理奈にものぞみにも似ていると思った。
「これは來視(らいし)だわ! きっとそうよ。この人は來視能力者(ビジョン・タレント)なんだわ」
 理奈はいった。
 來視(らいし)とは、未来の事象が過去に影響を及ぼす過程で、イメージとして残る残像のことだ。別の呼び方では予知夢ともいうが、來視(らいし)は量子科学的に立証されていることである。もっとも、二一世紀初頭では未知の領域だが。
 本来、脳に発生する意識も量子的な効果に起因している。二〇世紀末に“量子脳理論”を提唱した、ロジャー・ペンローズに端を発する考えかたである。だが、奇抜な理論であったために、広く受けいれられることはなかった。ペンローズの理論が見直されて、実証されるのは、量子コンピュータ技術が確立される二一世紀後半なのだ。
 黒井の描いたイヴが、理奈にものぞみにも似ているのは、複数のビジョンが交錯しているからなのだろう。光輝はそう推測していた。
「津川くん?」
「え?」
 彼は突然名前を呼ばれて、我に返った。ハスキーな女の子の声だった。
 あたりはいつの間にか、夕陽で赤くフィルータのかかった情景に変わっている。少女は夕陽を背に立っていた。その顔が絵の中のイヴに見えた。
「……イヴ!?」
「ん? あたし、ジャネット。今日クラスに転入した」
 英語的な発音の日本語で彼女はいった。
「ああ、ごめん。考えごとしてたんだ」
 光輝の目は、ようやく彼女を識別した。だが、逆光で見た顔が、イヴに似ていると思ったことは心に残った。絵の少女は無国籍風で、誰もに似ているのかもしれない。美人の条件は万人の平均値であるとする説からすれば、それもうなずけることだった。
 光輝は転入生として教室に入ってきたジャネットを見て、惹かれるものを感じた。彼女は十四歳とは思えないほど大人っぽく、セクシーだったのだ。
「隣に座ってもいい?」
 甘えた声で彼女はいった。
「え? ああ、いいけど……」
 ジャネットは腰を下ろして、足を組んだ。ミニスカートから伸びるスラリとした褐色の脚が、光輝の目を引いた。そして、彼女は光輝にもたれかかるように肩を触れさせた。彼の心臓は高鳴った。
「津川くん、教室であたしのこと、じっと見てたよね」
「ぼくだけじゃなくて、男子はみんな見てたよ思うよ」
「そう? あたしはあなたの視線を一番感じたけど」
 彼女は意味ありげな笑みを彼に向けた。
「リーガンさんは、可愛いから……」
 光輝は顔が火照るのを意識した。自分がなにをいっているのか、混乱していた。
「ふふ、うれしいわ。そういってもらえて。ジャネットって呼んでよ。あなたのこと光輝と呼んでもいい?」
「うん……」彼はコクリとうなずいた。
「校内をぶらぶらしてたの。こういうところ初めてだから。そしたら、光輝がポツンとひとりでいたから、声をかけてみようかなって。あなたも転校生なのよね」
「うん、七月に来たんだ」
「綾瀬さんもそうよね?」
「理奈……綾瀬とは仲間……というか、幼なじみなんだ」
「ふうん、ファーストネームで呼び合う仲なのか」
「特別な意味はないよ」
「そっか。ちょっと安心」
 光輝にはなにが安心なのかわからなかった。
「ねぇ、さっきあたしを見てイヴっていったじゃない? あれ、どういう意味?」
「いや……、ちょっと似ている人のことを考えていたんだ……」
「彼女?」
 光輝は首を振って苦笑した。
「違うよ。まだ会ったこともない。捜してはいるんだけど……、というか、理想の女性かな、ははは」
 彼は笑って誤魔化し、余計なことをしゃべりすぎだと自分を戒める。
「あたしが似てるの? 理想の人に」
「ん……、まぁ」
 気まずい沈黙が訪れた。
 光輝は落ち着きなくうつむいたり、彼女とは逆方向に顔を向けたりした。彷徨う視線は回り道をして、彼女の元へと戻る。彼女の脚へ、そして胸元へと。
 ジャネットと視線が合うと、彼女は彼を見つめていた。
「優しい目をしてるのね」
「へ?」
 気がつくと、彼女の唇が彼の唇に接触していた。それは一瞬のことだった。
 彼女は立ち上がった。
「あなたのこと、好きよ。いまのは可愛いっていってくれたお返し。明日もここに来る?」
「ああ、たぶん……」
「じゃ、同じ時間に。いろいろと話がしたいわ」
 ジャネットは笑って手を振り、足早に去っていく。
 残された光輝は、あっけにとられていた。
(彼らもまだ、ミレニアム・イヴを見つけていないんだわ。出遅れてはいないのよ! あたしたちにもチャンスはある)
 ジャネットは得られた情報に満足していた。しかし、光輝にキスをしたのは計算したことではなかった。それは突然の衝動だったのだ。彼を好きだといったのは嘘ではない。光輝に接近したのは、情報を聞きだすためだったが、相手として彼を選んだのは惹かれるものがあったからでもあった。
「なに考えてるの!? ジャネット! 彼らはライバルなのよ!」
 彼女は小声で自分に叱咤した。
 ポプラ並木を歩きながら、ジャネットは自分の高鳴っている鼓動を感じていた。恋をしたことなら以前にもあった。チームリーダーのアンドルーには、片思いであることも承知していた。それは恋というよりは、強い仲間意識だった。
 だが、初対面の光輝に対する気持ちは、いままでとは違っていた。会ったのは初めてだが、光輝のことは個人データとして何年も前から知っていた。自分では意識していなかったものの、彼に対する思いこみが蓄積されていたのだろう。ジャネットにとっては十年前にジャンプした光輝。本来なら同じ年齢で出会うことはなかったふたりだ。
 それが運命のいたずらで、同じ時間で出会うことになった。彼女はそれを喜ぶべきなのか、無視すべきなのか、戸惑っていた。
 ジャネットは女子寮の入口で、キャサリンと出くわした。
「ジャネット、いまあなたを捜しに行くところだったの」
「どうしたの?」
 ジャネットは聞き返した。
 キャサリンは首を傾げて、ジャネットの顔を覗き込む。ジャネットの目が赤くなっていたからだ。
「泣いてるの?」
「え? 目にゴミが入っただけよ」
 ジャネットはキャサリンに指摘されるまで、自分が涙を浮かべていることに気がつかなかった。
(あたしったら、なんで泣いてるのよ? 光輝に一目惚れ? ぜんぜんあたしらしくないわ!)
「わたしたち、郷田さんに呼ばれてるの。ふたりは先に行ってるわ。大丈夫?」
「行こう」
 ジャネットはキャサリンに背を向けて歩きだす。勘のいい彼女に、動揺している顔を見られたくなかった。

 郷田はそろった四人の前で、腕組みをして考えこんでいた。
「君たちの言い分はわかったつもりだ。だが、なぜ綾瀬くんたちに秘密にしなくてはいけないんだ? 協力した方がいいのではないかね?」
 アンドルーはため息をついた。
「ミスター郷田。何度も説明したように、我々は彼らよりも未来から来た。彼らにとっては、我々は存在してはいけないんだ。彼らがこれから行うであろう行動に影響する。それがどういう結果をもたらすかは、予測が難しいんだ」
「むむ……、しかし、御子芝くんは彼らと共同しているぞ」
「たしかに。それも不確定要素のひとつだよ。これ以上、不確定要素を増やすのは避けたいんだ」
「あたしが説明するわ」
 ジャネットが身を乗り出した。
「未来は……というか、時間は不確定なものだわ。常に量子的に揺らいでいるの。過去は確定されたものというのは誤解で、過去も揺らいでいるのよ。比喩的にいえば、歴史は一本道ではなく、多様な可能性が同時進行している複数の道。平行世界ともいえるけど、平行する世界が独立しているわけでもないの。
 人間の意識も量子的なもので、不確定なものよ。目から入った光を、像として脳が作り出すように、時間の流れも意識が過去・現在・未来として識別して、作りだしているものなの。
 人々の意識は、量子的に関係を持っているの。あたしたちはそれを、集団量子意識効果と呼んでいるわ。もっと簡単にいえば、集団の幻想が過去や未来を選択しているといってもいい。
 たとえば、ある個人がいままで発見されなかったある事実や法則を見つけたとする。具体的にいえば、遠い銀河を発見して、宇宙の起源が塗り替えられたとしたら? それは発見される前からそこにあったわけではなくて、発見される選択肢を選んだために、存在することになったのよ。その時、歴史は書き換えられたの。でも、書き換えられたことを誰も知る由はない。なぜなら、書き換えられる以前の記憶というか、時間とは切り離されてしまっているからよ。
 個人の量子的な確率の変化は、全体に影響を及ぼすわ。こうして郷田さんと話していることでも、影響は出ているともいえるの」
 ジャネットは、郷田に理解が浸透するまで待った。
「この時間線の劇的な集団量子意識効果の変化を、“ミッシング・トリガー”――失われた引き金というの。ミッシングというのは、変化の引き金はあるはずだけど、引き金が引かれてしまうとあたしたちには失われる変化だからよ。それがなんであるかは、まだあたしたちにも明確にはわかっていないわ。それは綾瀬チームも同じ。
 おそらく同じものを探しているけど、それに対して取るべき行動は違っているわ。どちらが取る行動が正しいかはわからない。どちらも間違っているかもしれない。でも、どちらかが選択されるのはたしかよ。
 可能性を考えるなら、一つより二つの方がいいと思わない?」
 郷田は手に持ったライターをもてあそんでいた。生徒の手前、タバコを吸うのをためらっていたのだ。
「正直に答えてくれ。君たちがアメリカ・セクターの人間であることも、その理由か? 君たちの時代ではアジアとアメリカは対立関係なんだろう?」
 ジャネットはアンドルーに視線を向けた。彼はうなずいた。
「ええ、そのとおりよ。アジアとアメリカでは、ミッシング・トリガーへの対処方法で見解が異なっているわ。そのためにそれぞれ独自にジャンプをやってるのよ」
「うむ。しかし、どちらが正しいとも限らないわけだな?」
「そう。あなたは日本人だから、同じ子孫に肩入れしたくなるのもわかるけど。綾瀬チームが成功する保証はないわ」
「ちょっと考えさせてくれ」
 郷田はタバコを持って、テラスへと出ていった。そしてタバコに火を点けた。
 郷田が部屋から出ると、ゲーリーは小声でいった。
「おいおい、そこまでいっちまっていいのかよ」
「ああ、たいした問題ではないさ。彼の協力は不可欠だしな。どのみち、いつかは綾瀬チームもオレたちの正体を知ることになる。それならば、彼の信頼と協力を得られる方が都合がいい」アンドルーは答えた。
「嘘をつくよりも、正直な方が説得力があるわ」ジャネットはしんみりといった。
「今日は、いつものジャネットらしくないな。どうしちまったんだ?」
 ゲーリーは片眉を上げた。
「大きなお世話よ!」
 ジャネットは声を荒げた。
 郷田が一服して、戻ってくる。
「わかった。君たちのいうとおりに、しばらくは静観しよう。進展があれば報告してくれるだろうね?」
「ええ」アンドルーはうなずいた。
 ジャネットはホッとしていた。しばらくは光輝に自分の素性が知られずに、接することができると思ったからだ。
 彼女は彼とふたりきりで会う、明日の約束に心を奪われていた。キャサリンは、ジャネットの顔が輝いていることに気がついていた。
諌山 裕 mail url 2002/01/21月13:54 [12]

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