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.第三一節「エデン」(前半) 諌山 裕 06/04火12:35[34]
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.第三一節「エデン」(前半)返信  

【Writer:諌山 裕】


 まっ白な空間。
 すべてが光に包まれ、ふわふわと漂っているような浮遊感。彼は自分の体が、妙に軽くなっていることに気がつく。軽くなっているのは体だけではなかった。意識もふわふわと脈絡なく彷徨い、体から分離しているようだった。
 彼は白いベッドに横たわる、自分を見ていた。目を閉じ、口を半開きにした彼の体は、やつれて血色が悪かった。頭や胸元には細いケーブルが差しこまれ、ベッドの脇の電子機器へとつながっていた。
 ピ、ピ、ピと規則的な電子音が、彼の鼓動に連動している。ディスプレイのひとつには、立体的な山脈の地形図が表示され、時々刻々と変化していた。
――脳波計だ。
 彼は思った。彼の思考に呼応して、山脈は高く立ち上がり、脈動した。
「意識が戻ったみたいだわ。といっても、夢を見ている状態に近いけど」
 どこかできいたことのある女性の声がした。
「大丈夫なんですね?」
 別の女性の声。彼はその声にひときわ親近感を感じた。
「あら、あなたの声に反応しているわ。きこえているのね」
 声の主は、クスクスは笑った。
「身体的な問題はないわ。出血は多かったけど、損傷はナノプローブが修復したから。数日後には起きられるはずよ」
 彼は会話をしているふたりを見ようとした。しかし、朦朧とした意識は、対象物を捉えることを拒絶していた。ぼんやりとしか見えないふたりは、光を背にしたシルエットとなっていた。
――誰だ?
 彼は言葉を発したつもりだったが、口は動かなかった。自分の体をコントロールすることができないのだ。
「達矢……」
 彼は自分を呼ぶ声に答えようとするが、水の中を泳いでいるかのように、手がかりもなくのろのろとしていた。
 彼女の手が、彼の頬に触れた。その温かい感触に、彼は安堵する。
 彼の意識は再び深い眠りに誘われる。
 閉じゆく意識の中で、彼は彼女が誰であるかを察した。
――のぞみ……
 ほどなく、脳波はなだらかな丘陵となり、思考を休止した。


 植物の見本市を思わせる様々な草木が、広い公園を埋めている。一見、無秩序なようだが、それぞれの植物のニッチや性質を計算して、不都合が発生しないようになっていた。自然の状態ではけっしてありえないような取りあわせだが、個々の美しさと人工的な秩序が絶妙な関係を生みだしている。
 達矢はぼんやりとベンチに腰かけて、不思議な公園を眺めていた。
「ここが……エデンか……」
 病室で目覚めたとき、彼は自分が生きているのか死んでいるのかわからなかった。激痛とともに大量の血を流したという記憶は鮮明にあり、死を覚悟したからだ。朦朧とした意識の中で、のぞみがそばにいたイメージは、死に際のフラッシュバックかと思っていた。
 目を開けて、のぞみの顔が飛びこんできたときも、生きている実感がなかった。理由は自分の身体がやけに軽く感じたからだった。
「おれ……、死んじまったのに……なぜ、のぞみがそこにいるんだ?」
 彼はろれつの回らない口調でいった。
「達矢、あなたは生きているのよ。もちろん、わたしも。ここは天国じゃないわ。エデンよ」
 のぞみは笑顔に涙を浮かべていった。
「エデン? それって、なんかの冗談か?」
 のぞみは首を振った。
「気がついたようね。ようこそ、エデンへ」
 のぞみの隣に、見覚えのある顔が並んだ。だが、見覚えのある顔に似ているものの、なにかが違うように思った。
「あんた……どっかで会ったように思うけど……違ったかな?」
「高原涼子、そういえばいいかしら? あっちの世界の私は、分身みたいなものよ。似ているけど、肉体的には別人ってとこね」
「高原?」
 達矢は思いだしていた。しかし、彼が見ている高原の髪はシルバー、瞳はグレー、手足がほっそりとしていて背が高い。彼よりも高く、一八〇センチはあるようだった。それでも顔つきや印象はたしかに高原に似ていた。
「いろいろと説明しなくてはいけないことがあるわ」高原はいった。
「ここは……エデンって?」
「エデンは月にある私たちの都市のことよ。そう、ここは私たちの楽園なのよ」
「月?」
 達矢は首を傾げながらも、身体が軽く感じることの理由だと思いいたった。
「なんで、おれとのぞみが月にいるんだ?」
「わたしたちだけじゃないわ。御子芝さんと高千穂さんもいるわ。それとロストしたと思われていたも過去のジャンパーも」のぞみが答えた。
「なんだって? どういうことなんだ?」
「ここはエデンだけど、時代は三〇世紀なのよ」
「三〇……だって?」
 達矢は眉間に皺をよせた。
「そういうこと。私たちはジャンパー達を救助しているのよ」高原はいった。
「救助? おれの聞き間違いか? 拉致しているんじゃないのか?」
 高原は苦笑した。
「そう思われても仕方ないけど、複雑な事情があるのよ、神崎くん」
「たしかに複雑そうだな。説明してほしいものだ。もっとも、そっちの言い分を鵜呑みにするつもりはないけどね」
「まずはゆっくり休むことよ。時間はたっぷりあるから、誤解も解けると思うわ」
「どうだか……」達矢は肩をすくめた。
 公園の木々の間を、色鮮やかな小鳥の群れが鳴きながら飛んだ。
 達矢は我に返る。
 月の楽園――エデン――
 作り物の楽園。青い空には雲が流れている。ホログラムの空だ。作為的な自然環境と、虚像の空。絵に描いたような楽園の風景だが、低重力が月であることを物語っている。
 彼は心が和むのを感じていた。エデンは人間が求め続けた、楽園の実現なのかもしれなかった。しかし、安心感を覚える一方で、どこか胡散臭いものにも思えた。
 もし、これが高原のいうように楽園であるならば、なぜ彼らは過去に干渉しているのか? なぜ彼らはこの世界に満足していないのか?
 達矢は、なにもかも見かけ通りには信用できないと思っていた。
「達矢!」
 彼は声に振り返った。のぞみが手を挙げて駆けよって来る。
 喜びに満ちた顔で、彼女は達矢の隣に座った。
「具合はどう?」
「まあまあ。痛みは引いたよ」
「よかった。一時はどうなるかと心配したの。でも、ここの医療は進んでるから」
「そうだね。二一世紀だったら助からなかっただろうな」
「あの……、ごめんなさい……。わたしのせいだから……」のぞみはうつむいた。
「気にするなって。君は正気じゃなかった」
 今は正気なのか?――彼は言葉には出せない疑問を抱いていた。
「エデンは素敵なところね。ここに来てよかったわ」
「本気でそう思っているのか?」
 のぞみはきょとんとした顔を向けた。
「だって、わたしたちが望んでいた楽園がここなのよ」
「ここは地球ではない。月に造られた、偽物の楽園だ」
「そんなことないわ。ここでは人々は平和に暮らしているし、人工的に管理しているといっても、理想的な環境じゃない」
 達矢はため息をついた。
「おれはそうは思わないな。草木や小鳥が本物でも、ここには存在しないはずの世界だ。こんな世界がおれたちの求めていたものだとは思えない。これではコロニーと変わらないよ。壁の向こうにあるのは、真空の宇宙じゃないか」
「全てを手に入れないにしても、十分なものがここにはあるわ。なにもかも人間が独占しようとした結果が、二六世紀の地球だったのよ」
 のぞみは淡々といった。それは誰かに吹きこまれたセリフを復唱しているような口調だった。
「たしかにそうかもしれない。じゃあ、エデンはそうではないとどうしていえるんだ? ここだって人間の都合に合わせた、積み木細工じゃないのか?」
「そんなことない! 月は不毛な世界よ。つまり、白紙のキャンパスだったの。わたしたちはこのキャンパスに、理想の世界を描いているのよ!」
 のぞみは語気強くいった。彼女らしくなかった。
「オーケー。君の言い分はわかった。では、なぜおれたちジャンパーを彼らは拉致しているんだ?」
「ジャンパーを救出しているの! 不幸な使命をおびて、駆り出された彼らを呼び戻しているだけよ! ジャンパーは過去に飛ぶべきではなかった。長い時間がかかってしまったけれども、人間はエデンを手に入れることになったのよ」
「呼び戻す? それは違うだろう? 三〇世紀に連れてくる必要がどこにあるんだ? 彼らの目的は、おれたちの任務の妨害だ。彼らにはおれたちの存在が障害なんだよ。だから排除している」
 達矢はのぞみと言い争いをしたくなかった。彼女が冷静になって、自分たちの置かれた状況を見てほしかった。
「違う! 違うのよ! 達矢……」
 のぞみは泣き顔になった。
「どういえば……わかってもらえるのかしら……。高原さん達は……わたしたちの間違いを正しているの。そのために……ジャンパーを連れ戻しているのよ」
「のぞみ、おれは高原を信用できない。第一に、なぜおれたちには自由がないんだ? 御子芝さんとも会わせてもらえないじゃないか。これでは篭の鳥と同じだ」
「それは……、この世界に適応してもらうためで、いろいろと学んでほしいからよ。閉じこめているんじゃないわ」
「学んではいるさ。だが、束縛されるのはごめんだ。まず、自由だ。制限なし、監視なしの自由が先だ。信用してほしいならね」
 のぞみはこくりとうなずいた。
「高原さんにお願いしてみるわ」
 彼女はゆっくりと立ち上がり、達矢に背を向けて去っていった。


 のぞみと達矢の様子をモニターで見ていた高原は、小さく首を振った。
「彼は問題ね。のぞみがいれば説得できるかと思ったけど、見こみ違いかもね。できれば自分から変わってほしかったわ」
「では、強制手段で?」高原の弟の涼樹(すずき)がいった。
「それは最後の手段よ。どのみち、ここにいればなにができるわけでもないわ。しばらくは好きにさせておくことよ」
「姉さんは優しいね。ぼくならさっさと問題を片づけるよ。問題といえば、御子芝と高千穂もだろう? どうするつもり?」
「彼らを会わせてあげましょう。自分たちになにもできないことがわかれば、少しは現実を受けいれる気にもなるだろうから」
「おやおや、ずいぶんと寛大なことで」
「ここはエデンよ。強制収容所じゃないの」
 高原涼子は天使の微笑みを浮かべていた。


 エデンは月の“静かの海”にある。地上に露出している部分もあるが、大部分は地下の都市となっていた。太陽から飛来する放射線を防ぐために、都市をすっぽりと覆うフォースフィールドが張られているが、地下の方がより安全性は高いからだ。
 人工都市としては巨大なもので、“静かの海”とほぼ同等の面積が都市化されていた。都市はさらに隣の“晴れの海”や“豊かの海”にも地下チューブでつながっている。“晴れの海”にはエリシュデン、“豊かの海”にはアヴァロンがある。いずれも楽園を意味する都市名だ。ひとつの都市に、一〇〇〇万人ほどが生活していた。
 地球はどうなっているかといえば、動物と植物の楽園となっていた。人間もわずかだが住んでいたが、文明レベルは後退し、機械文明以前の状態である。それは地球に残ることを望んだ人々の選んだ生き方でもあったのだ。
 月の人間は、月の環境――低重力に適応していた。筋肉をあまり必要としないために、ほっそりとした体形で、身長も高くなっていた。人工照明の下での生活のため、肌は色白で髪も脱色したようになっている。
 月人となった彼らは、もはや生身のまま地球に戻ることはできない。地球に降りる必要が生じたときには、ひ弱な肉体をサポートする動力付きのスーツを装着しなくてはならなかった。
 地球の価値は生物的資源としてのものであり、依然として不可欠な存在ではあるものの重要度は低かった。
 達矢は全天が見えるドーム展望室で、青い地球を見あげていた。
「あれが、地球か……。元に戻ったんだな。おれたちの任務は役に立ったんだろうか?」
「それはどう評価するかによるな」
 達矢の隣で腕組みをした御子芝がいった。
「長い年月をかければ、地球が自己修復能力で再生することは予想されていた。千年という時間がかかったわけだ。だが、その間に犠牲になったものは多い。この時代の楽園は、多くの犠牲の上に成り立っている。それを是とするかどうかだ」
「同感だな」
 高千穂は御子芝の腰に手をそえていった。
「月の人口は全都市をあわせて、三億くらいということだ。地球にいる人間は数千万らしい。かつてピーク時には一五〇億人がいたわけだから、五〇分の一になったわけだ。この楽園は数百億人の屍の上に建てられているということだ。とんだ楽園だな」
「のぞみがいうのも一理ある気がしてきたよ」達矢はため息をついた。
「おいおい、おまえまでそんな弱気でどうする?」御子芝はたしなめる。
「この世界がもっとも望ましい未来とは限らないぞ。私は気に入らないな」
「滅亡するよりはマシだけどよ。俺はそういう未来も見てきたんだ」と高千穂。
 御子芝は目を閉じ、思案してから口を開く。
「なにごとにも代償はつきまとうものだ。未来を救うといっても、なにをどう救うかによって、払う代償は違ってくる。千年待てばエデンのような世界が実現するからといって、では二一世紀の世界でなにもしないでいることが望ましいとは限らない。その時代を生きている人々にとっては、切実な問題だからだ。すべてを救うことは不可能だが、最善の努力をすべきではないだろうか?
 エデンの人々にとっては、二一世紀のことなど遠い過去の世界だ。とっくに死んでしまった人々のことを、誰も問題にはしない。彼らはわれわれが過去に干渉することで、楽園への筋書きが変わってしまうことを恐れているのだろう。それもわからないではない。“今”を生きるものには、今こそが現実だからだ」
 達矢はうなずきながらも、顔をしかめていた。
「そこなんだよ。彼らはなにを恐れているんだ? すでにおれたちは過去の人間じゃないか。だったら、この世界に通じる歴史の中に組みこまれているんじゃないのか? おれたちがなにをしたにしても、いまさら排除して、どうするつもりなんだろう?」
「なるほど……」御子芝は右手を頬にあてた。
「なにか、別の思惑があるのかもしれないな」
 高千穂は不敵な笑みを浮かべる。
「高原を直接攻めてみるのがいいな。本音を探るために」
 三人は顔を向かいあわせてうなずいた。
 達矢にはひとつだけ確かな決意があった。
 二一世紀に戻りたい――。
 彼は学園のある時代を、愛おしく思っていた。


 暗くかすかな冷気が漂う部屋に、高原は入った。部屋全体を照らす明かりはなく、床面に直径一メートルほどの光を発している場所がある。彼女は光る円形の中に立った。暗闇の中に、彼女の姿が浮かびあがった。
「高原涼子、出頭しました」
 声は反響して、エコーがかかる。
「枢機評議会は計画の遅延を懸念しているぞ、高原科学院主幹」
 威圧的な声――声には女性的なものと男性的なものが混在している――が、暗闇から響いた。高原は背筋に冷たいものが走っていた。
「はい、申し訳ございません。すでに報告の通り、イレギュラーが発生しまして……」
「言い訳はやめよ。植民計画は早期に実現されねばならぬ。われわれに残された選択肢は少ないのだ。時間はたっぷり与えたはずだぞ。おまえは何年生きておる?」
「は……、七〇年になります」
「ふむ、もうそんなになるか。人の三倍は生きておる。いくつ肉体を与えれば、目的を達成できるのだ? 肉体を持てぬものは大勢いるのだぞ」
 高原は深々と頭を下げた。
「肉体の保持者としての栄誉を汚さぬように、努力します」
「特権を与えられていることに感謝せよ。数百億の魂が電磁界メモリの中で、肉体を得る日を待ちわびているのだ。おまえのようなひ弱な肉体ではなく、ひとつの肉体で百年生きられる肉体をな。肉体の供給源は、人類にもっとも活気のあった時代、二二世紀から二三世紀が最適なのだ。われわれが過去に植民するためには、二一世紀の障害を取り除かなくてはならない。ミレニアムイヴを」
「十分に承知しています。いましばらく猶予をください」
「よかろう。しばらくはおまえが肉体に留まることを許そう」
「はい、光栄に存じます」
 声の気配は闇の中に消え、高原は安堵した。

〈つづく〉
諌山 裕 mail url 2002/06/04火12:35 [34]
.第三一節「エデン」(後半)返信  

【Writer:諌山 裕】


♪♪
“時間がほしい、愛も、喜びも
 空間がほしい、愛も
 ほしいの……私が
 アクション

 私っていう女の子にセイ・ハロー
 私の視界を覗いてみて
 自分が誰だか確かめるために間違いだって犯すの
 だからそんなに守られていたくないの
 他の道があるはずよ
 何だって確かめてみるべきだって信じているから
 でも私は誰なのか
 何をしたらいいのか
 神さま答えて教えて

 どんな風に生きていったらいいの?
 (今にわかるときが来るから心配しなくていいの)
 何が正しいかなんてどう判断したらいいの?
 (自分を信じて進むの)
 気持ちを抑えられないの
 でも今までの私は過保護にされ続けてきたの

 好きなこと、やりたいこと、やりたくないこと皆にいっても
 どんな時でも、諭され続けて
 教えられたこと、耳にする世界のことなんて信じられない
 過保護にされ続けてきたって気づいたの
 他の道があるはずよ
 何だって確かめてみるべきだって信じているから
 でも私は誰なのか
 何をしたらいいのか
 神さま答えて教えて……

 時間がほしい……愛も……空間がほしい
 誰にも決められたくない
 私の運命を
 ノー、ノー……誰にも決められたくない 自分で……
 自分じゃない誰かになれって言われるのはもうたくさん……”
〈overprotected/BRITNEY SPEARS〉

 のぞみは歌った。
 彼女はエデンを見おろす小高い丘に立っている。夜の時間帯になっているため辺りは暗く、街明かりが星の海のように広がっていた。昼間は憩いの場となっている丘には、パルテノン宮殿を模したミニチュア版のテラスが造られていた。
 パチパチパチ――
 拍手する音。
 のぞみは振り返った。壁の明かりの下に、達矢がいた。
「うまいもんだ。ブリトニーの曲だね」
「達矢……」
「ぶらっと散歩していたら、歌がきこえたもんだから」
 のぞみは肩をすくめて微笑んだ。
「聖歌を歌うようになって、歌うことが好きになったの。気持ちが安らぐわ」
「聖歌は苦手だけど、おれもブリトニーは好きだな。いい曲だ。彼女は可愛いしね。日本公演には行きたかったな」
「ラブソングが好きなんて、初耳よ。野球とロックばかりかと思ってた」
「好きなことは……いろいろあるさ」
(君のことも)達矢は思った。
 ふたりは向きあい、見つめあった。互いの思いが視線と仕草で交錯する。達矢の熱い視線に、のぞみはうつむいてしまった。
「えっと……、ここの生活には慣れた?」
「ああ、まあまあだな。あまりにもできすぎている世界に、戸惑ってもいるけど。なんていうか、ここの空気はおれには合わないみたいだ」
「そっか。野球もロックもないもんね」
「ブリトニーもいない」
「そうね」
 ふたりはぎこちなく微笑んだ。
「のぞみ……」達矢は口ごもった。
「なに?」彼女は小首を傾げた。
「あの……、ええと、これからどうするつもりなんだ?」
「どうって?」
「おれは帰りたいと思っているんだ。二一世紀に」
 のぞみは口を開きかけたが、すぐに閉じた。
「君はどうする?」
「わたしは……、ここに残るわ。いまさら理奈たちのところには戻れない……。高原さんは科学院にわたしを迎えてくれるといってくれてるの。ジャンパーとしての経験を活かして、まだ救出していないジャンパーのサルベージを手伝うの」
 達矢の顔は曇った。
「彼らの片棒を担ぐというのか? 理奈や光輝もここに連れてくると?」
 彼の言葉には非難がこめられていた。
 のぞみは大きく頭を振った。
「そういう言い方はいないで! これは歴史の浄化なの。自分が犯してしまった罪深きことを、償うためには必要なことよ!」
「どこが浄化なんだよ! それは彼らの勝手な言い分じゃないか!」
 達矢は思わず怒鳴ってしまった。
「違う! 違うわ! ミレニアムイヴは世界を破滅へと導いてしまった。わたしはその償いをしなくてはいけない!」
「それがどうして、のぞみの罪なんだ!?」
「わたしが、ミレニアムイヴになったからよ!!」
 彼女は叫んだ。そして大粒の涙を流した。
「な……なんだって!?」達矢は驚いた。
 のぞみはその場にしゃがみこんで泣いた。達矢は彼女の肩に手を置いた。
「誰が、そんなことを? なにを根拠に?」
 達矢はのぞみの隣に腰を下ろすと、嗚咽をもらす彼女の背中をさすった。
「泣くなよ、のぞみ」
 彼は彼女が落ちつくまで待った。
「見せてもらったの。失われていたミッシング・トリガーの情報を。わたしは一年後に子供を生むことになっていたの。父親は……あなただったわ。その子がやがては――」
「ちょ、ちょっと待てよ! 君とおれの子供だって!? どういう……」
 達矢ははたと気がついた。
「じゃなにか、君がおれを殺そうとしたのは、父親になるからだったのか?」
「それは……わからない……。自分を含めて、周りの人たちを傷つけたかっただけなのかもしれない……」のぞみは両手で顔を覆った。
 達矢は苦笑した。
「なにがおかしいの? わたしはあなたを傷つけたのよ」
「なぜって、おれはまだ君にプロポーズもしていないのに」
 彼は声に出して笑った。
「あなたは死にかけてたのよ! それがそんなにおかしい?」のぞみは悲痛にいった。
「笑っちゃうぜ、まったく。君がミレニアムイヴだって? おれと君の子供? 話としては面白いが、いかにもご都合主義的だと思わないのか? 高原の魂胆が見え見えだぜ。君を誘いこむには格好の口実だな」
「嘘だというの?」
 達矢は首を振った。
「真実かどうかはともかく、ミッシング・トリガーを特定できるとは思えないな。時間論の基本じゃないか。ミッシング・トリガー前と後では因果関係は変容しているんだ。もし君がミレニアムイヴだったとしても、おれたちには確認しようがないんだよ」
「じゃあ、わたしたちが探していたイヴは、どうやって確認するというの?」
「確認はできない。可能性を探るだけだ。その可能性におれたちが介入して、望ましい方向性を与える。
 ミッシング・トリガーの可能性として高いと思われていたことには、第三次世界大戦の遠因となった過激な環境保護テロとか、中東で始まる宗教戦争、ヨーロッパを襲うことになる小惑星墜落がある。ほかにもいろいろと起こるけど、いずれも世界的に大きな影響を及ぼす事件だ。
 おれたちの着いた時代から、もっとも近い未来の悲劇は、環境保護テロと中東の戦争だ。それに関わるであろうキーマンを探して、なんらかの対処をする。
 君だってわかっていることだろう?」
 のぞみはため息をついた。
「環境保護テロの中心的な役割を担った人は、誰だったか覚えてる?」
「ああ、たしかドイツ人だったな。人間こそが諸悪の根元って主張した奴だ。地球の人口が多すぎるといって、テロを正当化した」
「その人物と行動をともにした女性が、わたしたちの子供なのよ」
「なに? ちょっと待てよ、奴の周りには女が何人かいたけど、日本人がいたという記録はなかったと思うが……」
「愛人だったのよ。表には出なかったけど、彼女は來視能力者として彼の行動に関与した」
 達矢は唸った。
「高原はそのことをどうやって知ったんだ?」
「この時代からは、ソウル・ジャンパーが情報収集に過去へと飛んでいるのよ」
「意識だけのジャンプか?」
 のぞみはうなずいた。
「月人は肉体的にジャンプできないから、意識だけのジャンプを開発したのよ」
 達矢は立ち上がった。
「高原に直接問いただしてみるべきだな。君とおれの子供がそんな道を辿るなんて、信じられない」
 のぞみも立ち上がった。
「わたしも一緒に行くわ。あなたにも真実を見てほしいから」
 ふたりは連れだって丘を下っていく。
 達矢は複雑な心境だった。自分とのぞみが結ばれるという未来は歓迎すべきものだったが、その結果が世界を破滅に導くなどということは納得がいかなかった。もし、それが真実であるならば、なぜおれは死なずに生きているのか? 生かしたのは高原ではないか。死なせてしまえば、予想される未来は変わっているはずなのだ。


 広々としたオフィスには、緊迫した空気が漂っていた。部屋は白を基調とした清潔感のあるもので、壁や家具には曲線が多用され生物的なフォルムが活かされている。
 高原は招き入れた四人に、順に視線を送った。
「私になにを証明しろというの? のぞみから話はきいたんでしょ?」
「あんたから説明をききたいんだ。裏づけとなる情報も見せてほしいね。それとあんたらの使っている時空確率転送機も見せてほしい」達矢はいった。
「ずいぶんと疑い深いのね。いいわ、隠すことはなにもないのだから。なにが知りたいの?」
「まず、あんたらが突きとめたという、ミッシング・トリガーの証拠だ。おれたちに提供された端末からでは、アクセス制限がかかっていた。そいつに関するデータを見せてくれ。おれたち自身で検証したい」
 高原は小さくため息をついた。
「それを見て、どうしようというの? あなたたちの使命はもはや意味のないことなのよ」
「無意味かどうかは自分で判断する」
 高原は肩をすくめた。
「いいでしょう。お見せするわ。ここの端末を使うことを許可します」
 高原は立ち上がって、自分のデスクを空けた。
「私がオペレーターをやろう」
 御子芝が進み出て、高原のデスクにつくと、コマンド命令をいう。
「接続(ジャンクション)」
 彼女の座った椅子の背もたれから、触手のようなケーブルが伸びてきて、左右のこめかみと額の中央に吸着した。ケーブルの先端からは、ナノサイズのニードルが脳の神経系とリンクを確立する。
「展開(アンフォルド)」
 御子芝は一瞬顔を歪めた。量子コンピュータとの接触で、目眩と鈍痛を感じるからだ。
 デスクの上にはホログラムの映像が浮かびあがっていた。彼女が見ているものを、投影しているのだ。
「検索(サーチ)、ミッシング・トリガー」
 彼女は無数に並ぶ扉の中を、高速で移動する。扉はデータノードを意味するアイコンだ。やがて赤い扉の前で止まった。扉には“TOP SECRET”の文字が書かれ鍵がかかっていた。
「高原殿、開錠を」御子芝はいった。
 高原はサブコンソールに手を置いた。センサーが彼女のDNAをスキャンした。
《汝の道を示せ》
 コンピュータは問うた。
「マタイの福音書第七章一三節の言葉よ」高原はいった。
「それなら知っている」御子芝はうなずいた。
「狭い門から入れ。亡びに至る門は大きく、その道はひろく、これに入るものは多い。生命に至る門は狭く、その道は狭く、これを見出すものはまれである」
 扉は開いた。
 中に入ると、オベリスクが針の山のように林立していた。彼女はオベリスクに刻まれたインデックスを素速く読みとって、必要な情報を振り分けていく。ホログラムのオベリスクは、部屋全体に広がっていた。
 達矢と高千穂は、御子芝が絞り込んだ情報を展開して、中身を見ていく。
 作業に没頭する彼らを、高原は腕組みをして見守っていた。


 可愛らしい思春期の少女の3D写真が、彼の目の前でゆっくりと回転していた。少女はのぞみに似ているが、微笑んでいる口元は達矢に似ていた。
「この子が、おれとのぞみの子供か……」
 少女の一瞬の笑顔が、ホログラムの中に永久に封じこめられている。
「名前は、春奈よ。二〇〇四年三月三日生まれ」のぞみがいった。
「おれとのぞみは春奈が二歳のときに行方不明。でも死亡したという記録はないのか……。転移してしまったのかもな」
 彼らの作業を黙って見ていた高原が口を開いた。
「納得したかしら?」
「いや。これらは状況証拠ばかりだ。決定的なものじゃない。仮にこれがミッシング・トリガー前の記録だとしても、どうやって証明するんだ? あんたらのねつ造でないとどうしていえる?」
 高原は小さく両手を広げた。
「もっともな疑問ね。私たちはのぞみを三〇世紀にサルベージしたことで、引き金は引かれなかったと仮定していた。
 でも、歴史は別の筋書きで穴埋めしたの。のぞみの代わりに、理奈とキャサリンとジャネットの子供が、春奈の代役をすることになるだろうと、コンピュータはシミュレートしているわ。つまり、あなたたちすべてがミレニアムイヴの候補だということよ。それですべてのジャンパーをサルベージしようとしているの」
「それなら、どうしてさっさと理奈たちを呼びよせないんだ?」
「簡単ではないからよ。ある時間に同期している状態では、こちらから干渉して時空確率を変更できないのよ。同期が不安定になったタイミングで捕捉しないと、手の出しようがないわ。理奈とアンドルーが転移したときにも、干渉を試みたけど失敗した。成功率は二割程度よ」
「ずいぶんと頼りない方法だな」
「時空確率の技術は、二六世紀からそれほど進歩しているわけではないのよ。もともと不確定なものだから」
「でも、意識だけのジャンプを可能にしたんだろう?」
 高原はうなずいた。
「ええ。肉体ごと転送するよりも、意識という非物質を転送する方が容易いからよ。それに月人の肉体は、地球の重力では生きられないわ」
 高千穂が口をはさむ。
「意識だけのジャンプということは、肉体は過去の人間のものを借りるわけだな。肉体を乗っ取られた人間はどうなる?」
「強引に乗っ取るわけではないわ。同化するのよ。誰でもいいわけではなくて、意識パターンがシンクロしやすいことが条件なの。そのために、過去にいる私とこの私が見た目にも似ているのよ。偶然ではなくて、必然なの。未来からの意識を受けいれた人は、ある日未来の記憶に目覚めるわけだけど、自分が乗っ取られているとは感じないわ。それが自分だと認識するだけよ」
 高千穂は鼻で笑った。
「ふん、詭弁だな。当人の意志を無視していることにかわりはない」
「それは意識の定義の問題よ。そもそも意識は、脳の配線から発生する電磁界効果と量子的なゆらぎの中で発生する。その意識は不安定なもので、脳内化学物質の分泌や強い磁場の影響で、変容するのよ。どこまでが自分の意識で、どこからが外部に由来する意識かの区別はつけられないわ。境界線は曖昧なの。意識はたしかに存在するけど、存在を物理的に特定することは不可能だわ」
「だとしても、未来から干渉することを正当化できるとは思えないね」高千穂は憮然としていった。
 機密ファイルを扱っていた御子芝が、にやりとほくそ笑んだ。
「面白いものを見つけた。隠したつもりだったのだろうが、ミスったようだな」
 高原の顔がピクリと引きつった。
「サーチ! 植民計画」御子芝は命じた。
「だめよ! それは――」高原は制止しようとした。
 御子芝はデータノードの森を駈けぬけ、漆黒の空間へと侵入した。ほかからは隔絶された領域には、大きな門がそびえていた。
「なるほど、天国への門というわけか。開け方は?」
「知らないわ。そこには私ですら入れないのだから」高原はいった。
 御子芝はしばらく思案すると口を開いた。
「自分の子がパンを求めているのに、石を与え、魚を求めているのに、蛇を与える親がいるだろうか。天の父である神が、求めている者にどうしてよいものを与えないであろうか」
 彼女の言葉に、門は反応しなかった。
「違ったか。では、こっちか?
 もし一粒の麦が地に落ちて、死なないならば、ただ一つのまま残るであろう。しかし、死ねば多くの実を結ぶ。自分の生命を愛するものはこれを失い、この世でその生命を憎むものは、これを永遠の生命のために保つであろう」
《汝は第三のイヴか?》
 問いが返ってきた。
 最初のイヴは、エデンで禁断の果実を口にして堕落し、楽園を追放された。第二のイヴは、聖母マリアであり救い主によってあがなわれた人類の母である。
 第三のイヴとは――。
「あなたは神なのか?」彼女は問うた。
《質問に答えよ。汝は第三のイヴか?》
 御子芝はなんと答えるべきか迷った。イエスかノーか? ふたつにひとつ。彼女はエデンがミレニアムイヴを排除しようとしていることから、答はノーだと推測する。
「第三のイヴは忌むべき存在。第三のイヴは消滅した」
《汝に幸いあれ》
 門はゆっくりと開いた。
「そんな、まさか!」高原は門が開いたことに驚いていた。
「ちょろいもんだな。エデンではセキュリティが弱いらしい」高千穂はほくそ笑んだ。
「というよりも、そもそもおれたちみたいな侵入者を想定してないんだろう。楽園には犯罪者はいないらしいからね」と達矢。
「犯罪者はひどいな。好奇心が旺盛なだけだ」御子芝は苦笑した。
 門が開いて、封印された情報を目にした彼らは、さらに驚いた。驚くべき事実があったからだ。それは高原ですら、初めて目にする情報だった。
 高原は自分の知らなかったことに、呆然とした。彼女は自分がいった言葉を思い知らされた。
『どこまでが自分の意識で、どこからが外部に由来する意識かの区別はつけられないわ』
 彼女は自分がなにものなのかということに、確信が持てなくなっていた。

諌山 裕 mail url 2002/06/07金17:13 [35]

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