.第二六節「サイレント・ナイト」Part-2 | 返信 |
【Writer:諌山 裕】 理奈とアンドルーがサバイバル生活を始めて、三五日が経っていた。三五日生き延びたというのが正しいかもしれない。 昼間の紫外線と熱さを避けて、朝方と夕暮れに活動し、食べられそうな植物や果実を探した。ときにはヘビやトカゲを捕まえて飢えをしのいでいた。飲み水については心配なかった。毎日昼過ぎにスコールが降り注いだからだ。ふたりとも体重は落ちていたが、まだ深刻な状態ではなかった。 廃墟の中をさまよううちに、収穫もあった。第一は燃料となる油の缶が残っていたことと、壊れたカメラを見つけたことだ。カメラのレンズは火をおこすのに使った。さらには身につける服の素材も見つかった。長い年月で大部分がボロボロになっていたが、車の内装材として使われていたポリプロピレン繊維は、耐久性に優れていたため使えるものがあった。 ふたりは引き剥がした布地に穴を開け、つなぎ合わせて身にまとった。不格好だが昼間の日射と夜間の寒さを、ある程度は防護できた。 夜にはたき火を絶やさないようにしながら、抱きあって一緒に寝た。ふたりはあとどれだけ生きられるかについては、考えないようにしていた。そして、生きていることを確かめあうように、愛しあった。それは必然だったのだ。 理奈はアンドルーの胸に頬をつけて、彼に抱きしめられていた。 「ねぇ、アンドルー……」 「なんだい?」 「あたしたち、このままでいいのかしら?」 彼は深いため息をついた。 「なにかすべきだな。オレも同じことを考えていた。なんとか飢えない程度には食べているが、嵐が来ればこのささやかな楽園も一変するだろうからな」 「あたし、考えてたんだけど、天原学園のある場所に行くべきじゃないかなって」 「その理由は?」 「特に根拠があるわけじゃないの。もし、みんなの元へ帰れるチャンスがあるとしたら、それは学園の場所じゃないかと思うの。みんなはDPTもどきを作っているはずだわ。もし、未来に通信が送れるとしたら、あたしたちのことも伝えるはずよ。そうしたら、あたしたちがどこに飛んだのかを探すかもしれない。だとしたら、学園の場所は信号の発信源でもあるはずよ」 「あるいは、オレたちが消えた都庁ビルかもしれない。消えた場所も有力な候補だぞ。オレはその可能性の方が高いように思う」 「じゃあ、二手に分かれる? そうすれば可能性は高くなるわ。どちらかが助かれば、もう一方を助けられる」 アンドルーは考えこんだ。 「合理的な結論だな。しかし……」 「なに?」 「学園まで直線距離で四〇キロはある。地図もなしに、荒れた大地をひとりで行けると思うのか? 無理だよ。君をひとりにはできない。オレがひとりになるのも嫌だな。もし、どちらも空振りに終わったとしたら、孤独に死ぬことになる。そんな結末が望みか?」 理奈は首を振った。 「あたしだって、イヤ! あなたを失いたくない」 アンドルーは理奈にキスをする。 「だったら一緒に行動しよう」 「ここに残るということ?」 「いいや、君の意見に従おう。女の直感なのだろう?」 「それを信じるわけ?」 「ほかになにを信じられる?」彼は微笑んだ。 「けっこういい加減なのね」 「そういうもんさ」 理奈も微笑んだ。 「もう一度、抱いて」 翌朝、ふたりは日の出前に瓦礫の街を出発して、天原学園のあった場所――西へと向かった。 それはふたりが想像していた以上に、過酷な道のりとなるのだった。 理奈とアンドルーが消えてから一ヶ月が過ぎ、十二月になっても比較的暖かい日々が続いていた。今年は春の訪れが早く、駆け足で夏になった。夏の盛りであるはずの七月〜八月は、予想されたほど暑い夏にはならなかった。年間を通して気温の差が縮まっているのが近年の傾向となっていた。 チームリーダーのふたりがいなくなっても、彼らの学園での日々は、立ち止まることなく過ぎていく。中心的な存在だったふたりの喪失感は、チームの面々に変化を促していた。対立関係は希薄になり、より親密な関係へと発展した。 達矢とゲーリーも例外ではない。似たもの同士のふたりは、スポーツで意気投合し、野球やサッカーで競い合い、信頼関係を築いていた。ふたりが中心となって、学園にはなかった野球クラブを立ち上げるに至ったのだ。 スポーツに熱中して、肉体を酷使し汗を流すのは、彼らなりの喪失感を埋める行動なのだ。 そして達矢とゲーリーは、互いのことを“親友”と思うまでになっていた。 すっかり陽の落ちた第二グラウンド――。 ナイター設備のあるグラウンドは、照明で照らし出されている。野球クラブは発足したばかりの同好会であり、正式な部活動としてまだ承認されていないため、グラウンドを使用できる時間帯が限られていた。午後七時までサッカー部が使用している第二グランドを、遅い時間に借りているのだ。だが、照明は午後八時には消されることになっていた。 顧問として担ぎ出されたのは菅原だった。もとよりスポーツは苦手の菅原に、野球の指導ができるはずもなく、ただ彼らの草野球につきあっているだけであった。 菅原は時計を見る。八時十分前だった。 「よ――しっ! そろそろ時間だぁ! みんな上がりなさい!」 「達矢! ラスト一打席、勝負だ!」 バッターボックスに立っていたゲーリーは大声を出した。 「おおっ! 受けて立つぜ!」 マウンドの達矢は、足下の土を蹴って振りかぶった。 第一球――ファウルボール。 第二球――空振り。 第三球――ボール。 「逃げずにど真ん中に来い!」 「逃げてるわけじゃない。手が滑ったんだよ!」 第三球――カキーン! ボールはライトに飛んだ。不慣れな守備は目測を誤って、ボールは後方に落ちた。 ゲーリーはファーストを蹴り、セカンドへ。さらにサードを狙った。もたついた返球はようやくセカンドに戻ってきた。それを見たゲーリーはサードも蹴ってホームへ。 「くそっ! 守備が下手なことをみこしてランニングホームランか!?」達矢は叫んだ。 セカンドはあわててキャッチャーに投げ、暴投してしまった。ゲーリーは楽々ホームインした。 「はぁはぁはぁ、楽勝!」 「さぁさぁ! もうすぐ照明が落ちるぞ。今日はこれまで」菅原は生徒たちを急かした。 生徒たちは大急ぎで道具を集め、体育倉庫へと運んでいく。グラウンドの照明は段階的に暗くなっていく。片づけが済むと、菅原は管理室に内線電話を掛け、終了したことを告げる。そして照明は真っ暗になった。 「お疲れ」 「バイバイ」 クラブのメンバーは挨拶を交わして、それぞれの家路につく。 達矢とゲーリーはジャージ姿のまま、男子寮へと歩いていく。 「これから地下室に行くのか?」ゲーリーはきいた。 「まぁな。光輝とジャネットにまかせっきりというわけにもいかないだろう?」 「それは考えようだな。あのふたり、オレたちがいると邪魔みたいじゃないか」 「妬いてんのか? ふん?」達矢は鼻で笑った。 「おまえは、うらやましくないのかよ?」 「別に。ジャネットはおれのタイプじゃない」 「ふん。誰がタイプなんだよ?」今度はゲーリーが鼻で笑った。 「おまえこそ」 ふたりは立ち止まって、互いの腹の底を探りあう。 「その沈黙は、誰かいるということだな?」とゲーリー。 「おまえもだろ?」達矢はやりかえす。 「先にいえよ」ゲーリーは達矢の胸を拳で軽く叩いた。 「そっちが先だ。言い出したのはそっちじゃないか」 「さっきの勝負で勝ったのはオレだ」 「なにいうか。打率二割じゃないか。八割はおれの勝ちだ」 ふたりは顔を突き合わせ、相手の出方を見る。そして噴きだして笑った。 「なんか、バカバカしいことしてるぜ、おれたち」と達矢。 「だな。じゃあ、同時に名前をいうのはどうだ?」ゲーリーは提案した。 「ファーストネームか?」 「そうだ。カウントしよう。三つ数える。三、二、一、ドンだ」 「いいぜ」 ゲーリーはゴクリと唾を呑みこんだ。 「いいな? インチキなしだぞ」 達矢はうなずく。 「三、二、一」 『のぞみ』 ふたりは同時にいった。そして互いに驚きの表情を浮かべた。さらに同時にため息をついた。 「おまえなぁ、なんでのぞみなんだよ?」達矢は首を振りながらいった。 「まったく、おまえがライバルとは皮肉だな」ゲーリーは腕組みする。 「ライバルはもっといるだろうよ。ミス・マリアに選ばれてからというもの」 「そうだよな。同じクラスというのは有利だが、決定打にはならないよな」 ふたりは黙りこんで、再び歩き始める。 寮の入口の前まで来て、達矢は口を開いた。 「どうする?」 「どうするって、なにを?」 「彼女に告白するのかってこと」 「おまえは? そっちの方が長いつきあいなんだろうが?」 「長いっていっても、いままでこんなふうに意識したことはなかったんだよ。こっちの時代に来てからなんだ」 「同感だ。周りで誰それが恋愛中とかいう環境に、影響されているのかもな」 「いっそのこと、一緒に告白するか?」 「彼女に選ばせるのか? オレかおまえを」 「どちらでもないかもしれないぜ」 「ハァ〜」ふたりは肩を落としてため息をついた。 と、そこへのぞみの声が響いた。 「達矢! ゲーリー!」 彼女は女子寮から出てきた。 「のぞみ!」達矢とゲーリーはあわてた。 「野球の練習終わったのね。わたし、これから地下室に行くの。あとから来る?」 「ええっと……、着替えてから、晩飯食って……、時間があったら行くよ」達矢は顔を赤くしていった。 「どうかしたの? 顔が赤いわよ。また喧嘩でもしてたの? ほどほどにね」 「あははは、そういうわけじゃ……。な、ゲーリー?」 「ああ、ちょっとその……、なんでもない」 「そう、ならいいけど。じゃあね」 のぞみを背を向けて郷田邸へと向かった。 達矢とゲーリーは、彼女の姿が見えなくなるまでその場に立っていた。 夜の街には電飾の飾りが数珠繋ぎに配置され、クリスマスソングがエンドレスで流れている。不景気を気分だけでも払拭しようということなのか、例年にも増してにぎやかになっていた。 御子芝は天原学園に続く商店街を、人混みの流れに乗って歩いている。彼女は学園の制服を着て、やや大きめのリュックを背負っていた。制服を着ているのは、流行の移り変わりに左右されず、人から怪しまれることもないからだった。もうひとつの理由としては、毎日着る服に悩まなくて済むということだった。しかし、ミニスカートの下にストッキングを履いているとはいえ、足が冷えるのは欠点だった。 彼女は約二ヶ月ぶりに学園に戻るところだった。理奈とアンドルーの一件については、メールで知らされていた。ふたりが彼女自身と同じように時空転移してしまったことは、それほど驚きではなかった。経験者として彼女は、心配することはないと伝えていた。 彼女が学園に戻ることにしたのは、虫の知らせのようなものだった。 ――なにかが起こる―― 直感がそう告げていたのだ。 小高い丘の上にある学園の明かりが近づくにつれ、彼女のいらいらした気分は我慢の限界に達した。その原因は察していた。 人通りが途切れたところで、御子芝は立ち止まって振り返った。 「いつまでコソコソとあとをつけている? 高千穂! 貴様、ストーカーか!?」 フッと、つむじ風が舞って、御子芝のミニスカートがめくれた。街灯があるとはいえ、影になる部分は暗い。それでも赤いショーツがちらりと覗いた。 「なっ!!」 御子芝はあわててスカートを押さえた。 彼女の背後に高千穂が立っていた。 「くっくっ。樹よ、少々反応が鈍っているようだな? この程度の気をかわせぬとは」 「黙れ! 女には、どうしようもない体調のリズムがあるのだ! 平時であれば貴様ごときに……。男にはわからぬ!」 御子芝は顔が熱くなった。 (私はなにをいっているのだ!) 「そういう、うぶなところは好きだぞ」 「戯れ言を!」 彼女は手刀を振って、高千穂を狙った。しかし、彼はすんでのところでかわした。 「危ない危ない。脇差しがあったなら、やられていたな」 「なにしにきた!」 「俺はいつも君を見守っている。忘れたのか? 俺は君のペアなんだぞ」 「昔のことだ! 過去の時代に飛ぶ前の。申し出は受けたが、承諾はしていない!」 「拒絶もしなかったぞ」 「ならば……」 「拒絶できるのか? おまえと時空を供にできるのは、俺だけだぜ」 「ちっ……」 御子芝は言葉に詰まった。彼女は彼のことが嫌いなのではなかった。高千穂が少々鼻持ちならない性格であっても、彼は彼女を助けてもくれたのだ。彼女が喧嘩腰で彼に接するように、彼も彼女に対してからかい半分に接しているのだ。いつの頃からか、互いにそれが当たり前の意思表示となっていた。 御子芝は高千穂とのやりとりに苛立ちはするものの、けっして本心から嫌悪しているのではなかった。 「うせろ!」御子芝は怒鳴った。 「先に学園に行ってるさ」 高千穂はささっと影の中に溶けこみ、気配を消した。 「ふっ。涼……、どうしておまえは私を怒らせるのだ」 御子芝は苦笑いを浮かべていた。 瓦礫の街はやがて砂漠化した荒れ地へと変わった。かつては住宅地だった郊外も、褐色の砂に覆われ、目印になるものは乏しくなっている。 西に向かって歩き始めて五日目。理奈とアンドルーの足取りは重かった。ほんの数日でたどり着けると思っていたが、それは甘かった。昼間の日射を避けるために、夜間に移動していたが、闇夜では方向を定めるのが難しかった。星の位置を頼りにしていたものの、月と星の明かりだけでは足下がおぼつかず、思わぬ事故を招いた。 理奈は転倒して足を怪我していた。骨折こそしなかったが、満足に歩くことができないため、ある程度快復するまでキャンプを余儀なくされた。 ふたりは夜間の移動を控え、朝と夕方を中心に歩くようになった。足を引きずっている理奈のために、歩むスピードは一段の遅くなっていた。 六日目の陽が暮れ、ふたりは壁だけが残った廃屋にキャンプすることにした。 「どのくらい来たかしら?」 理奈はたき火に枯れ草をくべながらいった。 「半分、いや三分の二くらいかな。といっても、現在地がどこだがわからないから、希望的観測だな。迷っている可能性も否定できない」 「もっとなぐさめるようなこといってよ」 「そうだね」アンドルーは苦笑いして肩をすくめた。 彼は水の入ったペットボトルを理奈に渡す。水は残り少なかった。二一世紀ではペットボトルのリサイクルが大きな問題になっていた。分解しにくい素材だからだ。だが、廃墟の街に残されたゴミであるペットボトルは、都合の良い入れ物となった。 しかし、内陸に入るにしたがって、昼間のスコールは降らなくなっていた。生命線である水の確保ができないと、ふたりとも脱水症状で死ぬことになる。 「足はまだ痛むか?」 「ええ、ちょっとね。でも腫れは少し引いたわ」 「化膿しなくてよかった。感染症を起こしたらお手上げだからな」 理奈は夜空を見あげる。薄雲がかかっているために、見える星は少ない。 「今日で何日目?」 「歩き始めて六日目だ」 「こっちに来てからよ」 「たしか、四一日目だ」 「そうか……、もうすぐクリスマスね」 「こっちの時間が十二月とは限らないぜ」 「ムードのないこといわないの。クリスマスイブまでには戻りたいな」 「なにか約束でもあるのか?」アンドルーは微笑む。 「ひ・み・つ……」 「オレにも秘密なのか?」 理奈は返事をしなかった。彼女は目を閉じ、寝息を立てていた。 アンドルーは毛布代わりのボロ布を彼女に掛ける。 「休んでいてくれ。近くに水か食料がないか探してくる」 アンドルーはアルミパイプの先端に巻いた布きれに、油を染みこませてたき火にかざす。松明を手にした彼は、彼女の元を離れた。 のぞみは女子寮の前に立って、落ち着きなく待っていた。冷たくそよぐ風に乗ってジングルベルの曲がきこえる。やがて街灯の明かりの下に、人影が浮かびあがった。 御子芝である。 のぞみは満面の笑みで駆けよる。 「御子芝さん!」 「やぁ、のぞみ。久しぶりだ」 「お帰りなさい! 待ってたの!」 のぞみは御子芝に抱きついた。のぞみは泣いていた。 「おいおい、どうした? のぞみ。照れくさいではないか」 「ちょっと前に高千穂さんが現れて、あなたがすぐそばまで来ているって」 「涼が? ふん、あいつめ……。みんなを驚かせようと思っていたのに、先にばらされてしまったか」 「ちっともメールくれないんだもの。わたしが送っても返事は、“情報受領”とか“奔放不羈”とか“無事息災”とか四文字熟語だけだし……、寂しかった」 「すまぬ。おまえほど文才がないのでな。簡単な返事だけにとどめたのだ。ひらがなも交えるべきだったか?」御子芝は笑った。 「もう! 意地悪!」のぞみも笑った。 御子芝はのぞみの抱擁をやさしく解いた。 「みなはどうしている?」 「それなんだけど……。こっちへ」 のぞみは御子芝の手を引いて歩きだした。 ほどなく、のぞみは学園に戻った御子芝をともなって、地下室の電磁波暗室へと入った。 地下室には、光輝、ジャネット、キャサリン、達矢、ゲーリー、菅原、立原がいた。 御子芝は再会の挨拶と抱擁を交わした。御子芝から抱擁された菅原は、うれしさ半分恥ずかしさ半分だった。立原は菅原の反応に苦笑していた。 金属的な光沢に包まれた部屋の中にはぎっしりと棚が並び、一二〇台のパワーマックG4が収められていた。それぞれのコンピュータが発するファンの音が合わさって、旅客機の内部のようにゴォォ――ンと低くうなっている。発生する熱もかなりのものである。室内を冷やすための空調が、新たに設置されていた。だが、室温を一定に保ってはいるものの、熱気を感じずにはいられない。 「おおっ、これはなかなか壮観だな。よくもこれだけのものを作ったものだ」御子芝は感心した。 「見かけは大げさだけど、中身は稚拙なものよ」ジャネットが答えた。 「まぁ、そうだろうが、この時代では比類のないものだろう?」と御子芝。 「いってくれるね、君たち。僕はパワーマックがこんなに並んでいるのにヨダレものだよ」菅原は嘆息した。 「電磁波暗室はエキゾチックフィールドに較べると、ザルみたいなもんだけど、これである程度は外部からの干渉を軽減できる。うまく時空確率の入口を開けるといいんだけど」光輝はいった。 「しかし、確率波をどうやって発生させるんだ? 莫大なエネルギーが必要だろう? 日本中の電力を集めることは不可能なのでは?」御子芝は疑問を口にする。 「物質を確率波に乗せるわけじゃないんだ。情報だけだよ。つまり、質量はゼロ。エネルギーも実質的にはゼロになる。もちろん仮想的にエネルギーは投入されるけど、消費されないから差し引きエネルギーは保存される。シミュレーションで時空確率転送機を作って、仮想空間で稼動させるんだ。仮想であっても動作すれば、時空転移現象は起こるよ」 立原が口をはさむ。 「そこがわからないのよ。シミュレーションで可能だとして、それがどうして現実の未来に情報を送ることになるの?」 「先生、根本的な発想が間違ってるのよ」 ジャネットが答える。 「未来は現実じゃないのよ。確率なの。未来は確かなものとして存在しているんじゃなくて、確率として揺らいでいるわ。あたしたちはその確率の波を捉えようとしているの。 もっと厳密なことをいえば、いまこの瞬間の現実すら“現実”とはいえない。あたしたち自身も確率の海にうかんだ木の葉のようなものよ。現実を現実として認識できるのは、あたしたちの脳がその断片を“現実”として認識しているに過ぎないということよ」 「そう。つまり、脳も現実という瞬間をシュミレートしているんだ」光輝があとを継いだ。 「頭が混乱する考えかたね」立原は首をひねった。 「たとえば、こういう風に考えてみて」 ジャネットはさらに続ける。 「あたしが立原先生にメールを送るとする。それは数秒後には先生の元に届くわ。それはどうしてかというと、メールが未来に向かって送られたからよ。同一時間の先生にメールを発信しても、受け取ることができない。なぜなら、その時間の先生は未来の先生とは別の時空にいるからよ。 通常の世界であたしたちは、必然的にというか無意識のうちに連続した未来に向かって信号を送っているわけ。過去でも同一時間でもなく、未来にね。未来といっても因果律的未来だけど」 菅原がポンッと手を叩いた。 「なるほど、それはこの前の天原祭で、僕が説明した光の屈折と同じ理屈だな。光はちゃんと屈折するために未来の確率を捉えているんだ」 達矢が珍しく議論に加わる。 「この時代のコンピュータは、設計者が意図していないだけで、未来に向かって動作するようになっているんだ。ある条件では時間要素がマイナスになる要因があるにもかかわらずね。 量子コンピュータが発達すると、時間要素は無視できなくなるんだ」 「それはつまり、問題を入力する前に答が出るということ?」立原はきいた。 「そこまで単純じゃないけど、考えかたとしては近いよ」と光輝。 「世界観がひっくり返りそう……」立原は嘆息した。 ゲーリーも話題に参加する。 「そうでもないさ。ほら、天才とか芸術家はインスピレーションで、いきなり答を知るっていうだろう? あれは未来から情報を引き出している結果なんだ。脳にはもともと量子的なシステムが内包されている」 「來視、というやつだね」菅原はうなずいた。 「そういうこと。あたしたちは過去から情報を引き出すことになんの疑問も感じてないけど、未来から情報を引き出すことも本質的には同等なのよ。ただ、その方法というかチャンネルを持っていないだけなの」ジャネットが締めくくった。 「ふむ。たいしたものだ。それでシステムはもう完成したのか?」御子芝はきいた。 「まだ完成はしていない。あと一週間かそこらかな。クリスマス前には完成させたいよ」光輝は答えた。 御子芝は自分のいなかったわずか二ヶ月の間に、ずいぶんと成長した彼らを見まわした。特に女子の変化には、自分のことも含めて再確認していた。 「ところで、女子だけに話があるのだが……。すまぬが、男性諸氏は席を外してくれぬか?」 「はいはい、俺はそろそろ寮に帰って寝るぜ。行こう、ゲーリー、光輝」達矢は不満そうにいった。 「では、僕も今日はこれで。君たち、夜更かしもほどほどにな」菅原はいった。 男たちがエレベーターに乗ると、のぞみはきいた。 「なに?」 「君たちは、自分の体の変化に気がついているのか?」 「ああ……、そのこと。ええ、気がついてるわ。御子芝さんもなのね。みんなに同じ変化が起こってるわ」キャサリンはうなずいた。 立原はなんのことかと女子生徒たちの顔を順に見ていく。 「どういうこと?」 立原はキャサリンにきく。 「この件に関しては、立原先生に相談しようと思っていたの」 「私に? あなたたちにわからないことが、私にわかるのかしら?」立原は首を傾げた。 「わたしたちには……というか、わたしたちの時代ではいままで経験のないことだからです」のぞみはいった。 「というと?」 キャサリンはためらいがちにいう。 「わたしたちの体が……、変化しているようなの。つまり、妊娠が可能な体になっているんじゃないかと……」 立原は目を丸くした。 「それは……当然でしょ? あなたたちはそういう年齢なのだから」 のぞみは首を振った。 「違うの、先生。わたしたちの時代では、女性は妊娠しないんです。出産は人工子宮を使うから。生理はあるけど、排卵された卵子は不活性なままなの」 「それのどこが問題なの? 正常に戻ったということじゃない?」 「ええ、そう思いたいけど、まだ確信がないわ。そしてもし妊娠が可能なら、わたしたちは子供が欲しいと思っているのよ。心と体が強くそれを欲求しているの。わたしたちの体で、子供が産める残り時間は少ないから」キャサリンは真剣な表情でいった。 立原は少女たちの告白に、衝撃を受けていた。彼らの寿命が短いことはきかされていたが、出産に関することは初耳だった。寿命が短いというだけでも十分にショッキングだったが、子供を生みたいという彼女たちの気持ちは、さらにショッキングだった。 立原はどう答えたものか悩んでいた。 |