.第十七節「花火」 | 返信 |
【Writer:水上 悠】 ごくありきたりの学校。 私学ってこと以外、とりたてて何かが違うわけじゃない。 違うところがあるとすれば、代々学校に伝わる怪談の類が、ウソじゃないってことくらいだろうか? 自分でいうのもなんだけど、ボクのことを知らない生徒はいない。 学園の一大行事の前の晩、誰かが花火をあげる。 パン、パン! ボクがあげる花火を誰かが見てしまったら……? べつにボクは何もしない。 ボクを見ることが出来たとしても、それはいつものこと。 ボクはいつもこの学校のどこかにいる。 過去にも、未来にも。 幽霊だなんて思わないでほしい。みんなはそう思いたいのかもしれないけれど。 すべては、彼からの贈り物を受け取った時にはじまったのだから。 因果関係ははっきりしてる。 彼からの依頼はしごくシンプルだった。 『仕事はいたって簡単。これをあそこに置いて、ボタンを押して……。簡単だろ?』 彼──そう、彼は彼。誰だってかまわない。 ボクが最後に学校の門をくぐったのは、何年前のことだろう? 誰もボクのことなど覚えてないだろう。先生たちは覚えているかもしれないが、はたして顔と名前をちゃんと覚えていてくれているかどうか……。 自分でいうものなんだけど、そんなに目立つような生徒じゃなかった。 誰かの記憶にボクが残っているとするなら……いや、誰もあれがボクのやったことだなんて知らない。文化祭の前の晩に、校庭の真ん中で夜中に花火をあげたことを。 早春の夜空に咲いた季節はずれの光の花が、夕方から強まっていた北風の叫びにかき消されるようにして、消えていったのを覚えている。 そして、光の花が完全に消えた時、彼からの最初の贈り物が星空から落ちてきた。 月の光にそれはキラキラと光り、ボクの足下で、生ある物のように少し動いたようだった。透明の薄いカードサイズのプラスチックのような材質でできたそれを手に取ると、ボクの目の前に見たこともない光景が映し出された。 広漠たる廃墟。 生き物の息づかいすら感じ取れない、まったくの廃墟。 それがどこなのか、ボクにはわからなかった。 わからなくてもかまわない。 ボクには関係のないことだから。 天原祭──校舎の屋上から大きな垂れ幕がぶら下がり、風に揺れている。 お祭りの前の静けさの中、のんきな雀たちの声が響いている。 東の空に今日最初の太陽の光が顔をのぞかせ、ずっと憂鬱でしかたのなかった文化祭の朝が始まろうとしていた。 でも、今日は違う。 退屈なクラスの出し物を手伝う必要もないし、浮かれ騒ぐみんなを眺めるだけの退屈な時間を過ごす必要もない。 『君が主役。わかるだろ?』 彼はいった。 そう、今年の天原祭の主役は、このボクだ。 バックパックに入っているのは、彼からもらった最後の贈り物。 誰もいない校庭の真ん中で、ボクはそれを取り出し、土の上にタオルを敷いて、その上に置いた。まったく継ぎ目のないチタンに似た金属のような物で出来た箱は、タオルの上で、出番が来たことを知っているかのように、身じろぎをした。 生きているわけはないのに、ボクにはそう見えた。 『時間は一方にだけ流れてるわけじゃない。君が、今の君じゃないかもしれない時間も存在するかもしれない。もし、君がその可能性を否定しないっていうなら……』 声はそこでとぎれたまま、数日が過ぎた。 文化祭の前日の晩に落ちてきたカードは、忘れた頃に、彼の声をとぎれとぎれに伝えてくる。 ボクは声の指示に従って、あるモノを見つけに行ったり、それをどこかに隠したり、何年もの間、ずっと彼の言うとおりにしてきた。 でも、たぶん今日のこれが最後だろう。 彼はいった。 『……すべての可能性を無に帰さないためにも、彼らを止めなければならない』 彼らって誰のことだろう? そんなことはどうだっていい。 ボクは、ずっと目に見えない彼らと戦っていた。 勝っていたのか、負けていたのかすらも知らない。 すべて、この学校に関係していたことだから、ボクは彼の言いなりになってすべてをやり遂げてきた。 学校に恨みがあるのかって? どうだろう。 恨みらしい恨みがあるとすれば、ここで過ごした時間が、無駄だと思えることぐらいだろうか。 『はじめの花火が上がる。時の流れが少しだけ遅くなる。次の花火が上がる。また、時の流れが遅くなる。次、その次……最後の花火の後、時間は止まる。その箱が刻む二時間の間だけ。すべてを無に帰すイヴを探し、ありのままの世界を取り戻すための二時間。君たちには十分すぎる時間のはずだ』 イヴ? そう、彼女はたしかにそう呼ばれていた。 誰がイヴなんて言い出したのかは覚えていない。 斜め前の、窓際の席に座っていた彼女の後ろ姿はすぐに思い出すことが出来るけど、どんな顔だったのかまでは思い出すことができない。 この二年間、幾度となく繰り返してきた時間旅行のせいで、記憶が曖昧になってしまった。 ボクがボクであることすら、ときどき忘れていることもある。 「ねぇ、イヴが誰かなんてどうだっていいだろ?」 ボクは箱に向かって語りかけていた。 「時間なんて、誰がどうやったってすぎていくものなんだし……」 もし、あの日、最初の贈り物を拾うことがなかったとしたら? 仮定の話なら、いくらだって出来る。 「たしかに、君のいうとおり簡単なことだったよ。でも、もうどうだっていい。ボクはボクに戻りたいだけ」 彼の指示通り、箱の表面にあるブルーのボタンを二度押し、次にグリーンのボタンを押し、最後に二つのボタンを同時に押した。 甲高い金属音があたりに響き渡った。 驚いた雀たちが飛び去っていく。 ボクの耳にだけ、花火の音が聞こえた。 目の前に開いた、時の扉の向こうは、あの日、ボクが上げた打ち上げ花火の真下。 ボクは扉をくぐり抜け、ボク自身を取り戻す。 明日は卒業式。 天原祭? 今日がどうなろうと知らない。 その頃にはボクはここを卒業している。 さぞ、楽しい学園祭になることだろう。 「ごめんね」 ボクは彼を最後の最後で裏切った。 でも、気にしない。 彼はたぶん、ボクじゃない誰かを必要としていたのだろうから。 水上 悠
2002/02/25月01:01 [17] |