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.第四節「職員室」返信  

【Writer:森村ゆうり】

 
 午前中とはいえ八月の太陽は、じりじりと全てのものを焦がす勢いで照りつけている。
校庭のポプラの木もいくぶんうんざりしたように見えるのは気のせいだろうか。
「暑いわ。エアコン、入ってるはずなのに暑いわ」
 立原美咲は職員室の自分の席で、次の授業の教材を準備しながら呟いた。
 世間的には夏休みな今日この頃であるが、聖天原学園中学校では昨今の進学熱のご多分にもれず、八月九日木曜日まで高校受験のための進学補習授業が行われている。理科教師である立原美咲もその例外ではなく、あと三十分もすれば二年生のSクラスの理科一分野の授業を始めなければならない立場だ。
「だから職員室ってやなんだよね」
 立原美咲は一人ごちる。
 普段は理科室の横にある理科教官室にばかり入り浸っている彼女は、暑さが苦手なたちで、備品の保全を理由にしてかなり低い温度設定の空調で理科教官室を自分仕様な環境に整えていた。生徒たちには、地球の温暖化について警鐘を鳴らし、熱く語ったりもしている彼女だが、夏だけは進んで地球の敵になったりしている。
「立原先生、機嫌悪そうですね」
 そんな彼女にのんびりとした口調で声をかけてくる輩がいた。立原の右斜め前の席で、のんきに香り高いコーヒーを飲んでいる男が声の主だ。
「菅原先生、何しに来たんですか? 日直は一昨日のはずでしたよね」
「今日は部活指導」
「部活指導って、部活は午後からでしょう。まだ十時過ぎですよ」
 同じ二学年を受け持っているせいで、立原と菅原の席は近い。職員室の席は、学年ごとに島が作られる形になっているためだ。聖天原学園中学校では、ほとんど担当学年を持ち上がっていくため、実のところ去年も立原と菅原の席は隣接していた。
「食材を頼んだ業者さんが、十時半に配達に来るというので。品質チェックをしないとヘンなモノつかまされると困りますから」
「はぁ。今日は料理研究会の方の指導なんですね」
「その通りです。試食されますか? 立原先生」
 菅原拓郎は技術・家庭科を教えている。男性の家庭科教諭も最近では増えつつあるが菅原拓郎もその一人だ。もちろん専門は家庭科で、聖天原学園中学には技術を教える専任の教師がいないため、一人で全ての授業を受け持っている。
「はあ……」
 菅原の指導で作られた生徒たちの料理は、なかなかの味で魅力的な誘いだったが、立原はいまひとつこの得体のしれない男が苦手で、できれば距離を保ちつつ、それなりの付き合いで終わらせたいと常々思っているため、返事はいつものとおり曖昧だ。
「ちなみに今日のメニューは、若鳥のオーブン焼きに夏野菜のオリーブオイル焼き、レンズ豆入りのミネストローネです。おまけとして僕の焼いたパンが付きます」
 菅原が自信あり気にメニューを告げた。
「試食させて下さい!!」
 そして、いつもの通り力いっぱい気合いの入った返事を立原はしてしまう。毎度のことだが、メニューを聞かされるとどうしても誘惑に勝てない彼女だった。
「ところで立原先生とこの転校生が、この前面白いことしてたって話ですけど」
 唐突に別な話をふってきた菅原の顔には笑みが浮かんでいる。
「あー、神崎と津川ですね」
「そうそう、たしか神崎が立原先生んとこの生徒でしたよね」
「私のとこの生徒って、副担任してるだけですよ。それにうちのクラスなのは津川だけで、神崎は三組だったはずですよ」
 一学期の終わりに転入してきた四人の生徒の内、津川光輝と綾瀬理奈は立原が副担任をしている二年一組に席を置いていた。
「女の子を争って、野球で果たし合いしたって聞いたんですけど、本当のところはどうなんですか?」
「本人たちは否定していますけど、女子たちの間では、うちのクラスの小野が津川に告白するために手紙を書いて、それを知った神崎が二人の邪魔をしたから、小野を争って野球勝負をしたってことになってますね。女の子たちの言うことは、いつでも大げさですから、どこまで信憑性があるか疑問ですけどね」
「昔、流行ったアイドルの歌みたいな話ですね。さすが帰国子女だな。僕も負けられないな」
 何が負けられないのかちっとも解らないが、菅原は拳を握りしめて力説している。
「とにかく、許可なく学校の備品を使用した揚げ句、ボールを一個紛失させているんですから。しかも軟球ボールならいざ知らず、硬球ですよ。あれ、高いんですよ。だいたいうちの学校、野球部ないのになんで軟球と硬球が両方そろってたり、りっぱな野球用ヘルメットがあったりするんですか」
「理事長の趣味ですよ。ホントは野球部を作りたかったという話ですから。それに備品のボールも理事長が個人的に弁償したって話じゃないですか」
「ええ、理事長が彼らの保証人ですし、親御さんはまだ海外だそうですから」
「それにしても、面白い子たちが入ってきたじゃないですか」
 うらやましそうに菅原が言う。
「確かに、興味深い生徒です。なんだか、目が離せない感じで、退屈しなくていいですよ。菅原先生も授業持ってるでしょ」
「ええ、しかも料理研究会には、転校生二人、入部です。桜井と神崎なんですけどね」
「なんだ、それなら神崎とは菅原先生の方が親しいんじゃないですか」
 他人事のように面白がっている菅原に、立原が少しばかり抗議の声を上げた。
「いやぁ、奴は試食係というか……。作っている間は感心したり応援したりするだけですから」
「あー、うちの部活規定、文化部と体育部なら二重に入部してもОKだから」
「です、です。そのうち、料理研究会には顔みせなくなるんじゃないかな。僕としては少ない男子部員として大歓迎なんだけど」
 菅原はコーヒーを一口飲んで大げさにため息をついてみせる。
「四人とも転入時の実力テストではかなりの高得点だったから、ある意味心配していたんですけどね」
「確かに、今どき珍しい感じの生徒たちですよね。倒れるまで対決するなんて、テレビの中くらいでしかお目にかかれないですから」
 二人は声をあげて笑いあった。
 あまりお近づきになりたくないと思いながらも、結局、立原は菅原とよく話し込んでしまう現実がある。今もこうして興味深い転校生について、ついつい話が弾んでしまっている。
 噂話的な情報交換の時間は思いの外、早く進むもので、菅原はちらりと壁に掛かっている丸い掛け時計で時間を確認する。
「おっ、そろそろ業者さんが来るころだ。それじゃ、立原先生お先に失礼します」
 菅原がコーヒーカップを片手に職員室を出ていくと、立原はまた授業の準備を再開した。
 夏休みは普段のクラス編成とは違って、習熟度別のクラスに別れ授業が行われる。
 中でもSクラスは特に習熟度が高く、内容も深くなっている。教えるほうとしても油断ならない。ある意味戦場のような緊迫感を持って望む授業なのだ。手を抜いたが最後、ここぞとばかり生徒たちは牙をむいて襲いかかってくる。教材研究は念入りにしておかなければならないが、教師冥利に尽きる時間になる。
「それにしても、いきなり妙な時期に転校してきて、すぐにSクラスで補習授業。実力テストもほぼ完ぺき」
 立原はぶつぶつと独り言を呟く。
 しかもこの転入生の厄介さは、今どき珍しい熱い行動だけではない。
 Sクラスで補習を受けている生徒はみんなそれなりに勉強のできる生徒なのだが、彼ら四人がときどきしてくる質問は、立原がついつい熱く語りたくなる様な内容のものが多い。立原が受け持っている理科一分野は、二分野より生徒理解度がどうしても低くなりがちなのだが、彼らは教科書の内容を越えた範囲までも理解しているふしがあった。
 おかげで進学補習なはずの授業がやや脱線ぎみなこの頃だ。
 帰国子女で理事長の知り合いの子供という触れ込みで、実際転校の際の書類にも保証人の欄には理事長の名前が書かれていた。それも四人とも。
 古参の教師たちが言うには理事長の郷田義明は、隣人愛に溢れた慈善家でいろいろな事情で満足に学校にも通えない子供の世話をしていて、こうして唐突に転入してくる生徒は彼らが始めてではないという。
 しかし、その説明だけでは納得のいかない点が多くある。
 あまり詮索するのも生徒たちに失礼だとは思う立原だったが、あれだけ頭の良い生徒が、一度に四人も偶然に路頭に迷うような自体が起こりえるのか、はなはだ疑問なのだった。
「この学校って変よね。しばらく退屈しなくて済みそうだけど」
 立原はぽつりと呟いて、教師モード用の眼鏡をきちんと付け直し、資料やプリントを抱えて席を立つ。
 授業開始まで、数分。
 二年Sクラスまでの距離を考えると丁度よいころ合いだ。
 本日、最後の一コマ、六十分間。正規の授業時間よりも少し長い補習用の時間だ。
 他の教師たちもぞろぞろと自分の受け持ちクラスへと移動を始める。
 今日こそは予定通りに授業を進める決意を固めて、授業に向かう立原美咲であった。
森村ゆうり 2001/11/27火00:14 [4]

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