第八節「妖剣・胡蝶陣」 |
【Writer:大神 陣矢】 「行くのか」 そう声をかけられ、足を止めて振り向いたのは、少壮の若武者だった。 無骨な面体に憂愁の色をたたえた巨漢の姿をみとめ、ふ、と口元を緩める。 「ああ。もう、この地に用はないゆえ」 「勿体ないことをする。貴様ほどの遣い手なら、その腕だけでも身を立てられように」 「措け、佐平次。御手前の剛力にはおよばぬよ」 「それはさもあろうが、貴様の太刀筋……あれは神業よ。咒樂斎の『胡蝶陣』なからずんば、彼奴を討つこともまたかなわなかったろう」 過分な賛辞だ、と笑って、咒樂斎と呼ばれた若者はやや声を落とす。 「剣術使いの時代はほどなく終わる。いや、もうとうに終わってはいるのだけれど。いずれは御手前も、剣を捨てねばならぬ日が来よう。……その日までに、先の思案を忘れぬことだ」 「莫迦な。俺は……どうあれ、剣のみで渡って見せる」 「まあ……良いさ。御手前は御手前の道を行け。私もそうするゆえ」 「そうか……」 佐平次はさびしげにつぶやいたものの、じきに気を取り直したように、 「それなら……最後に、貴様の妙技を見せてくれ」 「タダで?」 「歌を贈ろう」 はは、と咒樂斎は相好をくずした。 「先生の送辞を頂けるとは光栄」 「風流を知らぬ貴様には惜しいがな」 「げにも」 ずらり、と抜刀した太刀を下段に構える。…… 「“うつつなき”……」 佐平次が、懐から扇を放る。 「“胡蝶の夢に”……」 さらにもう一枚、二枚と放り上げる。 「“妹(いも)を見て”……」 太刀が、跳ね上がる。 ごう、と一陣の風がうねった。 瞬きひとつ終えたのち、宙をひらひらと舞うそれらはもはや扇にあらず、無数の蝶へと変じていた。 「見事!」 莞爾と破顔した佐平次だが、すぐに瞠目した。 咒樂斎の身が、忽然と失せていたのだ。 「……返歌もなしに去るとは、つくづく、不粋よな」 秋風が蝶の群れを吹き散らし、すべてが視界から失せるまで、佐平次はその場から離れることなく、立ち尽していた。 「……というわけで、けっきょく、ふたりの恋は実らないまま終わるわけなの」 うっとりとした表情をうかべる桜井のぞみに、綾瀬理奈は呆れたような視線を送る。 「ずいぶん長い前振りだったわねぇ〜……ンで? それがどうしたってのよ」 「だから、今度の、お芝居……」 「ああ、演劇ね……」 間近に、文化祭が迫っていた。 2人のクラスは演劇をやることに決まり、のぞみはその脚本を書くことになっているのだ。 そこで郷土の文献などをあさっているうちに、野史に残された『胡蝶陣・久遠咒樂斎』の物語をエピソードを舞台化しよう、ということになったわけである。 史料によれば、久遠咒樂斎は幕末の人で、剣の達人。当時近来にはびこっていた盗賊団を壊滅させ、人々の難儀を救ったと伝えられる。そのとき一五歳で、以後の消息は不明。 「もっと無難なのがいっぱいあるでしょーに……」 「うん、それはそうなんだけど。なんとなく、ピピッと来たんだよね。この人……咒樂斎さんって、風のように現われて、風のように去っていった……なんだか、儚い人」 それに、とのぞみは続ける。 「数えで一五歳だったっていうのも、ポイントかな。それって、要するに現代なら一四歳ってことでしょ?」 なるほど、自分たちと重ね合わせているわけだ、と理奈は合点する、 「まあ、あまり史料としては重要視されていないけどね。でも、ロマンがあるよね……」 「ロマンねぇ」 「うん。こういう強さが、ほしいと思うよね……」 んなことより、あたしたちには優先することがいっぱいあるんだけどねぇ……とぼやきつつも、理奈は話を続ける。 「まいいや……あんたはちゃんと脚本仕上げてよね。あたしはちょっと出てくるし」 「え? どうするの?」 「買い出し。芝居となると、なにかと必要だからね」 「一人で大丈夫?」 「ん、あいつら連れてくから問題なし」 「なるほど」 「んじゃ、がんばってよね」 「うんっ、感動的なラブストーリーに仕上げるから期待してて」 「ラブ……?」 ふと風に当たりたくなって、のぞみは寮の裏手にある木立に足を向けた。 (難しいものね……) 舞台の脚本の件だ。引き受けてはみたものの、思いのほかてこずっていた。 演劇と言う芸術については、十分な知識をもっているつもりだった。わからぬことがあれば、古今東西、いやそれどころか『未来の』演劇にまつわる情報すら参照しうるのだ。 だが、『知っている』ことと、それを『生かす』ことは、おのずと別のことである。 (そういえば……) くだんの久遠咒樂斎にかんする文献の中に、彼が語ったと伝わる述懐があった。 『私はものごとを知ることで、そのものごとを理解したつもりになっていた。しかし、それは驕りであった』というのだ。『歌を知っていても、歌を唄えるとはかぎらぬ』と。 わたしたちのことのようだ、と自嘲気味にのぞみは考える。 これから先、どのように歴史が進んでゆくか、わたしたちは知っている。 だが、それだけだ。 その歴史を覆し、よりよい方向へ導くための手段……それは、現時点では皆目、見当がつかない。 あるいはこのまま、自分たちは何も為せないまま、時は過ぎてしまうのかもしれない……そんなふうに考えてしまうことも、しばしばだった。 ついには、 (いっそ……この時代でなければ良かったのに) 別の時代へ飛ばされていれば、いっそ気楽に過ごせたものを……と、思わないでもない。 そこに至って、のぞみは頭を振った。 (ダメダメ……こんなこと考えてるようじゃ、みんなに迷惑かけるだけ……) そう思い、作業に戻ろうと、歩き出した……その、直後。 「……っ!?」 言いようのない戦慄が、彼女を襲った。 それは、単なる物理的なエネルギーではない、もっと別の気配…… (……まさか……これは……DPT(ディメンジョン・プロパビリティ・テレプレゼンス=時空確率転送機)ッ!?) 彼女が振り向くのと、小規模ながら劇的なエネルギーの渦が巻き起こったのは、ほぼ同時。 次の瞬間には、さきほどまで存在していなかったものが、そこに存在していた。 「あ……」 のぞみは息を呑んだ。 それは、血にまみれた着物姿の、腰に刀を佩いた若者だった。 綾瀬理奈は駈けていた。 ひとつには、買い出しに思いのほか時間がかかってしまったので、急いでいたのがひとつ。 もうひとつは…… (のぞみ……) 別れ際に垣間見せた、彼女の寂しげな表情。 『強さが、ほしい』いう言葉。 時が経つにつれ、それはより大きな比重をもって、理奈の心を占めていた。 チームである四人のなかで、のぞみはもっとも繊細な性格だ。そりゃ、自分や光輝、達矢だって人並みに傷ついたり落ちこんだりもするけれど、のぞみは……何というか、真面目すぎるところがある。 それは美点でもあるが、度が過ぎればマイナスにしかならない。 まさかとは思うが、思いつめたあげく、何らかの形で暴発しないとも限らないのだ。 だから、荷運びは男子ふたりに任せて、こうして帰りを急いでいるというわけだった。 (思い過ごしなら、それでいい……) と、いっそう足を速めようとしたとき。 「そこの娘」 ふいに、凛とした声で呼び止められた。それも、娘、ときた。 急いではいるが、いちおう立ち止まってしまうのも無理からぬところ。 「すみませんけど、あたし……」 急いでるんです、と言いさして、理奈は口を閉ざした。 それは、路地裏から現われた声の主が、あまりにも異質な風体だったからにほかならない。 束ねた長髪、すらりとした体躯、色白の面貌……年のころは理奈と同じかやや上ていどか、なかなかの美少年……いや、美少女? であったが、彼女の言葉を奪ったのはそれが原因ではない。 上下の着物姿。これはまあいい。足に目をやれば草鞋履き。これも、まあなんとか見逃せないこともない。 が。 腰に佩いているのは、あれは、刀……ではないのか? (ゲイシャ!? ……いや、サムライ!?) 理奈が古代(いや、この時代からすれば近世・中世だが)に存在したという特殊な階級の名を思い出すのと、それが二一世紀には存在しえないものである、ということに気づくまでに約1.05秒。そして結論を出すまでにはさらに0.05秒。 結論。こいつは変な奴だ。かかわってはいけない。 視線を反らし、走り去ろうとした彼女の足を止めさせたのは、鯉口を切る音だった。 「頼みがある。聞いてくれるか」 「……人にものを頼む態度じゃないわね」 と毒づきつつも、理奈の視線はわずかにあらわとなった白刃に向けられる。 あれがまがいものだという保証は? いや、たとえ竹光だって、殴られれば痛い。 ここはどうやら、素直が一番らしい。 「服を脱げ」 「ヤだ」 素直撤回。 「案ずるな。タダとは言わぬ……この着物と交換といこう」 「そ、それにしたってねえ! そんな……」 「ふむ……あまりのんびりともしていられないのだがな……この時代、この格好は目立ち過ぎる」 ずんばらり、と抜き放たれた太刀が不気味に光る。重そう。 「ああ……何が悲しくて、二一世紀くんだりまで来て、ゲイシャに追い剥ぎに合わなきゃいけないのっ!?」 ことの理不尽さに、思わず声をあげてしまう。あらためて確認すると、異常すぎる状況だ。 「『二一世紀に来て』……?」 怪訝そうな追い剥ぎゲイシャ。そりゃそうか。 「ああもう、勝手にすりゃいいでしょ! 欲しいなら、こんな制服ぐらい……」 「『DPT』……」 「……へっ?」 いきなり追い剥ぎゲイシャの口からそんな言葉を聞いて、理奈はリボンをほどきかけていた手を止めた。 「『DPT』利用者か?」 「なっ……なんで、知って……っ」 やはりな、とつぶやいて、追い剥ぎゲイシャは刀を収めた。 「あやうく、『同胞』の身包みを剥ぐところだった。赦せ」 「はあ……えっ!? ってことは、あんた……も?」 いかさまさよう、と追い剥ぎゲイシャ……は、もういいか……着物姿の若者は答えた。 「私もまた、時の導きにはぐれた流れ者よ……」 少年は、高千穂涼(たかちほ・りょう)と名乗った。 もっとも、その名はもうずっと使っていないがね、とも付け加えた。 「どうして……?」 のぞみはひとまず、彼をひとけのない体育倉庫に連れ込み、治療に当たっていた。 『関係者』である以上、公的機関を用いるのは問題があったし、何よりこの負傷は怪しまれる。 さほど重傷でもないこともあり、のぞみが自前の医療キットで応急処置を施したのだ。 「それは……ぼくが、敗残者だからさ」 「え……」 涼の話はこうである。…… 彼はのぞみたち同様、DPTで過去に飛んだ若者のひとりだった。 しかし、彼を含むチームはジャンプに失敗、予定よりもはるかな過去に飛ばされてしまった。 『最初』は、どうやら平安時代だったらしい。 「最初って……?」 「ぼくたちは、異なる時代にたどり着いたものの……それでもなんとか、生き延びようと努力していた。その矢先だ……」 到着から数ヶ月後、突如彼らはまた別の時代……おそらくは鎌倉か南北朝時代……へと飛ばされてしまったというのだ。 「まさか……そんなことが!?」 起こったのさ、と自嘲気味に涼。 「おそらくぼくらは、体質……というよりも、存在そのものの『確率性』が変異してしまったのだろう。つまり、この時代に存在する確率が、つねに100%にならないということだ」 そのためか、周期的にジャンプを繰り返し、いくつもの時代を行ったり来たりしているのだという。 「幸いというべきか、その振り幅は数千年単位に収まっているようだがね……」 二六世紀からやってきたのぞみにとってすら、にわかには信じ難い話だった。 事実だとすれば、それは……想像するだに、苛酷なことだ。 「大変ですね」 などという慰めの言葉も、かけられない。 「そういえば……他のチームの方は……」 涼は押し黙ったまま、答えない。 「あ……すみません、わたし……」 「いや……いいんだ。ある者は戦争に巻き込まれ、あるいは疫病に倒れ、……自ら死を望んだ者もいた」 ぼくは運よく……いや、運悪く、生き延びているだけさ、と涼は弱々しく笑った。 「そんな……あの! もしかしたら、わたしたちが、力になれるかも……」 ムダだよ、と涼は手を振った。 「ぼくは、このまま……ずっとこのままなんだ。そして……すべては、無に還る」 「でも、そんなこと、わからない……」 「わかるのさ」 「え……」 「わかってるんだよ。ぼくは……」 涼の目に、暗い炎が宿る。 「……ぼくは、人類の最期を、見てきたのだから」 「……と、まあ、かいつまんで言えばそういうことだ」 御子芝樹(みこしば・いつき)と名乗った少女の話を聞き終えた理奈たちは、うう、と唸った。 終わりなきジャンプ。繰り返される時間移動。 しかも、いつ失敗し、量子の海に還るかもわからないのだ。 あらためて、自分たちの幸運さを痛感する。 (それにしたって……追い剥ぎはないわよね) (追い剥ぎはな〜、ちょっとな〜) (ふふ……追い剥ぎとは穏やかでないが……それはそれで……) 「……何か言いたそうだな」 いえそんなことは、と三人は口をそろえた。 「ま、苦労ではあったが……おかげでさまざまな体験もできた。悪いことばかりではないさ。こいつの遣い方などは、知りたくもなかったが」 この人は、と理奈は痛感した。……強い。 「ところで……『私だけ』か?」 「え?」 「私のような境遇の人間を、他に知っているか? ということだ」 「いや……あなただけですが」 「ふむ……」 樹は腕を組み、顔をしかめた。 「まずいな」 「何がです……?」 「私には『連れ』がいるのでね……」 何度目のジャンプかは憶えてもいないが、と前置きして、涼は話しはじめた。 「あれは、二六世紀よりもやや後……もはや滅びの日を間近に控えた人類は、荒廃した地球に還り、終わりの日を待ちうけていた。しかし彼らは、押しつぶされそうな絶望に耐え切れず……ついには……みずから……」 「そ、そんなっ……」 「わかるだろう? ぼくやきみたちが、どれだけ手を尽くそうが……ムダなんだよ。人類は滅びる。だったら……ぼくらが何かをなしたところで何になる?」 「それ……は……」 だから、と涼は続けた。 「ぼくは、人生を楽しむことに決めたのさ。……どうせ、明日とも知れない命だ。辛いことは考えず、楽しく生きたほうがいいじゃないか?」 のぞみは、答えられなかった。 「なあ、ぼくと行かないか? 無為な使命なんかに、残された時間を費やすことはない……どうせなら、人生を謳歌しないか?」 「…………」 涼の差し伸べた手に、のぞみの手が、重なり…… 「……ぐっ!」 鈍い音。涼が苦痛の表情とともに手を引く。 足元には、扇…… 「それくらいにしておけ、リーダー」 涼のまなじりに、ドス黒い憎悪の色が映える。 「……御子芝ッ!!」 駈けつけた理奈たちが見たのは。のぞみと彼女に寄り添う着物姿の優男、 そしてそこへ、抜刀した樹がゆるゆると間合いを詰めてゆく。 「のぞみ!? そいつから離れてっ!」 「え……えっ!?」 と、電光石火の挙動でのぞみの背後に回った涼が、彼女の喉元に小太刀を突きつけた。 「のぞみっ!? ちょっ……何やってんのよあんたっ!?」 「動くなっ……悪いね、のぞみちゃん……きみを利用して」 呆れたような表情で、樹がいう。 「相変わらず、つまらぬ真似をするな。そんなに、小悪党呼ばわりされたいのか」 「好きに言っていろっ……さあ、のぞみちゃん……行こうか? 来てくれるね?」 「わ……っ、わたし……は……」 小刻みに震える、のぞみの肩。 「のぞみとやら」 「!」 丹田から放たれた、凛然たる声がのぞみを打つ。 「そやつから何を吹きこまれたかは、だいたい見当がついている。もし、貴様が『楽に生きたい』のなら、そやつに従うのもよかろう」 だが、と樹は両の眉を跳ね上げた。 「『楽しく生きる』ことと『楽に生きる』ことは、同じではないぞッ」 「っ…………」 「運命から逃げるなら、すべてはムダだと信じて投げ出すなら、それもよかろう……だが、私は……運命とは計り知れぬものと信じている。われらが見た『人類の最期』も……あれがすべての結末とは限らぬのだから」まなじりを決する樹。 「ゆえに私は逃げはしない。いかに苛酷なさだめであろうと、みずからの手で切り開き、悔いなく生きぬき……天運尽きれば、倒れるのみだ!」 「わ……」のぞみの肩の震えが、止まる。 「わたしは……っ!!」 のぞみの頬を、風が撫でた。 「ぎゃ……っ!!」 駆け出しかけた涼が、扇で撃たれ、悶絶していた。 「奴はあの通り……人々に破滅のビジョン、破局の恐怖を語ることで、現世の利益を無為なものと感じさせるのが常套手段でね……ペテン師としては上々だ」 「はぁ……」 涼を捕縛したのち、一同は学園長室でことの次第を報告がてら、樹の話に耳を傾けていた。 「先の時代でも,同じような真似をしていたっけな……幕末の話だが」 「え……!? ひょっとして……それって……そのときの樹さんの名前って」 「あぁ? 『久遠咒樂斎』と名乗っていたよ」 「……っ!」 「それで」と、郷田がいった。 「これからどうするのだね?」 「ま、この時代に辿り着けたのも何かの縁だろう。しばらく、御手前たちの世話になるとしよう」 「はぁ……」 「あの……」 「うん? ……ああ、貴様……きみか。何か用か?」 「すみません、その……わたし……」 「……気にするな。高千穂のあれは芸のようなものだ。惑わされても、恥とはいえぬ」 「いえ……でも、たしかに、わたしも……迷ってたんです。だから……」 「今は……どうだ」 「…………」 ふ、とほほ笑んで、樹は振り返った。その視線に、返事は聞くまでもないと悟ったがゆえに。 「あのっ!」 「まだあるのか」 「あの、……佐平次さんへの、返歌は?」 樹は立ち止まり……そして、いった。 「『“交わす邯鄲 探すでもなく”……』」 「意味は……?」 「いっしょに使う枕を、探す気はないってことさ」 片手を上げて立ち去る樹を見送りながら、のぞみは、 『脚本、書き直しかな……』 そう、考えていた。 大神 陣矢
2001/12/24月11:57 [8] |